第326話「ラップは浮気に入ります」



 ランチタイムも無事に終わり、お客様の足が少し途絶えてきた頃……その間隙を縫うようにして、来店を告げるベルの音が再び鳴り響いた。

 ちょうどフロアに出ていた私、薄野綾女はいそいそとエプロンを直し……って、ありゃ?


「こんにちは~」

「二人、お願いね」


 そこにはとてもよく見知った顔。リゼットちゃんと刀花ちゃんが笑顔で手を振っていた。


「いらっしゃいませ、二人……とも?」


 嬉しい来客に声を弾ませ……ふと、その姿を探してしまう。二人といつも一緒にいるはずの、彼の姿を。

 そんな私の様子に気付いたのか、リゼットちゃんが「ああ」と少し意地悪するように笑った。


「ジンはいないわよ。ちょっと留守番を任せているの。……あなたにとっては残念なことだったかしらね?」

「へっ、い、いやいや! そんなことないよ? ただ、珍しいなぁって思っただけで!」

「クス、ごめんなさいね二人だけで。でも……楽しめるとは思うわよ」

「う、うん……?」


 不思議なことを言うリゼットちゃんを疑問に思いながらも、二人掛けのお席へご案内する。

 そうしてテキパキとお水とお手拭きを運んでいると……なんだろう、二人が身を寄せ合ってスマホの画面を見ている。話題の動画でも見てるのかな。たまに友達から「これ見てみて!」って来るよね。


「お待たせしました。ご注文がお決まりでしたら──」

「あ、私はダージリンのミルク。ホットでお願いするわ」

「私はこっちのケーキセットでお願いします!」

「ふふ、はーい♪」


 慣れた様子で注文をしてくれる二人に微笑ましくなりながら、私は伝票に注文を記載し……うん?

 今、スマホの画面がチラッと見えたんだけど……これって……。


「……刃君?」

「ええ」


 なんでもないように頷くリゼットちゃんが、こちらにも見やすいようにスマホを傾けてくれる。

 そこには、おそらくお屋敷の自室であろう場所でジッとしている、私のクラスメイト君が映っていた。

 えっ、と……これは……?


「……動画、かな?」

「ペットカメラを仕掛けてみたの」


 ペ ッ ト カ メ ラ を 、

 仕 掛 け て み た の 。


 そっかー……仕掛けちゃったかー……。


「はいご注文どうもごゆっくり~。あやちゃんは休憩入っちゃっていいわよ~」


 その言葉のインパクトに思わず固まっていると、お母さんが伝票を私の手からヒョイッと抜き取っていってしまった。そんなところで気を遣ってくれなくていいんだけど……!

 他のお客様もいない手前、手持ち無沙汰になっていると、リゼットちゃんが今一度私を見てクスリと笑う。


「見るでしょう、あなたも?」

「そ、そもそも……どうして?」

「素行調査、ならびに浮気調査よ。ホワイトデーでもちょっと怪しかったし? 最近アイドルとも密会を重ねて調子に乗ってるし? まぁ、私も自分の眷属を疑いたくはないんだけど? 信じるためにするっていうか?」


 それはつまり全然信じていないってことなんじゃ……。

 私は頬をヒクつかせ、お母さんの持ってきてくれたケーキをニコニコ顔でパクつく彼の肉親にも声を掛けてみた。


「えっと、刀花ちゃん的にはいいのかな……? 隠しカメラとか……」

「私は最初から兄さんを信じていますので! ですが兄さんが一人でお屋敷にいる時、何をしているのかは気になります! きっと妹の衣服を持ち出してスーハースーハーしているであろうことは想像に難くないのですが!」


 難いんじゃないかな……そもそも刃君って、そういうことは当人がいる目の前でやると思うよ。主にからかうために。なんならお正月に私やられたしっ!

 うーんでも、これはさすがに……。


「立派な盗撮じゃ……」

「自分の家映して何が盗撮なの」

「報道の自由ですよ、綾女さん」


 法律は家庭に入らずってこういうことを言うのかな……公共の場以外での盗撮立件は難しい……。


「で、でもでも、刃君だって男の子だし……もし、ほら、お、女の子が近くにいる時じゃできないことをやりだしたら……」

「……ちょっと何言ってるか分からないわね」

「絶好のシャッターチャンスじゃないですか?」


 リゼットちゃんは赤くなった顔を背け、刀花ちゃんは琥珀色の瞳をキラキラさせる。

 この二人……! 万一そういう絵になったとしても、あとで“使う”気だっ……! だめだめぇ!


「ち、ちなみに、お風呂とかおトイレとかにはさすがに仕掛けてないよね……?」

「し、してないわよそんなの!」

「………………」


 わ、私は見ました! リゼットちゃんが憤慨する横で、刀花ちゃんが目を逸らしたのを私は、み、見ました!

 これは……いけないことだよ!


「わ、分かったよ。私は刃君のプライベートを守るため、あえて見守ります。二人がイケナイ瞬間をスクショしないためにっ」

「なんだかんだ言ってあなたも見るんじゃないの」

「綾女さんって、むっつりさんなんですか?」


 違います!!!!

 お客様相手に大きな声を出すわけにはいかないので内心で否定しつつ、私も二人に身を寄せる。他のお客様がいたらこうはできないけど……まさか二人とも、この時間を狙って……?

 そんな邪推をしながら覗き込むスマホには、自室で寛ぐ刃君が映っていて……うーん……?


「……動かないね」

「お屋敷のお片付けやお掃除は事前に済ませておきましたので、完全に兄さんのプライベートタイムのはずなのですが~……?」


 ジッと、刃君は動かない。

 刃君のお部屋も、二人の部屋と同じで洋室の造りだ。だけど彼はソファや高いテーブルを好まないのか、赤い絨毯の上に紫色の座布団とちゃぶ台を置いている。

 そうして彼は大きめの座布団に胡座をかき、腕を組んで前を見続けている。視線の先にあるテレビが映っているわけでもないのに。


「これは……何か考え事でもしてるのかな?」

「兄さんフリークである妹には分かります。これは瞑想……妹と紡ぐ幸せな未来に想いを馳せている顔ですねきっと……」

「真顔で?」


 ……動物園にいる、ハシビロコウを見てるみたい。


「あ、欠伸した。ふふ、刃君かわい♪」

「寝たらつまらないんだけど」


 リゼットちゃんは刃君に不貞行為をしていて欲しいのかな~……?


「あっ」


 と不安になっていた矢先、刃君が立ち上がる!


「窓辺に行きましたね」


 刀花ちゃんの言うとおり、刃君は窓辺に歩みを寄せる。ちなみにその付近には、刃君の宝物コーナーがあるんだけど……あ、手に取った。


「……磨いてるね」

「磨いてるわね」


 リゼットちゃんが贈った血液製の薔薇、刀花ちゃんが贈った刀台。それらをちゃぶ台に置いた彼は再び座布団にドッカと座り、油の染み込んだ布で丁寧に磨きだした。

 大胆不敵な彼にしては繊細なその手つきからして、大事にされているのが一目で分かる。宝物を見つめる眼差しも、どこか優しい。


「ふふ、愛されてるね二人とも」

「ま、まぁ、当然ねっ?」

「むふー、兄さんったら!」


 二人とも、贈り物が大切にされているのを見て嬉しそう。刃君も、ピカピカになった宝物を前に満足そうに頷いている。愛だねぇ……。


「お?」


 ほっこりしていれば、刃君は更に何か和服の袖をから取り出し……あ、私がクリスマスにあげた単語帳!


『……』


 それをじっと見つめる刃君。べ、勉強をするのかなー……?


『あや……』


 いやギュッと胸に抱き締めるための物じゃないんだよそれは! それはあくまで進学に役立つアイテムであってですね! というかこれ音声もあるんだ!


『……まだ、あやの香りが残っている』


 私そんなにくさいかな!? は、恥ずかしいからやめてぇー!


「大丈夫よ、アヤメ。この子の嗅覚がHENTAIなだけだから。でもまぁとりあえず、浮気ポイントプラス一ね」


 これ浮気なんだ……ごめんね刃君、私のせいで……私のせいかなぁ……?

 反応に困っている間にも、刃君は宝物をひとしきり愛で、窓辺のスペースへ丁寧に戻した。


「……」


 そうしてまた座布団の上で動かなくなる刃君。

 なんだか心配になっちゃうなぁ。そろそろ三時のおやつの時間だよ? 食べていいんだよ? お座りを命令されたままのワンちゃんじゃないんだからさ。

 まるでお母さんにでもなったかのような心地で彼を見つめていれば、彼は再びのっそりと動き、自室を出て行った。何か摘まむのかな?

 リゼットちゃんがスマホをタップすると、お屋敷の大階段をのしのしと下りている刃君が映る。あ、刃君モコモコのスリッパ履いてる。こういうちょっとした生活感が見えるの、ちょっとドキドキするかも……。


(もし一緒に進学して、シェアルームするんだったら……)


 お揃いのスリッパとか、カップとか買っちゃったりして……な、なんちゃって……えへへ……。

 勝手に一人でポヤポヤとしていれば、刃君は手慣れた様子で冷蔵庫から何かを取り出し、自室へと戻る。ちゃぶ台に置いたこれは……!


「昼から、お酒……!!」


 ダメ人間ムーブ!

 いや、うん……お休みだから……休日に何しようが人の勝手だから……うん。まぁ二十四時間眷属業務を課してるリゼットちゃんは不服そうだけど。

 おっと、ここで刃君、更に動きます。テレビを点けて……なんと、DVDを挿入! 刃君って機械苦手なのにDVD見れるんだ!(失礼)

 意外に思っていると、刃君は座布団にゆっくりと腰を下ろし、再生ボタンを押す。何を見るのかな。も、もしかして……!


「エ、エッチなやつかな……!?」

「もしそうならここからオーダーで殺すわ」

「兄妹モノなら許してあげてください。妹の身体でいまだ性欲を発散できない、私の教育の不甲斐なさが招いたことなのですから……!」


 刀花ちゃん、世間的に兄妹でのエッチは推奨されてないのですが……って、わ、始まっちゃう!

 あわわ、どうしよう。本当にエッチなものだったら、私は年長者として二人の目と耳を塞いで私だけが内容の検閲を──!


『いえーい! ガーネットちゃんのことが大好きなロリコンの皆見てるぅ~? 今日はぁ、このドームでぇ……ライブをしちゃいたいと思いまぁ~す!』


 あ、吉良坂先輩の公演映像だねこれ……それも活動休止直前のやつだから、結構なお宝DVDだ。先輩から譲ってもらったのかな? よかったぁ普通のDVDで……。

 そうしてしばらく、在りし日の大人気アイドルを見ながらお酒とおつまみを嗜む刃君がスマホに映り続ける。


「……まるで中年の自堕落な午後ね」


 言っちゃダメだよリゼットちゃん!


「ん?」


 でも、なんだか刃君のお口が小さく動いているような? 先輩の曲に合わせてなんか言ってる?


『FLY!』(Hi!!)

『“はい”……』

『SKY!』(HIGH!!)

『“はい”……』


 コールアンドレスポンスの練習してる……!

 刃君、ライブ行くつもりなんだね……たまに先輩とも会ってるみたいだから、きっとチケットも特別席のを貰って……あー、いや、どうかな。先輩って天邪鬼だから、あえて刃君にはチケットあげてなさそう。「特別扱いなんてしてやんねー」とか言って。うん、言ってそう……でもお部屋に招く時点で特別扱いなんだよね……。


「これも浮気ね」

「これは浮気ですねぇ……」

「えぇ……」


 浮気なんだこれも……厳しいね。私は別にいいと思うんだけどー……お付き合いすると、また違うのかなぁ……なんて。


『む』


 お?

 杯を傾けていた刃君が、おもむろに停止ボタンを押し、和服の袖をガサゴソする。その様子から察するに、着信かな?

 でも彼に連絡をするような子は、ほぼここに集結している。リゼットちゃん、刀花ちゃん、私。

 となるとだいたい消去法で……、


『もしもし』

『YO! YO! お仕事前の準備は万全! 見てみな時計を遅刻寸前! トップアイドルの命は風前! 遅れくれくれ送っておくれ。遅れるあたしを送っておくれ! Say ho~~! チュクチュク、ちぇけ!!』


 ここからでも聞こえてくるご機嫌なこのライムは吉良坂先輩ですね……遅刻しそうなのに、さすがの余裕だ。ダメですよ先輩?

 そしてそれを耳にした刃君は肩を一定のリズムで揺らして……えっ!?


「声聞くたびに想いが炎上。胸の高鳴りその名は恋情。お前が困れば俺、即参上」


 フ リ ー ス タ イ ル バ ト ル !!


『適応してくるお前なんなん? でも助かるぜお前を賛嘆。あげるお礼は……ぎんなぁ~ん(ねっとり)』


 銀杏ってこの季節あったっけ……。


「メッセージ性もクソも無いリリックね……」

「刃君ラップできるんだ……」

「むふー、兄さんは昔、短歌やってましたからね!」


 韻文ってそういう……平安生まれってすごい。


「浮気ポイント、十点追加ね」


 そしてラップは浮気になるんだ……まぁ昔の人は歌を送り合って愛を伝えたって聞くし……そういうことなのかなぁ……ちょっと素敵かも?

 現代に蘇った日本の愛情表現を前に感銘(?)を受けている間にも、刃君は電話を切り、ピッと指で空を斬る。

 するとパックリと空間が裂け、先輩のマンションへの道を開いた。刃君って影に溶けたり、普通に跳んだり、こうして空間を裂いたりと移動手段豊富だよね。使い分ける意味とかあるのかな。

 そうして彼は敷居を跨ぐようにしてその割れ目へと一歩踏み出し……あっ。


『邪魔するぞ──おっと』

『ぎゃあー!? デュラハンーー!?』


 途中で空間が閉じちゃって、彼の首が切断されちゃった……う、グロい……この手段は一緒にできないわけだね……。

 コロコロと、部屋に置き去りにされた刃君の頭部が寂しく揺れる。うへぇ……ん?


『……』


 ねぇ、なんか……。


『……』


 ──こっち、見てない?


『──』


 そしてなんか口動いてないかな。思わず三人で顔を寄せて、解読しようとする。

 なに、『い……あ……』ううん、違う。『み』?


「……」


      ミ     タ     ナ 


「ひっ」


 その意味に気付いた瞬間、背筋がゾッとする。

 そしてスマホが唐突に真っ暗になり──!


「──覗き見とは、感心しないな」

「「「ごめんなさーーーーい!!!」」」


 すぐ耳許で囁かれた、いつの間にか後ろに立っていた彼のその声に、私達三人は飛び上がって咄嗟に謝るのだった。こ、怖かった……。


 うん、隠し事はよくないよね……お互いに。ごめんなさい。

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