第499話「聖堂の扉から光が逆流する!」
「……白は好きだが、俺が着るとなるとどうもな」
「ふふ、素敵だと思いますよ先生?」
姿見の前で居心地悪そうに襟を弄る俺へ、いつもの黒い修道服に着替えたティアが世辞を投げる。
眼前の鏡に映るのは、純白の洋服に身を包んだしかめっ面の男……無論、俺である。試食を終えた我等は、いよいよ目当ての正礼装試着に臨んでいるというわけだ。
今頃は別室で、少女達も他のスタッフに着付けを施されていることだろう。そして俺もまた、ティアから手ほどきを受けつつ"たきしーど"とやらを試着してみたわけだが……。
「……むぅ」
ネクタイまで純白に染まった姿を複雑げに見ながら、俺は横でニコニコするティアに問いを投げた。
「他の色は無いのか」
「もちろんありますけどぉ……シルバーとか、グレーにネイビー、あと黒も」
「……黒ではいかんのか?」
「だって先生、普段の和服が黒じゃないですか。いいですか先生? 女の子にとって、結婚式は一生に一度の一大イベントなんです。その一度きりに、"特別感"はなにより大事な要素ですよ?」
逆に先生にでもなったかのように、ティアはピンと得意気に指を立てる。
「"普段"からより乖離することで、その"特別"というものは輝きを増します。もちろんやり過ぎはよくないですが、こういったことはまず出で立ちから変えていくのがベターかと」
「ふむ……確かに、着替えるだけならば容易なことだ。一理ある」
「白でしたら花嫁様とお揃いになりますし、色つきですと他の方の色と被って特別感が薄れてしまう恐れもありますからね。普段から白を着用しない先生だからこそ余計に、ここでビシッと白でキメれば花嫁様も惚れ直すこと間違いなしですよ!」
「ほう、そういうものか」
「そういうものですとも! いやホントに。ここで手を抜いたりなぁなぁで済ませたりしたら、ホント一生言われますからね……」
「イヤに実感がこもっているな……」
これまで職業柄、数々の新郎新婦を見送ってきたのだろう。瑠璃色の瞳から光を失くしたティアは「ハハ」と空虚な笑いを漏らした。
「ケーキ入刀の時に『夫婦となって初めての共同作業でーす』なんて言いますけどね。夫婦の絆は式を計画する段階で試されてると言っても過言ではありませんよ」
そう言って、ティアは白手袋に包まれた手で指折り数えていく。
「こちらもお手伝いはさせていただきますが、式の主役は新郎新婦様ですからね。一から十まで、全ての段取りをお二人で決めなければなりません。基本的なもので日取り、服装はもちろん、流す曲、余興、引出物の用意。ゲストとの折衝、ご挨拶やメッセージ作成のご依頼。お出しするお料理や、それに関するアレルギーの調査、席順だって気を遣い──」
大きなことから小さなことまで、ティアの口から式に関する情報が湯水の如く溢れてくる。
だが、聞き流す気にはなれん。情報に大なり小なりこそあれど、その小さなことにまでキチンと気を回さねばならんと、先程この聖女が警句を放ったのだからな。
一から十まで計画するというのは、そういうことだ。
「これを三から四ヶ月、じっくりと腰を据えて話し合うわけですからね。お金も多く動きますし、自然と空気もピリつくことでしょう。お二人の間で衝突されることも何度かあるかもしれません。いえ、確実にあります。なんなら『やっぱりやめる』なんてザラですし、行くところまで行くと『別れる』なんて言い出す方々も……悲しいことですが」
恐ろしい話だ。
幸せの絶頂たる祝言において、なぜそのようなことが起こるのか? その答えは、真摯な色を瞳に宿した聖女が教えてくれる。
「──"真剣"なんです。その本気に応えて欲しいんです。愛しているからこそ、同じくらい愛して欲しいのだと奥底から願っているのです」
人は幸せを求める際、障害となるものに対し特に好戦的となる。それは例え愛する者であってもだ。生涯を誓い合う儀式の中で、それに本気で取り組まぬ者にどうして信を置けようか。
その結論に至り……俺は重く頷いた。
「ゆえにこそ、服の色一つにも慎重を期さねばならんというわけか」
「ですです。普段着ない色だからこそ特別で、『あ、私との結婚を本気で考えてくれてるんだな』と視覚から分かりやすくお伝えできるわけですね」
「なるほどな……いや、金言感謝する。少々甘く見積もっていたかもしれん」
幸せとは、何かを乗り越えた先にしか存在しない。特に我等のようなはみ出し者にとって、それは勝ち取るものである。そのことを、再び自覚させられた心地だ。
そんな思いで再度真剣に姿見を覗く俺へ向け……ティアはしかしクスリと笑った。
「とまぁ、これも一つの事実であり、脅すようなことを言ってしまいましたが……」
「む?」
チラリと横を見れば、そこには慈母が如き表情でこちらを見つめる女性がいた。
「確かに式は大変です。大変ですが──楽しいし、なにより幸せですよ」
大変ではある。しかしそれら幸せは両立できる。
「式の主役は新郎新婦ですが、同時に式というのはお世話になった方々に感謝を伝える場でもあります。とっても特別で嬉しいものですよ、周囲から祝福されるということは。だからこそ、それを経験されたご夫婦というのは一つ上のステージに上がれます」
結婚式を開いたという事実は、それに真剣に取り組み、それを成したということ。まさに愛の証明となるということだ。
聞き入っていれば、ティアは最後に茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。
「結婚式に関して、憧れのみでは語れませんが……それでも間違いなく幸せを求める場であり、愛を誓い合う場でもあります。互いの幸せを真剣に考えることができるのならば……ふふ、ご安心を。なんの心配もいりませんよ♪」
「……ふん、なるほど。畢竟、俺にとっては杞憂というわけか」
俺は常に少女達の幸せを考えている。
ならばきっと、式に際しても不明はあれど真剣に取り組むことができるだろう。
「だが」
「はい?」
一つの懸念を見つけた俺は、しかつめらしく顎に手を当て唸った。
「予定では、俺は五度ほど式を挙げるつもりだからな。そのあたりの"慣れ"を、花嫁に"手抜き"として見られぬためには、さてどうした態度が相応しいものかと思ったのだ」
「…………ふふっ♪」
「なんだ」
呆れたような、おかしくてたまらないといったような笑いに俺が睨めば、ティアは「いえいえ」と口許に手を当てて笑う。
「さすが先生。既に式へと臨む視点が違いますねぇ」
「俺にとっては五度でも、花嫁には一度きりということを忘れてはならんというだけの話だ」
「良い心懸けだと思いますよ。そんな先生に、更にやる気の出る耳寄り情報をあげちゃいましょう」
ニヤニヤとして手招きするティアに、俺は少し膝を折る。
焼きたてのパンの香りを漂わせる聖女は、そうしてコソコソっと耳寄り情報をくれるのだった。
「式が大成功すればぁ……結婚初夜は、それはそれは"盛り上がる"ものになるのだとか! ひゅーひゅー!」
「──ほう」
現金なもので、無双の戦鬼は大変やる気が出てきてしまった。なるほどな!
俺はそのまま腕を組み、うむうむと頷く。
「待ち遠しいな。少女達の身も心も、幸せの絶頂へと導く日が」
「ちなみに更なる耳寄り情報なんですけどぉ……ここに結婚式に詳しくて結婚適齢期で美人で彼氏募集中食べ頃で最強な聖女がいるんですけど……つまみ食いしてみません?」
「彼女が既にいる者は少しな」
「お嫁さんが五人いる人がその言い訳通用すると思ってます?」
「ふん、あの聖剣と肩を並べるなど窮屈に過ぎる。だが、これまでの情報には感謝している。後に謝礼は払うが……これは前払いだ」
「ふおっ!?」
白金色の髪を隠す頭巾をずらし、そのおでこに軽く口付けを落とした。そこまで言うのならばこの程度、くれてやる。
目を丸くし、ドキドキした様子でそこを押さえるティア。二十代たりとはいえ、男性経験の無い女性からすれば一大事か。顔が真っ赤だ。
その様を見て俺が不敵に笑えば、ティアはパチパチと目を瞬かせた後……じとっとした目で言う。
「なるほど……こういった一気に距離を詰めての不意打ちで、免疫の無い女の子をパクパクと食べてるわけですね? オーガさん?」
「どうだかな。だが相手は選んでいる。俺は妖刀だからな」
「あぁ~~~……いいなぁ。毎日ドキドキさせてくれる彼氏欲しい~~~~……」
それ以上を欲しがる言葉に肩を竦め、新郎用の部屋を出る。そろそろ、誰かが着替えを終える頃だろう。
まだぶつくさ言うティアを背後に連れ、俺は教会の廊下を進む。この先には聖堂があるが、さて……?
「向こうも着替えは終えた頃か?」
「え~っと……あ、はい。一名様が、聖堂で既にお待ちのようです」
耳許の“いんかむ”で向こうとやり取りしたティアが頷く。
「誰だ」
「吸血鬼様……リゼット様ですね。均整の取れた素晴らしいスタイルでしたから、ご試着の方もテキパキ進んだようで。他の方々は……はい。大変結構なものをお持ちでしたので、ドレスを選ぶのと着付けに少々時間が……」
胸の話か? やめてくれないか俺のマスターを貧乳かのように語るのは! あの芸術的に細い腰つきも相俟って、ご主人様の胸は充分に“ある”のだが!!!
「ではこの扉の先に」
「はい、お待ちかと。心の準備はいいですか?」
「誰にモノを言っている? 俺は無双の戦鬼だ」
からかうように問うティアに、せせら笑う。
無双の戦鬼は常に肩で風を切り、威風堂々と眼前の敵を破壊するのだ。
「だが、先の話もあった。多少は居住まいに気を配ろう」
試着とはいえ、憧れの衣装に袖を通しているのだ。普段通りではなく、普段より増してお姫様扱いせねばなるまいよ。
そして俺も白い“たきしーど”を着用する身。相手がお姫様なら、こちらは王子様というわけだ。ガラではないが、しかしそのように振る舞った方がお姫様からの覚えもきっと目出度かろう。
「では……」
聖堂に繋がる扉に手を掛け、押し開く。
平常心だ。姫にとっての王子様は、決して無様な姿は見せない。たとえお姫様がどれほど美しく可憐に着飾ろうと、俺は扉を開いた瞬間から少女達にとっての頼れる王子様であらうわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
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