第324話「戦闘狂怖いぇ……」



「ああ、送ってしまいました……」


 和雑貨屋・式守、その地下に広がる陰陽局支部最奥の執務室にて。

 私、六条このははキリキリと痛み出すお腹を押さえながら、それはもう大きなため息をついた。

 近頃慢性的になってきた腹痛の原因……それは、今しがた本部へ送ってしまった定期報告の内容にある。ずっと考えたくない、考えたくないと思いながらも、支部長の責務として送らざるを得ない時期となってしまった、その内容は……、


「『無双の戦鬼が、来月の修学旅行で京都に行く』などと……うっ」


 クラっとした頭を、思わず椅子の背に預ける。

 これ私の責任? 私の責任問題になるんでしょうか!?

 京都を中心に、日本中の怪異を取りまとめる役割を担う裏の公務員・陰陽局。その支部は日本各地に散らばり、時に怪異と友好を結び、時に敵対する怪異を討滅する。

 国民の現代的な生活の安全と平和を守護すること。それこそが我等、現代にまで生き残った陰陽師に課せられた使命であり、仕事なのである。

 そして特にこの、無双の戦鬼が潜む地区はそれらの最前線と言っていい。

 腕の一振りで悉くを鏖殺する力を持つ、恐るべき悪鬼。かつて陰陽局が極秘で生み出してしまった、何をもってしても雪ぐべき汚点。

 それが潜む地区を担当するこの支部は、常に本部から鬼の討滅ないし、捕獲を義務付けられ、そのための戦力が虎視眈々と戦鬼の隙を窺う最前線であり、橋頭堡なのである……のですが!


「そんな正義の味方の本拠地に、よりにもよって安綱様が……」


 つまり私は今メールで、


『ごめんなさい、討滅も捕獲もできてない鬼がそっち行っちゃいます☆』


 と伝えたのだ。わあ、我ながらいい度胸をしておりますよねぇ!


「私、来年度は最悪ボーナス貰えんかもや……」


 故郷で私の仕送りを待っている両親、そして多くの弟妹達に内心で謝っておく。ごめんえ……。


「それもこれもあの兄ちゃ──こほん、安綱様がお鎮まりにならないからっ」


 あの方のご気性がせめて人間に友好的であれば……でしたらこんなことで頭を悩ませずに済みますのに!


「はぁ、今頃本部は大混乱でしょうか……もしかしたら、既に"四神ししん"の御身にまで知らせが──」

「──届いておるのう」

「ひぃっ!?」


 突如としてかけられたその声に、ビクゥっと身体を跳ね上げさせ、そのまま気を付けの姿勢を取る。

 そ、その古木のように渋みのあるお声はまさか!?


「せっ、青龍せいりゅう様!?」

「久しいな、六条の。去年の総会以来かの」


 彫りの深いお顔をくしゃりと歪ませ、しかし老いを感じさせぬ真っ直ぐな立ち姿で、こちらへ朗らかにお声をかけてくださるのは、まさしく京都の守護を担う"四神"が一柱……東の青龍様!

 ──陰陽局本部、そこには名のある陰陽師が多数在籍しているが……"四神"と呼ばれるその役職に就く陰陽師は、まさに別格の存在である。

 京都の中心には、陰陽局の象徴たる巫女姫様が在り、そのお方を守護するようにして"四神"の皆様がそれぞれ割り当てられた地区の守護を担っておられる。

 北の玄武げんぶ、南の朱雀すざく、西の白虎びゃっこ、そして目の前におられる……東の青龍。京都の守りは、この四方により守られていると言っても過言ではない。歴史ある都を怪異から守る、当代最強の陰陽師達。

 それが"四神"。そして中でも"青龍"は、特に戦闘能力が秀でた者が拝命される役職となっている。


(噂では、御前試合で他の四神をたった一人で撫で斬りにされたとか……)


 つまり今、私の目の前に現れたこの方は、陰陽局が誇る最強戦力。そんなお方が、単身でなぜここに……。

 緊張と圧迫感で声を出せずにいると、青龍様は朗らかな雰囲気のまま笑う。


「なに、楽にせい。別に視察などで来たわけでもないのでな。お主からの知らせを聞き、少し顔合わせでもと思うただけじゃ」

「それは安綱様……無双の戦鬼と?」

「うむ。あれとは何度か刃を交えたことがあるでの」


 青龍様はそう言って、チラリと自らの腰部分に視線をやる。浅葱色の和服、その袖の影に差した刀がカチャリと鳴いた。

 そうして何がおかしいのか、後ろで束ねた白髪を揺らし、青龍様は肩を震わせる。


「あれの相手は大変じゃろう」

「は、はい。おっしゃる通りで……」

わしもあれの顕現当時は四神として在籍しておったのじゃが、あと一歩のところであの阿呆どもの愚行を止められんかった……」


 後悔なさっているのか、細められた瞳の奥に悲しげな色が混ざる。

 戦鬼創造の儀は、当時陰陽局の暗部が秘密裏におこなっていた。それが完遂した今となっても陰陽局が鬼を生み出したという事実が秘匿されることから、もし四神のいずれかにこの儀式のことが事前に漏れていたら、暗部は武力によって止められていただろう。その命と引き換えにして。


「あれで全てが狂った……正義を見失う者もいた。あれに挑んで自信を喪失する者もいた。そして、なにより……巻き込まれた多くの者達も──」


 その時、


『──俺の妹を勝手に哀れむとは……随分と偉くなったものだな、老いぼれが』

「っ」


 お、お見えに……!

 夜の奥底から届くような声が響けば、部屋の隅に闇が集束していく。

 夜より深い衣、闇色の二本角も猛々しく。まるで人の手の及ばぬ夜闇が無理矢理人の形を象ったかのようなそれが、揺らめくように像を結ぶ。

 人間に仇なす存在として生を受けた、その存在の名は……無双の戦鬼、酒上刃──!

 人への怨嗟のみを瞳に乗せて、傲慢さを隠しもせずに悪鬼はこちらを睥睨する。


「妙な気配がすると思い来てみれば……クク、懐かしい顔だな"剣聖"?」

「もう名乗っておらんよその名では。鬼の角も折れぬ剣聖などではの」

「ふん、老いたな。十年の月日とは、人を枯れ木にするに充分な年月らしい。昔の貴様ならば、一言目を終える前にはこちらに斬りかかっ──」

「──ッッ!!」

「なっ!?」


 ……一瞬だった。私の驚愕の声が終わるよりもなお早く、音を越え。

 いや、一瞬と形容するのも生ぬるいほどの神速の刺突。果たしてその極致へ至るために、青龍様がどれだけのものを積み上げたのか……犠牲にしたのか。

 おおよそ鍛練とは呼べぬ、拷問とすら言っていいほどの責め苦を己に与えたのだろう。その傷跡が、捲れた袖から見える腕に刻まれている。きっと流れ出る血反吐すら、その色を失っていたことを容易に想像させる、ボロボロの腕。


「……」

 

 そして何よりも恐ろしいのは、今しがた刀を抜き、戦鬼へと振り抜いた青龍様の瞳に、なんの感情も乗っていないことだ。

 人間の行動には"起こり"というものがあり、何をするにしてもそこには予備動作と感情が乗るもの。この場合、動作ならば刀に手を掛けること、もしくは抜き放ちやすいよう左足を引くことか。

 そしてそこには"殺意"という強い感情が乗って然るべきである。そのはずだ……人間ならば。

 しかし──何も、無い。瞬きよりなお早く、青龍様は無心で戦鬼へと斬りかかった。

 その事実が、なにより恐ろしい。我々は民草を守護する使命を帯びた陰陽師である。その責務を果たすべく、我々の振るう術技や武器には感情が乗って然るべきなのだ。

 ──大切な者を守りたいという誇りが、想いが、決意が。

 だというのに、これはなんだ。今の一太刀に、そのようなものなど在りはしない。どこまでもそれらを"無駄"と廃し、敵を殺すことだけを追い求めた……温もりの一つもない、機械的な一閃。

 これでは……これでは、まるで同じではないか。求められるままに殺し、慈悲すら与えぬままに刀を振るう……目の前の鬼と何が違う!


(そんな……)


 敵の不意すら突かんとする冷徹な刃を振るうなど、そんなことが正義を胸にする陰陽師に許されるはずがない! かつて剣聖とまで謳われた者の放つそんな刃が、誇りある刀であるものか!


「──」


 武器を取り相対する者の、その最低限の尊厳すら踏みにじる刃。それも最大の単体戦力を誇る、青龍様の神速の一閃。どのような怪異であろうと、これを受ければ首が跳ぶ。跳ばなければ……もう、人間という種には何も残されていない。


 ……だからこそ。


「狸めが」

「……っ」


 歪んで笑う鬼の髪一本すら揺らせぬ時、人類は敗北を認めなければならないのか。

 あらゆる防護が施された壁が悉くひび割れた。壺が割れた。書類も舞い散った。それほどの衝撃が、青龍様の太刀と共に放たれたのだ。

 だというのに……この鬼は……この、鬼は……!


「……目すら、貫けんか」


 青龍様の、どこか無念そうな呟きが全てを物語っていた。

 安綱様の左目が、事も無げにその切っ先を無傷で受け止めている。

 人間にとっての急所。それもどう足掻いたところで鍛えることのできぬ箇所……目。そしてその奥に繋がる脳。

 青龍様は神速の刺突でその目から蝶形骨を貫き、安綱様の脳を破壊して殺害するつもりだったのだろう。諸人であれば、何が起きたかも分からぬ間にその命を散らしたはずだ。


 ──カタカタカタカタ……。


 安綱様の目と接した刀が、音を立てて震える。

 抜き放った姿勢のままの青龍様が力を入れているわけではない。ましてや感情すら廃した青龍様が震えるわけがない。


「……誰に向けて刃を立てている」


 悪鬼のその一言で、震えがさらに大きくなる。

 ──刀自身が、恐怖しているのだ。

 魂を持たぬはずの物体が、恐ろしさに身を竦ませているという異常事態。

 ……最凶の武具である童子切安綱に、ただの鋼風情が敵うはずもないということの証左であった。おそらく銃を撃ったところで、弾自体が戦鬼を避けて通るだろう。その身を恐怖で彩って。

 触れれば斬れる……そんな当たり前の理屈ですら、この戦鬼の前では膝を折る。道具としての格が、違いすぎるのだ……。

 パリン、と。まるでガラス細工のごとく、青龍様の刀が砕け散る。恐ろしい鬼に触れ続けるよりも、自害する方がマシであるとでも言うように。


「……」

「……」


 無手になった青龍様。安綱様は来た時と同じく腕を組んだままで、その手に武器の類いは無い。

 沈黙が降り、果たして安綱様の怒りがどのような形で発露してしまうのか。そうなる前に、私はすぐ助けを求められるようリゼット様と刀花様に連絡を──、


「うーん、負けじゃ! 降参!」


 しようとしたところで、青龍様がくしゃりと笑い、両手を上げたのだった。えっ……。

 すると安綱様も、軽く力を抜くようにして鼻息を鳴らした。


「……ふん、気は済んだか」

「まったく、やっとれんよ。儂とお前さんではすこぶる相性が悪い。"武具の一切が通じぬ"などと……剣士から刀を取り上げるなというに。この刀も、自信作だったんじゃぞ?」

「内包する歴史の厚みが違うのよ。いくら外を硬く打ったところで、中身が空洞ではそうもなる。そこらの名刀でも借り受けてくれば、また違った結果となったかもしれんぞ?」

「十年前に儂の"虎徹"をぶち壊しておいてよく言うわ。また打ち直しじゃわい」


 えっ、と……?

 まるで気心の知れた友人のように、安綱様と青龍様が先程の感想戦をしておられるのですが……これは、私はどういったテンションで対応すればよいのでしょう……。

 二人して吹き飛んだテーブルとソファを直し、相対するようにドカッと座り込む。その様相を横目に見ながら、私はテキパキとお茶を淹れた。この居心地の悪い空間を少しでもよくするために! そうでもしないとやっていられませぬ!


「おう、すまんの六条の」

「い、いえ……粗茶ですが」

「まずい」

「無理にお飲みにならなくて結構ですぅ~~~!!」


 青龍様は「甘露、甘露」と仰ってくださいますのにこの悪鬼は! って、はっ!? さすがにいつもの雰囲気を四神が一柱にお見せするのはまずいのでは! 最悪、共謀しているものと思われ即解雇!?


「あ、いえ、これは別に、私は安綱様とは不倶戴天の敵同士で……!」

「何を言う、このは。いつものように我が胸にて甘えてくるがよい」

「そ~ん~な~こ~と~し~た~こ~と~あ~り~ま~せ~ん~~~~!!!」


 何を言うとんの、こん鬼は!?

 私が真っ赤になって眉を逆立てていると、青龍様は好々爺と呼ぶに相応しい雰囲気で呵呵と笑う。


「よくしてくれておるようだの。六条を推薦して正解であった」

「え、青龍様直々の申し出であったのですか!?」


 知られざる人事に目を見開いていると、安綱様が忌々しげに舌打ちをした。


「青龍は陰陽局のことならば大方のことは熟知している。俺が歴代の支部長を返り討ちにしておった頃、こやつは童子切安綱おれに縁のある血脈や、それに能う力を持つ者を探し回り……結果、貴様を見出だしたのだ」

「それだけではないぞ。お主はなんだかんだ少女という生き物に弱いからの。打ってつけであった」

「阿呆が。俺にそのような性質など無い」


 無かったら私がいまだこの地位に収まっている説明がつきませぬが……。


「戯れだ。こやつは未熟で扱いやすい、それだけのことよ……む、なんだその顔は」

「……別に、なんでもないえっ」


 プイッと顔を背ける。口だけだと分かってはいますが……にいちゃんのあほっ。あとでリゼット様と刀花様に叱っていただきますからね!


「って、ではなく! わ、我々の在籍する支部は、全霊をもって戦鬼討伐に日々当たっております!」


 もうなにもかも遅い気がするが、せめてもの抵抗にそう付け加えておく。

 しかし遥か上に立つ上司であるはずの青龍様は、変わらず笑ったままなのであった。


「よいよい。儂も今日はお忍びで来たのじゃ。それにそうせねば、陰陽局最大戦力である青龍が、戦鬼に手も足も出なかったなどと記録せねばならん。"あのような一撃を放った"などということも、な」

「は、はい……承知いたしました」

「ふん、組織勤めというのも煩わしそうなものだな。体面、というやつか」

「儂らは暴力集団ではないからの。振るう刀にも、秩序がなければならんのじゃよ」


 つまり先程の青龍様は……陰陽局四神・青龍としてではなく、一人の武人としての意地を貫くために……。


「かかっ、これでダメならもうダメじゃの! まったくあやつら、とんでもない負の遺産を遺しおって!」

「クク、それにしては楽しそうではないか」

「……この歳になると、どうも衰えが目に見えて出てくるものでの」

「はっ、笑わせるな。数年前とは見違えたぞ青龍」

「……カカカ」

「!?」


 安綱様の、そのどこか挑発するような言葉に、青龍様がこれまでとは異なる笑みを浮かべる。

 好々爺のような朗らかなものではなく……瞳の奥に鋭い剣気を宿した、残忍とも取れる酷薄とした笑みを。


「──ああ、だから感謝してるぜ。おかげでこの老いぼれも、呑気に衰えてなどいられねぇ。貴様が現れてからというもの、日々鈍った刃が研ぎ澄まされていくようでよ……」

「ク、ハハハ……抜かせ、今すぐ引退に追い込んでやろうか」

「カカカ……あと数年だ。あと数年あれば貴様の素っ首、叩き斬ってみせる!」

「大きく出たな! やってみろ死に損ないが!」

「人の手で生み出したのだ、人の手で終わらせるのが道理ってもんだろうが? なぁ悪鬼よ!」

「ククク……」

「カカカ……」

「「ハーーーハハハハハハハ!!!」」


 私この空間にもう一秒たりともいたくないのですがっ!

 怖いよぉ……この人達怖いえぇ! 根っからの戦狂いとはこの方達のことでございますぅ!

 ひえぇ、本部では四神の知恵袋とか、相談役とか言われておられた青龍様ですのに……まさかこんなギラついた気性をお持ちだったとは……今度出張で本部に訪れた時、平静を装えるかどうかもう私は自信がありません……。

 ひとしきり笑い合う戦闘狂の方々を、私は白目を剥いてやり過ごす。これは非公式、非公式の場……私の記憶からも消します……でないと一人でトイレ行かれへん……。


「さて、挨拶も済んだ。京都の意向は伝わったであろう、我々はお主を決して歓迎できぬ立場にあるとな。では儂は本部に戻る。お主が来るまでに、せめて若造共を鍛えねばならんでの」

「若造共?」


 お茶を一気飲みした青龍様が、袖をたなびかせて立ち上がる。それを見上げながら、安綱様が聞き返した。


「他の四神か?」

「お主が数年前に本部を襲撃してから、幾人か辞めおったでの。おかげで今の四神は平均年齢爆下がりじゃ。ジジイの居場所がないわい」


 そうして青龍様は肩を竦めながらも、決して穏やかではない口調で、安綱様に言い含めるのだった。


「……いずれも曲者揃いよ。学生ごっこを楽しみたいのならば、下手な行動は慎むのじゃぞ」

「ハ、ハハハ……こちらの台詞だ、たわけめが。旅行中、俺にとって面白くないことを一つでもしてみるがいい。貴様らの愛する者から順に殺していってやろう。目の前でな」

「……カカ」

「……ハハハ」


 笑いどころだったのですか今のは……?

 常人には理解できぬ笑いを交換し、来た時と同じように一瞬でお二方は姿を消した。


「……修学旅行先での不祥事は、四神の方々の責任ですよね?」


 私は同行しないので、責任はそちらにあると思います! 部下の不祥事は上司の責任と、社会で定められておりますれば!

 絶対に穏当な旅行にならない。私はそう確信して、カレンダーとにらめっこをするのでした。

 来月は絶対、京都に出張は入れません! 私、まだ命が惜しいので!

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