第494話「流れが変わったな」
「え~……急な話ではありますが、ペルフェクティオさんは本日付で転校することになりました」
判断が早い。
午後の授業最後の"ろんぐほーむるーむ"にて、我がクラス担任の若手女性教諭は、朝と同様困惑した顔のままそう告げた。
無論、教壇に立つ教諭その隣には、瑠璃色の瞳に浮かべた涙を指先でそっと拭うティアの姿がある。
「ぐすっ……皆様と過ごした日々、私決して忘れません!」
滞在時間、約六時間。
これで刻まれる思い出もなにも。俺が初日で辞めたバイトより短いのではなかろうか。ちなみにそのバイトは、ビニールに入れた小麦粉を密かに目標地点まで運ぶ安心安全な仕事だったのだが、妹に内容を話した途端「おクスリはダメです」と言われて辞めさせられたのだ。あれはどういう意味だったのだろうか……。
「ユ、ユースティアさん……」
俺の隣に座る綾女も深い困惑……いや、あやつの人間性を知ってしまっている分、呆れも多く混じった顔でその名を呼んでいた。この聖女はそういうことをする。
俺もまた白けた目で壇上を見ていれば、涙をちょちょぎらせる聖女は今日一日の思い出を美化し語っている。
「くすん……楽しかった英語の授業!」
バチカンの公用語はラテン語でありイタリア語も併用するようだが、ティアは英語も堪能なためそれは楽しかっただろうよ。独壇場でな。
「苦しかった、体育の授業!」
恐らく体力的な話ではなく、薄着になった十代女子の柔肌を垣間見て苦しかったのだと推察される。
俺を含む男子生徒もまたグラウンドに出ていたが、体操服を恥ずかしげに下へ引っ張る二十代女性の姿もなかなかあれで……ふむ。
「苦しかった、休み時間!」
どれだけ苦しかったのだ学園生活が。
いや……だがきっと、任務放棄の決定打となったのであろう我々との交流は、相当堪えた様子だった。溢れ出る若さの煌めきは、時に目の毒だ。俺も時々苦しくなる。
「苦しいことも多くありました。ですが同時に……かけがえのない青春を、私は味わうことができました!」
果たして年甲斐のない苦しみを、焼きそばパン一個でチャラにできるのか。甚だ疑問である。
そうしてティアは懸命に笑顔を浮かべ、締めの言葉を綴るのだった。
「皆様に、主の導きがあらんことを。あ、私まだ近くの教会にいますので、放課後よろしければボランティア活動に是非ご参加くださいね」
「じゃあ、解散。残りのゴールデンウィークも気を引き締めて過ごすようにね」
「あれ?」
担任が言葉を引き継ぐと同時に、終鈴が鳴る。
ゾロゾロと帰宅しだす生徒達にティアは目を丸くしているが、さもありなん。
現在、大型連休の中日。遊びたい盛りの子ども達なぞ、さっさと友人と合流して遊びに行きたいに決まっている。
そしてかく言う俺もまた、その一人である。キョロキョロするティアから早々に視線を切った俺は、机の横に提げていた軽い鞄を取り上げ、綾女に声をかけた。
「さて、行くか。今日は喫茶店の手伝いは無いのであろう? マスターや刀花とも合流し、たまには皆で街へ繰り出さないか」
「え、あ、そ、そう……だね? あ、橘さんは──」
『♡デート♡』
「あ、そうですか……」
朝に、帰りの遅い"彼"へ連絡を入れていたようだからな。どうやら今日は早い帰宅らしい。可愛い恋人の要望には即座に動く、なかなかやり手のようだ。
スキップして帰る橘のご機嫌な背中を見送った……まぁよい。友人との時間など、後でいくらでも取れよう。その幸せを見守るのも、良き友人の務めと心得る。
俺は一つ頷き、綾女の小さな手を引いた。
「では行こう。とりあえず、二人と合流を──」
「先゛生゛ぃぃぃぃぃ……!!」
ちっ、捕まったか。
綾女の手を取るこちらに、更なる手が絡み付いてきた。きちゃない泣き声と共に。何度でも言うが聖女の姿か? これが。
誰一人別れを告げてくれないぼっち聖女は、こちらの腕に縋りつきながら涙目で喚く。
「ここは別れを惜しむ場面では!?」
「数時間のみの邂逅に、惜しむ別れもない。こちらとしてはただ日常に戻るだけよ」
「今優しくしてくれたら、私『キュンっ』てしちゃうこと請け合いですが?」
「俺は悪鬼で天邪鬼でな。そう言われるとしたくなくなる」
「殺生なぁ~~~~~!」
腰に抱き付いてきて邪魔なことこの上ないが、ズルズルと引き摺って廊下を征く。周囲から奇異な目で見られているが、この者はもう学園生ではなく、俺もまた醜聞を気にする性質でもない。無視して帰ろう。
少し距離を空けて歩く綾女を連れ階段を降り、下駄箱で靴を履き替え、校門へ赴く。そこにはもちろん、こちらを待っていてくれる二つの影があった。
一方は豪奢な金髪を靡かせ。一方は活発な黒髪ポニーテールを風に遊ばせて。
通り過ぎる男子生徒達の視線を二人占めする少女達は、こちらの気配に気付き笑顔でパッと顔を上げた。
……その顔は、こちらの腰に縋る成人女性を見て若干の曇りを見せてしまったが。
その筆頭たるリゼットが、紅い瞳を細めてそれについて言及する。
「なにそれ」
「知らん。最早俺達とはなんの関わりもない、バチカンの一般成人聖女だ」
「ただの不審者ってこと?」
「そうだ」
「違いますぅ~~~! キラキラした青春の一ページを飾った、元級友の聖女ですぅ~~!」
「物の捉え方がポジティブ過ぎる……」
これが光属性の者か。陰の者であるご主人様がおののいているではないか。
そんな前のめりな姿勢を見せる聖女は、こちらを見上げながらグイグイと服の裾を引っ張ってきた。
「ですがまだワンチャンス! 気になるあの子が帰っちゃう前に呼び止め、伝説の木の下で告白すればなんとお付き合いできるイベントが発生するとかなんとか!」
「とき○モの発売ってワンピ○スの連載より古いらしいわね」
「ごふっ……こ、ここにはないんですか? 伝説の木の下とか! 伝説の木の下とか!」
「──呼びましたか?」
「どちら様です!?」
横合いから唐突に現れるのはツナギを着た初老の男性。その者に、綾女はペコリと頭を下げる。
「あ、
「この女を、木下氏に預ける……」
「そ、そうかい? 迷子?」
セーラー服のコスプレをした成人女性相手に「迷子か」とは懐が深い。俺もこのような歳の取り方をしたいものだ。
そうして猫の背を摘まむようにしてティアを差し出そうとすれば……しかし聖女は途端に背筋を伸ばし、木下氏にしゃなりと礼をしてみせる。
「いつもお勤め、ありがとうございます木下様。あなた様の細やかなお気遣いのおかげで、今日も子ども達が元気に日常を過ごせているのですから」
「はは、そう言われるとなんだか照れてしまいますね……でも、ありがとう」
「いえいえそんな」
さて、帰るか。
世間体を取り繕う爽やか聖女様(笑)を尻目に、俺達は暮れなずむ街へ遊びに──、
「待゛っ゛て゛!!」
「ちっ」
追い付いてきた。事務室で茶でもしばいておればいいものを。
既に校門を出て両手にご主人様と妹がいる中、ティアは斜め後ろから服の裾を摘まんでニコリと笑いかける。
「それで、どこ行きます? カラオケ? ボウリング? それともサ○ゼでお別れ会とか!?」
「せっかくならもう少しいいお店を挙げなさいよ……」
「おっとマスター。いくらマスターといえど、サ○ゼを馬鹿にすること罷りならんぞ」
「そうですそうです、リゼットさん! あんなに安価でお腹いっぱいに食べられるとこ、私知りませんもん!」
「ご、ごめんなさい……? え、なんで私が責められてるの」
「……うちも食べ放題メニューとか検討しようかな?」
唐突に反旗を翻す酒上兄妹に、リゼットは戸惑いつつも謝罪し、綾女は看板娘としてお店の改善案を視野に入れている……。
「……とりあえず、姉上にも声をかけダンデライオンで一服するか」
『賛成~』
「いぇーい! 甘いもの大好き~!」
この顔ぶれでのいつもの流れを演じる中、そこに笑顔でズケズケと踏み込んでくるこの女はメンタルが強靭過ぎる。
最早引き剥がせぬと諦めた俺は、はしゃぐ聖女を努めて無視してスマホを取る。姉上へ連絡を取るためだ。
「……む?」
だが、姉上から応答は無かった。寝ているのか、それとも茶室で最近購入した琴の稽古でもしているのか……姉上の爪弾く雅な音色が、俺は好きだ。
姉上の"ぷらいべーと"を邪魔するのも悪い。そう思ってスマホをポケットに仕舞っていれば……こちらの裾を摘まんだままのティアが「あっ、そうだ」と声を上げ、もう一方の手でちょいちょいとどこぞの方角を指す。
「この辺にぃ、お茶菓子の美味しい教会あるらしいですよ。行きませんか?」
「行かん」
話を聞いていなかったのか。喫茶店に行くと言っているだろう。この女の拠点にでも連れ込まれれば、勧誘の嵐に遭うこと間違いなしである。
「まだ勧誘を諦めていないのか。学生はもう辞めただろう」
「楽しい部分は楽しんだのでそっちはもういいかなと! きっと主も許してくださいます」
「主は許しても上司が許さんのではないか」
「大丈夫ですよぉ。私、最強ですので。なんなら最後に勧誘成功すればそれでお釣りがきますから!」
「オリチャー発動するRTA走者見てるみたい」
リゼットが白い目でそう所感を述べているが、よく分からない。
だがその声につられたのか、ティアはリゼット達をも巻き込もうとする。
「吸血鬼様もどうですか? たまには信仰の先を変えられては」
「安い信仰ね……そもそも吸血鬼に信じる神もなにも無いから。私が信じるのは私と、ガチャの"単発教"だけだし」
「妹様は!」
「私は既に"血の繋がったお兄ちゃん大好き教"に入信してますので!」
「邪教じゃないの」
「薄野様!」
「わ、私は~……えっと、こ、コーヒー党なので~……」
「全滅……!?」
俺の王達は既になんらかに属しているらしい。綾女はちょっと違うようだが。
だがこの対応は正解だ。宗教家にほんの少しでも隙を見せれば、奴等はワニのように食い付いてくる。下手すれば年単位で勧誘してくるぞ。俺にも経験がある。
全員にすげなく断られたティアは、またも年甲斐なく涙目でボソボソと言っていた。
「どうして……や、やっぱり、私が二十代の痛いコスプレ女だからですか……」
「それはあまり関係ないだろう」
散々若さについて弄った後に言うのもなんだが、はっきり言って二十代などまだまだ若い。晩婚化が進む昨今、むしろ食べ頃ですらあろう。
女子高生と諸々を比べてヘコむのも分かるがな。だが男女関係においてのみ言えば、二十代であることなどむしろプラス要素でしかない。そもそも女子高生と恋仲にあり、あまつさえ結婚の話をする方が頭がおかしいのだ俺は頭がおかしかった……?
俺は十八歳だ……誰がなんと言おうと俺は十八歳なのだ……と心の中で念仏のように唱えていれば、俺の迂闊な物言いにティアがパァっと顔を輝かせている。
「そんな、先生……♡ 実は私の制服姿にときめいていただなんて。もう、先生ったらツンデレなのですから」
言っていない。ツンデレでもない。
だが二十代女性のセーラー服姿に滾りを覚えなかったのかと問われれば嘘になる。倒錯的な格好に恥じらう姿……それと特に白タイツがいい。言えばご主人様からどのような折檻を受けるか分からんので言わんが。
とにかく、無双の戦鬼は既に五等分されているのだ。外国を本拠地とする悪魔祓いにかかずらう暇もない。
「諦めろ」
「じゃあレンタル! レンタル制でいいですから! どなたに許可を取れば?」
「私ね、却下するけど。もしくは五千兆ドル払いなさい」
「私です! でもレンタル兄さんはなんかエッチな感じがするのでダメです!」
「一応私も、かなぁ……? でも臨時とはいえ公務員は基本的に副業禁止なので……」
「どうしろと言うのですか……!」
諦めろと言っているだろう。俺の王達が「否」と言っているのだ。聖剣と付き合いのある貴様ならば、担い手の言葉がどれほど重いか理解できよう。
俺という道具を手元に置きたがる少女達に愛おしさを覚えていれば、ティアは白金色の頭を抱えている。話は終わりだ。さっさと聖剣と共にバチカンに帰り、任務失敗の報告をし──、
「あっ、実は今、教会でブライダルフェアやってるんですよ。試食会とかドレスの試着とか。ちょっと寄っていきません?」
「「「じゃあ、ちょっとだけ」」」
流れが変わったな。
「ま、まぁ? あまり頭ごなしに拒否をするのも貴族の誇りにもとるし?」
「むふー、ご馳走の試食……! そして一足早い兄さんとの挙式……!」
「よ、予習……予習は大事、だよ、ね?」
我が王達は陥落した。
そう……乙女の憧れは、止められぬのだ。
ダンデライオンに向かっていた足が、そのまま教会へと舵を切り始める。
俺が何も言えぬままきゃあきゃあと姦しくする三人に追従するのを見て、ティアがひょっこりと顔を覗かせて言った。
「まぁまぁ、いいではないですか。皆様の将来には必要なことですし! なんでしたら本番の時も呼んでくださればプラン組みますよ?」
「ふん……そちらを懸念しているのではない」
「おや?」
少女達のウェディングドレスはむしろ見たい。
だが、この先には──、
「聖剣がいるだろう。あれはうるさくてかなわん」
「エリィですか?」
意外そうな響きで首を傾げているが、俺は少々憂鬱である。
「……刀剣にも色々あるのだ。言ってしまえば、意思ある名刀、名剣にはそれとなく守るべき礼節がな」
例として挙げられるのは……"
実際、二君に仕えたがる刀剣はそうそういない。ましてや他剣から己の主君に粉をかけられるなど許しがたい。まぁ俺は世界一の妖刀であるため、複数の王に仕える器と懐の深さがあるのであってな?
ゆえ、あの規則に厳しい聖剣は、最初から俺に厳しいわけなのだ。俺がティアの誘いを断る理由の大部分もここにある。
「あの口うるさい聖剣と二本差しされるなど、ゾッとせん話だ」
「えー? 聖剣と妖刀の二刀流ってロマンありません?」
謂わば、犬猿の仲というのも生温い。光と闇が合わさったところで反発し合うだけよ。
あれを帯剣していなかったからこそ、今日は相手をしていたのだ。だというのにティアはのほほんと笑っている。
「大丈夫ですよぉ。きっとエリィも分かってくれますって」
「どうだかな……」
「あ、ほら、あそこですあそこです」
むしろこうして懐き度合いが上がったティアを見て、脳を破壊された奴が発狂する可能性の方が高い。知っているぞ、これが寝取られというやつだな? また昨夜のようにドンパチする覚悟だけは決めておくべきだろう。
両手にリゼットと刀花。服の裾を摘まむ背後のティア。そしてその後ろに全員を見守るようにしながら歩く綾女を連れて、我々はゾロゾロと教会の敷地内へと入っていく。
この辺りでは一番広い敷地を持つ教会だ。門から建物までも距離がある。赤レンガの彩りが目に鮮やかな敷地内には、信徒と思われる周辺住民も散見されるため争い事にはそう発展はせんかもしれん。
──だが、
「ん……」
……教会に勤める者が、異教の悪魔にも等しい無双の戦鬼を敵視するのは分かる。聖女と肩を並べている事実も含めてな。
だが……どうも妙だ。日々の務めを果たす神父や修道女が俺に向けてくる視線、その色。それが嫌悪や怨恨のみであれば、まだ理解できる。
(これは……諦観と、強い恐怖か)
どうしたことか、周囲からそんな感情のこもった視線を向けられている。昨夜に聖女と聖剣を撃退した事実が、此奴等にそれほど強い感情を与えたのか?
一言で言ってしまえば、ここの職員は深く絶望している。日本に住んでいるのならば、戦鬼の恐ろしさを実感するのも今更であろうが……?
「ん~……? こほん。さて、まずは軽くお茶しながらドレスのカタログでも眺めましょうか。エリィ、エリィ~! 戻りましたよ~!」
そんな空気に歴戦の剣姫もピクリと眉を上げるが、とりあえずは己の得物を呼び戻そうとする。平時であれそうでなかれ、武器は大事だ。
本堂にでも待機しているのだろう、その名を呼びながら、ティアは教会内に繋がる扉を両手で押す。
「エリィ~?」
ガコン……と重苦しい音を響かせながら、その木扉は夕日を内側へと取り込んでいく。
血の色を思わせるか細い光は、敷かれた紅いカーペット、年季を感じさせる多くの長椅子、信徒を長年見守ってきたステンドグラスを照らし──、
「──クス、クスクスクス……」
「っ!?」
掲げられた巨大な十字架の下で嗤う、
──悪魔のような少女の姿をも暴き出した。
柳のようにしなやかな黒い長髪。三日月形に歪められる紅い唇。古い井戸底を思わせる黒瞳は、愉悦に歪められたままに。
「ね、姉さん……?」
神の存在すら唾棄せんと祭壇に腰かける少女──酒上鞘花は口許を着物の袖で隠し、妹の声に視線を上げた。
「クスクス……時間通りでしたね。そう、時間通り。ゆえ、もう全て"終わって"いますよ」
「え──」
いったい、何が"終わった"のか。
それは……彼女の足元に少し目をやるだけで知れた。他の神父や修道女が何に絶望していたのかすらも。
「──鞘花、様。なんなりと、ご命令、を」
「な……あ……?」
そこには──、
「……エ、エリィ……!?」
これまでと意匠の異なる黒のドレスに身を包み、譫言のように新しい主へ忠誠の言葉を並べながら……、
「クスクス……良い子」
その足に頬擦りをする、聖剣の姿が、あった。いや、あの禍々しいオーラは最早聖剣と呼べるものではなく……。
リゼットや刀花、綾女も黙して目を見張る中、俺もまたその惨状に対し呻く。
「……ぬぅ」
これは、また……。
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