第304話「その微笑みは魔法のように」



「……む、少しずれてしまったか」


 コンコン、ガチャ。


「ジン? なにして──いや本当に何してるの」

「マスターか」


 休日の午後。ブルームフィールド邸の自室にて。

 ノックはしたものの無遠慮にドアを開ける我が主は、現在俺がおこなっている作業に対して怪訝そうに……いや、若干不機嫌そうに眉をひそめている。


「珍しく自室に引っ込んでると思ったら……」


 己のこめかみを痛そうにグリグリと揉み、マスターは紅い瞳をそれはもうじっとりと細めて、壁に貼られた件の"それ"を見た。

 ──数万人の振る"ぺんらいと"と、幾条もの"すぽっとらいと"の煌めき。それらを一身に浴びながら、可憐な歌声を届けるためのマイクを片手に。

 弾ける汗と、弾ける笑顔。「お前も笑顔になれ!」と言わんばかりにこちらをビシッと指差して、インクを媒介にしてもなお余りある存在感を放つ一人の少女。それこそは──、


「悪趣味なポスターね」

「やはり少々、右に傾いているように見えるか?」

「そういうこと言ってるんじゃないのよ」


 そう、今をときめくアイドル"煌栄ガーネット"の大型ポスターである。彼女の復活と共にグッズも多数流通し始め、これもそれらの内の一つだ。

 ネット通販のため買うのに大変苦労し、ようやっと手に入れたのだが、我が麗しのマスターはこれがお気に召さないご様子。どうも、これの価値が分からないと見えるな。

 腕を組んで不機嫌さを隠さないお嬢様に、俺は得意になって指を立てた。


「よいか、マスター。これは販売開始数分で売り切れた、大変価値のあるものでな?」

「別にそこは重要じゃないんだけど……でも、機械音痴のあなたがよく買えたわね」

「うむ。値は張ったが、これを売りに出している者が複数おってだな」

「転売屋から買ってんじゃないわよおバカ」


 怒られてしまった……"いんたーねっと"というものは難しいものなのだな。

 むむむと唸ってせっせとポスターを貼り直していれば、背後でリゼットがやれやれと肩を竦める気配がする。ずいぶんと呆れているようだ。


「まったくもう……私の眷属がまさかドルオタになるだなんて」

「"どるおた"? なんだそれは」

「今のあなたのような人のことよ」

「ほう?」


 しからば……、


「これより名乗りを挙げる際には、リゼット=ブルームフィールドの"眷属"、酒上刀花の"所有物"、薄野綾女の"友"。そこに吉良坂柘榴の"どるおた"であることを付け加えるとしよう」

「かっこわる……」

「我こそは! 五百の魂を生け贄に──」

「実演しなくていいから」


 要練習だな。あの黄昏の刻、堂々とこの俺に宣戦布告をしてみせた彼女のように、流々と言えるようになっておかねば示しが付くまいよ。


「あなたの部屋にアイドルのポスターが貼られてるのなんかイヤー……」

「なぜだ?」

「だ、だって……」


 単なる嗜好の差異かと思っていたが、リゼットは言いにくそうにモジモジと太ももを擦り合わせる。


「あなたと……この部屋で恋人らしいこととかしてても、他の女の子が目に入ってくるってことじゃないの」

「む……」


 なるほど。己の乙女な姿は、たとえ被写体であろうと恋人以外に見られたくないと。

 くっ、なんといじらしい……!


「分かった。マスターの想いを尊重し、この部屋でマスターに恋人らしいことは可能な限りしないようにしよう」

「日本に合わせて遠回しに表現したのが悪かったのかしら? 外してって言ってるのよ私は」


 ポスターに嫉妬してプクッと頬を膨らませるマスターも可愛らしい。


「だがマスターとて、スマホの壁紙を好きな漫画やゲームのものにする時があるではないか」

「私はいいのよ、別にそのキャラにガチ恋してるわけじゃないし」

「なに? ファンとはアイドルに本気で恋をするものではないのか? 閻魔大王もそう言っていたぞ」

「地獄すぎない?」


 ──バァン!


「触れられないトップアイドルより! 触り放題の妹アイドル! どうも兄さんのガチ恋大歓迎の妹アイドル、刀花です!!」

「出たわね」


 おぉっとドアを勢いよく開けてきたるは、アイドル業界に殴り込みをかけんとする超新星妹アイドルだ。

 フリルたっぷりの華やかな衣装を着て現れた刀花は、マイク片手ににこやかに手を振る。


「応援ありがとうございます~! 一階席の兄さん見てますかー! 二階席の兄さーん! お茶の間の兄さぁ~ん!」

「どんだけいるのよあなたの兄は。概念なの?」


 兄とは……生き様である。日本書紀にもそう書かれておるがゆえに。


「さぁ兄さん、遠慮せずにタッチしてください! 腕でも足でもお胸でも! 私は兄さんだけのアイドルなんですからねっ!」

「もうそういうお店じゃないの。あとあなた、ジンが興味を示し始めた要素を片っ端から取り入れようとするのやめなさいな。卑しく映るわよ?」

「季節の流行をファッションに取り入れるように、女の子はトレンドに敏感でなくてはなりません……そう、女子力の発露なんですよこれは」

「それっぽいこと言って煙に巻こうとするのやめなさい。あなたそれで外出とかしないでしょうが」

「当然です。私のこの可愛い姿は……兄さんの寝室限定なんですからね! きゃあ♪」

「ベッドに寝っ転がらないの」

「兄さぁん……お仕事、くださぁい……♡」

「枕営業しない!」


 ベッドから刀花を引きずり下ろそうとするリゼット。しかし覚えているだろうか、アイドル衣装を着たのは、順番的にリゼットが先であるという事実を……。

 過去を回想していれば、刀花をべちゃっと床に落としたリゼットが肩で息をして言う。


「もぉ、あのセンパイ……厄介な影響を私の眷属に刻んで……」

「見事に攻略されてしまいましたね、兄さん」


 二人は既に、あの日に何があったのかを知っている。

 デートをし、黄昏と共に俺はあの魔法使いの腰に佩かれるはずであった……。


「まぁでも?」


 手からスルリと零れ落ちていった宝玉を口惜しく……それと同時に焦がれるほどの恋情を感じていれば、リゼットが金髪を払って腰に手を当てた。


「あなたって最近ちょっと調子に乗ってたし、これで少しは懲りたでしょう。欲をかかず、手元にある宝石を大事にしなさいってことよ」

「兄さん。リゼットさんは『もっと私に構いなさいよ、ばか♡』って言ってます」

「分かっている。それは俺の不徳の致すところだ」

「ねぇ私の言葉を当然のように都合よく解釈するのやめてくれない?」


 よいよい、俺はご主人様の全てを理解している。


「しかしな……あともう少しで、あの宝玉に手が届いたはずなのだ」

「未練たらたらじゃないの……」

「いや、あれは確実に俺のことが好きだ。俺には分かる。いや俺だけは分かっている」

「それ多分他のファンも思ってるやつ」

「いいや! 俺だけだ! あやつの真のファンは俺だけなのだ! 有象無象のファンと一緒にしないでもらおうか!」

「めんどくさ……最近ファンになったミーハーのくせに……」

「兄さん、フラれちゃったことですっかり脳が破壊されて……私が癒さないと……」


 やめてくれないか哀れみの目は! 俺は真実を話しているというのに!


「この場にガーネットがいれば証明してくれように」

「いや絶対しないでしょあの子は。変なところで素直じゃないし」

「天邪鬼さんですよね、リゼットさんのツンデレとは一味違った」

「は?」

「今はどこの空の下にいるのだろうなぁ……」

「上から全国回るって言ってたから東北あたりじゃない?」


 リゼットが適当に返事をしながら、遠くを見るような眼差しをする俺にため息をつく。


「もう、この子ったら……」


 だが今回の彼女のため息には、どこかこちらを慮るような、労るような色が含まれているように感じた。そのツリ目がちな紅い瞳も、少しだけ優しく細められている。玉砕してしまった己の眷属が、あまりに侘しく見えたのかもしれない。

 嫉妬深く強がりな面が目立つだけで、心根はどこまでも優しいご主人様なのである。


「やっぱり、寂しいの……?」

「……そうだな。そうかもしれん」

「兄さん……」


 否定はできぬ。幾ばくかの寂寥が、今もなお我が胸中を占めている。

 ガーネットが飛び去ってから、もう十日以上は経つ。学園を一足早く卒業し、一流の魔法使いにしてアイドルとなった彼女には、もうこの街で燻る理由などない。

 今は復活祝いと、待っていてくれていたファンへの感謝を込めて、事前の宣言通り全国ツアーをおこないつつ、テレビ番組の収録に精を出しあちこちを飛び回っているらしい。俺もあの日から、彼女とは言葉を交わしていない。

 だが──、

 

「……ふ」

「ジン?」


 ふと笑みを浮かべてしまった俺に、リゼットと刀花も首を傾げる。

 ああ、確かに寂しくないと言えば嘘になる。あの暴風のようなテンションも、こちらを振り回すあの態度も、大胆不敵で悪童のような笑みも……もはや懐かしい。

 だが、ああ……俺はとても幸運だ。なぜならば、


「"いつでも"、会えるからな」


 俺はおもむろに、あまり使わないでいたテレビの電源をいれた。

 プツンと回路に電流が走り、黒一色だった画面はパッと色鮮やかな光景を映す。そこには──、


『それじゃあ、ガーネットちゃんが復帰する切っ掛けってなんだったのかな?』

『えー? 言っていいのかなぁ……チラッチラッ』

『こ、この匂わせぶりは、まさか男……!?』


 そこには。

 世間では大物と評判の司会者から、復帰してからもう何度聞かれたのかも分からない質問をされ……しかし、一つも嫌そうな顔をせず思わせぶりな態度をとる一人の少女が映し出されていた。

 己を偽ることのないピンクの髪も艶やかに。透き通った柘榴色の瞳は反応を楽しむようにイタズラっぽく揺れて……。


『実はぁ……一振りの日本刀から元気を貰っちゃって~! きゃあ! 言っちゃったぁ☆』

『え、そ、そう……まぁ僕も美術館とかよく行くし、そういうことかなぁ……?』

『ご想像にお任せしまぁす☆…………へへっ』


 だがその唇は悪童のように強気に歪められている。彼女のプライドの高さ……王としての気風を問答無用で周囲に振り撒き、今日も彼女は威風堂々と、彼女を信奉する者達の前に姿を現す。

 実際、彼女は時の人。テレビをつければ彼女が映らない日はないほどだ。

 磨き上げた宝玉が、今日もまたその輝きを余すことなく魅せている。ならば何を憂うことがあろうか?


「ククク……」


 ああ、素晴らしき王よ。

 遠く離れた地にあってなお、威光を示し続ける王の中の王よ!


 ──ブー、ブー……。


「ハハハハ……」

「ジン、スマホ鳴ってるわよ」


 俺は肩を震わせ、愉悦に浸る。

 ああ楽しみだ。いつかその身をきっと、この戦鬼が貪ってくれる。しかと聞いたのだ。『テメーの意思で追いかけてきたら、ちょっとは考えてやる』と。

 それはまさしく、眼前に垂らされた人参よ。この俺に宝をチラつかせるなど、彼女も迂闊であったな。


 ──ブー、ブー……。


「ハハハハハハハ……!!」

「兄さん、スマホが……“非通知”さんですけど」


 ちょっと待ってくれ我が妹よ。今、兄がよい感じに締めようとしているのだからな。


「ハハハハハハハハハハハ!!!!」


 気を取り直して呵々大笑。

 ならばこの無双の戦鬼、どこまでもどこまでも食らい付いてくれる。あの高みから不敵に見下ろす気高き王に、いつの日か『しゃーねーなー』と諦めた笑みで俺を受け入れさせるため──、


 ──ブー、ブー、ブー、ブー、ブー、ブー……!


「えぇいうるさい! 誰だ!!」

『おっすおっす~、テメーだけのモノじゃねぇ皆のアイドル、ガーネットちゃんだぞっ、きらっ☆』

「──っ」


 ……いかんな。

 一瞬とはいえ、この無双の戦鬼が隙を晒すとは。まだまだ精進が足りぬらしい。

 スマホから漏れるその聞き覚えのある声にリゼットと刀花も驚愕する中、スマホの向こうのアイドルはその雰囲気を嗅ぎとったのか、どこか意地悪げに声のトーンを上げる。


『ふっふー、嬉しい? 嬉しいっしょ? 憧れのアイドルにプライベートで電話貰えちゃって戦鬼君うれションしたでしょ?』

「ふん……相変わらずのようだな。何用だ?」

『ノリ悪いぞー☆ いやぁ、順風満帆だった桃色ハーレム野郎が、そろそろ寂しくて枕をびちゃびちゃに濡らしてる頃かなって思ってぇ』

「そんなわけがあるか」


 眼前で為される会話にリゼットが「この人達面倒くさい……」と眉をヒクつかせているが、努めて見なかったことにする。


「連日引っ張りダコのように見えたが、存外暇なのだな」

『いやそう! そうなの! だから助けて!』

「むっ?」


 予想外の反応に眉をピクリと上げれば、今をときめくガーネットは必死さを滲ませて捲し立てる。


『もう忙しくって結構カツカツのスケジューリングしてたんだけどさぁ! ちょっぱやで次の現場行かないとなのに冬将軍が最後の抵抗を! 具体的に言えば積雪で足止めくらっちゃっててさぁ! あ、列車ね』


 列車の遅延か……む、まさか……。


『だからぁ……ちょっと一瞬でこっち来て、パパッと次の現場まで送ってくんね?☆』

「ク、ハハハ……」


 そのあまりにも見上げた図太さに。あまりにもふてぶてしい態度に、もうこの鬼は笑うしかない。


「ククク……この……この無双の戦鬼をタクシーに使うか。図に乗るなよ貴様ァ……」

『あーン? 嬉しいだろ? 戦鬼君、ガーネットちゃんのお役に立てる機会もらえて大歓喜っしょ?』


 まったく、この天下無双のアイドル様は……。

 だが、これも惚れた弱みというやつなのだろう。とはいえ、やられっぱなしは趣味ではない。


「報酬は弾んでもらうぞ、魔法使い」

『ん? じゃあ、そうだなー……』


 せめてもの抵抗に要求を突き付ければ、


『あっ、じゃあじゃあ──』


 ガーネットはなにかイタズラを思い付いたかのような、とても楽しげな気配を滲ませ、


『──トップアイドルのセカンドキスなんて、どうよ?』

「んなー!?」


 リゼットと刀花がこちらの傍にいることを織り込んだ、甘く激しい爆弾を投下するのだった。

 唐突に爆撃を受けた二人が両側からこちらを批難するのが伝わったのか、我等が奔放なる王は……笑顔で魔法を掛けてみせる。


『へへっ♪ んじゃ、よろしくぅ! あたしは刺されたくないから、こっち来る前にリゼットちゃんと刀花ちゃんのご機嫌を宥めときなよ、ダーリン♡』


 こちらからその顔は見えないが、きっと。ああ、きっと。


 ──見ているこちらも笑顔になるような、とびっきりの笑顔魔法で。









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第六章「無双の戦鬼と、笑顔の魔法」 完


ここまで読んでくださりありがとうございました。

是非、感想をお聞かせください~。


<次章>

第六.五章「無双の戦鬼は春を待つ」


ゆるやかな、少女達との日常……。

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