第613話「良縁か悪縁か」



「──っ」


 心中の動揺を悟られぬよう、マーリンが笑顔で手にする"賢者の石"とやらを見つめる。

 大きさは、二本の指でつまめる小石程度のもの。表面はガラスのように透き通り、その奥底にかけて深い紅色に染まっている。渦巻くようなその色合いは鮮血を想起させ、無機物だというのに今にも力強く脈動を開始するのではないかと疑うほどの生々しい"生"を感じさせる。

 明らかに、生半可な品物ではない。ここで偽物を出してハッタリを利かせる意味も、危険を冒す愚かさもまた見出せない。この石、やはり本物か……?


「……」


 ……どうする。

 少女達の表情が驚愕に染まる中、マーリンは変わらず石を見せびらかすよう掲げている。その奥深いエメラルドの瞳は、こちらの出方を窺っているかのようだ。

 先には『どのような手段を使ってでも奪う』と言った俺だが、それはマーリンとて聞いていたはず。取り出した瞬間、俺に斬り殺されるとは思わなかったのか? それは油断か? それとも信頼か?

 ならば──いや……。


「……クク」

「おや……」


 いや、冷静になれ。

 思わぬ宝の出現につい逸った思考を、不敵な笑みでかき消した。悪鬼の悪い癖だ。

 この石のみを奪ったところで何になる。俺が言ったことだ。呪いではなく、祝福としての不老不死を望むと。少女達のために歩むその道はきっと、何者かの血で彩られてなどいない。そうだろう?

 刀に伸びそうだった腕を、俺は胸の前で努めてゆっくりと組み、唇を動かした。


「美しい石だな。技術の粋というものは、そのように美麗な形を取るのだろう」

「……ふふ♪ そうかい? これまで誰にも見せたことはなかったんだけど、お宝好きの鬼に褒められたのなら、仕上がりは上々と思っていいのかな」


 おどけたように言うマーリンに鼻を鳴らす。

 性懲りもなくまた俺を試したのかもしれんが、長命種の考え方はよく分からんな。


「聞きたいことがある」

「なんだい? 詳しい効能? 作り方? 量産の可否? 作成スパン?」

「……全部だ」

「ははは、だろうね。ではまず大事なことから。残念ながら、賢者の石は現状この一つしかないんだ。作ったのもお姉さん一人で、レシピもお姉さんの頭の中にしかない。ごめんね?」

「む……そうか」


 できれば五つ欲しいところだが、そう上手い話は無いか。

 石は一つ。作製者も一人。ますます、この魔法使いを殺すわけにはいかなくなった。己の有意性と優位性を理解している者との交渉は厄介だが……今は情報集めに徹するべきだろう。

 俺が唸っていれば、組合の一員であるガーネットが「ぶーぶー」と唇を尖らせ、不満げに鳴いていた。


「なんでそんな面白そうなモンあたしに隠してたのさ~。ケチ~」

「ごめんごめん。でもこういうお宝には厄介事が付きものだからね。危険はできる限り、お姉さんに集中させた方がいいと思ったんだ。実質的に不老不死のお姉さんは、色々と背負い慣れてるのさ」

「……言い方ずりぃ~」

「そういう言い方を選んだからね♪」

「口が上手い未亡人ってエロいな……」

「何かを誤魔化す時に猥談に持っていく癖は、昔から変わらないね?」

「うるせー! 知らねぇ~~~!」


 上司を心配するガーネットに微笑ましい視線が集まるが、彼女はいつものように暴れて誤魔化した。彼女の気遣いには、いつも我々とて助けられている。

 苦笑する姉上に宥められている姿を横目に、俺はマーリンに疑問を投げ掛けていく。


「それで。実際に作ったと言うのだから、その製造方法などは判明しているのか」

「う~ん……それがまた微妙なところでねぇ」

「なに?」


 さすがにそう簡単には教えてくれぬか……?

 そう思ったが、当の作製者が困ったように眉を曲げているのだから、こちらも似た顔をするしかない。


「ほとんど無意識だった、って感じでね……」

「んな無意識で作れるようなもんなん? それかトランス状態的な? かーっ、一流の魔法使いってそういうとこあっからなぁ~! 技術の中にも一掴みの神秘がなぁ~っ! かぁ~っ!」

「ふふ、そうだね。あれはそう、数年前。新魔法薬コンペの締め切りに追われていた夜のこと……」


 神秘を礼賛するガーネットに、当時を思い出すのかマーリンの瞳が遠くなる。


「インスピレーションの湧かなかったお姉さんは、現実逃避として二○系ラーメンをハシゴしていた」


 子は親を映す鏡というが、組織も大概だな。


「しかしあろうことか今世紀最大の腹ブローに見舞われ、組合長としての威厳を捨てるか捨てないかの瀬戸際に……」

「便器で魔法薬作ったって、コト……!?」

「いやいや、皆のお姉さんとして一線は越えなかったとも。暴食による幸せな至りと痛みに苛まれながらも、キチンと釜で調合した……ホントだよ?」


 賢者の石から距離を取る少女達に、マーリンが一応といったように補足する。それでも既にアレだが。魔法使いや魔術師はトイレと運命を共にしなければならない理でもあるのか?


「そうしてヤケクソ気味に──いや、全国の愛好家が愛してやまない二郎○ラーメンに着想を得て、貴重な素材をドバドバと入れ、お姉さんの莫大な魔力をこれでもかと注ぎ込んだ……のだと思う。翌日、目が覚めた時の情況や素材の減り方から察してね」

「……なるほど」


 そうして……手に入れた。不老不死の原石を。コンペには間に合わなかった。


「減った分の素材や魔力を逆算すれば、その組成や効能は解明できた。しかしというか、やはりというか……何度試してみても、同じ石が作れない」

「あ? なんで?」

「それが分かれば苦労はしないさ。君もかの高名な“千薬の魔術師”……瑠璃ラピスラズリちゃんの娘ならば分かるだろう? 既存の法則を破壊するほどの薬を調合する際には、素材の希少性や鮮度はもちろん、調合する時刻や座標、星の配置や自転の速度すら影響を及ぼす場合がある」

「あ~、ね……」


 心当たりがあるのか、ガーネットが難しげに唸る。魔法薬の調合とは、かくも繊細な条件が絡むものか。これが魔法使いの言う“運命”というわけか……。


「もしかしたら、お姉さんの胃の中に落ちた大量のラーメンに反応したのかもしれないしね。この実験のために、何度二○系へ足を運んだことか……」

「それは多分関係ねぇんじゃねぇかな……」


 その道には素人だが俺もそう思う……しかし、そうか……。

 そんなこちらの表情を読んだのか、マーリンは申し訳なさそうにパチリとウインクした。


「というわけで、これを人数分用意することはできないんだ。まだ、ね。研究は続けるけど、解明までに何年かかることやら……」

「……ぬぅ」


 当てが外れた、とは口が裂けても言えん。

 目の前に成果物があり、研究も進んでいる。それも現状不老不死の、この星で最も魔術に長けた者が研究に当たっているとなれば、むしろ感謝すらせねばならんだろう。


「……まぁ、不老不死に関する逸話は各地に転がっているわけですし。その石のみが成り得る術、というわけでもないでしょう」

「……そうだな」


 俺の意を汲んだ姉上が、慰めるように言ってくれる。

 無双の戦鬼が追い求める宝は、少女達人数分の不老不死。一つの術のみを当てにしていては、いざという時に困るだろう。


「……ふふ♪」


 マーリンが薄く笑う。

 最早我々が、この件に関してできることは無い。調合の手伝いを申し出るほどの知識や経験も無ければ、稀少な素材も持っていない。金などもってのほかだ。現状、この石には値段すら付けられまい。

 マーリンの研究が、いつか実を結ぶことを祈るしかない。長命種ゆえ、どれほど気の長い話になるかは分からぬが……と、


「む?」


 そこで──、


「むっ!?」


 ──こちらに向かって放り投げられた赤い石を、慌てて掴んだ。


「な、に……?」

「君でも慌てるんだね、無双の戦鬼君?」


 瞳を柔らかく細める魔法使いの手に、最早その石は無い。今や悪鬼の手の中だ。


「どういう、つもりだ……?」

「うん? ふふふ……♪」


 間抜けにも聞けば、白い魔法使いはイタズラっぽく笑い──、


「あ・げ・る♡」

『なっ──!?』


 今度こそ我々全員が、驚愕に染まった。

 何を考えている、この魔法使いは……!?


「あれ? いらなかった? 欲しそうに見えたけど」

「いや、いる。いるが……」


 これほど簡単に手放してよい物のはずがない。そこには必ず意図があるはずだ。この者にとっての利が。


「……何が望みだ」

「あげるって言ってるのに。いや実際、現物から取れるデータは既に取り尽くしてしまってるからね。そしてお姉さんはこんな身だ、手元にあっても無用の長物ってわけ。どうせいらないなら、欲しいと言ってくれる人の元へ行った方が健全だろう? 君なら正しく使ってくれそうだし、不埒者も無双の戦鬼相手じゃあ奪えない。お姉さんも安心して、研究に打ち込めるというものさ」

「…………」

「はぁ……疑り深いなぁ。分かった。お姉さんの秘密を、もう一つ教えよう」


 真意を測ろうとする俺の目に、魔法使いは「やれやれ」と吐息をついて語った。軽いイタズラを告白するように。


「不老不死の研究というだけでも、お姉さんを非難する者は多い。特に宗教絡みの者はね。だがここでもう一つ……お姉さんはね、“死者を蘇らせる魔術”も内緒で研究しているのさ☆」

「──っ!?」


 息を呑んだのはリゼットか、それとも同業のガーネットか。


「……ほう」


 だがそれを聞いて納得した。それはこの者も隠そうとするだろう。

 不老不死と、死者蘇生の研究。そんなものを研究していると知られれば、特に秘跡編纂省のエクソシストなどは国境を無視して飛んでくるだろう。神の領域を侵す大罪人を処刑すべくな。

 バチカンの剣姫とて駆り出されよう。待つのは永遠の拷問か、永遠の暗闇か。少なくとも、捕まれば二度と日の目は拝めまい。

 そんなリスクを抱えながら研究を進めるのは、もちろんかつて亡くした愛する者のためだろう。この者は夫を蘇生させ、完全に制御した魔法を用いて共に永遠を歩むつもりなのだ。


「……」


 しかし、まだ解せない。その秘密を明かすことと、こちらに賢者の石を渡すことがどう繋がる。

 視線で促せば、禁忌に手を染める魔法使いは微笑んだ。


「もちろん、最初に言ったこともまた真実だ。その石をヒントに、君の手で不老不死の術を完成させ幸せになってくれても構わない。むしろそうなって欲しいとさえ願う。愛する者を見送るのは、とっても哀しいからね」


 でも……と。丸眼鏡が妖しく光を反射する。


「お姉さんはね、期待してるんだよ。君にも。この星で生きる全てのモノにも」


 その常と変わらぬ微笑みが……常と変わらぬからこそ、歪に映る。


「君達人間を見ていると、インスピレーションがどんどん湧いてくるんだ。特にこの世界の神話なんて素晴らしい。のほほんと生きているお姉さんの同族じゃあ、決して生まれない発想だよ」


 ゆえにこの魔法使いは、新しく出た芽に甲斐甲斐しく水をやるのだ。


「もし、お姉さんの研究が遅れに遅れてしまったら? その時点で、君の手元に石一つしか無いなら? さて、君はいったい誰を選ぶ? 誰を生かして、誰を見送る? その時、君はきっと“ナニカ”に目覚めるだろう。不出来な世界を破壊する、ナニカにね?」


 それは世界を滅ぼす術か、それとも死者の蘇生か……その時になってみねば分からんだろう。気の遠い話だ。


「それが、お姉さんの利さ。魔法はいつか制御できるだろうが、死者蘇生はまだまだ見当も付かない。だが君なら……規格外の力を持つ君なら、お姉さんより早くそこへ至れるかもしれない。至ることができずとも、その激情はきっとお姉さんに極上のインスピレーションを与えてくれると確信している。これはそのための投資だよ。その一端には、指をかけているみたいだしね?」


 エメラルドの瞳が、俺の姉を射貫く。なるほど、最初からそのつもりで……。


「こんな石一つで、安いものさ。こうして種を蒔き、お姉さんは大好きなラーメンをのんびり啜って待っていればいいんだから♡ 魔法だって今や好都合ってものさ。時間なんていくらでもある。もちろん、こっちでも研究は進めるけどね? そこは安心してくれて構わないよ☆」

「……得心がいった」


 俺がそれだけ言えば、魔法使いはニッコリと笑う。

 ああ、色々と納得した。この女がどれだけ真剣に研究に打ち込んでいるかも。人間とは異なる尺度と価値観で生きているかも。


「……ククク」


 いいだろう。この者も取引も、気に入った。


「これは貸しにしておくぞ、時の魔法使いマーリン」

「おや、貸しとまで思ってくれるのかい?」

「ああ、俺達は同志だ。愛する者と共に永遠を歩まんとする、な。協力は惜しむまい。まだまだ俺に利するところが大きいゆえ、貸し一つだ」

「助かるよ。ふふ、こう言ったら君の王様は怒るかもしれないが、お姉さん……君のこと気に入っちゃったな♡ その石を見て『美しい』と言ってくれたのも嬉しかった。魔術が細やかな技術で成り立つことを、現代の魔術師は忘れがちでね。君さえ嫌じゃなければ、この未亡人とまた遊んでくれたまえ。お姉さんは寂しがりなんだ☆」

「いずれ甦るであろう夫に悪くないか?」

「火遊びは未亡人の特権だよ、ぼく♡」


 色付く唇からチロリと舌を出し、魔法使いは三つ編みにしてなお長大な緑の髪とマントを翻す。


『ふふ、やはりまだまだ楽しいことばかりだね。この世界は』


 楽しげにそう言い残し、白い魔法使いは風と共に消えるように去っていった。

 この場に残るのは、呆然と見送ることしかできなかった少女達と、石ころ一つを握る悪鬼のみ。


「……良縁となるか、悪縁となるか」


 今はまだ、見通せぬ運命のみぞ知る。


 こうして、我々は期せずして。

 この世界に散らばる、不老不死の大秘宝が一つ。


 ──賢者の石を、手に入れたのだった。

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