第280話「あたしのプライド」



 ──魔法が使えなくなった。


「ど、どうしよう童子切ぃ~……」


 そう言って、縋るようにこちらの裾を握るガーネット。よほど切羽詰まっているのか、いつも謎の自信に溢れていたはずのドヤ顔は鳴りを潜め、透明度の高い柘榴色の瞳には涙さえ浮かべている。


「うーむ」


 俺も彼女の雰囲気につられ、悩ましげに顎に手を当てた。

 ずっとその使い勝手に悩んでいた"笑顔の魔法"。最近になってようやく力加減というものを理解し始め、間接的ではあるもののファンに対しても使用できるようになってきた不思議なまじない。

 物心付く頃から共に在ったはずのそれは過去、彼女に足を竦ませるほどの恐怖を与えたもの。それが唐突に使えなくなり……、


「うーむ……?」


 使えなくなり……?


「……別によかったのではないか? 長年の悩みが解決されたということだろう」

「なんでじゃーーー!!」


 ギャース! と憤るガーネットだが、問題でもあるのか?

 悩みの種が払拭されたのだから、それは慶事であろう。原因が不明とはいえ、これで真っ当にアイドル活動ができるようになったというわけだ。


「うむ、一件落着」


 第七章『無双の戦鬼と、笑顔の魔法』……完。

 それでは引き続き、第八章『無双の戦鬼と、さんに──


「聞けやー! あたしが取得してたのは"魔法使い検定"であって"魔術師検定"じゃねーの! しかもロクに魔術師としての教育は受けてないから、このままじゃ"ただの魔術師"としてマジで留学させられちゃうってことなんだよぉー!!」

「なるほど、理解した」


 こちらの着物の合わせ部分を握ってガクガクと揺らし泣き喚くガーネットに応と返す。

 そういうことだったか、それは確かに問題である。


「それは困るな」

「そうなんだよぉ! あんなカビ臭い魔術学校に数年単位で寮生活とか、もはや監禁──」

「近頃とみにその輝きが増してきたというのに。加えて言えば、お前がこの国を離れてしまうとなると、俺も惜しい」

「っ! あ……そ、そう……っすか……」


 接するにつれて王の気質を増していくその姿、失くすにはあまりに惜しい。

 この俺が折角、丹念に磨き上げている最中なのだ。それを蔵に仕舞い込むような真似は避けねばなるまい?

 言外にそう伝えると、ガーネットは「も、もうそれでいいわ……」と、現状の説明を放棄して俯いている。ファンから称賛など貰い慣れているであろうに、照れおって。


「こほん」


 そんなモジモジとするガーネットを半眼で見つめながら、リゼットが軽く咳払いをする。話を進めたいらしい。この空気を壊したかったというのもあるかもしれんが。


「それでセンパイ? 魔法を失くしたことに、何か心当たりは?」

「いやぁ、それがさっぱり……」

「いつ気付いたのかしら?」


 このメンバーの中でも特に聡明なリゼットが場を主導してくれる。ありがたいことだ。

 怪訝そうに聞くリゼットに、ガーネットも頭に指をトントンと当てて状況を整理し始めた。


「えーっと、本格的に気付いたのはついさっき。タチ悪いナンパに絡まれてた可愛い子がいてさぁ、つい間に入っちゃって。それでナンパ共に使おうとしたらこれがサッパリポンで……マジおしっこ漏らすかと思ったわ」

「よく無事だったわね……」

「『うぉぉぉ!! 離れろ! 俺の右腕に宿りし邪竜が暴れ出さんうちになァ!!』って本域で叫んでのたうち回ったら、奴らスタコラサッサと逃げていったぜ。あたしのあまりにも迫真な名女優っぷりに恐れをなしたんだなきっと。女の子も逃げちゃったけど」


 この女らしい理由にリゼットが眉間を揉む。

 さもありなん。こいつなら絶対にやる。そんな中で刀花も苦笑しつつ「では」と言葉を継いだ。


「その原因は最近のものなのかもしれませんね」

「まー、そう考えるのが自然やねぇ」

「心当たりはないのでしょう? たとえば、以前と明確に変わった部分とか」

「いやぁ……」


 リゼットの質問に、ガーネットは困ったような笑みで頭をかく。


「最近はホント激動の毎日だったから……何が変わったかって言ったら、そりゃもう全部としか……」

「ああ……」


 それは確かに、そう答えるしかなかろう。とはいえそれで問題は解決せん。せめて糸口程度は掴みたいところだ。

 申し訳なさそうに萎んでいくガーネットに、俺も問いを投げる。


「魔法とは、魔法使いにとって身体の一部と聞く。ならばその原因は、己の身に関わりがあることではあろう」

「あたしの身ねぇ……うーん」

「何かないのか? 些細なことでもいいぞ。最近太った、とかでもな」

「ふ、太ってねーし! アイドルの食事制限ナメんなー!」

「あなたって本当にデリカシー無いわよね……」


 ガーネットが目を三角にして怒り、リゼットが呆れている。まぁ確かに、言葉にするのは無粋だったか。

 ……ならば、黙して確認するしかあるまい。


「じ……」

「な、なに見てんだヨ……」


 食い入るように見つめれば、ガーネットが恥じらうように身体をくねらせる。均整の取れた身体を隠す腕、その上からつぶさに観察していくとしよう。

 慌てたせいか、長い黒のカツラから地毛のピンクがはみ出ている。もう見慣れてしまった、その衝撃的な髪色には特に変化もない。


「……」


 ふーむ。

 出会った頃と体型も比べてみたが、こちらにもこれといった変化は無しか。いつも通り手足はスラリと細く、しかし女の子らしい肉付きもしっかりと残している洗練された“あいどるばでー”である。食事制限という言葉通り、よく手入れされている美しい肉体だ。

 透視もしてみたが、その肌には外部から攻撃を受けたような痕跡や、呪詛にかかった時に浮き出る呪印の類いもない。まさしく健康体そのものである。


「……マジでなに見てんの? もしかして、ほ、惚れた?」

「おかしな点を探していたのだが、これといって見受けられんな。強いて言えば、"そちら"の毛髪もピンクなのだなとしか」

「えっ、やっべ剃り残しあった? いやぁ最近のカメラって毛穴とかもバッチリ撮っちゃってくれるからその辺マジで気ぃ遣うんだよねー……喜びながら有機ELテレビで見ちゃう変態とかいるんだろうなぁあたしの毛穴を。しかも映像としても残るから、なんなら見せパン一つにも手ぇ抜けないっつーか……てか、どっちの毛よ?」


 辟易としながら現代技術に対しての苦労を語るガーネットが、ぞんざいにバンザイをしてみせる。どっちの脇か、と。だが残念。


「綺麗な脇だったぞ。袖無しの衣装を着ても問題あるまい」

「お、おう……喜んでいいのやら──ん? じゃあ……え、まさか……」

「ジンさいてー」

「兄さんさいてー」

「な──ななななななな……!!」


 リゼットと刀花の批難の声に、どこを見られたのか見当の付いたガーネットが瞬間湯沸かし器のように頬を染める。スカートに覆われた下腹部をバッと勢いよく手で押さえながら。


「てっ、テンメーおいこら安綱ァ!! なに勝手にアイドルのフルヌード拝んどんじゃーーー!!」

「特に生命活動に関わる呪詛ならば、早急に取り除く必要があったのでな。許せ」

「謝罪を二文字で済ますとか軽過ぎるんじゃー! だっ、誰にも見せたことない乙女の柔肌ぞ!? それをなんっ、ほんと、え、ほん、ほんとに見たの……?」


 普段の様子からかけ離れたしおらしさで、尻すぼみになっていく言葉に俺も過ちを悟る。

 見せるための身体を作っているとはいえ、見られてしまうのは恥ずかしいらしい。結果的に言えば命の危険などなかったのだから、せめてフォローはしておかねばなるまい。


「すまなかった。だが……」

「だが、な、ナンダヨ……」

「うむ、アイドルとして洗練された美しい肌であったぞ。よくぞ練り上げた」

「うわーん! こんっバカタレぇ!!!」


 フォローの仕方を間違えたらしい。だがその渾身のビンタは甘んじて受け入れた。


「うっうっ汚された……マジもう嫁に行けないじゃん……もらってリゼットちゃん……」

「よしよし、このおバカ眷属には私からきつくお仕置きしておくから」


 泣き付くガーネットを、誓いと共に胸へ受け入れる我が主。眷属の不始末は主の責任でもある。その責務が果たされる時、俺は死を迎えることになるだろう……。

 己の運命を悟っていれば、念願のリゼットの胸だというのに、その感触を楽しむ余裕もないガーネットがパンパンに頬を膨らませつつジト目でこちらを睨む。


「い、言っとくけどな……ちょっと油断しただけだし。いつもはキチンと処理とかしてるもんー!」

「それ墓穴掘ってない?」


 リゼットが冷や汗を流すが、理解は示さねばなるまい。時に美しさを磨くには、羞恥を含む作業も挟まねばならんのだ。まっこと、頭が下がる心地よ。

 敬意にも似た念を抱いて頷いていれば、ガーネットが「ったくよー、信じらんねー……」とブチブチ文句を放っている。


「いくら大金積んでも見られねー聖域をよー……ばか……」

「罵倒、甘んじて受け入れよう」

「ばーか! ばーかばーか!」

「すまなかったな」

「……最悪、責任取ってもらうかんな」

「ああ、心得た」

「へ、へぇ~……そっか。と、取ってくれんだ……?」

「ん?」


 己の胸の内でなにやらボソボソとやり取りするガーネットの、その怪しい様子に何か……そう、女の勘が囁くのか眉をひそめるリゼット。


「んん~?」

「い、いや、なんでもないっすよ……?」


 刀花をも首を捻って覗き込む中、リゼットから身を離したガーネットが冷や汗を流して後ずさる。


「や、そっ、それよりも! 原因探ろう! ね!?」

「……まぁいいけれど」


 主からの許しが得られた。その紅い瞳は懐疑的にガーネットを探っているままであるが。

 とはいえ原因、原因か……。


「……本当に原因を探るという方向性でいいのか?」

「え、どゆ意味?」


 不思議そうに「なんで?」と首を傾ける魔法使いに、今一度問う。

 今ならばまだ、選択の余地が残っている。その覚悟を……俺は問いたい。


「いいのか? このまま再び魔法と向き合う道に進んで。今ならば、穏当に普通の魔術師として生きる道もあるのだぞ」

「……それは、イヤだ」


 目の前に広がる二つの道を示すが、少女は頭を振る。

 一旦留学し、時を置いてからアイドルを目指す道……そのような道は認められない、と。


「確かにそうも考えたよ。でも、やっぱりダメ。憧れてるっていうのももちろんあるし。それに、何年もファンを待たせてたこと……それをこの前の放送で知っちゃったしね。つーか──」


 胸に手を当て真摯に想いを語るガーネットが、一転して試すような視線でこちらを射貫く。


「それこそ童子切、あんたこそそれでいいの?」

「……ほう?“それ”とは?」

「……へっ」


 聞き返せば、悪童のような笑みが返ってきた。少女の魂、その本質を如実に表わしたような、不敵な笑みだ。


「──そんな輝きでいいのかって、聞いてんの」

「っ──」


 その程度。

 困難と真正面から向き合い、研磨された真なる輝きではなく。試練から目を逸らして完成する凡庸な輝きで、お前は満足できるのかと。


 ……『テメーの器はその程度で満たされるのか』と。


「ハ、ハハハハ……」


 ──笑止。


「ああ……いい、いいぞ。振る舞いが板についてきたな」

「いいから答えろって。テメーが磨いてくれてる宝だろ? 仕事を途中で放り出すのが“無双の戦鬼”なんか?」

「はっ」


 今度はこちらが笑みを返す番だ。

 ああ答えるとも、その“王者”に相応しい笑みに免じてな。


「ククク……許さんぞ。もし貴様が留学の憂き目にでも遭おうものならば、件の魔術学校を大陸ごと吹き飛ばしてくれる。絶対に、逃がすものかよ」

「おーおー、こえーこえー」


 少しもそう思っていないようなおどけた様子で、少女は肩を竦めてみせる。その成長ぶりには、この俺ですらため息が漏れるほどだ。

 今まで逃げ道を用意してもらい、足を竦ませるだけだった少女が、だ。

 自分から逃げ道を、絶つというのだからな。


「あたしが今以上に輝くために、魔法は絶対に必要なんだよ。それはもちろん、魔法の効果が必要だからって意味じゃない。分かるだろ?」

「ああ」


 危難無き道に、求める宝無し。

 より鮮烈な輝きを得るには、人は身を削らねばならぬ。強く身を打たれねばならぬ。

 それこそが求める者としての覚悟。そして、その輝きこそが──、


「それが──あたしのプライドってもんよ」


 誰にも譲れぬ誇りと意地こそが、王を王たらしめるのだ。その煌めきに人は畏敬と同時に夢を見て、自ら頭を垂れ、平伏するだろう。


「素晴らしい。とても眩しく映るぞ」

「へへっ、だろ?」


 にかっと笑う、その相貌こそ王の顔よ。

 これを道半ばで放り出すなど……あってはならんことだ。


「いいだろう、愚問だった。礼を失したこと、平に謝罪する」

「おうよ。あんまなめんなよ」


 ふんぞり返る少女。やはりこの娘には、無駄に自信のある振る舞いがよく似合う。

 もうじき、張りぼてではなくなりそうではあるがな。その時が、とても楽しみだ。


「ま、そういうわけで。あたしは夢を諦めねーよ。ここまできて諦めてたまるかってんだ。だからどうにかして原因を取り除かねーと……」


 そうして話は元に戻る。

 汎用性に富む魔術と比べ、個人個人でその内容もなにもかもが異なる魔法という異能。存在の稀少さゆえに魔術師からも一目置かれるそれを、果たして解明するにはどのように──、


「……そういえばセンパイ? あなたのお母様から話って聞いたの? 引退したとは聞いていたけれど、魔法使いだったのでしょう?」

「……あ」


 リゼットの何気ない一言に、ガーネットが固まった。

 この様子……もしや。


「……聞いた上で、ここに来たとばかり思っていたが」

「…………聞いてくるぜぇー! アデュー!!」

「えぇ……?」


 呆れ返るリゼットの声に振り向きもせず、来た時と同じ勢いで去って行く。


「これでは師匠の名が泣くな」

「本当ですねぇ……」


 打つ手が残されていたことは僥倖だが、まだまだ抜けておる。


「……ククク」


 ──先程見せた輝きは、期待以上のものだったがな。吉報を、期待しよう。

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