死という暗い影

 耕史が殺された。それも探偵が目を離した数時間の間の犯行だった。それは、橘川家の人々に大きな衝撃を与えた。一同は庭におり、大谷は死体をまじまじと観察していた。

 「ほら、藤堂、包丁がぐっさり刺さっているだろう。これは刺さり具合からして前から刺突された形だな。しかもかなり深く刺さっているから、相当の勢いがあったか、よっぽど強く刺されたかだな。復讐の花言葉が云々とかいうのだと恨みを持つ人間だと。ちなみに俺が到着した頃には既に死んでいた。」

 「君、死体とか血が苦手だと分かっていてその説明をするのかい。しかし、なぜ前からえいっと来たのに気づかないのだろうね。」藤堂はハンケチを口に当てながら、顔をしかめている。

「死体が苦手なのはわかっているさ。お前、いい加減慣れろよ。もう三十路だろ。探偵稼業始めてもう十年だろ」


「そうだけど、慣れないものはやっぱり慣れないものさ」藤堂は肩をすくめて橘川家の人々の方を振り向いた。

「さて、皆さん。耕史さんが殺されましたが、耕史さんは誰かに恨みを買われるようなことはありましたか。また、ここ数時間の間に客人などはいらっしゃいましたか」

藤堂は外部の耕史に対して恨みを持つ人間も疑っていた。おずおずと口を開いたのは母であった。

「耕史は誰かに恨まれるような子ではありません。先ほど藤堂さまがお出かけになられてからすぐに姿が見えなく…」

「そういえば、アンタがいなくなってからすぐ岡部って野郎が兄さんと母さんに会いに来たな」と明史がぼそりといった。

「岡部?岡部ですか…その方は何を」大谷がメモを取りながら聞く。

「私と耕史に薬学とかお花を教えてくださる先生です。花といっても華道とかではなく、薬学とかそういう類のものですから…。うちには謎めいた薬が多くあるので…それを知りたくて」

口を挟まず、顎を叩きながら何かを考えていた探偵だが、ぽつりと呟く。

「岡部さんですか。岡部さんという方、ひょっとして海猫屋に泊まっている方ですか」

「はい。さようです」

「大谷、君は近くの金物屋と台所の捜索だ。ひょっとしたらあの刃物は橘川家のモノではないかもしれない。僕は岡部さんに聞き込みをしてくる。分かったら海猫屋で落ち合おう」

そういうと探偵は海猫屋に走っていってしまった。

「お前はいつも指示だけして。まあ、その指示がわりと的確なんだけどな」


二十分ほど走ればそこは海猫屋だ。「あら、お帰りなさい」とせい子が声をかけるが藤堂はよほど焦っていたのか、口に含んだ飴をかみ砕き「岡部さんはどこですか」と切羽詰まったような声を出した。岡部が口封じのために殺されているかもしれない。そう不安がよぎったのだ。「岡部さんなら、奥の自分の部屋ヨ」「そうですか。すみません、ありがとう」そういうと廊下を音を立てずに走っていった。

「岡部さん」

「おう、なんだ。出かけていたようだが、取材か何かに行っていたのか」

「よかった。死んでいなかった」

そういうと藤堂はそこに座り込んだ。

「死んでた。なんのことだ」

藤堂は自らの懐を探り、名刺を探し出した。

「いや、実は僕、探偵なんです。嘘をついていてすみません。あなたがある事件に巻き込まれている可能性があったので不安で不安で……」

「そうだったのか。文士にしてはきっちりしすぎていると思ったがな。で、探偵さんが俺に何の用だい」

「いや、実は貴方が橘川夫人と橘川耕史さんに薬学を教えに行っているとお伺いしまして。その橘川耕史さんがお亡くなりになりました」

「耕史さんが。冗談はよしてくれ」

「冗談なら僕はこんなに急いで来ませんよ。で、貴方薬学を教えているというのは、どんなことを教えているのですか」

「俺は徳川時代の薬について研究しているのだが、橘川家には橘川翁が集めた大量の薬があってな。それの効能とか、庭に生えている植物について、かじった西洋の知識を教えているよ」

「そうなんですね。では、アザミの花言葉とか、クローバーの花言葉とかは」

「ああ。教えたが、何か」

そう。岡部の教えで「復讐」の花言葉の花々が使われたのだ。だったらなぜ、なんのために。操作をかく乱するためか、それとも本当に復讐の意図か。

「もう一つ、お尋ねします。岡部さん、貴方は橘川家にお関わりになって何年ほどですか」

「翁が立身出世したあたりかな。俺は薬学者の駆け出しだったんだ。翁がパトロンになってくれて研究をすることが出来た」

「その御縁の始まりは」

「朝鮮朝顔の効能からだったな。アレは麻薬と同じような効能がある。徳川時代は麻酔として使われていたんだよ。それを食った翁がおかしくなって俺のところにたまたま駆け込んできたのが始まりさね」

朝鮮朝顔、麻酔、麻薬。藤堂の中でなぜ前から勢いよく刺突され、気づかなかったのかが分かった。その時、襖が勢いよく開いた。そこにいたのは髪の長い、上方役者のような男であった。

「あの包丁は橘川家の台所からの出のモノだ。包丁に橘の紋が入っていた。それと、とんでもないモノを見つけた。俺にはいまいちわからない、お前に見てほしい」


大谷の手のひらにあったのは、血にまみれた十字架であった。

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