第325話「惚れ薬になんて、絶対に負けない……!」



「なーなー、だ~ぁりん♡」

「む?」


 おそらく日本全国の男性が聞けばそれだけで昇天するであろう、砂糖と蜂蜜をぶちまけたかのような甘ったるい声色がタワマンの一室に響く。

 撮影終わりの遅い夕飯。それを共に平らげた後の洗い物をする俺の脇に立ち、ウルウルとした上目遣いでこちらを見上げるのは我等が一番星、吉良坂柘榴ガーネットである。

 そうしてどこかキャピキャピした雰囲気を纏わせる彼女は、こちらに向かってねだるようにして「はいっ☆」と両手を差し出すのだった。


「……?」


 ……はて。


「……」

「いや皿洗いの手伝いを申し出てんじゃねーんだわ──じゃなくて……ないんだぞ☆ もうもう☆」


 水の滴る皿を渡せば、秒で突き返された。それくらいはしてくれてもバチは当たらんと思うが……まぁよいだろう。アイドルとしての仕事がどれほどその小さな身体に負担となるか、俺には判断できぬがゆえに。

 復活祝いの全国ツアー中とはいえ、次のライブ会場が押さえられるまでのこの期間、細々とした仕事が次々と舞い込んできている。人気アイドルに暇無しだ。

 彼女の心労のほどを慮りながら、フキフキと二人分の食器の水分を拭う。その間にも、またしてもガーネットは妙な口調……いやいつも通りか? そんな判断に困る口調で両手を出す。


「んもう、焦らしちゃだーめ♡ 分かってるくせにぃ♪ ガーネットちゃん、ずっと待ってるんだゾ☆」

「むぅ……?」


 なんぞ、渡し忘れているものでもあったか?

 彼女の旧自室に積まれていた魔道書は全て持ってきた。彼女の母である瑠璃ラピスラズリ嬢 (アラフォー)から預かった菓子も渡した。綾女の母君から「お店に飾りたいからサイン貰ってきて!」と頼まれた落款入り色紙も回収済み。

 いかんな、さっぱりと分からん。この妖刀、契約事を忘れるなどそうそう無いはずなのだが……。

 首を捻る俺に、ガーネットも焦れたのか可愛らしく「プクゥっ☆」と頬を膨らませる。

 そして咎めるようにこちらの脇腹を指でツンツンして、彼女はその答えを示すのだった。


「だぁりんったらぁ、忘れんぼさん♡ 期待してるんだゾ☆ ──ホ・ワ・イ・ト・デ・ぇ♡♡♡」

「……む?」


 ホワイトデー、だと?


「いや。そもそもチョコを貰っていないのだから、その用意などないぞ」

「ホワイトデーゥァア゛ーッ!!」

「お゛う゛っ」


 奇声と共に、左目に洗い立てのフォークを突き立てられた。痛いゾ。


「青龍でさえ傷一つ付けられぬ我が瞳を」

「誰だよ。つかおい、用意してないってマジ? あたしちゃんが最近ソワソワしてたでしょうが!」

「貰っていないものの返礼を期待されてもな」

「はぁ~~~???」


 スポンと目から抜いたフォークを洗い直していると、ガーネットはとても不満げに透明度の高いピンク色の瞳を細める。


「……ただろうが……」

「なに?」

「チョコより甘いあたしのファーストチュッチュあげただろうがッッッ!!」

「なるほど」


 それがチョコの代わりになるのかは知らんが、とりあえずそういったふざけた言い回しをしないと恥じらいが上回るのであろう、頬の赤みを隠しきれずに叫ぶガーネットを堪能しておく。ついでにからかう。


「だがチョコは貰っておらんからなぁ」

「は? ……すぞ……」

「言葉の刃を突き立てるアイドルとは」

「いやぁん、ガーネットちゃん~、大好きなファンに暴言なんて吐かないお☆ 今のはぁ『かますぞ』って言ったんだゾ♡」


 この前練習していた“杖の先から殺人光線を出す魔術”でもかましてくれるのだろうか。


「ちなみに、リゼットちゃんとかには渡したんけ?」

「当然、きちんとチョコを貰っておるからな」

「は、ハーレム内差別だ……! 下僕の分際で女を囲って位付けするクソ野郎がここにいるぞー!」

「ほう? その口ぶり……ようやく俺だけのおんなとなる決心がついたのか?」

「言ってませんー。トップアイドルを簡単にハーレム入りさせられると思うなよなー。だからもっとあたしのご機嫌を取れよなー、うりうり」


 グリグリと脇腹に肘鉄を受けながら、その言に頷く。つまりはそういうことらしい。

 自分だけお返しを貰ってないのは気に食わない、と。自分は“はーれむ”とやらに入っていないが愛は欲しい、と。

 なんとも、いじらしい乙女心よなァ? 恋する乙女というのは、かくも強欲で可愛らしい。むしろそうでなくてはならん。

 うむうむ、と頷く横でガーネットが暴れている。


「やーだーやーだー! ガーネットもお返しほちぃ~! ほちぃの~~~! オギャアアアア! オンギャアアアア!! パオーーーン(!?)」

「……」


 ジタバタと床を転げ回る十八歳の女性にして社会人。努めてこの様相も可愛いのだと、飲み下す。飲み下したぞ俺は。カワイイ、ガーネットカワイイ……。


「分かった、分かったから暴れるな埃が舞う。誰が留守中に掃除をしていると思っている」

「ル〇バだろ。え、まさか……刃、おまいだったのか。床を掃いたり脱ぎ散らかした服をいつも片したりしてくれていたのは……。最近のル〇バって高性能になったのなーってビビってたけども、謎は全て解けたぜ! 母ちゃんの名にかけて!」

「で、何が欲しいのだ」

「お、マジでくれんの?」


 現金なもので、先程の痴態など無かったかのようにシュタッと立ち上がり彼女は瞳を煌めかせる。


「やりぃ~、ねだってみるもんだね。おぉっと、だからといって『俺の口付けがお返しだぜハニーベイベー真夏の太陽』って感じでこっちに迫ってくるのは無しだかんなこのナルシスト野郎」

「うるさい女だ」

「ひゃっ──あー! こいつ! こいつ性懲りも無くアイドルにデコチューしましたぁー! 見ましたか皆さん!? いや見られてたらやべーわ! そもそも付き合ってもいねぇ男女がチューしていいのはギャルゲーか乙女ゲーの世界だけだぞー! いーけないんだーいけないんだー! はいもう国連に連絡したからな。ガーネットちゃんの貞操保護法に背いた裁きを神妙に待つがよいよ、ギルティ☆」


 相変わらずビックリ箱のような女だ。もしくは蜂の巣。一突きすれば百の反撃が返ってくる。だが照れ隠しが多分に入り混じっているため、どうしても憎めないのだな。


「だがあまりに騒がしいと塞ぐぞ、その唇を」

「あーン? やれるもんならやってみろや俺様ハーレムおもしろ倒置法ヤローが調子こいてんじゃ──んっ♡」

「……」

「……な、なんだヨ……」


 ……こうした時に、一瞬でしおらしくなるのはあまりに可憐なためやめて欲しい。ついこれ以上を求めてしまいそうだ。


「して、何が欲しいのかと聞いている」

「あ、ああ、それな?」


 シンクに流れる水を止め、いつも通りの空気に戻す。

 手を拭いていれば、ガーネットは「コホン」と咳払いをし、隣室に繋がる扉を開ける。

 その奥にはもちろん、魔法使いや魔術師が薬を調合する際に好んで使う魔女の大釜が、炎に炙られ鎮座している。ピンク色の煙をモヤモヤと漂わせながら。


「ぶっちゃけ、調合の手伝いをして欲しいんだよね。主に材料の確保を」

「……その部屋は片付けんのか? 先日、後輩に見られていただろうに」

「オメーが不法侵入してくる時にこの部屋の結界も斬っちまったから開けられたんだよバカチン」


 ああ、そうだったのか。これは失敬。


「だが、材料の確保だと?」

「そ。だってだって、刃ってば異世界にも道を繋げられるっしょ? したらば、こっちの世界にはもう無い材料も確保できるってことじゃん?」


 随分とウキウキした様子で、ガーネットは「変身!」と叫んで黒のローブと帽子を身に纏う。そうしてはためくローブの影から、見るからに年代物な魔道書を一冊取り出した。


「へっへっへ、この伝説級の魔道書にさぁ、色々面白そうな薬のレシピが書かれてんだよねぇ。やっぱ魔法使いたるもの、手が届くなら知識欲は満たしたくなるじゃん?」

「なるほどな。ちなみにどういった薬なのだ?」

「んっとねー、魔力が三千倍になる薬とかぁ、ドラゴンに変身できる薬とかぁ……まぁこのへんはどうでもいいか。これ! これを試したいんだよね!」

「む?」


 共に魔道書を覗き込む。手入れの行き届いたピカピカの爪が示すその項目とは……?


「……健康になる薬?」


 ……なんだそれは。

 その安直な項目を目にし、首を傾げる。


「その辺の薬局にでも行けば手に入りそうなものだが」

「ばっか、お前。伝説級の魔道書に書かれてる項目ぞ? 絶対にやべー効き目があるんだって!」

「そもそも、必要が?」

「そりゃもう。マジで“完全な健康を作り上げる”んだったら、アイドルの味方じゃん? どんだけ忙しくても肌荒れとか隈とか気にしなくて良くなるなんてもうサイコー! 時短時短!」


 なるほど、らしい理由だ。仕事熱心でどんな時でもアイドルたらんとするその姿、眩しく映るぞ。

 ならばこの戦鬼、協力せんわけにもいくまいて。


「承知。材料を提供すればいいのだな?」

「お、やってくれる? やぁん、だぁりん大好き~☆」


 掻き混ぜ棒片手に投げキッスをしてくれる。戦鬼、嬉しい。

 彼女のファンサービスにポヤポヤしていれば、ガーネットはペラペラとページを捲って必要な材料を読み上げる。


「えーと、んじゃあ……まずユニコーンの角」

「ヒヒーン」

「お前が変身するのか……てっきり別世界から取ってくるもんかと……」


 幻獣に変身し、角を用意していればガーネットがツッコミを入れる。別にその方向でも構わないが……いいのか?


「大人しくしろ駄馬風情が」

『うおぉ誰だ貴様!? 俺がこの地域の信仰を一手に担う神の使い魔と知っての無礼──あ、やめて! 俺のご立派な一本角をどうする気なのイヤーー!!』

「あたしが悪かったから、元の世界に帰しておやり……」


 生きた材料を仕入れるとはつまりこういうことになる。これが食育か……。

 暴れる馬を再び斬り裂いた空間に放り投げ、変身した俺から材料を採取する方向で行く。


「えー、右に三回、左に五回半鍋を攪拌……そしてマンドラゴラの根っこに──」

「そら」

「人魚の涙を四滴」

「血も涙も無いこの俺に泣けと?」

「目潰し!」


 泣いた。

 その間にも、調合が上手くいっているのか薬の色も透き通ったものとなっていく。液体がそこに在るのか、疑わしいほどだ。


「ふ~んふふ~ん♪ 順調順調。つーか、こうして幻の材料をホイホイ用意できるんなら、魔法使い・魔術師界隈からボロ儲けできたんじゃねぇの? 貧困生活に甘んじなくても」

「闇の深さはつまり信用の深さだ。出所の分からぬ材料に飛びつくほど、裏の商人というのは馬鹿ではない」

「なーる、ツテが必要だった訳ね。君は信用が築けるほど人ができてないもんなぁ! ガハハ」

「放っておけ」


 そうして雑談を交わしていると……おや?

 先程まで透明だった液体が、にわかに色づき始める。けったいなピンク色に。


「合っているのか、この色は」

「あるぇ~? っかしいなぁ。魔道書によれば透明なままで、そっから掻き回しながら数時間煮込み続けるはずなんだけど」


 まさかその作業、元から俺にやらせるつもりではなかっただろうな。

 じっとりと湿った目を向ければ、彼女は魔女帽子をずらして頭をポリポリとかく。そうしてそのまま魔道書をパラパラと捲った。


「おーん? つってもだいぶ古い魔道書だし結構複雑な手法も書かれてるから……あ、やっべ。必要なのユニコーンの角じゃなくてバイコーンの角だったわ」

「そうか」


 失敗だな。

 ではこの魔法薬はどうなる……む?


「じー……」

「な、何見て……う?」


 妙だな……おかしい。どう見ても……。


(ガーネットが、色っぽい……)


 ずっと熱した鍋を掻き混ぜていたからか、冬だというのに汗をかき、つるりとしたおでこにピンク色の髪の毛が幾筋か張り付いている。ローブの留め金の奥にチラリと見える、汗ばんだ鎖骨も艶めかしい。

 なぜだ。つうっと額から流れ、彼女の細い首筋を伝う汗から目が離せない。

 いつの間にか部屋にピンク色の瘴気が充満する中で、互いにゴクリと喉を鳴らす。おそらく彼女も、我が肉体を見て興奮している。これは一体……?

 首を捻っていれば、ガーネットが気まずそうに笑ってページを指差す。


「あー……これ、ほら。一ページにすっげぇみっちりと派生形が書かれてんだけど……ユニコーンの角を入れた場合は、魅惑の薬になるんだって」


 貴様ら魔法使いはすぐに惚れ薬に走るな。そういう生き物なのか?


「つか、なんでお前に効いてんだよ。無双の戦鬼様は毒が効かねぇんじゃねぇの?」

「危険な薬品ならばいち早く気付けるよう、我が機巧を弄り耐性を下げておいたのだ」

「その優しさが憎い!」


 そうして……完成した。伝説の惚れ薬が。

 釜一杯の、とてもまろやかそうに揺蕩う薬品を前に、ガーネットは途方に暮れる。


「……どうする、これ?」

「乾杯するか?」

「誰がそんな貞操チキンレースするんだよ」


 ゲシゲシと脛を蹴られる。しかし、彼女もこの瘴気に当てられているのか、あまり力が入っていない。


「……モジモジ」


 だが、やはり彼女も年頃の乙女。そして知識欲旺盛な魔法使いとくれば……チラリチラリと、上目遣いでこちらを見る。


「……数滴だけ、飲んでみね?」

「どれくらいが適量なのだ」

「希釈せず原液でいけるみたいだから、そう強い効き目ではない……はず」


 そうして彼女は、トプリと試験管のような器具に薬品を掬う。

 それをこちらに手渡しながら、魔法使いは念を押すように言い含める。


「……数滴だぞ?」

「ああ」

「全部飲むなよ? 目が覚めたら二人して裸でベッドに並んでましたってオチは許されねぇからな!? これR15だからな!?」

「分かっている分かっている。耐性は上げておく」

「じゃあ……乾杯」


 チン、と試験管を鳴らし、グイッと煽る。ああしまった全部飲んでしまった。

 数滴しか飲まなかったガーネットから白い目を向けられるが……さて、効能のほどは……。


「……」

「……」


 ……何か変わったか?


「どうだ?」

「……特に何も。あれ、マジで失敗? ここまできてそれはつまんねーぞ……」


 ガリガリと頭をかくガーネット。その芸人魂には敬意を表する。


「あっ。ははーん、さては……」

「何か分かったのか?」


 ピンときた、と言わんばかりのドヤ顔を晒すガーネット。

 そうして名探偵と化した魔法使いは、指を立てて得意気に推理を披露した。


「これって惚れ薬なわけじゃん? でもぉ……あたし達って、言っちまえば相思相愛なわけじゃん? つーことはぁ……『これ以上の好感度は意味がありません! 最初からラブラブだから効きませ~ん!』っていうバカップル的なオチなんだよきっと! ちょぉもぉやだぁ~もう馬鹿じゃねぇのだぁりんったらぁ~、きゃあきゃあ!」

「──効能は三十分ほどで発現する、と書いてあるではないか」

「ッ! ッッ!!」


 痛い。恥ずかしさのあまり無言の暴力に走るな。


 ……そうして三十分後。


「ん、ちゅっ……ばかぁ……♡ 数滴……数滴って言ったじゃん……口移しで飲ませるなんてぇ……卑怯者ぉ……♡ ちゅっちゅっ♡」


 ものの見事に、調合に失敗して痛い目を見る魔法使いが出来上がってしまったのであった。

 ……俺は、役得であったが。

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