第646話「この聖女はもう駄目かもわからんな」



「でへへ……それにしても先生がまさか、秘蹟編纂省うちと仲良くしてくださるだなんて」


 バチカン地下に秘匿された組織及び施設、教皇庁秘蹟編纂省。

 名うての悪魔祓いが集う組織との交渉を無事に終えた俺は「急がずともよい」と伝えたにも関わらず、なにやらやる気に満ちたティアの陣頭により、瞬く間に用意された俺専用の勉強部屋へと案内されていた。

 勉強するための机と椅子だけあればそれでよかったのだが、彼女達の厚意により、来客用の応接室をそのまま使わせてもらっている。革張りのソファと高さのない机は少々勉強には不向きだが……贅沢は言うまい。

 現在は平日の夕方。秘蹟編纂省との“話し合い”が円滑に行われたおかげで、晩飯時にはまだ時間があった。わざわざ用意されたモノを、和睦が成ってすぐに断るのも無礼かと思い、そうして俺は再び追試対策の自主勉強に耽っていたのだが……。


「先生、神様とかそういうのお嫌いそうでしたのに」

「む……」


 嬉しさを隠せない微笑みを浮かべながら、対面のソファに腰を落ち着けているティア。上司から直々に『無双の戦鬼の監視』を任ぜられたため、職場であっても堂々と俺の近くにいられるのが嬉しくてたまらぬらしい。

 ゆったりと頬杖をつき、瑠璃色に煌めく瞳をじんわりと細める聖女。ロウソクの揺らめく灯りが、彼女の白金色の長髪に反射し……より神秘的に映る。

 そんな静謐という文字が似合う様子の修道女を前に、俺もまたペンを置いた。


「そうだな……もぐもぐ」


 ついでに、脇に積まれたクッキーもつまむ。

 これは勉強開始からほどなくして『ブラザー・酒上様……? こちら差し入れです……♡』と他の修道女から気恥ずかしそうに手渡されたものだ。頭を使うと脳が糖分を欲しがるため、こういった差し入れは助かる。礼を言えばなぜか『あぁっ、主よ……私は、私は~!』と真っ赤になって叫び逃亡していってしまったが。

 ちなみにその現場を数多の修道女が扉の影に隠れつつ見ており、それをティアがキレながら追い散らす一幕もあった。今も廊下からなにやら新たに甘く香ばしい香りが漂ってきているため、追加の差し入れも期待してよいのかもしれん。

 そんな曰く付きの焼き菓子をパクつきながら、俺は目前の宗教家に対し鼻を鳴らした。


「ふん……今も変わらず、好きではない。人間の尺度で語らず、人を人のままに救わぬ神も。それを盲信し追従するばかりの人間もな」

「では、どうして和睦など?」

「斬って捨てるのは簡単なことだと、思い直す機会があっただけだ。人間と宗教は決して切り離せぬ。ならば、こうして利用してやるのも一興だろう。傷付き抜いた人間の祈りを、神は果たして受け入れる度量を秘めているのか……クク、見物だな。敵対していては、特等席では見れんだろう?」


 そうして神の国とやらが本当に到来した時、仮にその神が多大なる期待に反し尻の穴の小さい小物であれば……さて、信徒の嘆きはいかほどのものになるだろうか。

 ──そんな神を、俺が目の前で斬り殺してやれば、それはどれほどの快感になるだろうか。興味は尽きん。つまらぬ神ならば、俺が滅ぼしてくれる。人間数千年分の命と時間を浪費させた、世界きっての詐欺師としてな。

 宗教家の前では決して口には出せぬ展望を抱いていれば、それを知る由もないティアは「え~?」と呑気に首を傾げる。


「つい先ほど、なんだか『人妻』とか聞こえてましたけど?」

「さて、どうだったかな」


 湿った瞳でそう聞くティアに、肩を竦めた。

 今言ったことは建前ではあるが、それでも真実の一部ではある。俺はここを人妻の楽園と定めたのだ……静かで、勉強ができて、あらゆる年代の人妻を鑑賞すらできる。これまでは知らなかったが、バチカン市国とは良い国だな……。


「じぃ~……うちの修道女を摘まみ食いしないでくださいよ?」

「俺からはせん。俺からは、な」

「もうっ。これは私が、キチンと眼を光らせないといけませんね。先生だけでなく、うちの子達にも!」

「最近の悪魔祓いは甘くなったな……もう多少は反抗されるものかと思っていたが」

「いやぁ、さすがに命は惜しいですし……他宗教の神を、うちの天使として数えることもなくはないですしね~。あ、もちろん一般的な悪魔相手なら、絶対和睦なんて結びませんよ? 私より弱かったら、そのまま倒しちゃいます。なので先生だけですよ。うちが正面切って、握手する悪魔様なんて♪」

「ふ、そうか」


 ペロリと舌を出すバチカンの剣姫に、クツクツと肩を揺らした。世界で三番目に強い剣士以上の武力を持たねば、友好も結べんというのだ。難儀な組織よなぁ?


「クク、俺は"戦鬼おれ"の設計者共は嫌いだが、この性能にしてくれたことには感謝しておかねばな。おかげで、こうして聖女と謳われる者が、甘酸っぱい想いを寄せてくれるのだからな」

「ふおっ……や、やめてくださいよ、そういうの真正面から言うの……は、はじゅかちぃ~……」


 ただでさえ白い肌をポッと染め、ティアはモジモジと俯いて小さくなった。先端のカールが絨毯を撫でる美しい白金色の長髪も相俟って、この者は赤がよく映える。


「あ、あの~、先生?」

「なんだ」


 俺の凝視に慣れぬのか、ティアはアセアセと視線を四方八方に散らしながら、こちらに問う。


「和睦の理由は分かりましたが~……もう一つ。どうして、私を日本に呼ぶのですか……?」

「言っただろう。お前を俺の女にすると」

「っ♡ おほっ♡ ぬふっ♡ ……あ、どうぞ。続けてください?」


 こちらの台詞にオットセイのような鳴き声を上げたティアだが、コホンと咳払いをし楚々と促す。取り繕えておらぬぞ。にやけを我慢する唇の端っこが今にも綻びそうにヒクヒクしておる。


「俺が跪くべき王としては、清廉過ぎて好みではない。十一年前にも、つまらん小娘だと断じていた。だが、なかなかどうして。こうして再会してみれば、随分と面白い女に成長しているではないか。いや……可愛らしい、と言うべきか」

「おっほっ♡ あひゃっくwwwwww」


 浦安に住むネズミの仲間にこんな鳴き声をするやつがいなかったか?


「……」


 ちなみにだが現在、常にその腰にあるはずの聖剣の姿は無い。あやつは一人でとぼとぼと修道院へと帰らされ、渡日のための荷造りを独りさせられている。ティアからそう命ぜられた瞬間の、あの切なげな顔が瞼にこびりついている……哀れな……担い手から離される刀剣ほど、涙を誘うモノもない……。

 ゆえ、今のティアに自重を促す者はこの場にいない。やりたい放題、欲望に従い放題の聖女であった。俺よりむしろ、この女を監視した方がよいのではないか?

 そうは思いつつも、喜ぶティアの百面相が面白いため、俺の口もつい軽率に滑る。


「その身が既に救世主のモノであるという点も気に入った。他人のモノほど、魅力的に映ってしまう時がある。それもその相手が、神に等しいというのならば……ああ、奪い甲斐があるというものではないか?」

「…………………………きゃ、きゃあ~……♡ 寝取られちゃう~……♡♡♡」


 真っ赤になった顔を両手で覆い、悶えながらもなんぞ小声で鳴いておるわ。可愛らしいアラサーめが。


「ゆえ、覚悟しておけよバチカンの剣姫。日本に来た暁には、悪鬼たる俺が貴様を堕落の園へと誘ってくれる」

「くっ……たとえ私の身体は汚せても……私の主への信仰心は、決して汚せませんよ……! 悪魔のおち○ぽになんて、絶対に負けない──!!」

「誰がいつち○この話をした」


 勝手に生々しい方向へ話を進めるな。俺が何もせずとも堕ちそうだな!

 試しにクッキーを一枚摘まみ、眼前でフリフリと振ってみる。


「あ……♡」


 こちらの意図を察したティアは、頭巾から垂れる前髪をいそいそと直し、ゆっくりとこちらに身を乗り出して──、


「へっ♡ へっ♡ れぇろ……♡ ちゅぱ……クポッ♡ クポッ♡ クポッ♡」

「クッキーを食え」


 俺の指を卑猥にしゃぶるな破戒僧めが。

 クッキーを口に押し込み、さすがの俺も少々呆れた。


「先が思いやられるな……あくまで仕事であることを努々忘れるなよ。あまりにコロッといかれては、こちらとしても奪い甲斐がない」

「うっ……わ、分かってますって。エイメンエイメン……」

「日本での住処はどうなるのだ。借りるのか。それとも“ぶらいだるふぇあ”をやったあの教会に住むのか」

「ですね~。教会の一室を貰って、そこのお手伝いをしながら先生の監視って感じになるでしょうか。う~ん、慣れるまではちょっぴり肩身が狭いかもです……お互いに」


 こんな女だが、バチカンの剣姫は世界最強の悪魔祓いだ。そんな大物が唐突に長期出張してくるというのだから、現地の日本人司祭や修道女も緊張は必須かもしれんな。俺がいない場では、ティアもさすがに外面は取り繕うだろう。仕事とはいえ、息が詰まる現場になるのは想像に難くない。

 思わず考えてしまったのか、ティアは端正な顔を憂鬱色に染めた。


「はぁ……日本の教会って葡萄酒以外のお酒ってオッケーなんでしたっけ……夜の飲み歩きも」


 飲み歩きはそもそもこちらでも認可されているかは怪しいのではないか。


「うぅ、先生……夜、こっそり二人で飲みに行きましょうね……できれば、エリィも一緒に」

「……まぁ、構わんが」

「寂しくなったら、毎日メッセージ送っていいですか? スタンプだけの返信はダメですよ。既読無視なんてされたら泣きますから」

「程度による」

「あ、そうだ。二人だけの記念日とか作りません? 初めて会った記念日に~、十一年ぶりに再会した記念日に~。それで今日は、秘蹟編纂省と無双の戦鬼の和睦記念日! 明日は日本着任記念日で~、初めて二人で飲みに行った記念日とかも作って~、どんどん二人だけの記念日を作っていきましょう!」

「……そうか」

「それでぇ、それを一ヶ月ごとにお祝いしましょうね♡」


 刻みすぎだろう。

 このままでは、俺のスマホのカレンダーが真っ赤になってしまう。それはさすがに……ああ、そうだ。


「提案なのだが、ティア」

「はいは~い、なんでしょう~? あ゛っ、も、もしかして重かったです!? ごめんなさい~~~! 見捨てないで! 見捨てないでぇ!! も、もちろん、先生の奉ずる王の皆様を差し置いて、私みたいなアラサーが出しゃばる気はありませんので!! 一定の距離感を保ちつつ、ですがたま~に美味しい思いを……そう! あれです! 私のことはもうセフレ──」

「──ブルームフィールド邸で、共に暮らさないか。そう離れていては日本に呼んだ甲斐も無く、監視とも言えまい? 我がご主人様に掛け合ってみるが、どうだ?」

「え、えぇ~~~~~~~~~~~……???」


 聞けばティアは、遠慮がちな声を漏らしつつも、卑屈な笑みを浮かべる。


「わ、悪いですよぉ~~~~~~……」

「……」


 そうして世界最強の悪魔祓いにして聖女と敬われる女性は、瑠璃色の瞳を上目遣いにして……にへら、と笑った。


「でも……い、いいんですかぁ~~~~~~??? でへ、でへへへへ……♡」


 この聖女はもう駄目かもわからんな。

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