第650話「早速やらかしてるのよねこの聖女サマ」



『ごちそうさまでした』


 空になった朝食の皿を前に、皆が手を合わせて合唱する。

 新しい住人、ティアを迎えて一夜が明けた。昨日には屋敷の案内や引っ越し作業、そして夜の軽い歓迎会などでバタバタしていたため、この朝からブルームフィールド邸の通常営業が始まると言える。

 週末であるため、綾女とガーネットも泊まっており、明確には通常とは異なるかもしれぬが……些細なことだろう。むしろ都合が良い。

 まずは朝食。今日は日曜日のため、少し遅めに起きた姉上が朝食作りを開始し、それに合わせ俺も起きてその手伝いをする。

 そうして朝の八時頃……仕事で疲れているガーネット以外を起こし、皆で朝食を摂る。休日であれば半分以上の確率でいないマスターも、今日は隠しおおせているつもりの寝惚け眼で同席していた。恐らく、新しい同居人に対する見栄だろう。澄ました顔で朝の紅茶を楽しんでいるように見えるが、半月もすればまた二度寝を優先するに違いない。可愛らしく、そしてちょっぴり見栄っ張りなご主人様なのであった。


「さて、お片付けをしますか」

「はーい、姉さん♪」

「私もお手伝いするよ」

「あっ……お、お手伝いします、鞘花様!」


 そうして片付けの音頭を取るのは姉上であり、それに良い子の刀花と綾女が続く。

 最後に慌てたように手を挙げ、手伝いを名乗り出たのはティア……では、ない。


「まぁ♪ ありがとうございます。えぇと……」

「あ……ど、どうぞ、“エリィ”とお呼びください……。正式な名では、外でも呼びづらいでしょうから……」

「クス、ではエリィちゃん? よろしくお願いいたしますね」

「はい! ……なんだ」

「いや……」


 姉上に『エリィちゃん』などと呼ばれ、その担い手に似てだらしのない笑みを浮かべる聖剣……その人型版を冷たく見ていれば、こちらの視線に気付いた“エリィちゃん”が射貫くように見てくる。


「存外、早かったと思ってな」

「だ、黙れ。我が担い手がお世話になろうというのだ。それを指すら咥えずにただ見ているだけなど、世界有数の聖剣、その一振りとして看過できなかったに過ぎない」

「そのゴキゲンなメイド服はなんなのだ」

「これはっ……ティアと、それと貴様の魔法使いが『絶対に似合うから!』と強く勧めて来て……」


 膝より少し上の太股をくすぐる程度のスカートの裾を、恥ずかしそうにギュッと握る聖剣。


「……」

「……ま、まじまじと見るな。色情狂め……」


 その全身を、今一度上から下まで観察した。

 いったいどこから引っ張り出してきたのか。それとも変身能力の類いなのか。人型を取ることを固辞していたエクスカリバーは今や、フリフリのミニスカ改造メイド服に身を包んでいたのだ。

 容姿自体は、以前見た時とさほど変わらない。全体的にほっそりとした線に、身長も少々小柄でありほぼリゼットと変わらない。戦闘時でなければ、凜々しさと愛らしさを同居させる美少女である。我が学園にも存在する、剣道部に所属する少女のような雰囲気が感じられた。

 黄金の聖剣らしく輝く金髪は、青いリボンでシニヨンヘアーとして後頭部で纏められ。大粒のトパーズを嵌め込んだかのような瞳は鋭利に細められつつ、しかしチラチラと意中の女性を追う。

 その視線を追えば、なぜ聖剣が人型となっているのかは明確だ。こやつめ、やはり俺の姉上が好きなのだな? 一度彼女のモノとして堕ちた経験も、その背を押しているのだろう。おかげでティアが複雑そうな目でお前を見ているぞ。

 とはいえ、ティアとて俺に懸想をしているのだから、聖剣としてはおあいこなのだろうが。まったく面倒な主従だな!


「……さっさと行って、姉上を手伝ってこい」

「……貴様は」

「明日には追試があるため、勉強を優先させてもらった。纏まった勉強の時間が取れるのは、もう今日しかないのでな」

「ふ、ふん……ならば仕方がない。不出来な貴様の代わりに、鞘花様の手助けをするとしよう。いや、これはあくまで我が担い手の受けた恩を返すための──」

「さっさと行け」

「きゃんっ」


 脂肪の少ないこぢんまりとした尻を蹴って、厨房の方へと押し出す。

 人型で受ける刺激に慣れていないのか、存外可愛らしい悲鳴を上げ、恨めしげに尻をさすりながらこちらを睨む聖剣。

 だが厨房の方から「エリィちゃん? お皿を持って来てくださいまし」と姉上から声がかかれば、エリィちゃんは「は、はいっ、ただ今!」と黒ニーソに包まれた細い足をせっせと動かし、忠犬が如く皿洗いに従事するのだった。

 その後ろ姿を食堂から見ながら、俺は腕を組んで鼻を鳴らした。


「ティアより馴染むのが早いのではないか?」

「ま、まぁ良いことかと~。お姉様関連は少々複雑ですが……前屈みになればパンツも見えますし、今のところプラマイゼロということで!」

「何を差し引きしたのかしら……」


 席に座り、食後の茶を楽しむティアとマスター。こちらは、まだしばらく食堂で茶を飲むのだろう。外国籍の者は食後にもゆとりがある。英国人であるリゼットは分かるが、伊太利亜人たるティアもまたそういった文化に染まっているのだろうか。

 今後、そういった部分も注視して、彼女が暮らしやすい環境を整えてやらねばな。

 そんなことを脳内で思いながら、落ち着いた様子で「はふぅ~」と茶の香りと余韻を楽しむティアに問うた。


「そういえば、修道女は朝のお務めなどはないのか。日曜には、教会でなんぞやっていそうなものだが」

「あ、私、今は出張先の環境に慣れるため~とかテキトーな理由で、一週間ほど有給とってますので~♪」

「信仰って有休で消化していいんだ……」


 皿運びを手伝っていた綾女が、通りがかりに冷や汗を流している。悪魔に初恋を捧げるような女だぞ。この女の口から出る宗教関連は、話半分に聞いておいた方がいい。

 本人もそう思ったのか、ティアが机の上で両手を組み……この場にいるリゼット、俺、綾女に神妙な顔をして言い含めた。


「誤解しないでいただきたいのですが……私以外のカトリック教徒はそれはもう日々真剣に、主の教えを守り、その愛を広める活動をしております。決して、そう決して! カトリック教徒のスタンダードを私に置かないようにしてくださいねっ! いや本当に!!」

「私、最初からあなたをカトリック教徒として見てないわよ」

「ゆ、ユースティアさんは、日々のお務めより大事な任務を優先している……ということで~……」

「昨夜にはワインを飲み過ぎ、トイレでげーげー吐いていた女とは、向こうも同じにされたくはないだろうよ」

「そんなぁ!?」


 なにが『そんなぁ』なのかはよく分からん。当然の評価であろうがこの破戒僧にして絡み酒めが。誰が貴様の汚物を掃除したと思っている。初日からやらかしおって。

 俺が非難を込めて睨めば、ティアは席で縮こまる。そうして恥ずかしさと申し訳なさをない交ぜにした涙目と赤面で、チョンチョンと人差し指を突き合わせた。


「うぅ、その節は誠に申し訳ございませんでした……あまり記憶にはございませんが。リゼット様、綾女様。皆様の戦鬼様に、新たな歪んだ性癖を植え付けてしまったことも……」

「反省していないな?」

「え、ジンあなた……」

「刃君、それはちょっと……」

「違う」


 誰が吐いている女に欲情するのだ。

 確かに、修道服を着たいかにも清楚な大人の女性がトイレの床に這いつくばり、ダラダラと脂汗と涙を流しながら『んお゛っ……お゛、や゛ば……ご、ごめ゛ん、な、ざ……あ、ま、また波が……! お゛え゛(自主規制)』と便器に向かって嘔吐えずいている様は……いや、うむ、いや、うむ……うむ。いや? うむ……。


「……………………」

「『いやあれはあれで……?』みたいな感じで回想しないの」

「素質ありますよ先生」

「何の素質だろう……」

「いや、無いな。俺はその後の、後ろから股を開かせるような姿勢で足を支えて抱っこし、便器に向かって小便をさせたことの方が興奮したはずだ」

「ふおぉっっっ!? わ、わたっ、私それ覚えてないんれすけお!!??」

「日曜の朝からきったない話しないでくれる? 物の見事に植え付けられてるじゃない歪んだ性癖を」

「おしっこって吉良坂先輩だけのお家芸じゃなくなったんだぁ……」

「俺から言えることは『赤ちゃんみたいで可愛かった』だ。以上」


 こちらに全体重を預け、据わらない首をグラグラと揺らしながら……ふにゃふにゃと幸せそうな顔をしながらチョロチョロと放尿する二十七歳今年で二十八歳の勇姿は圧巻の一言であった。


「──おっは~、今おしっこの話した? したよな? お? 誰誰誰? あたしはユーコン川でダーリンにトイレットペーパーでアソコ拭かれた系女子だけど、君達は拭かれないの? おぉ?」

「ノータイムで話題に乗っかれるこのセンパイなんなの……」

「おはようございます吉良坂先輩……あの、ユースティアさんが……」

「あーね? まぁ聖女なんて汚されるためにいるようなもんだし、しゃーない。キャベツ畑やコウノトリを信じている可愛い女の子に、無修正のポルノを突きつける時を想像するような下卑た快感じゃんね? それにその映像持ってる奴、この場に約二名いるし。おーい、サヤちゃん! 飯!」

「この人、ここの家主?」

「ぐすん……もう先生にお嫁に貰ってもらうしか……ちらっ」

「さて、そろそろ勉強に精を出すか」

「ちょっ、先生!? 今かなりアピールしてたんですが!? 欲しがり聖女だったんですが!?」

「草。朝っぱらからこいつらマジで自由すぎんよ」

「あなたがそれ言うの?」

「ダーリンもおっは~♡」

「ああ、おっは~だ」


 食堂から出しなに、笑顔のガーネットとすれ違いざまにハイタッチ。

 そうして背にかかる声を、振り返らぬままにヒラヒラと手を振ってスルーする。俺は勉強せねばならんのだ。この追試を通過せねば、ティアに『私がお邪魔したせいで……』と要らぬ気遣いをさせてしまうことになる。

 彼女は我が王ではないが、既にこの屋敷の住人となった。ならば、その笑顔を守ることは既に我が職務の内よ。


「さて……」


 一旦、二階の自室に戻り、勉強道具一式を持って再び廊下に出る。そうして長大な廊下その中央にある扉から、陽光照らすバルコニーに出た。


「今日はここで勉強するか」


 普段はリゼットが読書などで使うことが多いここは見晴らしが良く、音もよく入ってくる。この屋敷を俯瞰的に把握するには丁度良い場所なのである。

 ……通常営業となったブルームフィールド邸に、ティアがどう関わっていくのか。


「……うむ」


 勉強に集中する許可は取った。

 ゆえ、今日はここで勉強をしながら、彼女達の一日を見守らせてもらうことにしよう。

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