第323話「やっぱり男って勝手な生き物なのよ!!」



金井かねいさん! た、対応お願いします!」

「──」


 来たわね。

 このジュエリーショップで私の名前が呼ばれる時は、主に二種類のお客様がご来店なさった時だ。

 一つは、ジュエリーアドバイザーの資格を持つ私でしか手がけられないような、高度な仕事をお求めのお客様。宝石の逸話や由来、歴史を大事になさるお客様のお相手は、新人にはまだ荷が重い。

 私、金井万里かねいまりは、奥の事務所から数々の宝石が並ぶ店内へと足を踏み入れながら、内心で獰猛な笑みを浮かべる。さっきの若手社員の助けを求める声色からして、私に相手をして欲しい客層など予想できるというもの。

 先に挙げたものとは違う……問題である“もう一つ”の方だ。

 その、もう一つとは──、


「いらっしゃいませ、お客様。本日はどういった商品をお求めでしょう?」

「うむ──」


 ──無茶な注文を要求するお客様、もしくは現実を知らなさそうな若くて困ったちゃんなカップルである。


 そのお客様達の前でしゃなりと礼をしながら、チラリとその身なりを観察する。一組の男女カップルだ。

 まず声を上げるのは、男性の方。気合いを入れてきたのか謎の暗い和服姿。しかつめらしく顎に手なんて当てて、低い声で要求をこちらへと突きつける。


「結婚指輪を見に来た。この店で一番の商品と、一番の店員を出してくれ」


 要求の質が幼稚すぎる……私が呼ばれるわけね。

 思わず出てしまいそうになるため息をグッと堪えながら「それでしたら、ジュエリーアドバイザー一級を持つわたくしめが僭越ながら」と謙ると、その男は「ほう……?」と試すような目つきでこちらをじぃっと見る。断りの言葉がないことから、とりあえずはこちらに付き合う気であるらしい。


(まったく……)


 辟易とする。

 確かに、結婚指輪や婚約指輪なんて用意する機会、人生にはそうそう無い。だからこそ大事にしたい、一番のものを手に入れたいと思うのは理解できる。むしろ当然だろうということも。

 しかし! 値段じゃないのよ愛ってもんはねぇ!

 なぁ~にがこのお店で一番の商品を、よ。それは愛ではなく見栄というものなのよ若いの。

 あなたがここで言うべき言葉は「彼女に一番似合うものを」だった。それを値段しか見られないようじゃあねぇ! 先は短いわねぇ!

 心の内でハンッと笑いながら、私はもう一方の女性を見る。こんな男を選んでしまった、哀れな女性の方を。


「むふー、綺麗なキラキラがいっぱい……迷っちゃいますね!」


 いや若っ! 心のフレッシュさとかの問題じゃなく、見た目が若っ!

 え、なに? どう見ても十代……いえ、それどころか下手したら高校生くらいにしか見えないのだけど!?

 化粧すら必要ないほどの張りと艶を備えた肌に、キューティクルたっぷりの黒髪ポニーテール。そして居並ぶ宝石にも負けない、夢見心地なその笑顔は、まさに汚れた社会を知らぬ十代乙女の特権! まぶしっ!?


「兄さん兄さん、本当にどれでもいいんですか?」


 兄さん!?


「ああ、いいとも。先日の一件もあり、せめて指輪をと俺が思ったのだ。これは俺のワガママであるからして」

「ふふ、ふふふ……♪ 兄さん、大好きですっ」

「俺もだ」


 な に こ の 人 達 。

 男の腕に、満面の笑みで抱きつく女の子。そしてそれを鷹揚に受け入れる男性のテンションについていけない。


「……」


 それに、この世全ての幸せを手に入れているかのような二人の様子に、幸福感よりまず不信感が募る。身なりも年齢も、明らかに普通じゃない。


(新手の結婚詐欺……?)


 そうかもしれない。

 女の子が発した「兄さん」という呼称。これはあれでは? 昔から問題視され続けている“パパ活”の類いなのでは? “兄活”?

 男の方に最初は不穏なものを感じ取ったけど、実はこっちの方が逆に搾り取られようとしている側なのでは──、


「えへへぇ……一度は霧の中に隠れてしまった、兄さんと私の愛。それがついに今、像を結ぼうとしているんですねっ!」


 いやないわ。

 もう瞳がキラッキラしてて、これが相手を騙そうとしてる演技なら、もう騙される方が悪いわ。アカ〇ミー賞あげちゃうわ。


(ということは……)


 ただの夢見がちな若者カップルってこと? 若さに身を任せて突き進もうとする生意気青春キッズってことかしら。

 そうなると……、


(大人の現実ってのを、教えてあげないとねぇ……?)


 こちらに来る前にも浮かべていた獰猛な笑みを、もう一度心の内で浮かべる。

 そう、私がお客様の対応を任されるのは、最近は主にこういう時。


 ──浅はかな考えで結婚しようとする若者に、現実を知らしめてやる時よぉ!


 これまで撃退した若いカップルは数知れず。結婚ってのは若さだけで手に入れられるような軽々しいもんじゃないの! 一時の勢いではなく、じっくりと二人の将来を見据えて話を進めるものなの! 生き急ぐだけの青二才には、結婚なんてまだ早い!

 私が影でどう呼ばれているか知っている……? “シザーウーマン”よ。ほっそい絆なんてこの私が引き裂いてあげるわ!


「それでは、こちらにおかけください」


 こちらの思惑も知らずに、カップルは呑気にパーティションで区切られたテーブル席へ着く。ここは私のホーム……そして処刑場よ、あなた達のね。

 そうして書類を用意するフリをしながら、私は初球から全力で行く。死ぬがよいわ!


「まずご無礼を承知でお伺いさせていただきますが──ご予算の方は」


 勝ったわ。

 若者なんて、これ聞きゃ尻尾巻いて逃げ出すんだから。それも見栄っ張りな男なら特にね。見栄を張るためなら女に平気で嘘すら吐く男なら、特にねぇ!

 どうせ騙してるんでしょ。可愛い女の子を食いものにしようと、「俺って年収、兆あっからw」って普段からふかしてるんでしょう!? 化けの皮剥いでやるわ!


「ああ──」


 すると男性が、和服の袖から通帳を取り出し……、


「これで足りるか」

「!?」


 ポンと渡されて見た額は……ま、まぁまぁ。若者にしては持ってる方ね。ドヤ顔する額ではないけど。若者にしては──え、いや違う月収ヤバ。残額に気を取られてたけど入る量がヤバ。え、こわ。


「お、お勤めの方は……」

「詳しくは言えんが、朝六時からおおよそ夜の三時まで。休みは無いが、その分やり甲斐のある仕事だ」


 労働基準法って知ってる?

 得意気な顔してるけど、ドが付くほどのブラックだわ……ああ、だから目つきも悪いのね。二人の関係の先が短いどころか、老い先が短いから……ちょっと可哀想。


「え、えーっと、はい。これでしたらきっとご満足いただけるものを提供できるかと。婚約指輪ではなく、結婚指輪とのことでしたが……?」

「はいっ。婚約指輪はありませんが、私達は既に婚約しているようなものですので!」


 突っ走りすぎぃ!

 えぇ~? 逆に聞くけどあなたそれでいいのぉ~? 普段使いする結婚指輪より、婚約を迫られた時の甘酸っぱい雰囲気をいつでも思い出せる婚約指輪も、それはそれで捨てがたいものってもっぱらの評判なのよぉ~?


(若いわね……)


 この先走っている感じ。恋に恋するお年頃ってやつかしらね。結婚を一つのゴールだと思い込んでいる、若者特有の思考。

 でも違うの……結婚はゴールではなく、門出であり始まりなのよ! 待っているのは幸せだけではないの!

 当人同士の生活リズムや習慣、認識のズレは当然として、結婚となると当人だけの問題じゃないのよ。

 文字通り、家族が増えるの。数人から十数人の単位でね。ぶっちゃけて言えば、あなたは義母や義父のオムツを替えられるの? ってこと。

 結婚っていうのは当人と、その親に対して最後まで責任を負うということの宣誓なの。これから生まれてくる尊い命だって当然そう。

 親ならその親が死ぬまで。自分の子どもなら自分が死ぬまで、その人生に責任を持たなくちゃいけないのよ。数十年っていう、決して短くない時間の……責任を。

 そんな重い決断が必要とされる結婚という神聖な儀式を、若さだけを理由にされたら互いに不幸しか待っていないんじゃないの。

 お金はそこそこあるようだけど……その辺、ちゃんと分かってる? 分かってないでしょ。二言目には「結婚、結婚」って言ってるような頭お花畑なカップルにはね。


「えー、では、指輪のデザインについてですが、こちら既存のカタログもございますし、お二人だけの特別なデザインを象るサービスもございます」

「特注もできるんですか!?」


 ま、どうせ親に止められるか、長続きしないでしょう。二人だけで完結してるような世界じゃその内、拓けた世界の大きさに潰されるのは目に見えている。

 特注という言葉にワクワクしている少女だが、こちらはやはりデザイン料も付いて値段も割高となる。しかし今後の二人のことを考えて、デザインの意見は尊重しつつ、材質は安めで抑えられるようこちらで工夫してあげましょう。破産して共倒れなんて、後味悪いし。


「……」


 ──それに、丹精込めて作った指輪を質に流されるのなんて……もう嫌だし。


「それでは、お誕生日や、互いに好きなものなどを教えていただければ。デザインの参考にいたしますので」

「えーっとですねぇ」


 そうして当たり障りの無い質問をして、白紙の画用紙にアイデアを詰めていく。本来なら馴れ初めや印象的なエピソードも聞くところだが……まぁ、いいだろう。


「……こんなところでしょうか。いかがでしょう」

「おぉ~……!」


 そうして出来上がったラフを見せれば、女の子は歓声を上げる。……男の人の方は、表情が読めない。むしろデザインより、こっちを見ているような……?


「兄さん、兄さん! 特別な二人の愛の証ですよ!」

「ああ、そのようだな」


 女の子は嬉しげに、画用紙を持って男性の方に向けている。

 ……特別なもの。確かに特注ではあるけれど、デザイン自体はありふれたものだ。

 リングは何の変哲も無いシルバーの直線。嵌め込む宝石もお二人の誕生石であるダイヤモンドという安直なもの。

 無論、彼女達の意見を尊重してデザインは練った。だがこうしてシンプルにしなければ、値段は抑えられないのだ。


(拍子抜けして注文を取りやめてくれることも期待したけど……)


 これでいい。二人の幸せを思えば、今はここで無駄遣いすべきでは無い。身の程と社会を知って、また改めて自分達にとっての幸せを見つめ直してくれれば──、


「むふー……ふふふっ♪」

「……っ」


 だけど。

 だけど、女の子はとっても嬉しそうに、その画用紙を胸に抱く。既に宝石を手に入れているかのように。


「──私、今すっごく幸せです。だってだって、ずっと独りだった私に、家族としての証がまた一つ増えるんですから!」


 ……え?


「それは、どういう……」

「あ……」


 思わず聞き返せば「しまった」というように口に手を当てる女の子。聞かせるつもりはない話だったのだろう。

 そんな女の子は苦笑して、頬をポリポリとかいた。


「私と兄さんは、出会うまでずっと独りだったんです。私は施設で育ち、兄さんも生まれた時から天涯孤独の身で」

「っ」


 そんな。

 だって、そんなこと一言も……。


「出会ってから、本当の家族として暮らし始めました。はじめはギクシャクしていたかもしれませんが、それでも互いに必死に繋がりを求め合って……私達は、寂しがりでしたから」


 だから。

 だからこうして新たな繋がりを得ることは、何よりの幸せなのだと、女の子は言う。

 今まで過ごしてきた時間。そしてこれから過ごす時間を誓う、彼女にとっての宝物。


「ですから、ありがとうございます。こんなに素敵な指輪を描いてくださって」

「!?」


 満面の笑みが。素直な感謝の言葉が……痛く、胸に突き刺さる。


「兄さんも、これでいいですか?」

「刀花がそれでいいのなら、俺に否は無い」

「──っ」


 その胸のあまりの痛みに、咄嗟に声が出てこない。

 しかし目の前の二人はこちらの様子に気が付かず、幸せな未来を夢想する。


「えへぇ……どれくらいで完成するんですかね? もう今から待ちきれません!」

「クク、そう急くな。お楽しみというものは、ここぞという時に迎えるべきだろう」


 ──って……。


「お値段も手頃で、よかったですね!」

「愛は値段ではないとはいえ、相場を知らぬからなんとも言えんな」


 ──ま、って……。


「──幸せか、刀花?」

「はいっ。私、毎日着けて過ごしますね。それで幸せをもっともっと噛みしめるんです。兄さんと一緒に考えた、この幸せいっぱいの指輪で──」


 っっ!!


「待ってください!!!」

「わっ」

「……」


 気が付けば、絶叫にも似た声が、私の口から飛び出していた。泣き声だったかもしれない。

 ……私は、いったい何をしていたんだろう。


「もう一度……もう一度、デザインを考えさせていただけませんか……」

「え、でも──」

「お願いします……お願いします……!」


 急に何度も頭を下げ出す私に、女の子は困惑し、男は変わらず静かに目を細める。

 私は……私は自分が恥ずかしい。何が二人の幸せのためだ。

 確かにそれを願ったのは事実ではある。実際に、結婚指輪を嵌めてすぐに離婚をする者などザラにいるからだ。そんな愚か者達は何度もこの目で見てきた。

 投げ捨てる者。返品する者。そして……、


『幸せにするよ、万里』

「──」


 そして……質に流す者。甘い言葉で囁き、デザイン料も制作料もかすめ取っていった、最低の者。

 ああ……ああ、結局は……ここに行き着く。

 新たな家族としての“責任”だとか“義務”だとか。下らないご高説を垂れて……大人ぶったところで……。


(──嫉妬)


 それだけ。それだけなのだ。

 自分が得られなかったモノを、簡単に手に入れようとしている人達への……醜い感情。

 なにが心配だ。なにが配慮だ。確かにそれも見方としては一つの真実ではある。それもまた事実であるということを胸に、私は誇りを持って仕事をしていた。

 いや。しているつもりに……なっていた。

 いつの間にかその誇りは、ただの驕りに変わっていたのだと気付きもせずに。


「お願いします……! お願いします……!」


 それだけを呟く。

 あの笑顔で、私は思い出した。どうして私が、この仕事を目指したのかを。

 学生時代に、背伸びをして入店したジュエリーショップ。そこで同じように、結婚指輪について相談するカップルと店員さんを見た瞬間……私は進路を決めていた。

 ショーケースに並ぶネックレスより、イヤリングより、指輪より。


 ──その幸せそうなカップルと、店員さんの笑顔の方が、私の目にはどんな宝石よりも煌びやかに映ったから……。


 じゃあ、今の私は? あの日の小さな女の子が私を後ろから見た時、「こんな風になりたい」と心から言える?


(こんなんじゃ、ないでしょう……!)


 私の憧れた、あの風景は!! 美しかったはずでしょう、あの背中は!!

 悔し涙すら浮かべて、私は二人に頭を下げ続ける。

 償わせて欲しい。許して欲しい。そしてなにより……!


 ──もっと、幸せになって欲しい……!


 その想いを込めて、頭を下げた。今の私なら、誇りを持ってそれができるはずだからと。


「兄さん……」

「……」


 少女が「どうしましょう……?」と視線で問えば、男の方が射貫くような視線でこちらを見る。心の奥までも見通すような。

 思えば最初から、この男性はそんな目でこちらを見ていた。


「……」

「……」


 場に沈黙が満ちる。永遠とも思えるような緊張感のある時間は、しかし男の「ふん」という鼻息でかき消されたのだった。


「好きにしろ。だが、我が妹の指を飾るものに、手抜かりは許さん……今度こそ、な」

「っ、ありがとうございます……!」


 またも、勢いよく頭を下げる。今度は、感謝と共に。

 そうしてすぐさま、新しい画用紙をテーブルに広げた。

 どうか教えてください。あなた達のことを。出会いを。思い出を。たとえそれが些細なことでも。


「それでは、改めてお聞かせください」


 今度こそ──幸せを形に、してみせますから。





「──これで、いかがでしょうか」

「──」

「ほう……」


 緊張感と共に、完成したラフを見せる。こんなに緊張するのは、初めて私がデザインを担当した時以来だ。

 リングのシルバーは直線ではなく、流行を取り入れ美しい弧を描き、日本刀の反りの如く流麗に。

 嵌める宝石はダイヤをセンターストーンとし、サイドストーンに小さく琥珀とオニキスを埋め込んだ。この二人が互いを真剣に想い合っていることが話の端々に感じられたため、互いの象徴とでも言うべきカラーを、隣り合うようにして。

 その指輪を見るたび、二人の絆を何度でも感じられるように。


「……」


 新人のようにドキドキしながら、二人の顔色を少女のように窺う。

 男性は一つだけ吐息を漏らし、女の子は琥珀色の瞳をパチクリとさせ──、


「すっっっっっごく、素敵です!」

「──」


 そう、伝えてくれるのだった。


(ああ……)


 背中の少女が、笑った気がした。

 だから私も、きっと笑顔を浮かべているのだろう。浮かべられているのだろう。


(こんなにも……この仕事って、楽しかったっけ)


 楽しかった。

 ああでもないこうでもないと、頭を悩ませることが。お二人の身の上話を聞いて、デザインに落とし込むことが。お二人と意見を交わし合い、形の無い幸せという感情を象るその作業が。

 背伸びをして着けるイヤリングではなく、大人ぶって飾るネックレスでもなく、指輪でもなく。

 ──共に、幸せを形にできたというこの充実感こそが、ずっと私が追い求めていた宝石だった。


(どうして、忘れてたんだろう)


 裏切りがあった。悲しい部分が見えた。苦しい現実を知った。


「……」


 だからといって、他人を不幸に巻き込んでいいわけなんてないのにね?

 何も楽しんじゃいけないはずなんて、ないのにね?


「いかがでしょうか」

「これで! これでお願いします! ね、兄さん!」

「ああ」

「……当初のデザインよりも、値段は上がってしまいますが……」

「構わない。久しぶりに……良い仕事というものを、見せてもらったのでな」

「っ、ありがとう……ございます……」


 もう何回下げたかも分からない頭を下げる。こんな軽い頭に価値なんて無いだろうけど……そうしないと、涙を見られてしまいそうだったから。


「それでは、このデザインでご契約を?」

「はいっ」


 嬉しそうに返事をする女の子に、こちらも微笑ましくなりながら書類を用意する。しばらくの記入の後に、手続きは滞りなく完了した。

 そうしてレジで会計をし……退店しようとしていた女の子が、今一度こちらに振り返る。

 幸せを独り占めしたかのような、蕩ける笑顔で。


「ありがとうございました、店員さん。私達、幸せになりますねっ」

「──はい。ご利用、ありがとうございました」


 どうか末永く、お幸せに。

 その幸せに小さく携われたのでしたら、これ以上の幸福はありません。


「ありがとうございました!」

「では、また来る」


 そう言い残して、不思議なカップルは去って行った。その睦まじく寄り添う背中を見ていれば、二人の幸せを信じずにはいられない。どうして疑ってしまったのだろう。


「……いつの間にか、私の目の方が曇ってたみたい」

「か、金井さん? 大丈夫でしたか? すごく熱心だったみたいですけど……」

「うん?」


 自嘲して笑っていれば、私に仕事を振った若手が心配そうに隣で見上げてくる。

 ……新人教育も、やり直しかな。こんな恥ずかしい背中を見たところで、新人は真っ直ぐに育ってくれない。


「も、もしかして、本当に滅茶苦茶な注文をされたんじゃ!?」

「ふふ、そうね──」


 こちらの含んだ言葉に、新人が驚愕で顔を彩る。それとも、私が久しぶりに浮かべた笑みにだったかもしれない。


「──滅茶苦茶難しいわよ、この仕事はねっ」


 人の幸せに携わるのは。

 だからこそ──やり甲斐のある、楽しい仕事なのだ。


「……」


 ……それにしても。


(そういえばさっき、男の人が『また来る』って……)


 流れで言及しなかったけど、商品を受け取りに来るというニュアンスより、また利用するって感じの『また来る』だったような……。


(いやいや、気のせいよね)


 首を振って、心機一転。

 お客様の幸せに花を添えるため、今日も一日張り切っていきましょう!


 ……しかし、後日。


「ここね、トーカが何度も何度も何度も何度も自慢してきたお店は。ああ、店員さん? 私にも指輪を作ってちょうだいな」

「ああ、先日は世話になった。今回もまた特注で頼む」

「──」

「か、金井さーーーん!!??」


 先日の女の子とは、また別の女の子と共に現れた男性を見て、私は卒倒して救急車で運ばれるのだった。

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