第616話「愛ゆえに争わねばならぬ!」



 常闇の天蓋に、無数の星が瞬いている。


「「むふ~、お姉ちゃん……♡」」


 異なる煌めきを放つ数多の星々。

 しかしそれらは、所詮無名の塵芥。そんなものをいくらかき集めたところで、目前に輝く琥珀色の双眸に勝ることなどありはすまい。

 この地平においては、彼女こそが真の星である。ついに念願を叶えんとする少女という生き物は、かくも生き生きとした輝きを放つものか。

 血の脈動さえ感じさせる石を手に、酒上刀花はその愛ゆえ大切な姉を不老不死に変じさせんと、その歩みをゆっくりと進めていく。


「と、刀花ちゃん……」


 ガーネットは刀花へと"進化"し。綾女は気絶し。リゼットは姉上と寄り添ってへたり込み。件の姉上もまた、異様な輝きを見せる妹に怯えていた。


「……」


 ──無双の戦鬼は守護者である。

 守護対象である少女が不老不死となるならば、それは一つの守護としての到達点であると俺は考える。

 少女が笑顔のまま、永遠を歩む。それは大変に喜ばしいことだ。そこに関しては間違いない。ゆえに俺は彼女達の不老不死を望む。

 だが……。


「ぴえぇ……と、刀花ちゃん……話を聞いてくださいまし……」

「お姉ちゃん? あ~ん♡」

「好き嫌いはダメですよ? 良い子にごっくんできるよう、私がお手伝いしてあげましょうか♪」

「ぴえぇぇえぇぇ……」


 だが……これは違うだろう。

 無理を強いての不老不死など、それこそ呪いと変わらぬではないか。このような光景を望み、俺は不老不死を欲したわけではない。


「……待て、刀花」

「あ……刃や……」

「「む……」」

「ジ、ジン……」


 だからこそ。

 たとえ最愛の妹であれど、俺はその前に立ちはだかる。いや、立ちはだからねばなるまい。

 抱き合う姉上とリゼットの前で、俺は妹達と相対した。赤い石を持つ着物姿の刀花も、ガーネットから変じた魔法使い衣装の刀花も、そんな俺を見て不満も露に唇を尖らせている。

 狂愛のほどは甚だしいが、言葉が通じぬわけではない。俺は兄として、努めて諭すように言葉を投げ掛けた。


「まずは落ち着くのだ、刀花。少し話をしよう」

「むむむっ……いいえ、落ち着いてなんていられません。刀花は早く、お姉ちゃんを永遠にしたいんですっ」


 幼い頃に戻ったかのように、刀花はイヤイヤと首を何度も横に振る。

 妹の様子が幼げなのは、恐らくそれが彼女の根幹に根差す願いだからだ。原初の渇望……生まれた時から愛し愛された姉へと抱く胸いっぱいの愛情、その発露だからだ。

 しかし愛情というものは、一方通行では立ち行かん。その心の形は刀であり、鞘であり、双方の合意があって初めてピタリと嵌まる幸せの形をしておるがゆえに。


「刀花。姉上を永遠にしたい気持ちは、俺にも痛いほど分かる」

「ホントですかっ!?」

「ああ。俺達の姉上は美しく、賢く、だが同時に儚い。体力は変わらず幼稚園児以下であるし、己が姉であるという自覚か優秀である誇りがあるからか、独断専行することもままある。なんだかんだ間違いも犯せば、蘊蓄もやや長い。握力も十以下だ。腹筋など一回もできん」

「お前?」


 姉上が何か言いたそうな目で俺を見てくるが、事実ゆえ致し方なし。


「分かります……そこが可愛らしいんですけどね♪」


 刀花も深く頷いている。

 そう、可愛いのだ。俺達の姉上は可愛い。そしてこの世で可愛いとされる生き物は、おしなべて脆弱に映ってしまうものなのだ。刀花の懸念の多くは、そこに集約される。


「刀花の心配も分かる。また姉上がいなくなってしまうのではないかと。一度失くしたと思ったものが再び舞い戻ったのだ、その執着は理解できるとも」

「むふー、さすがは私のおにーさん♡ じゃあ──」

「しかし、それは些か傲慢な考え方だ」

「……」


 刀花の笑顔が固まる。漂う空気にも緊張感が走った。

 だが、俺は少女達の守護を担う戦鬼。彼女達の守り刀として、守護の形には一家言あるのだ。


「刀花。お前のそれは、鳥籠に閉じ込めるやり方と変わらん。確かにそれで鳥は安全となるだろう。だがその翼を奪ってしまっては、いったい鳥はどこで羽ばたけばいい」

「……お部屋で、私の見てるところで」

「お前は、自分の姉をペットにしたいのか」

「っ! そんな、ことは……」

「同じなのだ、刀花。真の守護とは自由であらねばならぬ」


 守護することと、飼い慣らすこと。

 それらは似ているようで、全く異なる事柄だ。


「対象の自由を奪う。それは確かに、守護する側としては楽だ」


 だが──それは決して、美しくない。


「自由であるからこそ。鳥はその翼を大いに広げ、美しく空を征くことができる。俺達の力は、それを助けるためにあるのではないのか?」

「う……」

「我等に宿る無双の力は、そんな自由を勝ち取るためのものであるはず。自由を、愛する者へと献上するために。決して、翼をもぐためではないはずだ」

「うぅ……う~~~~~……!」

「刃や……」

「ジン……な、なんだか上手くいきそうね……?」


 妹もそれが分かっているのか、地団駄しそうなほどに唸るばかり。姉上とリゼットの瞳にも、段々と安心感が宿ってきた。

 そうとも。たとえ不老不死でなかろうと、今はその傍らに、この戦鬼がいる。俺が守る。ならば何の心配があるだろうか?

 姉上が「まだ同じ時間を共に歩きたい」と言うのならば、それに手を貸すことこそが、我等兄妹の……家族にできる孝行なのではないかと、兄は考える。


「刀花」

「刀花ちゃん……」


 姉弟で優しく呼び掛ける。戻っておいで、と。

 まるで家出してしまった我が子を、迎えに行く親のように。


「……もん……」


 そうして可愛い俺達の妹は、俯いたまま肩を震わせ──、


「でもお姉ちゃんは!! あの時、おにーさんが近くにいたのに死んじゃったもん!!!」

「ぐはぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!!!!!」

「愚弟……」

「気持ちは分かるけれどこれはひどい……」


 俺は……死んだ……。

 背後から湿った視線を二つ注がれながら、吐血して地に突っ伏す。そんな兄を見て刀花はハッとなり、この世の終わりでも来たかのように顔色を青くした。


「あ、ち、ちが……! 兄さんにこんな……ひ、酷いことを言いたかったわけじゃ──!」

「いや……いいのだ……全くもって、その通り……」


 少し冷静になったのか口調を戻した刀花に、俺は地を舐めながら首を振る。

 ──以前、リゼットに俺達兄妹の生い立ちを聞かせた時、『トーカに反抗期なんてあったんだ』と意外そうに言っていたのを覚えている。

 昔からずっと、可愛い可愛い俺の大切な妹。満面の笑みで「兄さん♡」と慕ってくれる、自慢の妹だ。

 今のそんな姿だけを見て、リゼットは『反抗期など無かったのだろう』と判断した。この妹の溺愛ぶりに、そのような姿など想像もできない、と。

 ……だが、それは確かにあった。一時期とはいえ、兄を拒絶した時期が。

 俺も当時は大変にへこんだ。なぜだろうかと。その時分の女児であればそういうもの……と言われればそれまでだが、果たしてそれが自由に生を謳歌する妹にさえ当て嵌まるのか大いに疑問だった。


「──」


 姉上が甦った今を思うに……。

 刀花はその昔、姉の死に目に会えなかった。そこには妹ではなく、俺だけがいた。

 ──俺がいたというのに、姉は死んだのだ。俺が間抜けだったばかりに。

 それこそが真実。そんな間抜けを、どうして『兄』と慕えようか? 妹の反抗期は、きっとその疑念がずっと無意識下にあったからなのだと俺は睨んでいる。

 しかし……妹はこれまで、そんな俺を決して責めたりなどしなかった。彼女だけが、この俺を『無能』と謗る権利を有するというのにだ。

 近くにいながら、愛する者を守れなかった役立たず。そう詰られても仕方の無い、そんな大罪を犯した俺のことを。記憶が戻った今もなお、彼女は一度も……それのどれだけ誇り高く、尊い行いであることか。


「すぅーーーー……はぁーーーーー……」


 刀花が深く、深呼吸している。努めて、冷静さを取り戻すかのように。


「……兄さん、姉さん。ごめんなさい。少し、取り乱しました」


 そうして息を大きく吸った刀花は、深々と俺達に対して頭を下げるのだった。

 濁った空気は霧散し、そこにはいつもの刀花がいる。その顔には、まだ真剣さを宿してはいるが。


「でも、姉さんが心配なことはやっぱり変わりません。あの時みたいに、急にいなくなっちゃうんじゃないかって……怖いんです……」

「刀花ちゃん……」


 その肩が震えているのを、姉上が痛ましそうに見る。


「今度こそ姉さんを守れるよう、私も兄さんもとっても強くなりました。でも、この先にどんなことがあるかも分かりません。だから少しでも、姉さんが無事でいられる方法があるなら、それに頼りたいんです」


 そこには狂愛に触れる妹はおらず。

 純な愛情ゆえに、姉を想う。妹として立派に過ぎる、刀花の姿がそこにはあった。


((ほ、誇らしい……!!!))


 俺と姉上は、そんな自慢の妹の姿を見てきっと心を一つにした。涙も流した。

 こんなに、こんなにも大きくなって……!!


「私は姉さんに、今すぐ不老不死になってほしいです。ですが、兄さんの言葉も十分に理解できます」

「と、刀花……!」


 俺が感激して名を呼べば、刀花は柔らかく聖母のように微笑んだ。


「はい、分かりますよ兄さん。私だって……私だって、できることなら見たいですもん……く、うぅ……」


 そこまで言って刀花は、堪えきれぬように拳をギュッと握り、嗚咽さえ漏らした!


「姉さんの……くっ! 姉さんのJカップおっぱいが、Kカップおっぱいになる瞬間を──! 私だってぇ──!!」

「刀花……!!」

「兄さん……!!」

「ふふふふ二人とも何を言って……!?」

「兄妹って気持ち悪い部分まで似ちゃうのねぇ。あほくさ……アヤメ、アヤメ起きて。起きて私の代わりにツッコミ入れて。というかセンパイは元に戻るんでしょうね……?」


 俺達兄妹は、涙ながらに抱き合った!

 姉を愛するがゆえに、道を違える我等の運命を呪いながら! 愛という感情の、なんと罪深いことか!!


「ですので、兄さん……」

「ああ、我が妹よ……」


 柔らかな温もりを離し、俺達は改めて距離を取る。

 ある程度距離を取ったところで振り返り、我々兄妹は決意を秘めた瞳を携え、視線を交わした。


「──戦いましょう」

「──いいだろう」

「えぇ……?」


 姉上の困惑した声が聞こえるが、俺達は真剣だ!


「っ」


 刀花が雅な和服の襟を掴み、バサリと脱ぎ捨てる。

 途端、下ろしていた黒髪は白いリボンでポニーテールに結ばれ、袴は動きやすいミニのプリーツスカートと化す……上着もまた、可動域の広い半袖となった。

 それは、彼女が今最も慣れ親しんだ服装。女子高生の戦闘服たる、紺色のセーラー服であった。華やかな巫女服とは違い、激しい戦闘を視野に入れた、彼女の本気の表れである。

 履きやすく丈夫であると謳われるローファーの履き心地を確かめるため、刀花は爪先を地にコンコンと立てる。


「──っ」


 その琥珀色の瞳に決意の炎を燃やしながら、彼女は愛する姉のために刀を抜く……!


「──私が勝てば、姉さんには不老不死を受け入れてもらえるよう、頑張ってお願いします。兄さんが勝てば、姉さんにはKカップおっぱいになってもらいます。それでいいですね?」

「もちろんだ」

「あの、あのっ! 別に不老不死に関しては、賢者の石でなくとも別の──」

「姉さんごめんなさい。今、妹と兄さんがキメキメにキメてますので、止めないでください」

「すまないが、見守っていてほしい姉上。現状、不老不死となる方法がこの石しかない以上……そしてそこに、姉上の成長を組み込み両立する術がない以上、こうして決めなくてはならぬのだ」


 俺達家族の征く道を……! 覇道を……!!


「あ、あの、それについても、お、お恥ずかしい話なのですがとある別の──」

「分かっている姉上! 俺も愛する妹とこうして刃を交えること、大変に心苦しい!!」

「悲しいですね、兄さん……しかし誇りとは時に、勝ち取らねば掴めない時もあるのです……!」


 ゆえに──!


「──我こそは無双の戦鬼。少女達の安寧のために、無双の力を宿す者。今生において、二度の敗北は許さぬと己に誓った男だ!」

「──私は姉さんを愛しています。もう二度と失いたくない……いえ、失わないと誓った妹です! もちろん、姉さんを生き返らせてくれた兄さんのことだって大好きです! 愛しています! ですが──!!」


 つまりこれは、どちらが姉上をより上手く守護することができるのか。

 互いの矜持に懸けて、それを勝ち取る戦いなのだ──!!

 刀を構え、我等は初めて本気の闘志を宿し……吠えた!! 勝利を求めて!!


「来い、刀花! お前が姉上を守りたいというのならば、この俺を倒し、我が守護の脆弱を証明してみせろ……!」

「来てください、兄さん! 私を倒し、姉さんを今度こそ守りきってくれると信じさせてください……!」


 信じたいがゆえに、争わねばならぬ……!


「勝負における決め事は」

「もちろん……"バーリトゥードなんでもあり"でいきましょう!」


 己の抱く愛をこそ、証明せんがために──!!


「刀花ァァァァ!!」

「兄さんんんん!!」

「あ、あのぉ~……!」

「もうやらせときなさいよ……あ、そっちのトーカは私達を守ってね、余波から。どうせロクなことにならないのは目に見えてるし。ところで、ねぇ……本当に元に戻れるの、あなた? そもそもどういう理屈で……」

「……ふふ♪」

「こわ」


 ──最強の兄と最強の妹。

 先日の運動とは全く異なる……譲れぬ想いを懸けた本気の戦争たたかいが今、幕を開けた……!

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