第497話「百合の間に挟まる戦鬼」



「遂行できませんでした……」


 遂行できなかった。なぜだっ。


「これほど鼻血を流したというのにな……」

「これどこの殺人現場?」


 あれからティアは隼跳びすら披露したというのに。

 そしてそれを見届けたエクスカリバーもまたどくどくと血を流し続け、吸血鬼すらドン引きするほど床が深紅はなぢに染まっているというのに。

 縄跳びを握りしめたまま再び崩れるティアを横に見ながら、俺は思わず歯噛みする。


「これではティアが生き恥を晒しただけではないか」

「先生やめてくれますか生き恥認定するの……」


 方向性は間違えていないはずなのだ。

 刀剣とその担い手は、自然と互いを求め合う。恋仲であればなおのこと強く。

 それでも不動の構えを見せるエクスカリバーを前に、俺はスマホが軋むほどに拳へ力を入れた。


「足りないというのか……二十代女性の体操服縄跳びでは!」

「あの先生、スマホ構えてましたけど……撮ってないですよね? さすがに? え? ですよね?」


 俺は「ぐぬぬ」と唸りながら、約束通りガーネットへ先程撮った動画を送っておく。“あいであ”料だ、受け取れ。


「……くっ」


 だが、この俺の目論見が外れるとは。姉上の尻拭いすら負おうと内心では思っていた手前、この体たらくは情けない限り。

 俺はキッと目を細めてティアを見る。いまだピッチリと張り付いた体操着を着用する聖女を。


「やはり……足りぬのだ。じわりじわりと鼻血を流させるのではない。そう、“起爆剤”となるものが必要なのだ」

「これ以上の……!? そ、それはもうだいぶセクハラ案件ではないでしょうか!」

「今も十二分にセクハラでしょ。ジンもすっごいやらしー目で見てたし?」


 これまでの流れを冷たい目でずっと見ていたリゼットが、腕を組みつつチクリと言う。おかげで俺の視線の意味に気付いたティアが真っ赤になり、その重力に負け気味の乳房をもにゅっと腕で押さえた。


「誤解を招くようなことを。確かに現状すら端から見ればセクハラ案件であり、俺もティアの柔らかそうな身体をじっくり目で味わっていたことは否定しないが」

「否定しなかったら誤解でもなんでもないじゃないの」

「そして同時に、この問題を解決すべく俺はティアの肢体を乳房に──失礼。つぶさに観察していたというだけのこと。我欲と仕事を並行して処理する……これが"まるちたすく"というやつだな」

「"オーダー"『死になさい』」

「ぬっっっ」

「先生って気軽に死ぬんですね……」


 俺としたことが、大事なところで噛んでしまった。ああ無論、噛んだだけだ。他意はない。

 トントンと胸を叩いて心臓を再稼働させていると、いつの間にか長椅子に座っていた刀花も「うーん」と困ったように首を捻っている。


「どうしましょう。この空気ではさすがに挙式できませんね……」


 そしてその言葉にピシリと固まるのは、隣に寄り添う姉上である。


「へ? と、刀花ちゃん? お、おおおお嫁に、お嫁に行くのですか? おおおお姉ちゃん初耳なのですが……」

「はい行きます! ちょっと兄さんのとこまで! まぁ兄さんのお誕生日の時にもしたんですけど。でもやっぱりこういった本格的な場でも経験はしておきたいですよね!」

「と、刀花ちゃん? そういった事柄は、事前にお姉ちゃんに相談を──」

「あ、ごめんなさい姉さん……」

「あ、いえいえそんな謝るほどでは。刀花ちゃんは何も悪くありませんよ。そう、私はただ前もって──」

「姉さんも兄さんと式挙げたいですよね。それなのに私ばかり……」

「ちょっと何を言っているのか分かりませんね」


 姉上にも分からないことがあるとは、珍しいことだ。

 だがそんな姉を安心させるように、親愛なる妹は慈愛を瞳に宿して姉の手をそっと握る。


「大丈夫ですよ、姉さん。兄さんを独り占めなんてしませんから。私達、仲良し姉妹ですもんね。喜びも悲しみも半分こ。そして兄さんも大好きな人も半分こ! ですよね!?」

「い、いえ、そういうわけでもなく……」

「え──お姉ちゃん、もしかして刀花と幸せになってくれないんですか……?」

「なります……」


 酒上家絶対家訓『妹は泣かせるな。泣かせる者は必ず殺せ』である。


「私と一緒にウエディングドレス着てくれますか……?」

「着ます……」

「私と一緒に兄さんに初めての夜を捧げてくれますか……?」

「捧げます……ん? へ? ちょ、ちょっと待ってください刀花ちゃ──」

「むふー、姉さん大好き~♪」

「ぁぁ~……しくしく……しくしく……」

「私、この中でやっぱり一番の危険人物ってトーカだと思うのよね」


 マスターが何を言っているのか少々よく分からない。ここは深い姉妹愛と家族愛を垣間見て涙を流す場面だぞ? 泣け。


「しくしく……ぐ、ぐてぇ~……」


 姉上が泣いてどうする。

 そしてその助けを呼ぶ声に、応えてやることのできない愚弟を許してくれ。俺とて少女達には一人ひとり、丁重にたっぷり愛を捧げたいと常々思っている。

 しかしなぁ……我々の愛する妹がこう言っておるゆえなぁ……仕方ないのであるなぁ。大事な家族でありそして異性として愛する美人姉妹を二人同時にお相手できる機会を決して役得だと思って何も言わないわけではないのだなぁ……──これが俺の覇道だ。


「刃君、絶対ダメなこと考えてる……」

「分かる、アヤメ? あれが悪ぅ~い男の顔よ」


 綾女とリゼットがじっとりとした瞳でそう述べるが、異な事を。正直者の顔と言っていただきたいものだ。

 そしてそんな我等のやり取りを見て、ティアが「ほえ~」と呆けた顔をしている。


「なんだ」

「あ、いえ、本当に皆さんをお嫁さんにするつもりなんだなぁと」

「当然。俺が見初めたのだ、ならば俺が全員を幸せにするのが道理よ」

「ふおぉ~、男前。いいですねぇ。どのような形であれ、やはり殿方にそこまで想われるというのは、一人の女性として少し羨ましいです」

「あなたには既にパートナーがいるでしょ」


 リゼットがそう言って牽制する。

 だがティアは聞いているのか聞いていないのか、こちらの目をジッと見つめ……、


「……先生」

「ああ」

「エリィのことはもちろん大好きなのですが……女性同士で、子どもは生まれないんですよねまだ」

「俺の知っている限りではな」

「……先生」

「だからなんだ」

「修道院で預かる子達も可愛いんですけどぉ──“托卵”って概念、ご存じです?」

「死にたいらしいわねこの聖女さ──あら?」


 その単語に反応し、リゼットが遂に笑顔で刃物を取り出したのだが……何かに気付き、その動きを止める。

 それは渦巻く漆黒のオーラ。吸血鬼すら足を止める、そんなドロッとした気を放つ者は無論……、


「エ、エリィがすっごい睨んでます……」

「それはそうだろう。間違っても俺との子など育てたくはあるまい」

「あっ♪ じゃあ先生とエリィの間にデキた子どもなんていたらむしろ私……ピッ!?」


 それ以上滅多なことを言うな。いまや猛獣のように唸ってすらいるぞ。これ以上刺激すれば何をしでかすか──、


「む、いや……」


 だがそんな荒ぶるエクスカリバーの様子に、俺は光明を見出す。

 そうか、これこそが俺の求めていた──!

 そうとも、俺は妖刀。生きとし生けるもの、それら全てが最もその力を増大させる状態というものを知っている。いや、食い物としている。

 それこそが、この現状を打破する起爆剤となり得るのだ……!


「はれ? 先生?」


 俺は再び無言で、ティアの背後に回る。

 だが、今度はスカート捲りなどしない。俺はそのまま体操着のティア、その肩へと腕を回し……!


「次にエクスカリバーとまぐわう時があれば……どれ、俺も混ぜるがいい」

「ふぉっ!!??」


 そのおとがいを指でクイッと上げ、耳許でそう囁いた。


「え、えっ、ややや、先生……!?」


 目を丸くし、同時に首筋すら紅潮させるティア。先程男性経験はないと言っていたからな。直接的に攻められるとまだまだ初心な面が覗く。

 そしてそんな我等を見て、ハッとして言うのは姉上である。


「これはっ! 音に聞く“百合の間に挟まる男子”ではっ! この目で観測するのは初めてですね……!」

「普通に生きてたらそりゃ遭遇しないでしょうよ。というか、サヤカはどこからそんな知識を仕入れているのかしら……」

「あぁ、これについてはキラちゃんが」


 我が姉上にいらん知識を植え付けるなアイドル。

 とはいえ俺もその概念に関しては知らんが、言わんとしていることは理解できる。

 斬り裂いてやろう。可憐に揺れる二輪の百合、その寄り添う様を。美しさを。この悪鬼が。

 この世において怒りこそが! ヒトを最も強く突き動かす原動力であるがゆえに──!!

 俺は更にグイとティアを抱き寄せ、見せつけるかのようにしてエクスカリバーの方を向く。もう既に爆発寸前に身体を震わせているが……せいぜいより苛立つよう、不敵な笑みを浮かべてやろう。


「悪いな、もらうぞこの女。なに案ずるな……飽きたら、その内に返してやる」

「ジン、サイテー」

「兄さんはそんなこと言いません」

「解釈不一致かなぁ……」


 その信頼は嬉しいのだが、三人は少し下がっていてくれ。いやそもそも俺は悪鬼なのだがっ。こういったことを普通に言うはずの悪鬼なのだがっ!

 だがこの中で全てを見通す目を持つ姉上が、名誉を挽回するが如く上手く繋いでくれる。


「そこです、聖女殿。今こそ、両手でピースを作るのです」

「え、え? こう、ですか?」

「良い具合ですよ。更にそこで白目を剥いて、舌を犬のように出すのです」

「すごい無茶言いますね先生のお姉様」

「だが姉上の言うことだ。俺はよく分からんが、やって損はないと思うぞ」

「損しかないように思いますけど」

「──いいからやれ、ティア」

「は、はい……♡」


 耳たぶを甘く噛んで強く言えば、ティアは従順に頷く。初心な乙女は扱いやすい。

 リゼットの「うわ、やるんだ……」というドン引きした声を余所に、ティアが姉上の指示通りの顔をする。


「……刀花ちゃんは見ちゃダメね」

「あ、綾女さん? どうして目隠しを……」


 さすがは俺の相棒。この顔は妹の情操教育に著しい悪影響を及ぼす可能性を秘めている。俺の“えご”だが、妹にはいつまでも綺麗でいてほしいものだ……。

 きっと今のティアの顔を凝視すれば、来年にならずとも鬼が大爆笑すること必至なため、俺は視線を目前のエクスカリバーから離さない。


「──」


 最早、姉上の昏き霊力を逆に食い尽くさんと漆黒のオーラを垂れ流していた。

 そこへ、ケジメをつけるかのように姉上が最後の一手をティアに授ける。

 姉上が何事かをコショコショと耳打ちしたかと思えば、ティアが「こ、こほん……」と喉の調子を整え──その顔のままなのは笑ってしまうためやめてほしいな。


「エ、エリィ……ごめんなさい。私、もう戻れません。せ、先生の名刀の味を……快楽を、知ってしまっては……そう、全部飲み込んでしまったのです。あなたのエクスカリバーより、先生の童子切安綱の方が、ずっとすご──」

「──なれ」


 むっ、極大の殺気──!!


「男など消えてなくなれぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 滂沱の涙を流し、ようやく言葉を放ったエクスカリバーが光の剣を打ち下ろす!

 それにより、本来の輝きを取り戻した必滅の閃光がまるでレーザー兵器が如くこちらに迫り──、


「ティアも巻き添えにする気か?」

「あ、私この光食らっても大丈夫ですよ。ダメージにならず、むしろ回復する仕様なので」

「……さようか」


 打ち払うのも面倒くさくなった俺は、敵方の攻撃行動にムッとして立ち塞がろうとする姉上の背をトンと押し、横に避ける。

 迫る光を前に、残るのは俺とティアのみだ。


「ふふ……こうして十字架の前に二人で寄り添うと、まるで結婚式みたいですね♪」

「あ゛?」

「そんなキレなくても」


 そんなことを言い合いながら、俺達はとりあえず白き極光に飲み込まれるのだった──。

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