第645話「秘蹟編纂省、落つ」



「ククク……ハハハハハハ! なるほどな!!」


 わ、我々修道女が人妻という結論に至った先生は(それもどうかと思いますがっ)、唐突な高笑いと共にご納得を示されました。


(い、いったい、何をご理解されたのでしょう……)


 悪鬼を鎖に雁字搦めにしてなお、いまだその首を落とせていない私達の力の底? それとも根本的な、宗教者としての我々の在り方?

 どちらにせよ、これまで静観を決め込んでいた無双の戦鬼が『なるほど』と言って『笑っている』……きっとこの悪鬼にとって、何かしらの見極めが済んだということでしょう。

 ここから先、我々秘蹟編纂省の運命が決まる。なるべく穏当な運命を辿ってほしいけれど、我々が武器を彼に向けている手前、それはあまりに都合の良い展望なのかもしれません。


(いざとなれば、私が……)


 無双の戦鬼の行動律には"因果応報"があると、私は思っている。私がどこまで先生の望むものを差し出せるかは分かりませんが、同僚達の命を助けるためなら……。

 そうして私が一人、胸中で覚悟を決めていれば……ひとしきり笑った先生は不敵な笑みを浮かべたまま、不気味がる修道女達を見据えて言った。


「秘蹟編纂省の者共に、無双の戦鬼が告げる──」

『……っ』


 運命を決する、言葉を──!


「──『和睦を、申し込む』とな!!」

『な……!?』


 ん、ですとぉ……!?

 まさかの発言に修道女達はざわめき、私も頭が一瞬真っ白になる。え、え、和睦!? 仲良くしましょうってこと!? どうして急に!?

 しかしそんな混乱の最中にあり、最前線で鎌を構えるベアトリクスさんは顔を怒りに染めて牙を剥いた。


「ふ、ふざけないで! 命乞いのつもり!?」

「クク、まさか。純粋な提案だとも」


 今の私と先生は神代の鎖に繋がれ、武装した悪魔祓い達と秘蹟を操るヨハンナ様に前後を挟まれている。これが通常の悪魔であれば、確かに苦し紛れの提案、命乞いと取られてもおかしくはない。

 しかし──今の我々が相手をしているのは、かの無双の戦鬼。この状況にあって、むしろ涼しい顔すらしている、世界最凶の悪魔なのです……! それを忘れては……!


「悪魔の言うことなんて、信じられるわけがないでしょう! あんたの言葉なんて、信用できないわ!」

「なぜだ? 信用と言うのならば……今のこの状況こそが、俺がしてやれる最大限の譲歩を表していると思うが」

「どういう意味!?」

「──"貴様等が、まだ死んでいない"。それ以上の譲歩がどこにある」

「う……くっ……!?」


 ひぇ……和睦を申し込みながら、首に刃を当ててますこの人……典型的なヤンキームーブです。『俺達友達だよな? あ?』って感じです!

 もちろん悪魔にそんな真似をされて、黙ってられるほどの良い子ちゃんなんてうちにはそういないんですよねぇ!


「こ、のぉ……!」

「べ、ベアトリクスさん抑えて~……」

「うるさいペルフェクティオ! "蛇神刈りアダマス"──!」


 ベアトリクスさんの聖力を吸い、過去に蛇神の血と毒をたっぷりと浴びた大鎌が脈動する。

 彼女の闘気に呼応するように、湾曲する刃から毒が滴る。触れただけて死に至るその刃を、ベアトリクスさんは先生の首に目掛けて斬り払う! ちょっ、あぶな──!


 ──ガンッ!!


「……ふむ。潔癖で、その他の男を寄せ付けぬよう強気に振る舞う新妻にして人妻と思えば……悪くない。いや悪くないな!」


 眼を輝かせて何言ってんですかこの人。

 というかですね……刃は素肌の表面で止まってるし、毒は普通に触れてるし。霊力も身体能力も封じる鎖に繋がれておいて、なんでこの人は無傷なんですかね。


「あ、あの~、先生? それ結構ヤバめの毒~……」

「問題ない。なぜなら俺は無双の戦鬼だからだ」


 も、問題ないですか……それ、0.1mgでシロナガスクジラとかでも死んじゃう毒なんですけど~……。


「ふっ──」

「ふおぉ!?」


 その性能格差に若干引いていれば、先生は瞬間移動が如き機動で動く! いや私より速いんですけど!?


「なっ、なん……!?」

「ふむふむ……」


 ベアトリクスさんの刃を掻い潜り、足を止めた先生の目の前には……超至近距離から顔を覗き込まれる、凄腕スナイパー! 従順のテレジアさんが!

 肩にかかる程度の短い茶髪と、一部白黒の頭巾から垂れる一房の長髪が彼女の頬をくすぐっている。

 獲物を鋭く狙っていた金色の瞳は、今や口付けできるほどに近付いてきた戦鬼を前に見開かれていた。近距離での銃撃戦もこなすテレジアさんですが、ここまで近付かれると最早何もできることなどなく……!


「銃使い。貴様は愛が──」

「っ!?」


 や、やめてあげてくださ~い。普段は物腰柔らかで、育ちの良さが感じられるお優しい女性なんです~。『愛が重い』だなんて言われちゃったら、彼女だいぶ塞ぎ込んじゃいますので~。それが原因で離婚とかして、だいぶ心の傷になっちゃってるんです~。

 きっと胸を抉られる言葉が来る。そう悟ったテレジアさんは、金色の瞳にじわりと涙を浮かべて──、


「貴様は愛が──とても深いな」

「──」


 ちょっ! この人! なんか急に口説き始めたんですけど!

 驚愕に顔を染めるテレジアさんに対し、先生は至近距離でその瞳を覗き込みながら「うむうむ」と頷く。


「いや、分かる。分かるぞ。その眼を見れば。そして貴様の放つ殺気を、間近で浴びればな」

「な、なにが、分かるというのでしょうか……? あなたのような悪鬼に、なにが……」

「──愛だ」


 なぜそこで愛……!?


「貴様が悪魔に立ち向かわんとする理由。それは信徒や仲間を守りたいのは当然として……元夫や、その子をも守らんとしているからであろう?」

「っ!? ど、どうして……」

「分かるとも。貴様の瞳に宿る殺気は、放つ殺意は……綺麗すぎた」

「き、きき綺麗……!?」

「悪魔に対する憎しみでも、行き場をなくした感情による苛立ちでもなく……そこには大切な者を守らんとする、純粋なる愛のみが込められていた。それこそまさしく、母の愛だ。まこと、美しい……」

「そ、そんな、今更、私を美しいだなんて……こ、困りますわ……私には、元夫だけでなく、子どもも……」


 表情を隠すように手を頬にやり、顔を背けるテレジアさん。その仕草はなんとも乙女チックで、周囲で手を出せないでいる修道女達もゴクリと喉を鳴らすほどの色気に満ちていた。これが経産婦……!

 しかし先生は臆することなく、いつの間にか鎖から引き抜いた右腕を壁に当てつつ身体を支え、よりその顔を彼女に近付ける。背にするドアと、眼前に迫る先生に挟まれて、テレジアさんはこれ以上動けない……!


「惜しいな。なぜこれほど愛に満ちた女性を、その者は手放してしまったのか。いや、決して『受け入れる器がなかった』などとは言うまい。その程度の男を、貴様のような気高い女が今なお追いかけるものか。きっと何か、すれ違いがあったのやも知れぬ。そうであろう?」

「そ、それは、ど、どうでしょう~……?」

「ああ、もったいない──」


 己の愛の重さを自覚して、接近禁止令によって反省さえしているテレジアさんは、気まずそうに人差し指をつつき合わせる。

 その上で……目前の悪鬼はそれを肯定し、あまつさえ『惜しい』と言い放った。心の底から、もったいないとその顔に出して。


「もしもそれが俺であれば……テレジア。お前にそのような思いなど、決してさせぬというのにな……」

「──ッッッ!?」


 あ! 私、これ知ってます! これ『俺ならそんな思いさせへんのに』です!


「あ──」


 テレジアさんの手から、狙撃銃がスルリと落ちる。床石とぶつかりカツンと木霊するその音色は、彼女の決して満たされぬ心の中に、静かに染み入る一つの波紋のようでした……やかましいですわ。

 丈の長い修道服の裾が広がり、テレジアさんはトサっと床にへたり込む。

 そうして先生を見上げる、その黄金の瞳には……、


「無双の戦鬼、さま……♡」

「ぶっ!?」


 あかーーーーーん!

 自分の行き過ぎた愛だけでなく、元夫や子のことまで尊重&肯定されて、め、眼が……見てくださいこの眼! 女! 女の眼をしてますこの女ァ!!


「うぅむ、やはり良いな。母の愛を知る者は……経産婦は」


 そしてこっちは悪い顔してます。くすんだ宝石を磨いた後の悪徳商人みたいな顔してますこの人!


「て、テレジア様が、温かい涙をお流しに……!」

「私、テレジア様のこと、ちょっと誤解してたかも……」

「重いのではなく、深い……良い言葉ですね……」


 いやストーカーは普通に犯罪ですし重いですよ。物は言いようってやつですねぇ!


「ところで、ずっと気になっていたのだが」

「はい? うぇ──」


 またも先生が瞬時に移動する。

 今度は……ずっとロザリオを掲げて、周囲の熱意を下げ続けている清貧のソフィアさんの前に!


「お、おぉ、荒ぶる魂よ……どうか全てを手放しましょう……荷を持ちすぎているからこそ、諍いが生まれるのですから……」


 ブカッとした修道服を、細い身体に纏うソフィアさん。見るからに不健康的な顔色や髪質。分厚いレンズの眼鏡と前髪に隠された、隈の濃い瞳……それは彼女が、必要最低限の物以外を手放しているがゆえ。

 そんな清貧を旨とする女性を前に、先生は「ふぅむ……」と悩ましげに吐息を漏らし──、


「──女性が、そう身体を冷やすものではないぞ」

「へ……」


 ふぁさ、と……。

 右腕のみを動かし、その細い首に暖かそうなマフラーを巻いてあげていた。その一連の動作に、周囲から「きゃあ~♡」と歓声が上がる。うるさいですね……。


「ほわ……」


 あ、何かを持ってしまったことで、彼女の術式が崩れ始めてます。部屋の温度や体温も少しずつ上昇していっています。あったか~。ソフィアさんが誰かから何かを貰う場面になんて遭遇したことないんで、こんな弱点があったなんて知りませんでした~。


「ど、どうして……」

「悪鬼として、宝の持ち腐れは我慢ならんのだ」

「え、あ……! め、眼鏡……!」

「ああ、やはり」


 ど、どうしたというのでしょう。先生がソフィアさんの野暮ったい眼鏡をそっと外し、長い前髪も掻き分け……え!?


「──こうしていた方が、ずっと可愛らしい」

「~~~っ!!??」


 それ眼鏡スキーヤーには賛否両論の行いですよ。

 いえでもっ、ソフィアさんお目々おっきくて……お顔立ちも所謂タヌキ顔で、え、かわ……! 先生の『可愛い』ってお言葉に真っ赤になっておられるのも、かわわ……!

 私が思わずときめいていれば、周囲の修道女がコソコソと話しているのが聞こえてくる。


「ソフィア様、あんなにお可愛らしかったなんて……」

「どうして普段からお見せしないのでしょう……」

「あ、私、前に一回だけ聞いたことある……ソフィア様、ご自分の容姿があまり好きではないんですって」

「え、どうして……」

「ほら……悪い男性が寄ってくるから……」


 な、なるほど……容姿が良いというのも考えものですね。そうして彼女の持つ優しさにつけ込まれ、骨までしゃぶり尽くされてきたわけです。

 ああ、お可哀想なソフィアさん。ゆえにこうして、修道院ですら清貧をお極めになられて……悪鬼の『可愛い』という甘言にも惑わされて……。 


「──お前の苦労をずっと見ていたぞ。本当によく頑張ったな?」

「っ!?」

「お前のその眼を見れば分かる。慈しみに満ちた眼だ」


 あ、これ詐欺だなって。眼を見て分かりすぎでしょう。


「我欲を我慢し、節約ばかりの生活。収入は増えず、金は出て行く一方。だが……その清貧を良しとする、教義と己の魂」

「あ、は、はい……かの救世主のように清貧を尊び、分け与えることこそ神の国に近付く方法の一つであり……」

「教えを否定はせん。俺とて破れぬ掟はある。だが、そうだな……お前は、内なる声にもっと耳を傾けるべきだ」

「内なる、声……?」


 不思議そうに聞くソフィアさんに、先生は「ああ」と頷いて耳を澄ませた。


「聞こえぬか? お前は、自分で思っているより欲しがりな人間なのだと」

「え、わた、しが……!?」

「ソフィアさんが、欲しがり……?」


 全てを手放してばかりのソフィアさんが……?

 しかし先生は確信と共に、ただ静かに何度も頷いていた。


「貴様の術式を見た。己と相対するモノの熱意を下げ……己と同じく、あらゆるものを手放させるのだと」

「は、はい……それが……?」

「だが真に“清貧”というのならば、それは己の身でのみ完結する概念のはずだ。それをなぜ、相手にまで強制させる?」

「そ、れは……」

「無意識なのかもしれん。だが、本当は分かっているのではないか? それは『己と同じ所にまで下りてきて欲しい』と……『この凍える世界の中で、一緒に凍えながら隣にいて欲しい』という祈りの現れなのだと」

「そんな……!?」


 己でも自覚していない本音を暴露され、ソフィアさんが叫びにも似た声を上げる。

 そんな、ソフィアさん……いつも人に優しくて、分け与えることに喜びを感じていた女性が、胸中ではずっとそんな想いを……?


「相対する者に、同じ境遇を求めるのがその証拠だ。お前は、誰かと共に苦しみたいのだ。清貧とまで言われながら、誰かを苦しめ得るような愛を欲しがるその本質──」

「そんな、私は……」

「──俺にはそれが『助けて』と、そう言っているようにしか聞こえぬ」

「──っ」


 銀のロザリオが、その手からこぼれ落ちる。

 床石とぶつかり、それは澄んだ音色を響かせた。その音は、彼女のギリギリ繋ぎ止めていた心の糸が切れる音だったのかもしれない……。

 膝をつき、ガクリと項垂れるソフィアさん。清貧とはかけ離れた己の心の有り様に、彼女は涙すら流して──、


「だが、お前は幸運だ」

「え──」


 彼女が顔を、上げれば……、


「ソフィア様……なんてお労しい……」

「私、ずっとソフィア様にばかり、重荷を押し付けていたのかも……」


 そこには……。

 そこには、己が与えてきた分だけ、慈愛を瞳に乗せる修道女達の姿が……!


「貴様は言ったな? 『分け与えることこそ神の国に近付く方法の一つだ』と」

「は、はい……」

「見ろ。幸運にも……貴様の背負うその重荷を、分け与えてくれる機会を待つ者達がいる。いてくれている。貴様は、そんな人間がずっと近くにいたことを知るべきだ」

「……ぁ」


 彼女の唇がワナワナと震え、熱い涙が静かに頬を伝っていく……。

 そんな彼女に、修道女達は優しく微笑みかけた。


「私、ソフィア様のこと尊敬するだけで、何も分かってなかった……」

「ずっと重い荷物を背負わせてばかりでごめんなさい……これからは、私達も共に背負いますから……」

「あ、あなた達……」


 どこからともなく駆け寄った修道女が、彼女の冷たい身体を抱く。自分の身体もまた、冷たくなっていくことも厭わずに。

 その尊いやり取りを横目に見て、先生は「ふん」と鼻を鳴らした。


「先も言ったが、貴様等の教えは多少理解しているつもりだ。過酷な巡礼の果てに、神の国に至る。そのためには、極限まで身を削る他に無い。やめろと言っても聞かんだろう」

「……はい」

「ゆえに、この言葉を贈ろう」


 そうして先生は、ふ……と眦を下げて言った。


「『今までよく頑張ったな』……労いの言葉を掛けるくらい、よかろう?」

「──」


 そんな、ちょっぴり悪戯っぽく言う先生を見上げたソフィアさんは……、


「あ、あ……だめ……こんな気持ち……持っては、いけないのに……!」


 両手で顔を押さえ、なにやら縮こまっていってしまった……な、なんかさっきの冷気から一転して、部屋が暑いんですけど? ソフィアさん? ソフィアさ~ん!?


「ふむふむ。身を削りながらも、健気に生きる薄幸の人妻か……これは良い味が染みる……」


 そしてこの先生は何をお味噌汁のお出汁でも品評してるかのような──、


「──揃いも揃って、なんという体たらく」


 しかし。

 そんな温かい情景を前にしても、冷たく響く声。私はそちらへ顔を向け、名を呼んだ。


「ベアトリクスさん……」

「悪魔の声に耳を傾けるだなんて。まともなのはわたくしだけ?」

「で、でもベアトリクス様……戦鬼様は皆様を想って──」

「うるさい!」


 我々の中で唯一、異性の声などに惑わされないベアトリクスさん。

 今のやり取りのみで、既に先生を擁護する声すら放つ修道女達に一喝し、彼女は今一度ガコンと大鎌を構えた。

 うぅむ、これは強敵の予感……! どうします先生!?


「覚悟、無双の戦鬼──! 醜い悪魔め!」

「ちょ、その軌道っ、私にも当たる当たる……!」

「……ふん」


 先輩エクソシストが陥落していく手前、若手のエースとしての意地もあるのでしょう。

 そんな彼女はほぼヤケになって、私にまで当たりそうな軌跡を描いて鎌を振るおうとし──ありゃ?


『厚意で鎖は傷付けずにおいてやろう』

「あ……!?」


 先生は刀形態に移行し、いとも簡単に鎖を抜けていってしまわれていた。それも譲歩の一部だったんですね! 最初からして欲しかったですそれ!


「う……!?」

『おっと』


 そうして振るわれる大鎌に、先生は刀形態のまま空中で鞘走り、それを迎え撃った。

 シャリィンと鈴の音にも似た音が走り、大鎌は人気の無い安全な方向へと受け流されていく……!


『さて……む?』

「……」


 そうして自由になった無双の戦鬼と、若手エクソシストのエースの衝突が激化する……と、思いきや……。


「な、な……」


 なぜか、鎌を振り抜いた姿勢のまま、ベアトリクスさんは硬直していた。いえ、その目を先生に固定して、なにやら震えて……?


「ど、ど……!」


 ……ど?


「なんて──ドスケベな地鉄じがね……! 板目肌……! 小乱れの刃紋……!?」


 あ、この人、美術品で発情する女の子でした。

 へにゃへにゃ……と腰砕けになり、鎌すら手から取りこぼすベアトリクスさん。


「え、あれ、嘘……わ、私には救世主様が……で、でも……」

『ふむん……? ふ、どうだ?』

「あ、あわ、あわわわ……!」


 彼女の性癖を理解した先生が、プカプカと空中に浮きながら、その刀身をベアトリクスさんの眼前に晒した。


「ひあ、ふわぁ……なんて、強く、雄々しい反りぃ……♡ 地鉄も黒っぽくて、ガチガチぃ……♡ 切っ先は短めですがピンと起って……一方で幅・元幅が、ふっっっっっっと……♡」


 己の顔に落ちる長大な影を見上げ、ベアトリクスさんは恐れているような、興奮しているような……そしてどこか期待しているような眼で、はぁはぁと熱い吐息を漏らしている。すみません、これって所謂高度な見せ槍……?


「くぅっ……! 無双の戦鬼……!」

「ああ、なんだ」


 胸を押さえ、涙目になって先生を見上げるベアトリクスさん。先生は既に鬼形態に戻り、彼女の視線を鷹揚に受け入れる。

 そんな先生へ向け、ベアトリクスさんはまるで負け惜しみでも放つかのように言葉をぶつけた。


「わ、わたくしに……の、呪いを……呪いを、かけたなぁっ……!」

「ククク、ハハハハハハ!!」


 あー、かかっちゃってますね~。一目惚れという呪いが。


「ククク……イヤイヤと言いつつ、身体は正直な人妻か……! 締めに王道が味わえるとは、これは良い“さーびす”だ!」


 そんな鍋パのシメはおうどん! みたいなノリで……でもベアトリクスさん、結構エッチですねぇ……じゅるり。


「べ、ベアトリクス様まで……!」

「三騎士様が、全滅……!?」


 そうして……。

 この短時間で、全員が腰砕けになってしまったようです。やっぱり怖いですね、女の園に妖刀は。なにせ相手は天下一の妖刀様。こっちが欲しがる言葉なんて、全部お見通しなんですから……。


「さて、美しき女教皇人形。これで、俺に貴様等を傷付ける意図はないと証明できたはずだ」

「へっ? あ、そ、そう、ですね……?」


 そうして三騎士という私を除いた秘蹟編纂省最大戦力を無力化した先生は、再びヨハンナ様との交渉に乗り出す。とても気分良さそうに。


「和睦を申し出るにあたり、俺が要求することはこのいくつかのみ。一つ、貴様等が神の国に至ること」

「それは、なぜ……あなたは、信徒では……」

「俺は不老不死を蒐集しているのだが、事ここに至っては、死後についても懸念しておきたいのだ。今のところ俺を害せる者などこの世にはおらんが……いつか、俺を一捻りできる存在が外からひょっこりと襲来してくるかもしれん。不老不死などというが、避けがたい死というものは我等の条理の外から常にやってくる。俺とて、不死を殺せる妖刀であるのだからな。保険があるに越したことはない」


 あ、結構考えてらっしゃるんですね……。


「そうして貴様等の成果のほどを見届けさせてもらう代わりに……多少であれば、この無双の力を貸してやろう。身を削りながらも可憐に咲く野花達が、俺の知らぬところで朽ちていくなど許されることではない。そうであろう?」

『ぶ、ブラザー・酒上様……♡』


 せ、セクシーな流し目を受けた修道女達が、既に同志扱いを……!?


「それは、助かります……しかし……」

「ああ、もちろん、こちらもな……」


 ん? なんか先生がこっそりと右手の指をクネクネ動かして……?


「あ……あ──♡」


 あ! これゼンマイ巻く動作です! ヨハンナ様がそのエアゼンマイ巻きを見て、エッチな顔してます! 欲しがってますよこのリカち○ん人形!


「ああ、それと。ここに俺専用の部屋を用意してくれ。時折、そこで勉強がしたい。集中できる勉強部屋が欲しかったのだ」

「そ、その程度ならば……係の者もお付けしましょう」

「助かる」


 うわ。ヨハンナ様が『係の者』って言った途端、修道女達の瞳に炎が灯った気がした。倍率高そう~。なんならヨハンナ様も参加しそう~。


「周知もして構わんぞ。『無双の戦鬼が、秘蹟編纂省と友誼を結んだ』と。その辺りの情報戦、匙加減は任せる」

「あ、ありがとうございます……そのカード、ここぞという時に、大事に使わせていただきます」

「うむ……さて」


 え、え、なんかトントン拍子に話が進んでるんですけど? あの、あれ? 私……なんかわーきゃー言ってるだけだったんですけど?


(えぇ~~~~~???)


 いいんですかこれ……いやまぁ、和解は望むところだったんですけど、なんか私以外の子達ばっかり美味しい思いしてると言いますか~、な~んかモヤモヤすると言いますか~。この一連の流れに、これ私いる? ってちょっと蚊帳の外って感じがすると言いますか~。


(……私の気持ちを知ってて、他の修道女に甘い言葉かけて)


 もうおこですよ? おこ。こうなったらやっぱり修道女最後の壁として、先生の前に立ちはだかるのも──、


「──さて、一番大事なことを。ユースティア=ペルフェクティオを日本に派遣してほしい。なに、名目などは『友誼を結んだ悪魔に対する念を入れた監視』でも『牽制』でも構わん。各部署に対する配慮も必要であろう? それをこなせる大役は……バチカンの剣姫をおいて他に無い。そう見受けられるが?」

「──ユースティア=ペルフェクティオ? あなた、日本に長期出張ね♪」

「はぁ~~~~~~~~~~~い♡♡♡」

『そ、そんなっ、ズルいですよペルフェクティオ様ぁ~~~……!』

『本気ですかティア!?』


 いよっしゃあぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!!!!!


 そうして……教皇庁秘蹟編纂省は、僅か三十分程度で落とされました。


 色んな意味で。色んな意味で!! きゃあ~♡♡♡

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