第638話「お姉ちゃんとヒミツの昼休み」
『今日のお昼はクラスの子と食べるから。トーカも一緒にね』
……ふむ。
「綾女──」
「あ、ごめん刃君。今日のお昼は橘さんと一緒に別の子のとこ行くから……ごめんね?」
『めんご☆』
……そうか。
申し訳なさそうにして後ろ髪引かれている綾女と、ペロリと舌を出して『めんご☆』と書かれたスケッチブックをこちらに見せる橘。相変わらず言葉少なにお茶目を放つ少女であることだ。
「…………」
そんな二人の背中を見送り、さて無双の戦鬼は弁当袋片手に教室でぼっちとなってしまった。こういったことは、たまにある。
「……さて、どうしたものかな」
思えば、俺の周囲には常に傅くべき王がいてくれている。その輝きを一身に浴びることのできる俺は、毎日大変に贅沢をさせてもらっていると言えるだろう。
「時には一人の時間でも……いや」
贅沢に慣れ過ぎるというのも一種の毒かと思い、人気の少ない屋上にでも赴こうとしたが……ふと思い直す。
「ここは、別の煌めきを持つ者を訪ねる良い機会なのでは?」
鮮烈なる輝きを放つ我が王達。
その輝きを別の視点から改めて認識できるようになるべく、俺は別の輝きを時として浴びた方がよいのではないか?
「……」
……加えて言えば。
最近、俺が少女達を見る目に不純なものが多分に混ざっている気がしてならない。刀花や姉上、綾女と身体を重ねた経験により、少々……いや、だいぶ性の衝動に歯止めが効かなくなっているきらいがある。
ここは少し、距離を……いや、頭を冷やす時間が必要と心得る。俺はところ構わず陰茎が苛立ってしまうような駄犬ではないのだ!
というわけで……。
「ふぅむ……」
スマホを取り出し、真っ黒な画面を見つつ思案する。
この時間帯ならば……ああ、ダンデライオンであれば、綾女の母君が休憩を取っている頃合いだな。父君は厨房担当のため、この時間帯は手が離せぬ。ゆえに、母君が先に休憩を取っていることが多いのだ。
「……夫を階下に、二階の自宅で一人くつろぐ人妻か」
……いや、いかんな。なにかイケナイ気がする。俺の考え方は、どうしていつもこうなのだ。
「……ガーネットの母君は」
薬師として界隈でも名高い瑠璃嬢。
ガーネットの母親であるため、あらふぉ~でも若々しい。そんな美魔女は、夫が働きに出ている中、自宅でのほほんと薬を煎じていることが多い。
離れて暮らすガーネットへの届け物を頼まれることもあるため、俺ともそれとなく交流がある。「あら、童子切さんいらっしゃ~い♪」と、間延びした声と態度で迎え入れてくれるその姿には、人妻特有の一種の油断と隙が見受けられ……。
「……」
……くっ、駄目だ! 俺という男は!
「む、国内のラーメン屋にマーリンの気配が」
黄金週間に出会った時の魔法使いマーリンは、多忙の傍らラーメン店を巡るのが趣味である。
そしてなにより不老不死を探究するのに欠かせぬ人材であり、経産婦かつ未亡人であり……。
「……っ」
人妻ばかりか──!!
「姉上。人妻好きな俺は異常なのか」
「急に帰ってきて意味の分からないことを口走らないでいただけますか?」
情けなくなった俺は影に溶け、ブルームフィールド邸の厨房に一瞬で帰還した。するとそこには、コポコポとカップ麺にヤカンでお湯を注ぐ和服美人の姿が……!
「……今日は手抜きなのだな」
「お、お姉ちゃんがカップ麺を食べてなにが悪いのですかっ。栄養の出納バランスは考えておりますので、言うほど手は抜いておりませんがっ」
「そ、そうか。それはすまなかった」
プンプンする姉上に頭を下げた。カップ麺を食べるための出納バランスとは……?
疑問に思いながらも、お湯を入れた容器を片手に楚々とした足取りで食堂へ移動する姉上の背中を追う。今日も艶めく長髪が美しく揺れておる。
食べられるようになるまで、約三分。その間隙を埋めるためか、折り目正しく椅子に座った姉上は「それで?」と深遠なる瞳を細めた。俺もまた、その対面に座る。
「人妻がなんですか? そもそもお前、学園は?」
「今日は皆が野暮用でな。すると相伴に預かる候補に、人妻ばかりが並ぶことに気が付いてしまったのだ……」
「なにを深刻そうに……お友達がいないのですかお前は」
「昔日の姉上と同じくな」
「なるほど。それでぼっちご飯を回避すべく、尻尾を巻いてお姉ちゃんのところに逃げ込んできたというわけですね」
俺のからかいは無視された。酒上家家訓『人の言うことは無視しない』とあるはずなのだが……。
そんな無敵なお姉ちゃんは「ほうほう」と一転し、楽しそうに瞳を細めてなどいる。弟と平日に昼食を共にできることが嬉しいのかと思うのは、さすがに傲慢が過ぎるだろうか。
「クス、寂しいからといって、お姉ちゃんばかり頼っていてはなりませんよ? 人妻も頼ってはなりません。あれは他人のものなのですから」
「他人の持ち物ほど眩しく映る時がある」
「いたずらに余人の家庭を崩壊させてもなりません。まったく、私の魂を写したはずが、どうしてこんな子に育ってしまったのか……」
「俺の初恋は姉上だ。姉上が、人妻が如き魅力を放っているのが悪いのでは?」
「誰が人妻ですか。……ま、まぁ、確かに。今の私は広義的に見て、人妻に分類されてもおかしくはありませんが」
ポツリとそう言って、我が麗しの姉上はさりげない仕草で己の左手薬指を撫でる。
「とはいえ……人妻は人妻でも、既に『お前の女』ということではありますがね……クス♪」
そこには、黄金週間で見繕った紫紺の婚約指輪が鎮座していた。
その表面をそっと撫で、ゾッとするほどの色気をたっぷりと振り撒く鞘花。只人が見れば、その笑みの奥にある魔性に狂わされることは間違いない。それほどの美貌と魅力を、彼女は内に秘めている。
そんな匂い立つほどの"女"を醸す姉に、俺は──、
「煩悩退散──!!」
「悪鬼が煩悩退散とは。人類に息をするなと言うのと道義では」
思わず陰茎が苛立ちそうになり、俺は頭をそのまま机にガンとぶつけた。これがイカンのだ!
「……最近、少々性生活がだらしないと自戒していた」
「ああ、だからこちらに飛んできたのですね。とはいえ高校生の齢など、性の快楽を覚えたての猿と同じでしょうに。それに傾倒するのは、むしろ健全なのでは?」
「だからといって、校内で盛るのはいかがなものかと思うのだ」
「待ちなさい。校内で? それは……まさか、刀花ちゃんとですか?」
姉上の瞳がにわかに剣呑な輝きを宿す。
その鋭い瞳には、そんな事実を知らなかったという衝撃と、苛立ちと……わずかに、嫉妬が混ざっているのは気のせいだろうか。
だが、もちろんそのような事実はない。
「いいや、刀花ではない」
「……刀花ちゃんでなければよい、というわけでもありませんが」
「綾女と、少しな……」
「あぁ……綾女ちゃんならば仕方ありませんね……」
姉上の中で、綾女はどういう枠組みなのだ。
我が相棒への嘆きを募らせていれば、姉上がモジモジと身体を揺すってこちらに問う。
「……ちなみに。あくまで後学のために聞くのですが。校内では、その、どのような? まさか、挿入までいったわけではありますまい?」
「……手淫を」
「ほ……ああ、いえ、それも大概ですが」
「その後『まぁまぁ』と綾女に押され、口淫を少々」
「なにを押されているのですか……ま、まぁ、それくらいならば。それくらい?」
「続いて閉じた太股で少々……」
「先程から『少々』と繰り返していますが、充分に大匙なのはご理解いただけておりますか?」
「そうしてたまらず、可憐なる布地をずらしてそのまま……」
「お前は死んだ方がよいですね」
「やはりか……」
無垢なる少女を、恐るべき性欲もんすたーに変えてしまった罪は重い──!!
姉上が呑気にカップ麺の蓋をペリペリと剥がす姿を眼前に、俺は頭を抱え……慟哭をあげた。
「彼女を取り巻く時代や環境のせいではない……俺が悪いのだ……綾女が性欲もんすたーになってしまったのは、俺のせいなのだ!!」
「そうですね。ちゅるちゅる……」
「姉上……俺の性欲を、殺してくれ……」
「ひほのはんはいよっひゅうのひほふをほろひはほへ、ははひてほれはひほへはるほひへふのへほうは?」
なんと?
「こくん、失敬。人の三大欲求の一つを殺したとて、果たしてそれは人であると言えるのでしょうか? 人と欲は、決して切り離せませんよ。それこそお前は、私の魂を切り離す際に『人としても立派に生きる』と誓ったのでしょうに」
口許をナプキンで拭きながら、姉上は弟に教えを授ける。
「あらゆる欲との付き合い方を覚えながら道を歩むことが、人として生きるということ。何事においても殺すは易く、生かすは難いものです。そうして安易に切り捨てず、向き合って時には苦しみ抜くことをこそ……"人生"と、そう呼ぶのですよ。苦難なき道に、人間的成長などあり得ない。そうでしょう? 我が弟」
「……ぬぅ」
殺しは安易な解決方法である。
それは、欲に対しても同じというわけか。
「……手厳しい」
「えぇ、えぇ。お前のお姉ちゃんは手厳しいのです。しかし同時に、優しくもあるのですよ?」
「……そうだな。姉上はいつも、俺を導いてくれる」
「理解していて大変結構です。何事も、教え諭してくれる内が華ですからね」
「うむ。ありがとう、姉上」
「はい、お粗末様です」
感謝を伝えれば、姉上は箸を置いて笑顔で手を合わせた。
また姉上から薫陶を受けてしまったな……この教えを胸に、欲と付き合いながら生きていくとしよう。ほどほどに、ほどほどにな。
なに。所詮、正義と悪など元より曖昧なもの。俺は人として立派に生きながら、悪鬼としても生きていく。それでいいのだろう。
「さて、では俺も昼飯を摂るか」
心機一転。清々しい心地である。
折角、姉上が早起きして作ってくれているのだ。目の前で味の感想と感謝を述べるのも悪くないだろう。
「……ところで」
「む?」
そうして、俺がいそいそと弁当袋を開けようとしていれば。
姉上が頬を染め、そっぽを向きながら唇を動かした。
「お前は、校内で淫行に及ぶ己の性欲を持て余し、同時に嘆いているのですね? 人妻に想いを馳せるところも」
「む? まぁ、そうだな」
頷けば、姉上の頬はますます赤くなる。
「……ここに」
「?」
「ここに、校外で、人妻が如き魅力を宿し、いつでも……手を出しても大丈夫なお姉ちゃんが……いるの、ですが……?」
「………………」
「校内ではもちろんご法度でしょう。未成年の女子高生との軽々しい淫行などもってのほかでしょう。しかし……お、お姉ちゃんでしたら、全て合法……ですよ……?」
「……………………」
「……綾女ちゃんとは二回もして、お姉ちゃんとは一度だけですか?」
「………………………………」
「あ、か、勘違いしないでくださいましね? お、お前には、お姉ちゃんを房中術にて不老不死にするという大義があるのですから……私の陥没──こほん、コンプレックスの解消も……なのにお前ときたら、他の女の子にばかりかまけて」
「……………………………………」
「それとも、学園生でないお姉ちゃんでは不服ですか? でしたら……これこの通り。霊力を操れば、刀花ちゃんの制服を借りずとも、セーラー服とて用立てられます。クス、どうですか? 私のサイズで仕立てたので、年頃相応に見えますでしょう? ロリコンのお前のために、わざわざ考えたのですからね。いえ本来からして私は学園に通っている年頃の少女ではあるのですが。決して以前着た時のことを気にしているというわけでもなく」
「…………………………………………」
「なんとか言ってはどうですか、愚弟?」
……………………………………………うぅ。
「ぐじゅっ……ぶえぇ……」
「なぜ泣くのですか……」
「姉上は、意地悪だ……」
「意地悪はお前でしょう。あの夜から全然、お姉ちゃんのところに……来ないくせに……」
──ブチッ。
「姉上ぇぇぇえぇぇ──!!」
「ぴゃあん♪ あ、あの、ゴムは着けてくださいましね? 今日は本当に、その、デキてしまう日ですから……。着けないにしても、お外に……ね? 良い子ですから。ね……? お、お願い……♡」
「それでは房中術にならんだろうが。堪まらぬ乳で誘うものだ……えづくではないか……」
「あ、待って……♡ お願いですから、ね? 良い子、良い子ですから……わ、私には愛する妹が──あんっ♡ あ、ダメ……ダメぇ……♡ またお前はそうやって、お姉ちゃんを、困らせてぇ……♡♡♡」
俺は……クズだ──!!
五限には──もちろん──遅刻した────!!
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