第615話「♡お姉ちゃんのことが大大大大大好きな可愛い妹♡」



「ね・え・さん♡ はい、あァァぁぁァン♡♡♡」

「ひぇっ」


 光を失くした琥珀色の瞳と、井戸底から響くかのような妖しい妹の声が迫る──!!


『くっ──!?』


 姉上の怯えた声を聞いた刀花以外の我等は、茶屋の席から一斉に飛びすさる。脳内の警鐘がけたたましく鳴り響き、妹の纏うドロリとした気配に危機感を覚えた結果の発露であった。

 飛びすさる際に姉上をお姫様抱っこの形で抱き寄せていた俺は彼女を地に下ろし、他の皆は前傾姿勢のまま注意深く刀花を見る。赤い石を指で摘まみ、差し出す形のまま固まっているが……。


「……なんか、ヤバない?」

「ああ、まずいな」


 冷や汗を流して言うガーネットに、頷きを返す。

 よくない流れだ。俺の妹は常より天真爛漫にして元気いっぱいな健康優良児。快活な笑顔は、自然と周囲の者をも笑顔にする、向日葵のような少女である。

 ──しかし、


「……どうして」


 しかし……ある一定の条件を満たすと、彼女の笑みには姉にも似た狂気が宿る。執着と言ってもいいものが。彼女の『どうして』という問いに疑問を浮かべている少女達も、今に分かることだろう。


「どう、シテ……」


 石を差し出す姿勢のまま──ゴキリと首の骨を鳴らし、こちらを笑顔のまま捕捉する"妹"を見て。

 彼女が既に、それへと呑まれてしまっていることに──!!

 この妹は、大好きな姉への愛となれば狂気に堕ちるのだ! それも過去のトラウマが絡めば、なおのことである……!!


「──どうして、妹から逃げるんですかあぁァァぁああァァぁあァ???????」

「ジャパニーズ・ホラー!?」


 ホラーが苦手なリゼットも青くなる。刀花が和服を着用していることも相まってか、とんでもない湿気が場に漂ってきておるわ。

 残影を錯覚するほどに、刀花もまたゆらりと席を立つ。その緩慢な動きは幽鬼のそれだが、次の瞬間にはこちらの眼前に迫っていそうな緊迫感がある。実際、彼女の身体能力ならやってもおかしくはない。

 ゴクリと誰かが喉を鳴らす。相対する妹は、依然として笑顔を保ったままだ。だがその瞳には光は失く、愛する姉しか映っていないように見える。


「と、刀花ちゃん……?」


 一旦こうして姉上と距離を取れば、正気に戻るだろうか……? そんな僅かな展望を抱き、より注意深く刀花を観察する。

 手をダランと下げる妹。下ろされた黒髪は柳のように揺れ、着物の袖が風に合わせてはためく。

 芒洋とした瞳は、いまだこちらの腕にある姉上を捉え続け……にっこりと笑った。


「─────────────かえして?」


 あどけなさすら、そこには含まれる。

 ゆえにそれが、彼女にとって原初の渇望であると理解できた。


 ──狂愛だと。


「けけけけけ血鬼一体ぃ──!?」

「ぎゃっ!『シュガー・メイプル・シナモンロール! 変身! アンド使い魔能力掌握ぅ~~~!』」

「ききき来て! 神刀・血吸!」

「じ、人鬼一体──!!」


 その一言を耳に入れた我等は、茶席を立った時とは比べ物にならないほどの速度で戦闘態勢を取り、逃走を図った──!!

 たとえ刀剣を握らずとも、契約に則り我が無双の力が少女達の体躯へと流れ込む。それは非力な女の子すら最凶の存在へと至らしめる、蹂躙の力である。

 その膂力でもって、後方へと一息に跳ぶ。

 建造物が高速で流れ、ぐんぐんと刀花の姿が遠ざかっていく中、リゼットが取り乱したように叫んだ。


「ちょっとジン! サヤカ! アレなんとかしなさいよ!」

「なんとか、と言われてもな……」

「これは困りましたね……」


 へばりつく妹の視線を身体中に感じながら、姉上と共に呻く。距離は離れていっているはずだというのに、全く遠ざかっている気配がせんなこれは。変わらず"捕捉"されているやもしれん。


「いやこえぇ~。ヤンデレはサヤちゃんの方かと思ってたけど、あれ見ると一族の血だね。ヤンデレの妹に死ぬほど愛されちゃってちょっとした拍子で永眠しちゃうわあんなん」

「あんな刀花ちゃん、初めて見たかも……」


 空飛ぶ箒を駆るガーネットと、神刀から流れ込む力で存外軽やかに跳ぶ綾女も冷や汗を拭う。俺はあの状態の妹をこの黄金週間で時たま見かけたが、初見ではそれは恐れおののくというものだ。


「あれ絶対捕まったら喰われるよ」

「いや食べさせようとしてたでしょ」

「あれは食べさせられちゃうね……」


 不老不死となる石を。きっと喉元を過ぎるまで丹念に押し込められることになるだろうな。姉上がその気ではないため、その意思を尊重し阻止せねばならんのだが……。


「サヤちゃん……不老不死一番乗り、おめでとう!」

「こ、困ります……!」

「俺とて困る」


 ガーネットの全てを諦めた呟きに、姉弟は揃って首を横に振った。それはイカン。


「先程言ったであろう。俺は姉上の今後の成長を見守っていきたい、と」

「そんな綺麗なコト言ってたっけか?」

「正しくは『お姉ちゃんのおっぱいをもっと大きくしたいからやーめた』でしょう?」


 ガーネットとリゼットから冷めた目で見られる。だ、大事なことであろうが!? 姉上はポッと頬を染め何も言わなかった……。


「しっかし、どうすんよ」


 とっくに京都の街を駆け抜け、妖怪横丁からおよそ百三十キロほど先、密集した家屋の影に隠れる。これで妹の目から逃れられるとも思えんが、作戦会議は必要だ。

 戦闘態勢を解き、コソコソと顔を寄せ合って密談を開始する。


「捕まればゲームオーバーとして、刀花ちゃんはどう対応する? 正気に戻すのが目標なら……気絶でもさせっか? 妹レイドバトルしようぜ! 妹レイドバトル!!」

「できるの? 聞くところによると、あの謎ランキング一位とか言ってなかった?」

「ほえ~、刀花ちゃんってすごいんだねぇ……」


 あの刀花を力でどうこうするとなると、俄然難易度が跳ね上がるだろう。先日の暴れっぷりを見れば、この面子でかかろうとも無茶に思えてくる。

 俺が腕を組み唸っていれば、リゼットの紅い瞳がガーネットへ向く。


「ここは搦め手専門のセンパイに期待したいところね」

「期待が重いッス……う~ん、罠を正面から踏み抜く子は苦手なんだよね~……ダーリンのキスで浄化できね? やっぱ女の子の目を覚まさせるにゃあ、古今東西イケメン王子の熱いベーゼっしょ……(イケボ)」

「わ、私の血吸でも浄化できないかな?」

「難しいだろう。あれは邪な心ではない……紛うことなき純愛だからな」

「純愛というにはかなり濁ってなかった?」


 我が妹の愛は、今日も透き通っている……。


「ジン、人払いは? だいぶ危ない様子だったでしょうあの子」

「ここへ来るまでに済ませた。この世界にはもう、我等と刀花しかおらん」

「うへぇ~、命懸けのかくれんぼってやつぅ? ガーネットちゃんは追いかけるより追いかけられたい派なんだけどにゃあ~。過激派ヤンデレはちょっと──」

「伏せろ」

「は?」


 ここにいる皆より頭一つ高い、ガーネットの頭頂部を手で押さえつける。瞬間──、


 斬──────。


「……あ?」


 まるで雑草を刈り取るかのように……。

 見渡す限りの家屋が横一閃に斬られ、その上半分が消え失せた。半径百三十キロ圏内に存在する、建造物全てが。刀花の伸ばした刀身が、円を描くようにしてここ一帯を薙ぎ払ったのだ……!

 途端に見晴らしがよくなった景色に、ガーネットが頬をヒクつかせて吐息をこぼす。


「市○ギンの卍○でももうちょい可愛げあっただろ……」

「いや。俺の妹であれば、これでもまだ可愛い方だぞ」

「言ってる場合じゃ……! ひっ」


 リゼットが出そうになった悲鳴を手で押さえる。


「あはぁ……おねえちゃんのにおいがしますよぉぉおぉぉぉおおぉ~~~~……♡♡♡」


 ……刀花だ。

 刀花が、周囲を徘徊している……いつの間に距離を詰めたのか、全く分からなかった……。

 全員が吐息すら漏らさぬよう、両手で口を塞ぐ。ガーネットは片手でスカートも押さえた。ここで漏らすな。


「おねぇちゃぁあ~~~ん? 酒上家家訓『好き嫌いせず、何でも食べる』ですよぉ~~~? 可愛い妹が、よく効くお薬をあげますからねぇえぇぇぇ……♡」

「ふぅ……ふぅ……!」


 あまりの迫力に、少女達が震える。

 今の刀花に見つかれば、姉上でなくとも何をされるか分かったものではない。それが本能で理解できたのだ。


「くっ」


 ここはこの兄が……前に出る!


「刀花!」


 物陰から勢いよく姿を現し、刀花の視線を釘付けにする。刀花の愛してやまない対象の一人たる兄であれば、多少の猶予は持てる筈……! その間に皆が解決策を閃くもよし、相対した俺が一縷の望みをかけ、ガーネットの提案通り妹に口付けをするもよし。

 ここで妹をどうにかせねば、姉上が望まぬ不老不死になってしまうぞ!


「あっ♡ おにーさん♡」


 相変わらず琥珀色の瞳を濁らせたままの妹は、幼い頃に戻ったかのようないとけなさのまま、テテテと俺の前へ駆け寄ってきた。


「おにーさん、おにーさん。お姉ちゃん、どこにいるか知りませんか?」

「あ、あぁ、いや。姉上に何か用事が?」

「はいっ。お姉ちゃん、頑張り屋さんですから。刀花、無理してないかとっても心配なんです……」


 その唇からは、美しい姉妹愛が語られる。

 それを語る間にも……光を失くした瞳が、忙しなくギョロギョロと姉を探し続けていなければ、この兄も素直に受け入れられたのだが……おかげで、口付けをする隙も見出せない。


「ああ、お姉ちゃん……」


 両頬に手を当て、刀花はうっとりとして姉への慕情を募らせる。


「大好きなお姉ちゃん。私の大大大好きなお姉ちゃん……。私の見えないところで無理をして、またふとした瞬間にいなくなっちゃいそうで心配なんです。だからお薬をあげないと……お姉ちゃんを永遠にしないと。そうして私の目の届くところにずっとずぅっと、いてもらうんです……寝てる時も、起きてる時も、ご飯を食べてる時も、ご本を読んでる時も、おトイレの時も、お風呂の時も、エッチしてる時も……クス、クスクスクス……はぁ……♡ 嬉しいですねぇ~……? お姉ちゃんがずっとそのままなんて……♡ あ、あぁっ! あはっ! やったぁ……やったあぁぁあぁぁぁ!!」


 乱高下する刀花の情緒。

 その顔は狂気にふれてなお……可愛らしい。可愛らしいままゆえ、ひどく恐ろしい。


「──お姉ちゃんの綺麗なお顔も。お姉ちゃんの嫋やかな20本の指も。お姉ちゃんの簡単に折れちゃいそうな細い4本の手足も。お姉ちゃんの綺麗な136245本の髪の毛も237801本の可愛い産毛も毎日0.1ミリずつ伸びる爪も243ヘルツのお声も全部、全部全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部そのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのままそのまま」

「ぴえぇ……!」

「あっ──♡」


 いかんっ!

 堪えきれずに漏れた、姉上の悲鳴が……!!


「お姉ちゃんいたぁあぁぁぁぁあぁ!!」

「ぬおっ」


 満面の笑みを浮かべた刀花が着物を翻し、勢いよく振った右手がズルリと伸びる! 蛇のようなそれは宙をうねる度に肥大化し、俺の背後……皆が隠れる家屋の影へ迫った!


「サヤちゃん!」

「あっ!? キラちゃんっ!!」


 ガーネットの決死の声と、姉上の追い縋るような声が聞こえ……影から引っ張り出されたのは、黒いマントをはためかせるガーネットだった。

 刀花は腕を掃除機のコードのようにニュルニュルと戻し、ペロリと舌なめずりする。まさか、姉上と見分けがついていないのか……!? 姉上の近くにいたせいで、ガーネットにその匂いが染み付いてしまっていたのかもしれん……!

 覗き込む刀花の瞳に、魅入られるガーネット。汗を一筋垂らし、強がりなのかヘラっと笑う。


「ひー……や、優しくしてね……☆」


 何をなのか。その答えは自ずと知れた。


「んちゅうぅぅうぅぅぅう……♡♡♡」

「んむっ……!? ちょっ、いひなりはげし……ちゅる……ふあ、やめ……んぶっ、んぼぼぼぼほ……! お、おぼれ……! んおおぉぉ♡♡♡」

「んぢゅる……ぢゅるぢゅるれろれろれろぢゅるぢゅるぢゅるれろれろれろぢゅるぢゅるぢゅる」

「んっ……!? ん゛ん゛ん゛ん゛ぅぅぅ……!!!!????♡♡♡」


 おぉ、もう……。

 そのあまりの光景に、俺は静かに敬礼の姿勢をとった。物陰から見ていた皆も涙を流しながら、同様に。

 ──ガーネット、尊い犠牲だった……友人を救い、美少女と口付けして果てたのだ。奴も本望だろう……。


「しかし、これで……」

「むぐ?」


 恐らく、口移しで賢者の石を注入するつもりだったのだろう。口付けをしながら口をモゴモゴ動かしているのがその証拠だ。依然としてガーネットを抱き締めたままであるが、どうやら対象が異なることに気付いたらしい。

 だが、口付けは成功した。相手は俺ではないが、俺ではないがゆえに、その思考には空白が生まれるはずだろう。


「……違うひがう。ちゅるん」

「ん゛ぉ゛っ」


 ガーネットの口に移された賢者の石を、口付けをしたまま回収する刀花。解放されたガーネットは、どこか幸せそうな顔でピクピクと地に伏せ痙攣していた。南無三。


「……刀花、落ち着いたか?」

「……」


 恐る恐る、妹に声をかける。いつもの眩しい笑顔を、この兄に浮かべてくれると信じて。


「……こ……」


 だが──、


「おねえちゃん、どこ!!!!」

「ッ!?」


 その怒声と共に、撃鉄のようにダンと打ち下ろされたかかとによって……。

 またも──地球がまっ平らとなってしまった。


「なになになに!?」

「え……え……?」

「ぴえぇ……」


 その所業にリゼットは大いに混乱し、綾女は到底受け入れられぬ現実を前にひたすら呆然とし、姉上は腰を抜かして後退る。こうして刀花が「がおんっ」とすれば、星はただひたすら地平となり、隠れ場所など意味が無くなるのは知っての通りだ。


「あはぁ……おねぇちゃんだぁ……♡」

「はわわわわ、お、落ち着いてくださいまし刀花ちゃん……」


 く、ガーネットとの口付けでは正気に戻らんか。せっかくガーネットが尊き犠牲となったというのに……これでは無駄──いや、待て!


「う゛、あ゛……」

「ききき、キラちゃん?」


 這いつくばっていたガーネットが、ぎこちない動作で起き上がったのだ。その動きはどこかゾンビを思わせるが……これは、もしやガーネットが残した策なのでは……?

 リゼットが先程言っていた。ガーネットは搦め手専門だと。ならばこの異様な光景こそ、彼女が刀花に隙を作るなり、なんらかの打倒に繋がるであろう一手であることに期待し──、


「……クスクス♪」


 しかしそんな期待は──妹の妖艶な笑みに、淡く打ち砕かれた。


「ぁ……ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!!??」

「キラちゃん!?」

「なんなのなんなのなんなの!?」


 姉上とリゼットが涙目になる中、ガーネットの身体が激しく痙攣する。

 出来の悪い操り人形が如き姿勢のまま、ガーネットは身体をくねらせ……身体が一つ波打つごとに、その体躯を変容させていく。髪の長さも、目の色も、構成する骨格も、数えきれぬ体細胞すらも──思考回路も、矜持も……。

 いや、これは決して変容ではない……。


 これは──"進化"だ……。


「「……むふー♪」」


 …………なんということだ。

 刀花の可憐な声が、二重に聞こえる。

 それも当然だろう。なにせその声の出所が"増えた"のだからな。


「妹がもう一人いれば」

「お姉ちゃんも安心ですよね……♡」


 ……一人ですら手に負えんというのに。

 目前には、愛しい妹の姿が二つある。その笑みは瓜二つだというのに、こちらに向けられるそれはひどく歪で背筋が寒くなる。


「「あばばばばばばば……」」

「あ──……」


 着物姿の刀花。

 そして……ガーネットから"進化してしまった"魔法使い衣装の刀花。

 あまりにショッキング過ぎる光景を前に、姉上とリゼットは両手を繋いでガタガタと震え、綾女はふらり……と気を失ってしまった。


「「お・ね・ぇ・ちゃ・ん……♡」」

「ぴっ──」


 にっこり……。


「「お注射、しましょうねぇ……♡♡♡」」

「ぴぃいぃぃぃぃぃ……!?」


 頼りの口付けですら"こうなってしまう"となると、これは……困った。

 ありし頃のガーネットが『妹"れいどばとる"しようぜ!』などと意気軒昂に宣ったものだが……。


「ぬうぅ……」


 これは……ちょっと勝てない……。


 いや、勝負にすらならんぞ……!

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