第625話「一億か……」



「おはよう、橘。久しぶりだな」

「おはよう、橘さん!」

「っ!」


 京都から地元に戻り、黄金週間の余韻もそこそこに一旦解散した我々。

 いつもの学ランとセーラー服に身を包み、学生鞄を持てば多少は身が引き締まる。学生の本分とでもいうべきものが、弛んだ思考を叩き直す心地さえした。

 そうして皆でやいのやいのとしつつ登校し、昇降口でリゼットと刀花と涙ながらの別離を済ませ……こうして綾女と共に三年教室の扉をくぐったのだ。

 久方ぶりに会う級友に挨拶をし、自分の席に座る。窓際最後尾のこの席の硬い感触もどこか懐かしい。

 鞄を机の横に提げつつ、前の席に座る橘の言葉を待つ。彼女の言葉を代弁するスケッチブック、その上をペンが滑るたび、光の加減でどこか青みがかっても見えるセミロングの黒髪がサラサラと揺れていた。

 水底のような静けさを湛える瞳が一度二度と瞬き、満足を覚えたのか沈黙の少女はクルリとスケッチブックを反転させるのだった。


『おはようございます、薄野さん。そしてズル休みの酒上さん』

「あはは……」

「クク、寂しかったか?」

「……」


 綾女も隣で苦笑する中、湿っぽい瞳を向ける橘におどけて返せば、更にその瞳の湿度が増す。

 唇で紡ぐ言の葉より雄弁なその眼光に、俺はクツクツと肩を揺らして笑みを浮かべた。


「まぁそう責めてくれるな。我が友ならば、俺が常より何を優先しているかよく分かっているだろう? これも家族との愛を育むためよ」

『……酒上さんには、もう賞味期限の早いお土産買ってきてあげません』

「おや」


 ぶすっとしてそんな文言の綴られたスケッチブックを翻し、賞味期限が本日中の包みを差し出す橘。

 なるほど、これは確かに俺が悪い。俺が休んだことで、彼女に余計な気を揉ませてしまっていたようだ。折角の厚意に、かたじけない。


「この休み中、どこに行ってきたんだ?」

『北海道へ。海の幸と雄大な自然を堪能しに』

「それはそれは、足が軽い。この土産も美味そうだ。皆で味わわせてもらうとしよう」

「うちにもありがと、橘さん! お父さんもお母さんも『美味しい!』って喜んでたよ!」

「♪」


 綾女の報告に、笑みを深める橘。その人生経験ゆえか、彼女は時折こうした大人っぽい表情を見せる。実際にこうして友人間で気を遣える彼女は、周囲の者より一歩先を歩んでいるとすら思う。


「~♪」


 だが、たまに見せる年相応な子どもっぽい仕草もまた異なる魅力となり、その万華鏡が如き美しさが周囲の視線を離さないのだな。今も口許に手をやり、コロコロと笑っておる。欲しいな、この輝き。


「どれ、ではこちらも」

「?」


 とはいえ、鬼の物欲は一旦横に置いておき、こちらも手提げ袋から土産物を取り出す。無双の戦鬼は施されるばかりではないのだ。

 そうして俺が次々と出す土産物に、橘はパチクリと目を瞬かせた。


「え~、これはカナダへ川下りに行った際のシロップと鮭……こちらはフライング──こほん、船旅をした際に買った"ぼとるしっぷ"。ああ、京都土産もあるぞ」

「!!」


 ズラリと並ぶ土産物の数々に、橘は目を丸くしながら筆を走らせた。


『随分と、色々なところに行っていたのですね』

「クク、ああ。見聞を広げ、新たな知人もできた。有意義な休暇だったと言える。これらはその軌跡だ、受け取っておいてくれ」

「……」


 俺が不敵な笑みと共にそう勧めれば、しかし橘は縮こまりモジモジと身体を揺らした。


「どうした」

「……」


 人差し指同士をちょんちょんと突き合わせる。なんだというのだ?

 視線で問いかければ、彼女は苦笑しつつ再びスケッチブックを手に取った。


『いえ。私もまだまだだな、と』

「なにがだ。旅行先の数か? 土産物の質か?」

『……両方?』

「ふん」


 何を気負っているかと思えば、下らん。いや、彼女はほんの少しだけ大人なのだ。少しだけな。


「橘。こうした旅先の話や土産物の質などを、気にするにはまだ数年早い」

「?」


 そういった煩わしい"業務"は、仕事をする年齢になる時まで取っておけ。


「こうした友人間の贈り物ならば……こうするのだ!」

「っ!?」


 俺はおもむろに橘から渡された菓子の包装をビリビリと破り、豪快に食らいつく!


「うむ、濃厚な牛乳をたっぷりと使った"ばうむくーへん"か。美味い! 友人の好みを慮る思念も伝わってくる。これを選び贈ってくれたこと、感謝するぞ橘」

「っ……♪」

「ふふっ……♪」


 仕事であれば競い合うが、我々は友人である。

 つまるところ、こうして無邪気に喜ぶことこそが最大の礼儀であり、その礼となるのだ。子どもの時分など、それくらいでちょうど良い。

 どうだ? と視線で問えば、橘はクスリと笑い、俺の贈った包みの一つを手に取った。


「~♪」


 わーい、と。

 包みを両手で掲げ、その喜びを示すように。


「ククク……」


 ああ、これがなによりの報酬になる。

 友人の嬉しそうな笑みなど、最上級の贈り物だ。これがあるからこそ『また買ってこよう』という気になり、次の旅路へ足が向くのだからな。

 その結果に満足し、俺は「さて」と一区切りして綾女の方を見た。


「土産も無事交換できたことだ。一時間目が始まる前に、ノートを写さねば。綾女、頼めるか」

「はーい。どうぞ、刃君。見やすいように色分けもしといたよ♪」

「すまないな」


 今の内に、休んでいたツケを払うとしよう。綾女と進学するためにもな。


「俺から綾女に頼んだことだ。この文字一つひとつに込められた愛情を感じながら、丁寧に書き取るとしよう」

「も、もう。またそんなこと言って……♡」

『お二人とも、このゴールデンウィークで何かありました?』

「う、うぅん!? なんにゃも!?」


 にゃも?

 まぁ何があったかと言えば、"おねしょたぷれい"に全裸深夜徘徊、聖女との出会いもあればウェディングドレスも着た。

 思い出を回想しながら、俺は腕を組んでうむうむと頷いた。


「そうだな。綾女と絆を育む出来事も、また多い黄金週間だったにゃも」

『妬けてしまいますにゃも。私も薄野さんともっと仲良くなりたいにゃも』

「その語尾なに!?」


 綾女をからかい、橘と笑い合う。少しばかり時間が空いても、我等の空気感はそう変わらん。それが温かく、そして心地良いのだ。


「さて……次の夏休みを快く迎えるためにも、後顧の憂いは断っておくべきだ。近くに控える中間をまずは目標とし……」

「……」

「うん? どうしたの橘さん」


 そうしてノートに踊る綾女の丸っこく可愛らしい字に俺がトキメキを覚えている間にも、なにやら二人は会話を続けていた。橘がペンを動かすキュッキュッとした音色が鼓膜を揺らす。


『勉学も大変結構なのですが……』

「う、うん」

「……」

「あ~……」


 綾女の微妙そうな、しかし納得も示す声に俺もチラリと視線を上げる。橘が親指と人差し指で円を作り、ゆらゆらと揺らしていた。なるほど、円か。

 察した綾女が「そうだね……」と遠い目をする。


「お休み中って、結構お金使うよね……」

「(こくこく)」

「ふむ……」


 どうやらこの黄金週間で、各人手持ちの金が心許ないようだ。綾女は実家が喫茶店でありそこでアルバイトをしているはずだが、他の友人間の付き合いもあろう。とはいえ、綾女にはそろそろ臨時白虎としての初任給が入るはずだが……。

 四神の給与はいかほどだろうか、と益体もないことを考えている間にも、橘が腕を組み悩ましげな顔をしている。ああ、彼女は特にそうだろう。


「喋れないというのは難儀だな」

「~~~」


 むむむ、と橘がへの字に唇を曲げた。

 労働に従事するには大き過ぎるハンデだ。昨今の職は特に、客の持つ時間を短縮することに対して敏感である。橘のように最低限の意志疎通にすら時間を要する者では、働き口はなかなか見つかるまい。清掃業か、内職か……うぅむ、ブルームフィールド邸かガーネット付きの"はうすめいど"としてならば……?

 俺も同じく唸っていれば、綾女が「あの」とおずおずと手を上げた。


「もしアルバイト先のことで困ってるなら……うちとか、どうかな?」

「っ……」


 橘がガタッと席を揺らして中腰になるが、思い直したように再び座る。たとえ友人間の誘いであっても、橘は己のハンデを深く理解している。彼女が働くことによって配慮を必要とされるのは、なにも客だけではない。雇う側とてそうだということだ。

 眉を八の字にし躊躇う橘。しかし、そんな少女を前にしても、綾女は穏やかに笑うのだった。


「うん。もちろん、お母さん……店長に相談して慎重に決めないといけないし、橘さんにも色々と飲み込んでもらわなくちゃいけないことも出てくると思う」

「……」

「だけど、ね?」

「……?」


 そこで区切った綾女は、橘の瞳をしっかりと見つめて言った。


「──困ってる友達の力にならないなんて、それこそうちの店長に叱られちゃうからね」

「っ」

「だから、橘さんさえよければ……うちでちょっと、頑張ってみない?」

「──っ」

「わわっ」


 スケッチブックを放り出し、橘が喜びと共に綾女に抱き付いた。

 その美しい光景に俺はノートを写すことすら忘れ、しみじみとして頷くばかりよ……。


「うむうむ。その者の苦労を、己の苦労として考えてやれる……そのような関係性をこそ、"親友"と呼ぶ宝に相応しい」

「刃君も、先輩として助けてあげてね?」

「無論。俺達は"親友"だからな……よし来い橘」

「刃君、可愛い従業員さんにセクハラはやめてね?」


 俺は親友としての抱擁を交わしたかっただけだというのに! いらぬ疑いがかかってしまった。


「やれやれ」


 男女間の友情とは難しい。

 苦笑しながらこちらに手を振る橘に俺も手を振り返し、吐息をついた。その時には俺も力となろう。

 とはいえ、橘は聡い子だ。俺のように粗野な従業員などすぐに追い抜き、二人目の看板娘となっておるやもしれん。恐らく意志疎通のために、常にスケッチブックを提げておるであろうから文字通りの看板娘である。むしろ売り出しやすかろうよ。


「……ふーむ」


 しかし、金策か。

 ノートを黙々と写しながら、俺もそれについて考える。

 この黄金週間で、俺も少々金を使いすぎた。夏休みにはまた我が王達と心置きなく遊びたいと思っている俺としては、なかなかに困った課題である。


(喫茶店のバイトのみでは足らんな……)


 陰陽局にまた裏の仕事を回させるか?

 しかし、あれも発生にムラがある。なにより裏という名目のため、あまり大きな額を動かせん。


(もっとこう、簡単な仕事で莫大な利益を得られないものだろうか……)


 そんな安易な発想が浮かぶが、そんなものに心当たりなどなく……。


(やはり地道こそが、一番の近道か……)


 結局、いつも通りの結論に落ち着く。社会という荒野に生きる者のツラいところだ……む? なにやらスマホが震えた。また迷惑メールか下らん広告だろうか。


「……ん?」


 しかし、その送信者の名を見て……俺はそのまま消去ボタンを押しそうだった指を止めた。


「……」


 ──"公式・非公式世界つよつよランキング運営委員会"だと?


「……」


 黙って開いてみる。

 その内容を要約すれば、こうだ。


『いつもお世話になっております。近々、異なる世界より、この星に破滅をもたらす存在が来る……と、我が運営委員会擁する預言者から告知がありました。つきましては、ランキング一位から十位(非公式一位の”無双の戦鬼”様含む)の"十恢じゅっかい"各位、こちらの危機を迎撃してくださいますよう願い奉ります。日付、座標などは通例通り、ご返信くださった方にのみ──』


 と、なにやらけったいな内容であった。

 しかし『通例通り』とは……このようなことが定期的にあり、対処しておったのか?


「……ああ」


 そういえば先日、ガーネットが言っていたな。一位から十位は世界の危機に際して召集されるとかなんとか。

 なるほど、それがこれというわけだ。しかし"十恢"……? ガーネットがもっと不名誉な名称で呼んでいたような。それになぜ今まで俺に連絡が来なかったのだ……と思ったが、そういえば俺がスマホに変えたのは最近であったな……。


「……まぁ、どうでもよいか」


 鼻を鳴らす。

 俺はむしろこの世界を滅ぼす側に立つ者。俺の守護する少女達に害を及ぼさぬのであれば、そちらで勝手に英雄ごっこでもしていろと──む!?

 しかし最後の一行に、見落とせぬ文言が……!


『なお、ご参加くださった方にはいつも通り浴びるほどの栄誉と、ささやかながら懸賞金(日本円にして一億円)をご用意しております。奮ってご参加ください』


 ……余人からの栄誉などは心底どうでもいい。

 そして俺は、己の無双の力に誇りを持っている。それを振るい世界を救うには、安すぎる金額だ。


「……………………うぅ~む」


 しかし俺は……天を仰ぐ。一億、一億か……。

 思わず想像してしまう。そんなちっぽけな誇りを守って、爪に火を灯す生活をする俺。

 そして対照的に、金払いの良い俺を……そんな俺に向けられる少女達の笑顔を……!


『な、なぁに? あなたが贈り物だなんて、高かったでしょうに……あ、ありがとう。大切にするわ……♪』

『むふー、さすが兄さん! いつも頼りになりますね♡』

『え、刃君が全部払うの? わ、悪いよぉ……『彼氏の顔を立ててほしい』? もう……しょうがないなぁ。じゃあ次は私ね?♡』

『オメーに奢られんのも変な気分だな……あたしの方が金持ってんのに無理すんなって。いやまぁ、あ、あんがとヨ……? たまには悪くねぇなっ?』

『クス、甲斐性のある殿方は素敵ですよ。さすがは私の弟と褒めてあげましょう♪』


 リゼット! 刀花! 綾女! ガーネット! 姉上!


「………………」


 むむむ……むむむむむむむむむ……!!

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