第640話「頼む……静かに……」



 中間考査が、終わった。


「酒上君、どうしたの? 最近は授業にも熱心に取り組んでたのに……何か悩み事? 追試は来週だけど、先生いつでも相談に乗るからね?」


 ──俺の成績も、終わった。


「勉強を、せねば──!!」


 喝……!!

 平日、学園から帰宅して早々。俺は自室に籠り己に喝を入れていた。


「弛んでおる!」


 近頃、愛する少女達と肉体的に結ばれ始め……いや、これでは彼女たちを悪く言うようだ。そう、俺だ。俺だけの問題だこれは。勉学と戦鬼業、そして性生活の均衡を図れぬ俺が悪いのだ!! 実際、綾女は好成績を維持していたのだから、俺が腑抜けているだけだ!!


「よし……」


 夕方から夕飯にかけて、それなりの空き時間がある。いつもであれば姉上に夕食作りの手伝いを申し出るところだが、教諭より追試を言い渡された今日ばかりは勉学に集中したいと思う。そう伝えれば、姉上も「どうぞ?」と言ってくれた。少々呆れた様子ではあったが……姉上は馬鹿が嫌いなのだ……。


「まずは環境を整えねば」


 姉上の冷めた視線を思い出し心に傷を負いながらも、俺は着々と準備を整えていく。

 とはいえ、俺の部屋は物が少ない。精々がカーテンを締め切り、テレビに暗幕をかけ、ガーネットの"らいぶでーぶいでー"をクローゼットに仕舞う程度だ。

 本当はスマホの電源も切るべきなのだが、綾女や橘から緊急の連絡がくるかもしれん。力あるものとして、助けを求められた際いつでも動ける状態であることこそ基本的義務である。


「……」


 こういった部分が積もりに積もっているのだろうな……いや、だから彼女達のせいにしてはならん! だが酒を飲んだ勢いでこちらに電話し、ダル絡みするのはやめろバチカンの聖女。渡仏予定の有無を週一で確認してくるのもやめろ金色の魔帝剣使い!


「やるぞ……」


 勉強は嫌いだが、姉上をガッカリさせるのはもっと嫌だ。過去には「こんな勉強が何の役に立つのだ」と馬鹿にしていたものだが、綾女との進学に必要なのだから役に立つに決まっている。勉強の必要性というのは、なぜそれが必要となった段階でしか理解できぬのか……最初から勉強しておれば!


「まずは数学からか……」


 さすがに全教科赤点というわけでもなく、主に理系の教科のみ追試を課せられている。横文字が出てくるものはどうもな……。


「夕飯まで、およそ三時間か」


 今日は宿題もないため、その分の時間を追試対策に充てられる。無双の戦鬼は今日、ガリ勉戦鬼となるのだ!


「いざ──!!」


 絨毯の上へ更に敷いた畳にどかっと座り、ちゃぶ台に試験範囲を記した教科書と問題集を開く。

 そうしてシャーペンを刀が如く抜いた俺は、怨敵に突き立てるかのようにペン先を真っ白なノートへ──、


 ──ガチャリ。


「……」

「……む?」


 ……走らせようとした、ところで。

 なぜかしれっと、俺の部屋に入ってくる少女が一人。制服から着替えた彼女はゆったりとした黒いブラウスと赤いスカートを着用しており"りらっくすもーど"であることが分かる。

 豪奢な金髪をなびかせるそんなお嬢様こと俺のご主人様、リゼットは澄ました顔をしながらなぜか俺の背後へと回り……ぴと。


「……」

「……」


 俺の背に、ご主人様もまたその背を預けた。そうして背中合わせとなった形のまま、彼女はペラペラと読書を開始したのだった。


「……」


 ……なぜ?

 背後から香るラベンダーの香りと、背中に感じる心地よい重さ。柔らかさ。温かさ。そして愛おしさ。

 それらは俺にとって大変に結構な要素ばかりだが、しかしなぜ今……リゼットと刀花にも「今日は夕飯まで自室で集中する」と伝えていたはずだが……。


「……マスター」


 視線はノートの上に固定したまま。

 疑問を投げかけようとすれば、しかし背後のご主人様はどこか早口で言った。


「なに? 私も集中して読書したくなっただけだし。あなたも集中するなら、別に私が背中を預けてても問題はないでしょう? それともあなたは『集中できないから出ていけ』とご主人様に言うのかしら?」

「……いや、問題ない」

「そ」


 そう言ってお嬢様は、良い塩梅を探るように少し身じろぎして、再び読書に戻る。

 ……まぁ、確かに。その通りだ。彼女も読書に集中すると言うのならば、俺もまた勉学に集中すればよいだけのこと。少々、環境作りに過敏になりすぎたか。


「……さて」


 勉強しよう。

 まだ許容範囲内だ。いや、むしろより集中すべき環境が整ったと見るべきだろう。これはやりがいがある!

 そうして俺は今一度、気合いを改め勉強の世界へと身を投じ──、


 ──ガチャリ。


「失礼しま~す♪ あ、そのままで、そのままで」

「お、おぉ……」


 今度は制服姿のままの刀花が、ニコニコと笑みを浮かべながら入室してきた。

 ……なぜかその手に小型のノートパソコンを持ちながら。

 座布団でも出そうかと立ち上がりかけた俺を制した妹は、勝手知ったる手つきで座布団をクローゼットから取り出す。

 そうして対面にペタンと座り、パソコンを卓上に置いた刀花はキリッとした目つきで言う。


「どうか私のことはお気になさらず。私も真剣にお勉強に取り組む兄さんに触発され、作業をしに来ただけですので!」


 そうして刀花はパソコンを開き、カタカタと文字を入力し始める。ぼんやりとした光を取り込む琥珀色の瞳は忙しなく画面を行き来しており、文字を入力する指は淀みなくキーの上を滑っている。


「……」


 ……妹がそんな真剣な顔をして、何の作業をしているのか兄として少々気になる。


「っ」


 いや、駄目だ! 俺は勉強をするのだ!

 リゼットも刀花も、決して俺の邪魔をしに来たわけではない。むしろ手元に集中する彼女達に触発されるべき場面だろう。

 俺もまた二人のように、勉学にのめり込むのだ!


「して……何の作業をしているのだ刀花?」


 いやこれは安全確認のためなのだ。

 刀花は純真だからな。ネットの悪意に晒され、心に傷を負ってしまうかもしれん。そうなる前に、きちんと兄が守護してやらねばなるまいよ。うむ。


「学園の課題か?」

「むふー、小説を執筆しています」

「……」


 ピクリと、背後のリゼットが反応を示した。マスターもたまにポエムを創作しているからな。友人の創作活動は気になるのかもしれん。


「……ちょっと読ませなさいよ」

「いいですよ~」


 パタンと本を閉じ、よちよちと絨毯を這っていく我が主。

 うむ。ネットに強いご主人様がついてくれるなら、俺も安心できる。刀花が作家で、リゼットが編集のような関係になれるのならばなお良い。二人で一つの作品を作り上げられれば、二人の関係性はより深まっていくことだろう。

 これならば、不得手な俺がでしゃばる必要もない。そう判断した俺は、一つのパソコンを覗き込み肩を寄せ合う少女達を前に、微笑みすら浮かべつつ勉強にもど──、


「ちょっ!? これ! 官能小説じゃない!!」


 ……戻るぞ、俺は。執筆の方向性など千差万別。我が妹がエッチな小説を嗜んでいようと、兄が口出しする権利などな──、


「しかも、あなた達の初夜を描いたヤツ! 何書いてるの!?」


 う、む……なぜ……。

 思わずペン先がまた止まる。聞き耳を立てていれば、二人は至近距離でやいのやいのとやり合っていた。


「なんなのこれは!」

「むふー、"無双の戦鬼クラスタ"フォロワーさんに限定公開するための小説です♪ 動画はさすがに公開できませんからね。ですがこうして一つの表現として出力し、昇華し、芸術作品として発表すれば何も問題ありませんよね♪」


 そうなのか……? だが姉上の許可は取るのだぞ刀花よ。


「いや~、実際書いてみると小説って難しいですね。書きたい場面はあるんですけど、それに当てはまる言葉を上手く結んでいけないっていうか」

「あ、当たり前でしょ。あなた素人なんだから。そういうのはもっと辞書を読んだりして、語彙を増やしてから……」

「詳しいですね。もしかして書いてました?」

「書いてないけど?」

「こことかどう思います? なんだか簡素というか……姉さんのエッチさにピッタリな、もっとエッチな語彙があると思うんですよね……」

「…………げ、『元気な赤ちゃんを産むためだけに造形されたかのような』とか」

「っ! それです! ……おぉ! 見えます……ムチムチでエッチな姉さんが! 文面から想像できます! ありがとうございます、リゼットさん!」

「ま、まぁ? 昔の作品とかってそういう描写も普通にあるし? 貴族の私にかかれば当然というか?」

「リゼットさんリゼットさん! こことかはどうですか!?」

「も、もう、仕方ないわねぇ……ちょっと貸しなさい? 私が文学の妙ってものを、あなたに教えてあげるわよ」


 そうして二人はワイワイと、創作活動に勤しみ始めた。二人で一つの芸術作品を作り上げようとするのは良いことだ……卑猥な単語や表現がちょくちょく口から飛び出してこなければ。


「……」


 ……駄目だ。

 普通の文章ならばよかったのだが、唐突に卑猥な単語が飛び出るとついビクっと反応してしまう。机に向き合ってから、まだ一問も解けていないというのに!


「そこはもっと遠回しな表現にしない?」

「いえいえ! ここは直球の方がエッチです! 最悪、伏せ字使っておけば大丈夫ですので!」

「そもそも規約はどうなってるのよ」

「分かりません!」


 集中……できない……!!


「く──」


 こうなったら俺も取材元として参加し、早々に完成させてしまうか……とペンを置こうとすれば、


 ──ガチャリ。


「こーれ。廊下まで声が聞こえてきていましたよ。愚弟の邪魔をするのなら、お部屋に戻りなさい」

「「う……ごめんなさい」」


 白紙のノートを前に悩む俺に気付いたのか、姉上に怒られてしまった二人はしゅんとして、とぼとぼと退室していった。夕飯まで創作論を遠慮なく交わしてくれ。


「やれやれ」

「……すまない、姉上」


 呆れる姉上に頭を下げる。

 きっとこの姉上は、俺が二人に強く言えないということもお見通しで、こうしてやってきてくれたのだろう。また姉上に迷惑をかけてしまった。


「ところで、夕飯作りをしていたのでは」

「あとは煮込むだけですので。お前の進捗も気になっていましたし、そういうメニューに致しました」

「なるほど……」


 さすがは姉上だと感心していれば、姉上は着物の裾を手折り、しゃなりと隣に正座をする。

 そうして白紙のノートを覗き込み「はぁ……」とため息をついた。


「一問も解けていないではありませんか」

「や、やろうとはしたのだ。しかし、少々雑念がな……」

「もう。あの二人にも『弟の邪魔をしてはなりませんよ』と申し付けておきましたのに」

「いや、二人をあまり叱ってやらないでくれ。集中を保てぬ俺が悪いのだ」

「……お優しいことで。分かりました」


 すると姉上は、互いの体温を感じられるほどこちらへ身を寄せる。

 そうしてこちらを深淵の瞳で覗き込みながら、クスリと小さく笑った。


「いいでしょう。お姉ちゃんが、手ずから勉強を教えてあげます。私が目を離せば、お前はすぐよそ見をしてしまうみたいですからね?」

「……」

「お返事は?」

「あ、あぁ、助かる……」

「よろしい♪」


 ……美しい姉上がこんなに近くにいれば、よそ見どころか姉上しか悪鬼の目には入らないと申すか……。

 垂れる髪を耳にそっとかける仕草も、どこか色っぽく映る。彼女が少し動くだけで、白檀のような高貴な香りが髪や身体から香り、鼻先をくすぐっていく。


「あ──」


 せっかくの申し出だ、勉強をしようとノートに手を伸ばせば……ちょうど姉上もノートに何か書こうとしたのか、俺達の手がそっと触れ合った。柔らかく、そして熱い……。


「……集中、できませんか? お前はお姉ちゃんのことが大好きですものね?」


 唇に指を添え、姉上が流し目で聞く。


「あっ……♡」


 そんな愛する少女の腰に手を回して抱き寄せれば、彼女はこちらを潤んだ瞳で見上げ……、


「……一度だけ、ですよ? ご褒美は、先にあげては意味がないのですから……それで、お勉強頑張れますね……?」

「ああ、頑張る」

「……しようのない子。はい……♡」


 そう言った姉上は甘えるように瞳を閉じ、小さな顎を少し上げる。

 そうして姉上の頬にそっと手を当て、ご褒美を前払いしてくれる気前の良さに感謝しつつ、勉強に向き合うための活力を──、


 ──ガチャリ!!


「ちょっと! あなたが一番邪魔してるじゃない! 私は本読んでただけなのに!!」

「私も混ぜてください姉さん! そして私と官能小説を書きましょう! 姉さんでしたらもっとエッチな表現も知ってますよね!?」

「ぴゃっ!? ち、ちが……これは、愚弟のあまりの蒙昧さに対する、お姉ちゃんとしての一握りの慈悲の発露と申しますか……!」

「嘘おっしゃい! 勉強にかこつけて、ただキスしたくなっただけでしょう!? ご主人様には分かります! だってそういう時、私にだってあるもん!」

「姉さ~ん、ここ、ここがよく分からなくって……私と姉さんのお胸が押しくら饅頭してむにゅむにゅ潰れる場面をもっとエッチに表現したいのですが……何か良い言葉、ありますか?」

「刀花ちゃんは何を書いているのですか!?」

「むふー……"芸術"ですかね……」

「何を巨匠みたいな顔して言ってるの。初夜の様子をどうにかこうにかして、クラスタの人達に公開しようとしてるだけのくせに」

「公開──!? と、刀花ちゃん…!」

「あくまで! あくまで芸術ですから! 多少の脚色もありますしあくまでフィクションの"てい"ですから!」

「てい、って言ったこの妹」

「てい、って言いましたぁ~……しくしく……」


 ……頼む。


 頼む……静かに……。






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お知らせです。

R18作品として、本編ではカットしているえちえちシーンをまとめる作品を公開しました。

第一弾は酒上姉妹の初夜編です。作品ページはこちらから↓(小説家になろうサイトに飛びます)


https://novel18.syosetu.com/n0049jv/


どうぞ、お楽しみください。18歳未満の子は読んじゃダメだゾ☆

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