第315話「朝は弱いのよ……頭もね」



 一時間目には体育を入れてはならないって法律、どうして施行されないのかしらね。国会さん?


「はぁ……」


 私、リゼット=ブルームフィールドは、年頃の女の子ひしめく女子更衣室で、自分のセーラー服に手を掛けながら重くため息をつく。視界は色とりどりの布地で溢れているのに、私の吐息は曇り空。その理由は様々だ。

 どうして寝惚けたまま苦労して着た制服を、登校してすぐに脱がなくちゃいけない時間割にしたのか、とか。朝っていう吸血鬼の苦手な時間にどうして運動しなくちゃいけないの、とか。朝食を食べたばかりで、運動したら横腹が痛くなっちゃうあの感覚が苦手、とか。

 ……統合すれば、結局『体育が嫌い』ということに収束してしまうわね、これ。

 うん。私、体育、嫌い。優雅じゃないし。朝から汗をかいてだばだば動くなんて高貴なレディのすることじゃないのよねぇ……。


「むふー、一時間目から体育! とっても気持ちのいい朝になりそうですね、リゼットさん!」

「……ソーネ」


 こういう時、私は隔たれた文化の差異を実感するわ。私の隣に立ち、琥珀色の瞳を煌めかせるトーカの顔を曇らせるのは忍びないから、否定はしないでおくけれど。

 感情のこもっていない相槌を打ちつつ、上着のチャックを下ろしていく。思考の片隅で考えるのは、授業内容についてだ。

 今日の種目はなんだったかしら……対戦競技なら、せめてトーカが同じチームか、それか対戦相手にならないことを祈る。そうなったら、とんでもない運動量に付き合わされちゃうから……大型犬の散歩をさせられている気分よ。この犬属性兄妹は本当に元気が有り余ってるんだから……。


「……」


 まぁでも?

 この時間は、そう悪いことばかりでもない。


「わー……ブルームフィールドさん、相変わらず肌綺麗~……!」

「ふふ、ありがとう」


 人前で肌をみだりに見せるのは恥ずかしいけれど、クラスメイトから浴びるその称賛は心地好い。

 長袖の上着を脱ぎ捨てたことで露になった肩や二の腕。それを間近で見たクラスメイトの女の子が、ほうっと熱いため息をつく。なにせ日本の鬼ですら絶賛するキメ細やかで真っ白な素肌だ。そう言ってくれないと、毎日のケアを施す苦労の甲斐がない。

 日本の学園には珍しい留学生であること。目の色、肌の色、髪の色すら異なる環境で、この時ばかりは私は注目の的になる。良い意味で。それがとても気持ちいいのだ。

 お正月にちょっぴり蓄えてしまった脂肪は勝手に燃えたし、先日油断してできてしまったニキビもとっくに解消済み。

 小柄で華奢ながらも、出るべきところはキチンと出て、引っ込むべきところは折れてしまうほど引き締まっている。お尻は……肉食な彼のことも考慮して、もう少し欲しいところだけれど、これでも充分許容範囲内。

 ふふ、この完璧な黄金率を体現する淑女ボディ……女の子すら頬を赤らめて目を背ける美しさ。私は自分が恐ろしいわね。うー、似せて産んでくださってありがとうございます、お母様!


「ふぅ……」


 上着を脱いだことで現れた、純白のキャミ。そのずれた肩紐と乱れた髪をさりげなく片手で直す仕草をすれば、にわかに更衣室の温度が上がる。ここで更に流し目なんかすれば、もう気絶する子も出るんじゃないかしら。

 でも、今はそこまでしない。それは、私の必殺技だから。彼……専用の。なんて……♡


「さて……」


 今日も充分、私のカリスマを周囲に知らしめられたし、もういいかしらね。さすがにスカートを脱ぐところまでじっくりと見られるのは乙女的にどうかと思うし。


「……」


 それに、そんな姿は、彼にしか……見せたくないし、ね。

 私は体操着である学園指定の白Tシャツを着てから、腰に大きめのタオルを巻く。これで周囲から、私の下着は見られない。オーケー。

 次第に散っていく視線を確認し、しばしの満足感と勝利の余韻に浸る。トーカもなかなかのモノを持っており、よく注目はされているけれど……私ほどではない。


「ふっ……」


 思わず笑みがこぼれる。

 やはり時代はバランス型なのよ。『全ての水準が高性能でなければ、器用貧乏の謗りは免れない』ってジンも言ってたし。ピーキー過ぎるのよ、あなた達兄妹の性能はね!

 隣でトーカも自分のセーラー服に手を掛ける気配を感じつつ、勝ち誇る。確かにそのFカップと太股は圧巻だけれど、過ぎたるは猶及ばざるが如しっていうか? そう、何事も加減を見極めていきたいものよね──、


「あ、間違えて兄さんのTシャツを着て来ちゃってましたぁ♪」


 またあなたはそうやってキワモノに走る……!!


「きゃあきゃあ! 刀花ちゃん、それ彼シャツってやつぅー?」

「やーん! ブカブカ萌え袖かわいー! ね、ね、写真撮っていい!?」


 は?

 ちょっと待って。は? いやいやいや。

 間違えないでしょ。確かにキャミソールじゃなくて普通のTシャツを下着の上に着てる子だっているけれど、兄のシャツと自分のシャツなんて一目瞭然で絶対間違えないでしょうが──!!


「くっ……!」


 いつの間にか紺のプリーツスカートも下ろし、誰もが思い描く彼シャツ(Tバージョン)姿の美少女となったトーカ。そしてそれをやんやと持て囃す周囲に、思わず歯噛みする。

 やってくれたわね、トーカ。純朴そうな顔をして、なかなかの策士よこれは。これは結構な“アピール”になる。

 まず、自分はデキた妹であるアピール。周囲の一部からも「アニキの服なんてよく着れるねー」と苦笑し、自分の兄を遠ざけようとする子がいる。やはり年頃の乙女は複雑なのだ。

 つまり、今のトーカは『自分達兄妹は、とっても仲良し!』と言っているも同然! 兄の服も洗濯機で一緒に洗えちゃう、可愛くそしてデキた妹!


「ぐぬぬ……」


 だけどやはり一番のアピールポイントは……その姿の生々しさだろう。

 こんな二次元でしか許されないような、あざとい姿。その長い袖は、彼女の細い手首の先すら覆い隠し、いわゆる“萌え袖”となっている。あざとい。その暴力的なバストは自分のものよりサイズが上であるはずのシャツすらパツパツに押し上げ、丈の長いワンピースほどになるはずの裾を太股まで縮めている。おかげで彼女の肉感的な太股が丸見えである。あざとい!

 そんな、あのピンクの魔法使いですらきっと人前ではしないだろうほぼコスプレめいた姿が、目の前にあるという現実。圧倒的同棲感と言ってもいい。

 つまり……見る者に想像の余地すら与える"生活感"とでも言うべきものが、視神経からガツンと脳を揺さぶる! 年頃の乙女に『男と生活している』という刺激の強い思考の余地がね! いえ男と言っても兄のことではあるのだけれど! でもトーカはガチだから……! それをこのクラスの女の子達は百も承知だから……!!


「むふー、兄さんのか・お・り♡」

「ゴクリ……!」


 ダブついて余った袖に鼻を寄せ、うっとりとその香りに酔いしれるトーカ。そんな彼女の姿を見て、外でこれなのだから、ではいったい自宅ではどのような営みがおこなわれているのかと、恋に恋する乙女達は夢想する。

 膝枕? ハグ? キス? ……もしかしたら、それ以上?

 トーカの振り撒く甘い雰囲気に、少女達は空想の翼を広げて色めき立つ。もはや、先程まで注目していた私など蚊帳の外である。

 私に向けるような憧れや信仰に近い感情よりも、同じ日本人でかつ、親しみやすい方へ少女達の共感が傾くのは道理というものだった。


「むむむむむぅ~……!」


 ぷくぅっと、頬が膨らむのを感じる。

 ……悔しい。女の子から注目されるのが……ではもちろんない。

 ジンとの仲が、私より良いと周囲に思われていそうなのが、なにより悔しい!

 私のだもの……学園でのジンは、私の恋人ものだものぉ!

 激しい嫉妬の炎が身を焦がす。しかし実際、トーカは別に私を嫉妬させようと思ってやっているわけではないだろう。ただ単に今日の気分が、ジンのTシャツを見て「これ着て登校したいなー」という気分だっただけで。……いやそれもどうかとは思うけれどね?

 だけど! こうして宣戦布告にも等しい見せ付けをされたら、英国貴族として黙ってはいられないわ! 投げ付けられた手袋は、瞬時に投げ返すのが私の王の気質よ!

 どうにかして、そのTシャツを奪いたい。だってジンは私のモノ。ならジンの持ち物だって私のモノなのだから。これは財産権の侵害に等しいわけ、オーケー?

 しかしこのTシャツを、トーカは手放しはしないだろう。一日中ずっと着て、彼の香りに包まれながら幸せな今日という一日を過ごし……むむむむぅ~!


「よいしょ」

「あらっ……?」


 だけど。

 予想に反して、トーカはそのTシャツさえ脱いで、ブラのみの姿となった。え、どうして? その上に冬用の指定ジャージを着るんじゃ……。


「むっふっふ、私の汗で兄さんの香りを上書きしてしまいかねませんからね……大切に、大切に着ないと……」


 いやすごい“らしい”理由だったわ。

 だらしのない笑みでそんな理由をこぼすトーカは、そのまま自分の体操着をテキパキと着て、ルンルンな足取りで更衣室を出て行った。他の子達も着替え終え、ゾロゾロとその後に続く。もうじきに、始業のチャイムが鳴るのだ。


「……ふむ」


 ……ここしかなくない?

 私は残った最後の一人に「あ、少しお腹が痛くなってきちゃって。先生にもそう言っておいて?」と伝えてからその背中を見送る。

 よし、完璧。


「はい、撤去~」


 なんだ、楽な仕事だったわね。

 ヒョイッと、彼女のロッカーからブツを回収する。代わりにサイズの合っていない私の予備のキャミでも入れておこうかしらと思ったけれど……まぁあの子、素で体温高いし大丈夫でしょう。それに私のなんて入れたら、下手人なんてすぐバレるし。

 キンコンカンコン、と廊下の方で始業のチャイムが鳴る。遅刻してしまうのは優雅ではないけれど、見過ごせない戦いが、そこにはあるのよ……。


「さて、これは私の鞄にでも入れておいて……」


 さっさと合流しましょう。大きく遅刻して欠席扱いなんて、カッコ悪いし。

 そう思いながら、私は手に持つ彼のTシャツを無造作に鞄に突っ込み……突っ込もうと……して……、


「……」


 ……うん。

 いえ、ね? これは、あれなのよ。

 そう、衛生管理ってあるじゃない? やっぱりねぇ、ジンとトーカは名目上にも実質的にも、このご主人様がその安全を預かっているわけ。つまり二人の健康管理も、私の務めということになるの。

 ほら、お洗濯なんて毎日水を使うし、洗濯機もすぐに汚れちゃうじゃない? だからそう、軽く……軽ぅ~く、その香りをチェックしとかないと、誇りあるご主人様としての品位にかかわるというか? 大事な二人に、汚れた衣服は身につけさせられないという心意気というか?

 だからこれは、決して変態的な嗜好とかではなく、純粋なる善意からの行動なのであって──、


「……スンスン」


 あ♡ ジンの香り……♡


「んもう、仕方ないわねあの妹ったら。すんすん……これ絶対洗濯してない服だわ。すんすん、洗剤の匂いが、すんすん、全然しないもの……すんすん。こんな汚れた、すんすん、衣服を、すんすん、大事な恋人の妹に、すんすん、着させるわけには、すんすん、いかないのすん♡」


 はぁ、まったく。優しいご主人様に感謝しなさいよね。ジンはトーカの健康にも気を配っているんだから、それを無碍にしようとするなんて彼が可哀想よ。そうよねー?


「んっ♡ んん……♡」


 だから今私の胸の中にあるこれは、ご主人様が厳重に管理下に置きます。なんだったらこのまま私が着て、その危険性を説く必要があるのでは……?

 ほら、だって全然手放せないもの。ほら見て? 手から離れないの! 私はこんな汚れた布、早く手放さないといけないのに全然! これはきっと呪物ね……恐ろしい呪いが掛けられている可能性があるわ。そんな危険なもの、トーカに任せてなんておけない!


「はぁ、ん……♡」


 だから、もう少し。

 もう少しだけ、この危険物を精査する必要がある。そう判断するわ。

 今朝はちょっとねー、いつもより彼との朝のキスが三秒短かったというかー。いくら料理中のトーカに油が跳びそうだったからといって、このご主人様を蔑ろにしたのは事実というかー。だからこういうところで、可哀想なご主人様は補給を強いられてるというかー。そう、全部あの兄妹が悪いのよあの兄妹が。ほんともう、不満を表に出さないようにする健気なご主人様をたまには見習いなさいよね~。

 そうして完璧な理論武装を纏った私は、この呪物に更なる危険性が無いかどうか、仕方なく……そう、仕方なぁく! 確かめるために顔を埋め──、


 ガチャ。


「「「あ」」」

「……」


 唐突に更衣室の扉が開き、姿を見せた同じクラスの複数の女子達が、その一言を発したと同時に固まる。トーカはいないみたいだけれど。

 んー………………なんで? 何で戻って来ちゃったのかしら。今からでも「みんな下がって! この部屋には毒物が!」とでも叫ぶ? 救急車呼ばれちゃうかしら、私の頭を診るための。


「えっと……先生が『辛そうだったら、保健室に連れて行ってあげなさい』って……それで……」


 あら、あなた。きちんと先生に言ってくれたのね、ありがとう。そして先生もご心配ありがとう。でも複雑そうな視線はやめて?


「……」

「……」


 気まずい沈黙が流れる。

 私の手には、変わらずジンのTシャツ。そして姿勢はしゃがみ込んで、そのシャツに顔を近付けているHENSITUSYA STYLE。

 でも待って? これ別にTシャツが誰のかなんて傍目からは分からなくない? ここは何気なさを装って、落ちちゃったTシャツを拾うところだったという演技をうわーん胸元に大きく『酒上』って書いてあるものー!


「あの……あの、これは……」


 カァァァっと、頬が羞恥に染まっていく感覚。目にも涙が溜まって、視界が歪んでいく。

 あのあの、本当に違うの……これ、これ危険物で、中毒性物質を多分に含んだ麻薬及び向精神薬取締法に抵触する恐れがあってぇ……!


「あうあうあう」


 いけない! このままでは、“自分の彼氏のTシャツを着る妹に嫉妬して、そのTシャツを奪っちゃう器の小さくて可愛い女の子”として周囲から認識されてしまう! そうなってしまったら、今まで積み上げてきたカリスマが霧散し、ただの可愛い女の子になってしまう!

 威厳ある彼のご主人様として、そんな誤解は解かないと! もはや義務とでも言うべきものに駆られた私は、さっそく唖然とするクラスメイトの女の子達に釈明するべく──、


「まさかブルームフィールドさんが、お兄さんではなく刀花ちゃん狙いだったなんて……」

「そっちじゃないーーーーーーーー!!!???」


 この日から。

 私には『ブルームフィールドさんは、色々手広い』という、大変不名誉な噂が付いて回る羽目になったのだった……。


 あーん! トーカのばかぁ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る