第十章 「無双の戦鬼と、二度目の夏」
第624話「朝のチューは大事です!」
──酒上邸に新しい朝が来る。
「んん~♪ 朝から魚焼いてくれるサヤちゃんはお嫁さん力が高いにゃあ~」
「クス、ありがとうございます。キラちゃん」
本来の拠点であるブルームフィールド邸ではないため、移動時間を考慮し家事を担う者は少々早起きして朝を迎えている。朝食作りにはいつも通り俺や姉上、そして今朝は綾女もわざわざ早起きして手伝ってくれた。
そうして現在、六時を少し回ったところ。布団の並ぶ居間とは別の部屋に朝食を並べていれば、焼けた塩魚の香ばしい匂いを嗅ぎ付けたガーネットが早速朝食にありついているのだった。朝一から仕事があり、早々にここを発たねばならんというのもあろうがな。社会人のツラいところだ。
「おん? そういやリゼットちゃんと刀花ちゃんは?」
「まだ寝かせている。マスターは憂鬱げであったし、刀花も昨日はしゃいで筋肉痛気味だった。ギリギリまで睡眠を取り、本日の活力としてほしいところだ」
「お兄ちゃんしちゃってぇ」
ガーネットのからかい混じりの声に肩を竦めた。
少女達の健康こそ我が至宝。可憐な花には、いつでも美しくあってほしいものだ。そのための世話は惜しむまい。
配膳を終えた俺、綾女、姉上も座り、朝食を食べ始める。今朝は和食だ。大根下ろしとポン酢が焼き魚と合い、思わず白米が進む。
するとシャカシャカと箸を動かしていたガーネットがゴクンと喉を鳴らし、笑顔で手を合わせて席を立った。
「んっ、ごっそさん。さーて、あたしはそろそろ出るわ。空に信号は無いとはいえ、一回マンションに戻って支度しないといけないし」
「では見送ろう」
「そ? 別にいいのに」
「ガーネットを朝に見送る機会はなかなか無いからな。仕事を手伝えぬ分『頑張れ』と、せめてその背中を押して送り出したいのだ」
「ほ、ほーん? 殊勝な心懸け大義である……おいなにわろてんねん」
「クスクス、いいえ? ねぇ綾女ちゃん?」
「ね~?」
こちらの言葉に照れるガーネットに、姉上と綾女が微笑ましげに笑っている。
そんな笑みを向けられたガーネットは、バツが悪そうにピンクの頭をガリガリと掻いた。
「へいへい。唯一の社会人であるガーネットちゃんは、今日も社会の荒波に揉まれて金を稼いできますよっと。じゃあなキッズ共! パパの稼ぎを楽しみにしながらお勉強でも頑張りやがれ!」
「はい、いってらっしゃいまし」
「先輩、いってらっしゃい!」
「あぁ~、これが可愛い妻と愛娘に見送られるサラリーマンの気分かぁ~。悪くねぇなっ!」
「俺もいるが、役どころは?」
「飼い犬?」
頬の赤みを誤魔化し、そんなことを言うガーネットと共に廊下へ出る。昨日には着の身着のままこちらに来た彼女だ。荷物は皆無に等しく、手には空飛ぶ箒のみである。
玄関を開け、外へ。朝焼けが目に眩しく、今日も良い日和になることを告げている。まだまだ春だな。もう少ししたら暑くなるだろうか。
二人でそんな空をしばらく眺め、ガーネットが「よしっ」と気合いを新たに一歩踏み出す。
「ほんじゃ」
「ああ」
魔法使い衣装を身に纏い、笑顔でビシッとこちらに敬礼。朝日よりも燦然と、笑顔の魔法使いの笑みは眩しく映る。
「……」
「……」
しばらく笑みを交換し……こちらから、歩み寄った。
「いってらっしゃいだ、ガーネット」
「お、ぉぅ……」
拒まれるかと思ったが、存外抵抗もなくこちらの腕に抱かれてくれる。
「こ、これがダメンズに見送られて金を稼がされる女の気持ちか……」
「俺などに貢ぐタマか?」
「分かんねぇよ? ガーネットちゃんは惚れた男に尽くすタイプにゃのかも……うにゃ」
赤い両頬に口付けを落とし、腕から解放する。
「う~~~……」
「なんだ」
てっきり罵倒でも吐いてカッ飛んでいくだろうと思っていたが、彼女は唇をへの字に曲げて唸っている。
「……こっち」
「む?」
チョイチョイと手招きをされる。耳打ちだろうか?
屈み、顔を寄せる。すると彼女は意を決したようにギュッと目を瞑り、その色付いた唇を我が頬へ……だが見切った!!
「むぐっ」
その動きを予見していた俺は咄嗟に顔の向きを変え、彼女の唇を己のそれで受けた。
当然、唇同士が触れ合う。彼女もこれが頬ではないと、触れた瞬間から分かっているだろう。
しかし、俺達はしばらくそうしたまま、互いの柔らかい唇の感触を味わった。
「ん……ちゅっ♡……ったく、ばーか」
「照れ隠し、謹んで頂戴しよう」
お菓子のような甘ったるい残り香と共に、身を離した彼女が更に甘い言葉をくれる。言葉の割に、その瞳は潤んでいるのが印象的だった。
「夫婦のようなやり取りだったな?」
「うっせ。はー、こんな風にできるなら、やっぱあたしもマンションじゃなくてリゼットちゃん家に部屋借りようかな~。朝の睡眠時間を犠牲にして……むむむ」
「口付けの話か?」
「朝飯の話な?」
恐らくどちらもだ。このような情景が毎朝拝めるのなら、五人の少女と一所に住むのも悪くない。むしろ良い。ご主人様に、それとなく打診しておこう。
べ、とイタズラっぽく舌を出し、ガーネットは軽い調子で箒に跨がる。そうしてウインクと共に手刀を切った。
「んじゃな☆ お勉強頑張りたまえよ、ぼ・く♡」
「そちらも、今日も下々に笑顔と元気を届けてくるといい」
「おう! 液晶越しにあおーね♡」
「クク、ああ」
「アデューーーーーー!!」
投げキッスを寄越し、笑顔の魔法使いは今日も臣民を笑顔にすべく飛び立っていく。風にはためくマントに、黒い魔女帽子。遠ざかっていくその背中は、俺の目には大層凜々しく映った。
その背中が地平に消えるまで見送り、俺も居間に戻る。そんな俺を、姉上と綾女の面白がる視線が出迎えた。
「どうした?」
「いいえ? ただ……」
「ふふ、見送るにしては長かったかな~って」
「ああ」
座布団に座り直しながら頷く。別段、恥じらうようなことでもない。
「いってらっしゃいの口付けと抱擁を交わしていた。いつも姉上がそうしてくれるようにな」
「な、なぜ私を巻き込むのですかっ」
「ふわー、いいなぁ……」
愛し合う姉弟のやり取りに恥じらうこともない。
姉上の棘のある視線を受け流していれば、綾女が期待に煌めく上目遣いでこちらを見る。
「ね、ね、刃君」
「ああ」
「……私にも、あとでしてくれる?」
「どちらをだ?」
口付けか、抱擁か。
聞けば、綾女はふにゃふにゃとその顔を綻ばせた。
「……えへ、どっちもぉ♡」
「クク……ああ、喜んで」
商店街で別れても、数十分後にはまた教室で会うというのにな。いや、教室でできぬ分、必要な儀式か。これが綾女の活力となるのなら、何度でもしよう。無論、この無双の戦鬼の活力にもなることは知っての通りだ。
温かい味噌汁を啜りつつ、俺はうむうむと頷いた。
「週明けだからな。今日は全員といってらっしゃいの口付けをし、その活力とするか」
「おや。お前は週明けでなくともしているように覚えていたのですが?」
「その通りだ姉上。だが種別が違うな。週明け月曜の気合いを新たにする口付け。少々気怠さが出てくる火曜に活を入れる口付け。折り返しを乗り切らんとする水曜の口付け。疲れが出てくる木曜を吹き飛ばすための口付け。あと一息を入れる金曜の口付け。休みを祝福する土曜の口付け。そうして明日からも頑張ろうとする日曜の口付けがあるのだ。どれもそれぞれ趣が異なり、またその良さがある」
「節操のない弟ですね……」
「呆れながらも忘れず口付けてくれる、そんな優しい姉上が俺は好きだ」
「……はいはい、あとでしてあげますよ。もう」
「かたじけない」
「ふふ、仲良し姉弟さんだね♪」
「か、からかわないでくださいまし綾女ちゃん……い、いってらっしゃいのキスとハグは健康にも良いとされており……幸せホルモンと呼ばれるオキシトシンがですね……?」
綾女の柔らかい視線に、縮こまる姉上。照れ屋な姉上もよい……白米が進む……今すぐ口付けしたい……。
と、そこで洗面所方面から二人分の足音が近付いてくる。仲良さげに並んで歩くこの足音の主はもちろん──、
「ふあ……おはよ……」
「おはよーございます!」
「おはよう」
「おはようございます。リゼットちゃん、刀花ちゃん」
「おはよ、二人とも」
まだ眠たげなリゼットと、既に元気いっぱいな刀花である。
リゼットは欠伸を噛み殺し、刀花は「あっ♪」と兄の存在に更に笑みを深めピョンと背中に飛びついた。
「おはようございます、兄さん♪ ん~~~ちゅっ♡」
「おはよう、我が可憐なる妹。して、この頬への口付けは?」
「むふー、昨夜にはちょっぴり元気無さそうだった兄さんを、元気づけるためのチューです♡ 元気出ましたか?」
琥珀色の瞳を間近でキラキラとさせ、刀花はこちらに問い掛ける。もちろん、俺は即座に頷いた。
「クク……ああ、もちろん。俺はいつも、妹に元気を貰ってばかりだ。返せないのが申し訳ない」
「ふっふっふ~。ここで悩める兄さんに朗報です! 今ならなんと、両頬にチューしてくれるだけで妹の元気が二倍になること請け合いです!」
「そんな通販番組みたいな……あとこれ以上元気になられても……」
げんなりとしながら朝の紅茶を傾けるリゼットを無視し、刀花の頬に手を添える。
「どれ……」
「あっ♡ むふー……むふふふ、ありがとうございます兄さん。これで刀花は元気百倍です!!」
「数秒前には二倍って言ってたのに?」
「リゼットさん、今日の体育では対戦よろしくお願いします!!」
「ジン? 私今日学園休むから」
「なに? ではそんな元気の無いマスターにはこの眷属が口付けで元気を注入せねば……」
「元気の無いクラスメイトを励ますために妹も……朝のチューは大事ですからね!」
「え、なに? ちょ、なんで二人ともにじり寄って……あ、や、やめてーーー!?」
「毎朝こんなに楽しげなの鞘花ちゃん?」
「クス、そうですね。飽きない家庭ですよ。綾女ちゃんも、普段からたまには泊まりに来てくださいな」
「うんっ♪」
そうして妹と共に両側から迫り、暴れるご主人様の頬に口付ける。
「な、なんなのよもー……この兄妹は……」
「クク」
「むふー♪」
その柔らかい感触と、憮然としながらもどこか照れ臭そうな言葉に。
今日もなんだかんだ楽しい一日になると……俺はそんな確信を抱くのであった。
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