悪魔の遺言
朝八時。藤堂が姿見の前で身支度を整えていると襖がすうっと開いた。「朝ごはん、お持ちしましたわ」とせい子が朝餉を持ってきた。「そこに置いてくれたまえ、ありがとうね」と藤堂は笑う。海辺の町らしく、朝餉は玄米とわかめの味噌汁、魚の干物であった。藤堂は一気に米飯を掻き込み、干物を頭から食べ、味噌汁をすする。せい子はそれを嫌そうな顔で眺めていた。五分もしないうちに朝食を終えると、藤堂は橘川家へと向かった。
橘川家は集落ではなく、少し歩いたところの別荘街にある。空高く飛ぶ鳶が鳴くなか、藤堂は別荘街を歩いた。そこは、かなり大きな屋敷や洋館が立ち並んでいる。表札には元海軍大将の血であろうと察する苗字や有名な事業家の名前があった。田越川沿いを歩いていき、大きな和風建築が建っている通りがある。家の前に大きな柳の木があり、それが橘川家の屋敷の目印となる。屋敷には大きな長屋門がある。門をくぐりぬければ、そこには立派な松の木を中心とした日本庭園が広がっていた。こおん、とししおどしの音がする。
藤堂はしばし静寂の中に包まれていた。ふいに後ろから袖を引かれる、振り向くと小さな女の子―昨日藤堂を一喝した昭子―が立っていた。
「おはようございます」
愛嬌のあるいかにも小さな女の子が出すような声だ。昭子は幼女らしいさらさらとした髪をしており、黒を基調としたワンピースを着ている。藤堂からしてざっと二回り離れている年頃といったところか。藤堂はその愛らしさに目を細め、しゃがんで昭子と目線を合わせた。ぱっちりとした瞳が藤堂を映す。
「おはようございます。おばあさまに今日呼ばれているのだけれども、お嬢ちゃんおばあさまはどこにいるのかな」
「おばあさまは大広間にいます、藤堂さま。私が案内します」
小さなの割にしっかりしているのだなあ、と藤堂は思う。昭子を先頭に藤堂は屋敷へと入っていった。
「失礼します。藤堂さまをお連れいたしました」
昭子はするすると襖を開ける。大広間では探偵の到着を「悪魔」の一族たちが待っていた。皆一様に不安を顔に出しており、大広間は気味の悪い沈黙に包まれていた。
「おはようございます。昨日は誠ご愁傷さまでした」
「いえ…探偵さんこそありがとうございました。今日お呼びたてしたのは外でもありません。主人のことです。探偵さんのところに主人の手紙が来たというのは昨日伺いました。そのお手紙の内容を教えていただきたいのです。「自分の死を予言していた」ということはその後のわが一族の身の振り方も書かれているのではないかと、私は思うのです」
老女は震えながら探偵に告げた。狐のように目が細い男は爪をかみ、しきりに左右に首を振っている。平凡そうな男はぼんやりと虚空を見つめ、小柄な男は身体をゆすっている。子供たちは黙ったまま探偵を見つめている。
「ええ。たしかに、橘川翁から頂いた手紙には死の予言が書かれていました。それと同時に短い内容ですが皆さんのことも書かれておりました。こちらから読み上げてもよろしいでしょうか」
「お願いいたします。私たちには遺書は残されていませんでした。藤堂さまに出した手紙が、主人の最後の意志表示、つまり遺書であると私たちは認識しています」
「かしこまりました。では読み上げますね……。」
藤堂は手紙を懐から取り出した。藤堂は淡々と読み上げ始めた。
“藤堂くん、久しぶりだね。お元気かい。私はもうすぐ死ぬだろう。そんな予感がするのだ。私を恩人だと思うのであれば、もし私が死んだらなぜかは君が調べたまえ。君に私の秘密が暴かれようと、私は構わない。死人に口なしだ。
もし死んだら、財産は橘川家主人となる人物にすべてを与えよ、と皆に伝えてくれ。当主は耕史、武史、明史の中から皆で相談して選ぶこととする。もし万が一、三人が全員死んだり相談が決裂した場合は、我が財はすべて寄付すること。まさ子は私の主治医の松岡のところにでも身をよせたまえ。孫のみが生き残った場合も同様に我が財はすべて寄付することにする。死ぬ前に一度会いに来てくれたまえ。茶でもたてて進ぜよう”
「ふざけるな。適当なこと書きやがって。それが遺言だと俺は信じるか。おふくろにそんな仕打ちをするとは、悪魔のような男だ」
小柄な男が叫ぶ。悪魔の妻―まさ子―がそれをたしなめる。
「これ、明史。やめなさい。」
「俺らが死ぬなんて、そんなことあるわけないじゃないか。話し合いで決めるに決まっている。親父め」
「武史、そう興奮するな。」
狐目の男が平凡そうな男をたしなめる。狐目の男が、耕史、興奮している男が武史なのであろう。子供たちはこっくりと首を傾げている。未だ「死」がわからないような年齢のように藤堂には見受けられた。
「藤堂さま、ありがとうございます。」まさ子は礼を告げる。「いえ、構いません」藤堂は懐に手紙をしまう。「ところで、僕は橘川翁に「死んだら死因を探れ」という遺言がありますので橘川家のことも含め調べさせていただいて構いませんか」「結構です」そう告げるまさ子の顔は赤らんでいた。まるで何かを悪いことをして親に怒られるような子供の顔を老女はしていた。
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