第622話「月曜が近いよ」



 酒上邸の風呂は、ブルームフィールド邸に比べ狭い。ゆえに、二人ずつに分けて入ることにした。

 最初にご主人様であるリゼットと、家長である姉上が入った。(リゼットがセクハラを恐れ、ガーネットを嫌がったというのもある)

 次に綾女とガーネット。ガーネットの鼻血で湯船が染まらぬかと心配だったが、無事生還したため杞憂だったようだ。いたく感涙はしていたが……。


「さて、このくらいでよいか」

「むふー、ありがとうございます兄さん♪」


 そして、最後。

 俺と刀花は一糸纏わぬ姿のまま、心地よい疲労感が包む身体を互いに労う。

 まずは俺から妹の背を流し、美しい黒髪も丁寧に洗ったところであった。姉に似て艶やかな黒髪が痛むことなどあれば、それはまさしく国家の損失である。

 濡れた髪に優しくポンポンとタオルを当て水気を拭いながら、俺は今一度安堵の吐息を漏らした。


「身体に大事ないようでよかった」

「大丈夫ですよ♪ もう一回、確かめてみます?」


 風呂椅子に座る刀花が両手で髪を掻き上げれば、傷一つ無い背中が露となる。湯のせいかその肌はほどよく火照っており、汗の一滴が女性らしい腰つきを伝う様は大変に健康的かつ淫靡である。

 洗髪中にさんざ確めたとはいえ、やはりつい心配になってしまう。この兄との戦闘を経て、彼女の肌に傷痕でも残っていないものかと。

 背中だけでなく、腕や前の方も覗き込みながら唸る。


「あの時は譲れぬ想いのため俺も本気だったが、やはり大事な妹に傷でも残そうものならことだからな……」

「むふー♪ 私は別に残っても、それはそれでよかったですけどね。兄さんなら……♡」

「滅多なことを」

「だって傷物にされたら、兄さんに責任取ってもらえますもん♪ まぁ傷物には昨夜されたんですけどねっ!」

「それこそまさかだ。傷の有無など関係なく、この俺が必ず貰い受けるとも」

「あ~ん♡ 兄さん大好き~♡ それじゃあ今度は、妹が兄さんのお背中をお流ししますね♪」

「かたじけない」


 元気よくピョンと椅子から立つ刀花に笑みを返しながら、場所を入れ替える。俺が椅子に座り、刀花が背後に控える形だ。

 タオルに泡をたっぷりと含ませ、刀花は優しい手つきで兄の背を擦る。


「痛くないですか~?」

「ああ」


 面白がるように言う刀花。幾度となく湯を共にした俺達だ。力加減など間違えようはずもない。

 心地よい感触に身を任せる。刀花から洗いたての華やかな香りも漂い、まるで天国にでもいるかのようだ。


「首回り洗いますね~」

「ああ」

「お胸とお腹洗いますね~」

「ああ……」

「おち○ち○洗いますね~」

「あ──待てい」


 危うく流されるところだったが、さすがにな。

 伸びてきた泡だらけの手を掴み、やんわりと押し返した。ただでさえ少女達四人が使った後の浴室内は、シャンプーやボディソープの華やかな香りが充満しているというのに。これ以上刺激されれば、俺は即座にケダモノとなってしまうだろう。


「えぇ~、いいじゃないですかぁ。遠慮なさらず♪」

「いや、大丈夫だ」


 背中側から腕を回し、なんとか股間に手を出そうとする妹。背に押し付けられ潰れる豊かな乳房の感触もそのままに、俺はその手を押し返し続ける。傍から見ればモグラ叩きか、餅つきをする者の動きかのように見えただろう。


「そいそいそいそいっ!」

「無駄無駄無駄無駄っ!」


 タオル越しならばまだしも、素手で掴まれようものなら兄はヤる気スイッチが入ってしまうに違いない。そうなると俺は妹を押し倒し、反響する声に気付かれ、今度こそご主人様からの信頼を損なうだろう。それはさすがにいかん。

 隙を見てシャワーで泡を洗い落としながら、彼女の手をやり過ごす。さすがに先刻の戦闘もあってか、動きが甘い。


「妹の身体は満遍なく洗ってくださったのですからっ! 私もお返ししなきゃ……ですっ!」

「大丈夫……だっ! とう!」

「わわっ」


 すかさず手を差し込み、そのまま抱き上げて湯船に浸かった。残念だろうが、また今度だ。


「あ~ん……うぅ、ニチュニチュって洗ってあげたかったです……」

「気持ちだけ受け取っておく」


 後ろから髪を束ね終え、妹のお腹に手を回す。少しくすぐったいのか、クスクスと笑い声が聞こえてきた。


「……はふぅ」


 じんわりとしたお湯が心を解きほぐすのか、興奮していた様子だった刀花も次第に落ち着いていく。


「……兄さん」

「む……?」


 俺もまた湯の温かさと、妹の身体の柔らかさに癒やされていれば、彼女はこちらの腕にそっと自分の指を添えながら兄を呼んだ。


「一緒に、姉さんを守っていきましょうね」

「……クク、ああ。皆もきっと、そうしてくれるとも」

「……はい」


 改めて誓うように、酒上刀花は静かにそう頷く。彼女は過去を悔いながらも、今を信じる。信じられる。愛する兄を。そして大切な友を。

 そんな健気な妹の身体を今一度ぎゅっと抱き寄せながら、俺は「それにしても」と妹の成長について言及した。


「これほどまでに強くなっていたとはな。まさか二百に渡って殺されてしまうなど、精進不足を感じさせられたぞ」

「うぅ~ん、でも三百を越す前に拮抗されちゃいましたし……やっぱり私の兄さんは強いですねぇ。私もまだまだ修行不足ですっ」


 互いの健闘を讃えつつ、己の不甲斐なさを恥じた。俺は刀花にかすり傷程度しか付けられず、刀花は俺を殺しきるには至らなかった。あのまま続けていても、もしかすれば千日手になっていたかもしれんな。

 そう予測していれば、腕の中の刀花は鼻息荒く「むんっ」と拳を握る。


「兄さん、またこういう時間取りましょうね! レッツ修行ですっ!」

「そうだな。俺もこの先、まだまだ修めるべき物事が多いと思っていた。今に慢心せず、互いに刃を研いでいこう」

「ですですっ!」


 嬉しそうに言って、刀花は足をバタつかせる。我々は世界最強の兄妹だが、同時に強欲な兄妹なのだ。まだまだ満足などするものかよ。それが大好きな姉のためならば、なおさらだ。


「よし、そうと決まれば」

「決まれば!? 何しますか!? 姉さんとの生エッチに向けて妹で生エッチの練習しますか!?」


 そうはならん。練習もなにも本番ではないか。


「上がるぞ。あとは寝るだけだ」

「えぇ~……妹はまだ兄さんと裸のお付き合いを~……」


 言いながらお尻を兄の股間にむにむにと押し付けるんじゃない。


「のぼせてしまってはいかんからな。適度な休養もまた修行よ」

「ふあ~い……」


 文句を言いたげだったが、脇に手を入れ持ち上げれば素直に湯船から上がってくれる。良い子だ。

 風呂場から出て、脱衣所へ。そのまま妹の身体と髪を乾かしていれば、彼女は唇を尖らせ不満げだ。


「ぶーぶー。愛し合う恋人はどのような時間、場所であってもエッチして然るべきではないでしょうかっ?」

「姉上もメリハリが大事と言っていた。世の恋人達がどの程度の頻度で性行為を交わしているかは分からんが、我々はいまだ学生の身。堕落はせんようにせねばな」

「でも姉さんとは無責任生エッチするんですよね?」

「人聞きの悪い。あくまで姉上を不老不死の高みへ至らせるためよ」


 加えて言えば、陥没乳頭の治療もあるからな。治療に当たる弟の夜は遅い……。


「そして授かりものとはいえ、仮に姉上との子ができれば無論のこと責任は取るとも」

「ぶーぶー!」


 勢いよく背中に覆い被さってくる刀花をおんぶしながら、脱衣所から出る。そう兄を責めてくれるな。

 姉上は既に隠居の身であり、子育て経験もある。現状、俺の愛する少女達の中で唯一いつでも母となれる女性が姉上だ。俺とてそうなれば、分身でもなんでも使って学業と育児とを両立するつもりである。姉上にばかり育児を押し付ける気は毛頭ない。戦鬼だって育児したいのだからな!


「今から楽しみだ……む?」


 刀花を抱え直して廊下へと出れば、なにやら視界の端によぎる影。

 居間の方へと消えるそれにつられ、足を向ける。顔を覗かせれば、そこにはリゼットと姉上がえっちらおっちらと一組の布団を運ぶ姿があった。


「どうした?」

「あぁ、ジン……センパイが急に『全員で居間で寝よう』って駄々こねるものだから……もう」


 しかし『もう』とは言いつつ、こうしてご主人様自ら布団を運んでいるのだから、言葉ほどに嫌々やっているのではあるまい。俺のマスターは寂しがりだからな。なんだかんだ言って楽しみなのかもしれん。それか和室の一人寝が怖いかだ。


「か、代わってください刃や……」

「ああ」


 人鬼一体状態ならばまだしも、素ではリゼットより非力な姉上であった。

 そんな死にそうな姉上に代わり、妹をおぶったまま布団を受け持つ。そもそも言い出しっぺは何をしている?

 チラリと視線を横に向ければ、現場監督が如く仁王立ちし、こちらを見守るガーネットがいた。手伝え。


「なぜよりにもよって非力な二人に任せるのだ」

「べらんめい! 親方に意見なんざ百年早いんでい!」


 鼻下を擦っているが何の親方なのだお前は。

 湿った視線を向ければ、しかしその後ろから綾女がひょっこりと顔を出し苦笑する。


「あはは、ごめんね刃君。こっちは居間のテーブルとか座布団を片付けてたんだ。先輩もサボってたわけじゃないんだよ?」

「なるほど。だが役割分担はよく考えてやってくれ」

「かーっ! ガーネットちゃん今から手伝おうと思ってたのにやる気なくなっちゃったなー! 今手伝おうと思ってたんだけどなー! かーっ!」

「分かった分かった。俺が悪かった」

「あたしの使い魔のくせに返しがてきとぅー!」


 アイドル様の機嫌を損ねてしまった。ここからはもう寝るだけだというのに、元気なことだ。いや、せっかくこうして雑魚寝するのだから雑談くらいはするのか。


「ちぇ~。でもまぁ、確かに面倒くさがったのは確かだしぃ~? しゃあねぇ、応援歌ぐらいは歌ってやんよ」

「それはそれは」


 痛み入る。

 だが実際、仕事以外では歌いたがらないガーネットにしては珍しい。ここは素直に、応援をしてもらおう。

 リゼットの動きに合わせているためゆっくりと移動しながら、アイドル様の歌声に耳を傾けた。


「どぅいどぅいどぅ~」


 どういう歌詞だ? ステップも踏んで可愛らしいが……まぁよい。

 プロゆえ上手いがよく分からん踊りと歌を披露するアイドルを横に、目の前のご主人様と苦笑を交換する。通じ合っている感覚が、少々こそばゆい。

 だがまぁ、元気が出てくるのは確かだ。こうして布団を並べているというのも、特別感がある。ブルームフィールド邸では個室制のため、一堂に会して寝床を共にする機会は貴重だ。


「ふ……」

「ふふ……♪」


 また目が合い、ご主人様と温かい笑みを交わし合った。

 ああ、まだ夜は終わっていない。寝るまでの数時間、あるいは数十分であろうが、きっと楽しい時間になる。そんな一時に想いを馳せれば、明日への活力も湧いてくる心地だ。

 どういったことを話そうか。布団を床に敷きながら、戦鬼ですらそんなフワっとした思考になる。そうしていればガーネットの応援歌もますます盛り上がり──!


「 月 曜 が 近 い よ ♪もう休み終わるゾ☆ 」

「「っっっっっ」」


 俺とリゼットは途端に身体から力が抜け、死体のようにガクッと布団に突っ伏した。

 ああ、そうか……もう夜が明けてしまえば……!


 黄金週間が、終わってしまうのか──!!

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