生き証人の羊たち
「復讐……主人は確かに…悪魔と世間では言われていましたが…でもそんなそらおそろしい事、主人はされる謂れはありませんわ……」へなへなと座り込んでいる婦人に対し、藤堂蔵人は冷静に語りかける。そこに喪服の男が口を挟む。
「莫迦をおっしゃる御仁だ。医師である儂が橘川婦人に呼び出しを受けたときには外見上何も無かった。自然死だと認識していたが…」
「自然死だとしても、何にしても遺体にあのような莇の紋がつく事が誰かに何かをされた何よりの証拠です。それに、奥様の手足首にあるその紅い線は何でしょう。あの方に酷いことをされたのではありませんか。僕は橘川翁には世話になりましたが、「悪魔」と呼ばれていた事を先ほど知りました。あそこにおられた御婦人方が先ほどお噂しておりました」
藤堂が指先した二人の婦人は気まずそうに視線を交わしている。その様子を見た悪魔の妻は恥じらうように自らの紅い線に触れる。
「これは、なんでもありませんわ。昨日少し転んでしまって」
「転ぶと擦るような傷になりますよ。奥様。下手な言い訳は止された方がいい」
彼の言う通りだと老婆には分かっていた。しかし、自らの恥ずかしい秘密をこんなところで暴露したくはない。老女が戸惑っているところに鋭い声が飛ぶ。それは、老女の一番上の孫、昭子であった。
「おばあさまをこれ以上虐めないでください。藤堂さま。」
それを聞いた藤堂はハッと我にかえったような様子であった。
「これは失礼しました。つい熱くなってしまいました。奥様、無礼を許してくださいませ」
「いえお気になさらず……。昭子、ありがとうね」
場を収めた少女は得意げな様子であった。老女は目を伏せたが、ふと藤堂に目線をやる。
「あなたは今回どなたからかご依頼を受けて主人の葬儀にいらしたのですか」
探偵は首を振る。
「いえ、誰の依頼も受けておりません。三日ほど前、僕のところへ一通の手紙がやってきました。それは亡き橘川翁からでした。橘川翁は自分の死を予言していたのです。僕は急いで屋敷に駆けつけたのですが……。時……既に遅しでした」
藤堂は、懐から三つ折りの手紙を取り出した。その手紙には、橘川翁がよく使う橘の印章が押されている。
「父が手紙を?あの遅筆でものぐさな父さんが」
小柄な男が一人呟く。小柄な男を藤堂はしげしげと眺めた。小柄な男を含め、その場にいる男達は三人いる。一人は狐の様に目が細い男で片手に小さな男児を連れている。もう一人は特段特徴の無い男だ。この男が先程の女児の父親らしく、女児が男の後ろにピッタリとついている。ぴりぴりとした空気の中おずおずと男達の母親ではなく、そばにいた医師らしき男が口を開く。
「今日は故人を偲ぶ日です。そんなことはやめていただきやい。とりあえずこの場での尋問はお辞めになった方がよろしいのでは?藤堂さま」
藤堂はバツの悪そうに「ええ、そうですね」ときっちりと整えてある髪とパリッとしたスーツの裾を触った。そのとき、老女が不意に口を開いた。
「もし、藤堂さま。あなたが探偵さんだとすれば、主人がおそろしいことになったこと、原因も明らかにして下さるのでしょうね」
「はい。奥様、僕が橘川翁は自然死ではなく、毒かなにかを盛られたのだと推測しています。必ず敵討ちをします」
「私から依頼いたします。主人の敵討ちをお願いいたします」
人形同然であった母が初めて意思を示した事に周囲の男たちは唖然としていた。親類一同及び参列者はこの成り行きを静かに見つめていた。まるでこの流れの生き証人であろうとするように。外では雨がしとしとと降り続いていた。
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