第651話「ロマンチスト吸血姫&聖女」



『それにしても、まさかエクソシストと同居することになるだなんてね……』

『ふふ、私も。まさか吸血姫様とこうして朝のお茶を飲むことになろうとは』


 日当たりの良いバルコニーで勉強へ取りかかっていれば、どこか含みのありそうな二人の声が、穏やかな風に乗って耳に入ってくる。

 これは……リゼットとティアの声だな。食堂の窓でも開いているのか、少々くぐもってはいるが聞こえないほどでもない。

 そんな二人は俺に聞かれているとも知らず、目の前の人物へ『まさか』と繰り返す。

 確かに、祓魔師と吸血鬼は古来より狩り合う仲にある。とはいえ現代においては吸血鬼圏の縮小、人工血液の開発、祓魔師の減少や現代化に伴い、表立ってドンパチすることは無くなっている。互いに睨みをきかせる程度が関の山だ。

 歴史を紐解けば、種族的には敵同士に当たる二人。片や世界最強の悪魔祓いであり、片や貴族階級の吸血鬼。歴史の重みも当然理解していようこの二人がこうして相対すれば、互いに何か思うところがあるのかもしれん。


(もう多少、配慮が必要だったか……?)


 視線は教科書とノートに固定しながら、今更そんなことを思う。

 しかし、二人の声に今のところ険は無い。ここは俺が下手にしゃしゃり出るより、成り行きに身を任せるべきかと判断する。これから生活を共にしようというのだ。腹を割って話す機会も必要だろう。


「……ふむ」


 そうして俺はペンを動かしながら、二人の麗しい声に耳を傾けた。


『吸血鬼という種は、朝が苦手と相場が決まっていますのに。種族の異なる眷属達と、こうして朝食を一緒に摂らんとする女主人としてのその姿勢……ご立派だと思いますよ?』

『べ、別に……というか、私の眷属はジンだけだし。買い被りすぎよ』

『あれ、そうでしたっけ。では、他の方々とはどういう……?』

『かぞ──と、友達、だけど……』

『あらっ♪』


 マスターの恥ずかしがっているかのような、同時に怒っているかのようなあの可愛い顔が目に浮かぶ心地だ。本当は『家族』と言いたいところだったが、恥ずかしくて『友達』と言い換えた部分も愛らしい……。

 ティアにもそれが伝わったのか、その柔らかい声に楽しさが上乗せされている。


『いいですねぇ、友達。異種族間における友人づくりは、なにかとトラブルが多いものですが……良好な関係が築けているようで何よりです。私のことも、これからは友人の一人として遠慮なく接してくださいねっ♪』

『え、あ、どうも……』

『どうしてそこで距離を取るんです!?』


 元来そういった友人関係の構築が下手なご主人様ゆえの遠慮か。それとも自分が十代で、ティアがアラサーゆえの一瞬の躊躇か。俺はどちらもだと思う。俺も昔のバイト先で『俺のことは友達とでも思ってくれればいいから!』と初対面の上司のおっさんに笑顔でそう言われた時、似たような反応を返したことがあるので分かる。関係が浅い内は、年の差は如何ともしがたいものだ……。

 そうして距離を詰めようとし、若者に一歩引かれたティアは衝撃が大きかったのか、シクシクと泣いている……。


『ぐすん……若者のリアルな反応ツライ……ではせめて、私のことはティアとお呼びください……』

『年上の女性をいきなり愛称で呼ぶのもちょっと……』

『ハァ……! ハァ……!』


 いかん、ティアが早々に死にそうだ。

 対人関係は慎重に進めたい派のご主人様に、そこへ更に年の差が加わるとなかなかに手強い相手と化すのだな。今のところこの二人は、相性があまり良くないのかもしれん……。

 助け船を出すべきだろうか。そう思っていれば、過呼吸気味だったティアが努めて深呼吸する音が聞こえてくる。体勢を立て直したか?


『──恋バナぶっちゃけトーーーーク!!』

『ッ!!??』


 恐らくだがそういうところだぞ、ユースティア=ペルフェクティオ。

 だが、ここではむしろ好手だ。このご主人様は普段からツンツンとしながらも、ゴリ押しには滅法弱い。さすがは世界三位の剣士、戦術眼も持っているな。


『な、なんなのあなた……』

『たとえ年は離れていても! 好きになった殿方は同じ! でしたら歩み寄れる部分もあると思うのですよ私は! というわけで先生との甘々エピソード、何かください!』

『い、イヤよ……そういうのは、内に秘めてこそ輝きを増すっていうか……』

『もうそれだけで、リゼット様が恋愛に関してはロマンチストって分かるんですよね。素敵です♡』

『う、うるさいわねっ』


 おぉ、よいぞ。リゼットが普段の調子を出してきた。伊達に長年、懺悔室で修道女をやってはいないな。


『あ、あなたこそっ、随分と初恋を大事にしている様子じゃない。これまで、そういう男性には出会わなかったのかしら?』

『ないですね~。だってだいたいの男性って私より弱いですし~、これでも世界最強の聖剣使いなんで敬われてばかりでぇ~。こう……異性的にビビッと来る方は、先生以外いませんでしたね~』

『あなたより強い男性なんてジン以外いないじゃないの……』

『一応、この国でも青龍様がいますよ? つよつよランキングでは私が上ですし、殲滅力でも私に分がありますが……近距離で『よーい、スタート』って始める形式でしたら、私の首が一瞬で跳びます。あのお爺様、対人殺傷能力おかしいですよ……』

『あなた光の速度で動けるのに……?』

『青龍様の突きは、私より一瞬だけ早いんですよね~……こわ。まぁ離れてスタートなら私が勝ちますけどね』


 そんな話ばかりしていると、強者の匂いに釣られて青龍が降ってくるぞ。あやつは己より強い化外と剣を結ぶことでしか生を実感できん哀しき獣だからな。その内、この屋敷を訪ねてくるかもしれん。相手はティアにさせよう。


『とまぁ、そんなわけで。そうやって異性的に私をドキドキさせてくれる殿方は、やっぱり先生しかいないな~と』

『そ、そう……いえ、ご主人様的には聞いてて微妙な話ではあるのだけど』

『でも、良くありません? やっぱり恋愛においてドキドキは大事ですよ!』

『ま、まぁ、否定はしないけど……』

『なんと言いましょうか。男性的と言いましょうか……相対的に、自分の女の部分を刺激されてしまうと言いましょうか』

『……ふむ』

『私のことを大事にしてくれて~。でも肝心なところではイケイケな感じで引っ張ってくれて~。そんなところが『あ、私この人の女なんだな……』って否応なく理解させられてドキドキしちゃうと言いますか~』

『…………』

『先生ってその辺のバランスの取り方が上手い印象ですよね~。優しく寄り添って欲しい……でも時にはワイルドに求めて欲しい! っていうオーダーをさりげなくこなしちゃう感じで~。私には結構当たりが強いんですけど、それはそれでって感じで~』

『…………』

『最近、吸血鬼と眷属間でも主従結婚……“しゅじゅ婚”とかあるじゃないですか~。もう“まさに”じゃないです? 従順で優しい眷属! でも彼氏としてはイケイケドンドン! みたいな? そんなギャップが私を狂わせる、みたいな!?』

『………………』

『羨ましい話ですね~。ぶっちゃけ刺さる人には致命傷クラスに刺さる性能してますよね先生ってば。私も相手への理想が高くなっちゃいがちで……そう、私も負けず劣らずロマンチストだな~って思っちゃうんですけど、『初キスはこんなシチュエーションがいいな~』とか『プロポーズはこんな台詞で~』とかつい妄想しちゃうんですよね~。それでそれでっ、先生はそんな理想の少し上を行ってドキドキさせてくれる印象があるといいますか! どうなんです、どうなんです? 実際、やっぱりそういうところがあるんじゃないですか~? 何も言わなくても、こっちの言いたいことが伝わってたり。こっちからちょっと意地悪しても、笑って許してくれちゃう素敵な彼氏……なんなら向こうからも意地悪されちゃって『もうっ!』みたいな感じが理想っていうかっ! なんてっ!』

『…………………………』

『……リゼット様?』


 途中から黙ったリゼットを、不安そうにティアが呼ぶ。

 どうした。アラサーの熱弁に引いたか。それとも解釈違いでも起こしてキレたのだろうか。我がマスターは、眷属に対し拘りが強いからな……。


『────っ』


 バルコニーにいても、食堂内の神妙さが伝わってくる。

 そんな長い沈黙の後……我が麗しのご主人様は、『ふう……』と憑き物を落としたかのような吐息をつくのだった。


『──このお屋敷に、ようやくまともな恋愛観を持った女性が来てくれたようね』

『リゼット様……!!』


 どうやら同好の士を見つけられたことを噛みしめる沈黙だったようだ。


『あなた、“理解わかってる”わね。そうなのよ。いえ、そうであるべきなのよ。私も似たような話をトーカやセンパイにした時、『重い』とか言われて『は?』って思ったりしたものだけれど……』

『っ! 分かります……私もお酒の席で同僚に『重いのは胸だけにしてくださいね』だなんて酷いこと言われて……!』

『そんなことない。決してそんなことはないわ、聖女様……いえ、ティア!』

『リ、リゼット様……!』


 互いに何か熱いモノが通じ合ったかのように、二人はその名を呼ぶ。熱いな。


『私の彼氏なら! 私が何か言う前に行動すべきだし! 二十四時間体制で私を甘やかすべきだし! 一日に三通は私への気持ちを綴った詩を提出すべきだし! 優しくすべきだし! でもここぞという時には強引に来てくれるべきなのよ!! ここぞという時じゃなければ断るし嫌だけど! その辺りは『空気読んで? 分かるでしょ?』って感じだけど! 私の彼氏ならそれができるはずだもん!』

『──リゼット様は、正しく淑女であらせられるのですね』

『あなた、今良いこと言ったわ。そう、私、淑女なの。そりゃあね? 肉体的に結ばれることを否定はしないわよ。でもちょっと待って? あなた、自分を安く売りすぎじゃないかしら? って、そう思うのよね。なんだか一部が回数を重ねているようだけれど……え? あなた、それでいいの? って。そこに真実の愛はあるのかしらって』

『なんと言いますか……大事にして欲しいですよね、一回一回を。“なんとなく”ではなく、その一つひとつに特別な“エピソード”を込めて欲しいんですよねぇ』

『そうっ、そう! 分かる!? 特別が欲しいの! 淑女は安くないの! 簡単じゃないのよ淑女は! それを『理想が高い』の一言で、捨てていいものじゃ決してないはずなのよ!』

『とても分かりますよリゼット様……ゆえにこそ、私達はこうして出会えたのですから……理想の殿方に! いえ、そこにいるのですから理想ではないんです! います! 私達の憧れは、決して手の届かない高みではなかったのです! なーにが『その歳で王子様でも待ってるんです?(笑)』ですかっ! 理想を抱いて溺死する前に、見事一本釣りされちゃったんですけど!? はい私の勝ち!』


 カチャと茶器を置く二つの音。熱い握手でも交わしているのだろうな。


『──あなたを歓迎するわ、ティア。淑女同士、高潔さを忘れずに生活していきましょうね』

『あ、でもさすがに私の歳となると、先生には早めにお召し上がりいただきた──』

『 テ ィ ア ? 』

『主も仰っておられます……『出産適齢期は二十歳から三十四歳である』と。慎ましさと高潔さとを忘れず、私達は淑女として先生と接していきましょうね。リゼット様』

『もちろんよ。ふふ、私達、良いお友達になれそうね』

『……そう、ですねっ』


 俺には分かる。いや、リゼットは騙されている。その恋愛観は似ているのかもしれんが、貞操観念に関しては大いに隔たりがあるぞ。俺が仮に求めた時、リゼットは『駄目』と言えるかもしれんが、この聖女は間違いなく『主が見ておられますのに! 主が~!』と言いつつ自分から股を開くという確信がある。上擦った『そう、ですねっ』の声がいい証拠だ。


『ふふ……♪』

『でへへ……♪』

「……楽しそうだから、よいか」


 崩壊前提の新たな友情の芽吹きを祝いつつ。

 俺はとりあえずノートの片隅へ、リゼットへの想いを込めた詩の草案を書き込むのだった。

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