第六.五章 「無双の戦鬼は春を待つ」

第305話「変わったけれど変わらないモノ」



「あなたって普段から『人間滅ぶべし~』とか『ゴミ共が~』とかなんとか言ってるけれど、実際はただの"女好き"なだけじゃないの?」

「そんなことはない」


 どうかしら……。

 私室の照明と、窓辺から差し込む黄昏の光を浴びながら。

 私、リゼット=ブルームフィールドはテレビ画面から視線を切り、背中に感じる温もりへ疑いの目を向けた。


「確かにここ最近は女性に惚れ込むことは多い。それは事実である。だが平安の頃は頼光を相棒としていた俺だ、性差は殊更重要なことではない」


 カーペットに胡座をかき、私をちょこんと膝の上に乗せるいつものスタイルの彼は、そんな私の視線を受けながら肩を竦めてみせる。でもちょっと待って?


「なんだか誠実そうな物言いに聞こえそうだけれど、普通の人は複数の女の子に惚れ込んだりはしないし手も出そうとはしないってご存知かしら?」

「我こそは無双の戦鬼、只人に非ず。とはいえ、宝を求めるは鬼の性でな。マスターにおかれては心労をかけること、まこと心苦しく思ってはいるのだぞ?」

「ん……」


 彼は耳元でそう言いながら、少しだけ強く私を抱き寄せる。それをこそばゆく感じながらも、私は内心で唇を尖らせた。

 むぅ……こんなことになるんなら、学園に通わせる判断をしたのは早計だったかしら。でも眷属の育成もご主人様の務めだし……。


(それに……)


 社会性を身に付けさせるという名目は確かに本音だけれど、私も……学園で一緒に過ごしたかったし……共通の話題でお喋りもしたかったし……。

 後ろから優しく抱き締める彼の胸に、私は不満を示すように後頭部を何度もポスポスとぶつける。少しだけ、拗ねたように。


「もぉ……眷属はきちんとご主人様にご奉仕しないとダメでしょー……?」

「承知している。だからこうして椅子となっているのだ」

「なぁにその言い方、喜んでるくせに……誠意を見せなさいよ誠意をー……」

「誠意か……難しいものだ」


 彼は「分かりやすいのは物品だろうか……」とムンムンと唸って、誠意の示し方を模索する。

 ……私の髪を撫でつけつつ、私の身体をスッポリとその胸に仕舞い込みながら。


「……」


 私は沈黙しながらも、こっそりと彼の身体に頬を寄せる。

 実際、彼の言う物品なんていらない。高価な物を誠意の証として贈られても、私は簡単には許さない。だって私はご主人様だから。

 でも……こうして私を大事そうに抱き寄せ、優しく髪を撫でて、身体全体で愛情を伝えてくれるのは……正直に言って、私としては大正解なのである。簡単な女と思われたくないから絶対に言わないけど。


(ずっと独りだった弊害かしらね……)


 本国ではお母様が亡くなった後、友人の一人も信頼できる人もおらず、私は孤立していた。

 心に仮面を被り、周囲に強く当たって過ごしていたけれど……本当はずっと寂しかった。素顔を覆う仮面を被っているというのに、隙間風が絶え間なく吹き込んでくるの。自分の心がどんどん冷えていくの。

 だからこそ。私を必要としてくれる彼の言葉が、私を愛する彼の行動が、凍った心を溶かしていく。

 一撫でされるごとに、甘い言葉を囁かれるたびに……私はどんどんダメになっていく。彼は「マスターや刀花がいないと生きていけない」なんて言うけれど、私だってそう。彼のいない生なんて、もう想像すらできない。


「……」

「……」


 彼が撫でてくれる手に無言で頬をすり寄せれば、彼は何も言わず愛おしそうに頬を擦る。


「……」

「……」


 そのまま見つめ合えば、暖炉でパチパチと薪の燃える音もどこか遠くなっていく。世界に二人だけしかいないような錯覚さえ覚える。

 彼は私の頬を撫でながら、愛おしそうにその鋭い瞳を細め……そしてその瞳に映る私の顔は、彼の熱にすっかり参ってしまっていた。


「あ……」


 彼の掌が頬から滑り、私の顎に添えられた。この瞬間だけは、どれだけ経っても胸が高鳴ってしまう。

 そうして私の顎をクイッと上げ、ゆっくりとこちらへ顔を近付ける彼に……私は小さく呼気を漏らしながらも、静かに瞳を閉じて……、


 ──ブー、ブー、ブー……。


「「……」」


 ……ちょっと。

 今すっごいイイところだったのに。誰よ彼のスマホを鳴らしてるのは。おかげで甘い雰囲気が吹っ飛んでしまった。


「……失礼」


 彼は一言断り、サイドテーブル上のスマホに手を伸ばす。私はとっくに目を開け、少しの気恥ずかしさから顔を逸らしていた。

 そんな私の髪を、一度くしゃりと強く撫でて彼は電話に出る。


「もしもし」

『あ、兄さん? 今、お夕飯の買い出しをしているのですが、スーパーさんがお野菜の特売をしててですね。それに合わせて、今晩のメニューを変更してもいいでしょうか?』

「ああ、大丈夫だ」


 む、この声はトーカね。まぁここでお邪魔虫が来るなら彼女だとは思っていたけれど……むむむ。


「車に気を付けるのだぞ。荷物が重ければ、無理せず俺を呼ぶのだぞ」

『むふー、ありがとうございます。ちゅっ♪』


 リップ音と共に通話が切れた。あの子ってジンと電話するとよくキスして通話を終了するけれど、スマホ画面の消毒ってこまめにしてるのかしらね……ちょっと心配。


「……」


 さて……。


「で、どうするの?」

「リゼット……俺の愛しいご主人様……」


 うわ、ごり押してきた。

 なんとも言えない空気の中で聞いてみたら、彼は何事も無かったかのように先程の続きを促してくる。

 私の名前すら呼んで、彼はまたキリッとした顔で私の頬に手を添える。がっつくわねぇ……どれだけ私とキスしたいのかしらこの子。そもそもこれは、あなたの誠意を見せるって話だったの覚えてる? それなのになにを──、


「リズ……」

「……もう、しょうがないんだから♪」


 いやまぁいいのだけれどね?

 ご主人様、眷属の想いに応えてあげるのもお仕事っていうか? そんな真剣な顔で求められてしまったら、一人の女としてやぶさかではないというか?


「──」


 そうして今度こそ、彼がキスしやすいよう、でもあんまり下品にならないくらいの角度で私はちょっぴり顎を上げて──、


 ──ブー、ブー、ブー……。


「「……」」


 ピッ。


「もしもし」

『あ、刃君? 喫茶店の新メニューで抹茶クッキーを焼いてみたんだけど、刃君って抹茶食べられるかなぁ。たまに苦手な人っているからどうかなって思って』

「好きだ」

『そ、そう? ふふ、じゃあ明日学園で。楽しみにしててねっ』


 くっ、今度はアヤメだったみたいね……悪気は無さそうなのがちょっと意地悪だわ。

 そうして私の眷属に餌付けをする約束をした看板娘さんは、朗らかに笑って電話を切った。


「……」

「……」


 ……あ、今度は無言で来たわね彼。

 多分、もう何を言っても無粋になると判断したのだろう。まぁそういう雰囲気だけで言いたいことを分かり合うのも素敵だから良いけれど……。

 もうこれで三度目の正直。私と彼は、今度こそ静かに唇を合わせ──、


 ──ブー、ブー、ブー……。


 もう私が取るわ。


「誰よ」

『わーお、リゼットちゃん声が怖いゾ☆ さては刃と乳繰り合おうとしてたなぁ分かってんだぞこっちはよぉ? つかリゼットちゃんはそろそろ乳の一つも揉ませたの? あたしは柄頭だけど前のデートで触られちゃってさぁ……うわぁあたしこんなことで何マウント取ろうとしてんだろバカな女みたいで自分がこえ──』


 切った。

 芸能人なだけあって、ガーネットは隙を見せたらとてもよく喋る。だからこうして無理矢理にでもぶった切っていかないと、最悪一時間は話を聞く羽目になるのよね。

 というか、そもそもアイドルが一般のファンに電話とかしないでよね、まったくもう。


「あと胸触ったって言ってた?」

「鼓動を確かめるためだ、他意はない」


 触ってるじゃないの……むむむ~……!


「さ、さっ……」

「む?」


 私は言葉に詰まりながらも、目を逸らしながら言う。ちょっと変なテンションになってきたわ。


「さ、触りたいって、やっぱり思う……? わ、私のも」

「当たり前だろう。愛する者の身体に触れたいと思うのは」

「そ、そう……」


 ……じゃ、じゃあ。


「……さ、触って、みる……?」

「──」


 や、やだ……すごいエッチな顔……ちょっと怖い。

 でも、ここまで言ったからには……! あと単純にあの先輩にマウント取られてイラッとしたし! 胸の一つも触らせない、懐の狭いご主人様だって思われたくないし! ん? あれ普通のご主人様って眷属に身体とか触らせるんだっけ……?


「ひゃっ」


 頭の中がグルグルし始めていれば、彼は私をお姫様抱っこしベッドの上に横たえる。そうして彼は私に覆い被さってみせた。

 そ、その姿勢はいろいろマズいんじゃないかしら? 胸にちょっと触るだけよね? というかガッツリはダメだからね? 瞬き一回するくらいの時間だけだからね!?


「あ、あ──」


 私はいよいよギュッと目を瞑る。最後に映った光景は、彼が私の胸に手を伸ばす姿。そうして彼の手が、ドキドキと高鳴る胸を優しく──、


 ──ブー、ブー、ブー……。


 嘘でしょ?


「……誰だ」

『…………』


 ………………。


 ……いや、本当に誰なのよ。あ、切れたみたい。イタズラ電話か何か?


「……橘からだ。『間違い電話してごめんなさい』だと、マスター……マスター?」

「もういい、寝る」


 覆い被さっていた彼の身体から逃れ、わざとらしくプイッと横を向いて寝る姿勢に入った。

 そんな私の態度に、これはいかんと思った彼が今度こそ必死そうになだめすかそうとするが、私は知らんぷりを決め込む。

 ふんだ、ばーかばーか。女の子の知り合いが多くてよかったわね~だ。ホント、この数ヶ月で彼の交友関係は昔とは一変してしまったわ……。


(まぁでも……)


 背中から伝わる気配に、一人胸中でほんのちょっとだけ笑みを浮かべる。

 こうして必死にご機嫌を取ろうとする彼を見られるのは、ご主人様の特権ではあるのかも。


(ふふ……♪)


 そんなちょっぴり意地悪な思考をしながら。私はしばらく彼に、“ご主人様を甘やかす”というお仕事を与えるのだった。


 ──この時間だけは、彼は私のモノ。それだけは変わらないんだからね?

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