第495話「叱られて、しまいました……♡」



「ど、どうして……」


 力無く膝からくずおれるティアの隣で、俺もまた眼前の状況に向けスッと瞳を細める。聖剣を魔に堕として嗤う、姉の姿を。

 ティアも言ったが、そう……"どうして"。とても大事なことだ。ここまでに至る経緯が仮に偶然であれば、俺はそれでいい。

 だが……事によっては……。

 背後で扉が音を立てて閉まれば、聖堂を沈黙とステンドグラスから差し込む夕日が支配する。

 聖域を黒で穢さんとする姉を前に、俺もとある覚悟をもって見定めようとしていれば……妹である刀花が困惑しながらも一歩前に出て、言葉を発する。


「ね、姉さん? どうしてここに?」

「クス、むしろ当然かと。刀花ちゃんも昨日から、この強大な悪魔祓いの気配を感じていたでしょう?」

「は、はい」

「ならば、排除に動くのが姉の務めでしょうや」

「それは……どうしてです?」


 妹の疑問に、姉は一瞬キョトンとする。どうしてそんな分かりきったことを、とでも言うように。


「まぁ。だって──危ないでしょう? 爆弾は、爆発してからでは遅いのですから」


 あぁ、やはりそうか。

 この姉は、十一年前とまた同じように──、

 それに思い至った刀花が悲しそうに俯き、俺も拳を強く握る。リゼットと綾女はまだ困惑したままだが、こればかりは最早我等家族の問題だろう。

 やるべきことが定まった。覚悟を決めた俺は、静かに一歩を踏み出す。その間にも、聖剣を足元に侍らせる姉は、得意気にしてこれまでのことを披露していた。


「クス、どうです? 見事な手際でしょう。密かに動いた甲斐がありました。やはり白というのは脆い色ですね。その光は目に鮮烈ですが、こうして突くべきところを突けば、簡単に黒へと染まってしまう」

「……」

「まぁ? この聖剣が脆弱とは申しません。仮にも世界一の聖剣なのですからね。ただ、私の黒が強すぎたというだけのこと。一度黄泉路を見た私だからこそ、可能となる業と言うべきものでしょうね」

「…………」

「クスクス……注意すべき存在は各国に散らばっていますが、まさかその一角である"バチカンの剣姫"を早々に無力化できるだなんて。それも強大な武器を鹵獲するという、これ以上にない形で」

「………………」

「存外、簡単な仕事でしたよ。信徒に紛れ、握手を求めればこれこの通り。触れた部分から私の霊力を一気に……流し……こ、み……?」

「……………………」


 見下ろす距離まで来た俺に、徐々に言葉を引っ込めていく姉上。祭壇に座っていてなお、俺と比べればこの少女はあまりに小さい。


「あの……なにか?」

「……」


 小首など傾げて、分からないのか。

 なぜ刀花が悲しげに俯いたのか。なぜ俺が……怒気を発しているのか。

 確かに、危険の排除は我等が生きていく上で重要なことだ。それを率先してやるというのも、姉のこれまでの性格や生き方を考えれば理解できる。

 だが──だが──!!


「この……大馬鹿者が……」

「えっ──?」


 本当はこの聖堂中に響くほどに、怒鳴り散らしたかった。しかしそれをすれば、この少女には後々大きな傷となる。

 ゆえこうして……絞り出すようにして言いながら、その身体を強く抱き締めた。

 こちらの言葉と行動にピクッと反応しながら、姉上は身動ぎしてこちらの胸の中で疑問の声を上げている。そんな態度がどうしようもなく、悲しい気持ちにさせる。どうして、分からない……。

 より強くその小さな身体を抱き締めながら、俺はか細い声で聞いた。


「ここを……どこだと思っている……」

「え……ただの街外れの教会、ですが……」


 そのなんでもないような彼女の声に、思わず腕と声に力が入った。


「っ、ここは、敵の、本拠地だぞ……!!」

「ひぅっ」

「それも"無双の戦鬼"に匹敵する殲滅力を備えた、聖剣の待つ……!!」

「あの、あの……でも」

「『でも』では、ない……!」


 身体を離し、その肩に両手を置く。じっと彼女の目を見ながら。

 ……その黒瞳に映る男は、ほとんど泣きそうな顔をしていた。


「それこそ──危ないではないか……! 勝手に、こんなところに一人で来て……!」

「あ──」

「なぜ一人で、こんな……! 無事であるから良かったものを……!」

「……ぁぅ」


 たまらずもう一度その無事を確かめるように抱けば、姉上は身体を固くしつつも、大人しくなった。

 分かっている。堅物で直線的なエクスカリバー相手であれば、万に一つも姉上が不覚をとることなどないと。

 だがそう、遅いのだ。その万に一つが起こってからでは!

 もしそのようなことが起こっていれば……そんな想像すらしたくもない光景を浮かべながら、俺は姉に縋る。


「……一言」

「え……?」

「せめて、一言……残しておいて欲しかった……」

「──っ」


 十一年前とは違う。

 これからは俺が守る、と。再び現世へ降り立った姉に、そう伝えてきたつもりだった。

 俺達兄妹にとって、十一年という年月は長く重い。身体だけでなく、内なる精神性を育むほどには。

 だがこの姉にとって……最近目覚めたばかりの姉にとって、十一年前の出来事はまだほんの一月にも満たぬほど、近い。それまで生きてきた時間の方が、圧倒的に長いのだ。ゆえそう簡単に、生き方というものを変えられない。

 その発露としての、目の前の光景が……。

 俺達兄妹には……とても、悲しいことだったのだ。腹立たしいことだったのだ。


「俺は確かにお前の弟だ。だが……そんなに、頼りにならないか」

「そ、そんなこと……」

「こうして一人で先走るのは、姉上の悪い癖だ……! 無用にクチバシを突っ込むところも……!」

「うっ……」


 思わず責めるような口調で言ったが、自覚があるのか姉上は言葉を詰まらせる。

 ああ、いかん。責めたいのではない。ただ、理解してほしいだけだ。姉上はもう一人ではないということを。頼りにしていい存在が、すぐ近くにいるということを。


「……だって」

「む……?」


 なんと言って理解を促すべきか。

 そう手をこまねいていれば、抱き締める胸の中でボソッと呟かれたその囁き。

 多分に湿っぽさを含んだその言葉を聞こうと、一度身体を離せば──、


「だって……私の弟を、攻撃したから……」


 ──じわぁ、と瞳に涙を浮かべて。

 いじらしく頬を膨らませ、唇を尖らせてそう言う……一人の、女の子がいた。


「結界で隠したつもりでしょうが……分かるのですからね。お前に傷を付けられたこと……」

「……だからといって」

「そ、そんなに、責めなくてもよいではありませんかっ。わ、私だって怒って……!」

「分かった。分かっている。だが他にやりようが──」

「ありませんっ。私は、こういうやり方しか知りませんもん!」


 もん、と来たものだ。

 プイッとそっぽを向く姉に、ほとほと呆れた感慨を抱く。

 もしかすれば、こうして我等が教会を訪れた時、彼女は自分の成果を褒めて欲しかったのかもしれない。

 しかしその期待に沿うことはできず、ましてやこうして説教まがいのことを受けている。それは彼女も意地を張ろうというものだろう。


「わ、私、悪いことしてませんからね!」

「……分かった」


 あくまで反省をせぬ姉。いや、こちらの言いたいことを理解してくれぬ姉上。

 仕方あるまい。このようなことをしたくはないのだが……いや、彼女の家族である以上、むしろしなくてはならないのだろう。


「あ、な、なにを……?」


 俺は彼女の隣に座り、その身体をこちらの膝の上にそっと俯せに横たえる。

 膝枕をするにしては位置がおかしいその体勢に、鞘花は困惑したままこちらを振り返るが……。


「え──」


 その顔が……凍る。

 ──こちらの、振り上げた掌を見て。

 俺は、そのまま──!


 ……ペチンっ!


「ぴゃあぁあぁぁぁぁ!!??」


 厚手の着物を着てなお、豊かな曲線を描くその尻めがけ、一息に振り下ろせば甲高い悲鳴が上がる!

 そのまま俺は一定の感覚で、姉の尻を叩き始めた。


「にゃっ、にゃにを! やっ、ぴゃあ!」

「古来より、悪い子にはお尻ペンペンをせねばならん」

「そ、そんなっ、ぴゃっ! やめ──ぴゃあ!」

「姉上も言っていたな。『痛くなければ覚えぬ』と。分かってくれ姉上……俺とて、叩く手が痛い……!」


 涙すら流しながら、俺は姉の尻を叩く。

 ──聖なる教会に、乾いた音と少女の悲鳴が木霊する。くっ、神はなぜこのような試練を姉に与えるのかっ!


「あーあ……」

「ね、姉さんが……」

「お姉さん……」

「あれ、私は放置です? 結構絶望した感じで膝から崩れ落ちたんですけど」


 リゼットはこうなる流れが最初から読めていたのか肩を竦め、刀花と綾女はこれまで超然としていた姉のそんな姿に衝撃を受け、ティアはケロリとしつつも置いてけぼりになっている。

 その皆の視線に今更気付いたのか、鞘花が首筋まで真っ赤になった。


「あ、あ、み、見ないで──きゃうっ! 見ないでくださいましっ。このような、このような醜態っ、私は──あぅぅ!」

「反省するのだ、姉上! 叱られたことのない姉上だからこそ、こうして叱らねばならん時が来たのだ!」

「や、やだぁ……あぁっ! あ、わ、私……叱られて……男の人に、し、叱られて、無理矢理──あんっ!」

「そうだ! 姉上は今、叱られているのだ! こんなことをしては駄目だと! 折檻を! 父が娘にそうするように!」

「あ──あ──」

「っ!」


 くっ、なんだこのような時にその物欲しそうな視線は! 弟と妹の気を揉ませて、本当に反省しているのか!

 思わず手を止める。そうすれば、なぜか姉上は上気した頬のままこちらを向き、指の爪を噛んで言う。


「あの……」

「なんだ。弟妹の心配が伝わったか。この弟の、愛の鞭によって」

「…………」

「……どうした」

「…………………分か、りません」


 …………なにぃ?

 まさかの言葉に目を見張れば、彼女は顔を逸らして言った。


「反省も、まだ……その程度では。だから、あの、もう少し──あっ」

「許せ、姉上。これは姉上の今後を想うがゆえの処置なのだ」

「あ──はい……♡ 私の、ための……折檻……家族としての、営み……あぁんっ!♡」


 そうして俺は再び、姉の尻を涙ながらに叩き始めた。そんな姉上は顔を苦悶に歪めながらも、なにやら感じ入ったようにそれを受け入れている。

 ……そういえば。茶室で哺乳する際、言われるがまま彼女を叱った時にも、このような反応を示していたような……。

 いや、今は己で課した使命に従うべきだろう。俺もまた、悪魔祓いにでもなった気分だった。姉上の中に巣くう悪魔を、この手で追い払わなければ!


「くっ、姉上! 姉上!」

「はい、はい♡ 私、悪い子ですから……もっと、私が深く理解できるよう……い、痛くして、くださいまし……♡」

「姉上ぇ!」

「……なんか、そういうプレイになってない?」

「はぁ、はぁ……! 姉さんが、私の姉さんが、あんなに乱れて……!」

「と、刀花ちゃん、鼻息荒くしてスマホで撮影はどうかと……」

「あのあのっ! エリィは!? 元に戻るんですよねっ!?」


 そんな少女達の声も横に置いて。

 俺は大事な姉上が、こちらの愛情を"深く理解する"まで、その揺れるお尻を叩き続けるのだった……。

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