第279話「うおあ~」
とある休日の朝。
「はい、それでは受取は『ブルームフィールド』様でサインを……はい、結構です。ありがとうございましたー!」
「苦労」
緑色の帽子に軽く指をかけ会釈して去って行く業者の背中を、届いた荷物片手に見送る。少々、複雑な心境で。
「……あまり、只人を敷地に入れたくはないものなのだがな」
言って嘆息しつつ、伝票を検分する。
五十センチほどの幅がある段ボール。側面に小さく貼られたそれに明記されるは、我が主の名とこの屋敷の住所で相違ない。
仮にもこの屋敷は、英国の吸血鬼と日本の鬼が潜む伏魔殿であるはずなのだが……まったく、せめてコンビニ受取にしろと毎度言っているというのに。
「……」
とはいえ、『あなただって度々コンビニに行くのは面倒でしょう?』と言って、暗に『あなたと離れる時間を増やしたくない(戦鬼超意訳)』などとそう言われてしまえば下僕としては何も言えん。いや、これだけは言える──愛している、とな!
「ジン? 荷物──」
「マスター、愛している」
「いっ、いきなりなによ……」
玄関に留まったままの俺を疑問に思ったのか、談話室から出てきた我が麗しの主に愛を告げる。
己が眷属を想うその愛情……俺はしっかりと感じているぞ! 何度愛を捧げられてもいまだ慣れず、照れ臭そうにはにかむ乙女の顔も大変可憐だぞ!
頬を軽く染める彼女は一つコホンと咳払いをし、こちらへと問う。
「も、もう……ご主人様のこと大好きな眷属を持つ吸血姫は大変だわ。それで、荷物は?」
「ああ、これだ」
赤字で『割れ物注意』と記された段ボールを慎重にその細腕へ譲渡すれば、彼女は紅い瞳を期待に煌めかせた。
このお嬢様は通販をそこそこの頻度で利用するのだが、今回は何を頼んだのだろうか。注意書からして、よく頼むゲームや漫画の類い、そして吸血用の血液ではなさそうだが……?
そんな俺の視線に気付いたのか、「おかえりなさーい」と刀花が出迎える談話室へ足を進めたリゼットが、クスリと微笑んで説明してくれた。
「これはね……魔法の薬よ」
「ほう?」
「あ、この前に貰ったカタログのやつですか?」
「ええ」
ソファに寝転がっていた刀花も起き上がり、興味深そうにしてこちらへ歩み寄る。そんな俺達兄妹に見守られながら、リゼットが段ボールを開封すれば……、
「ケースとか小瓶がね、小物としても素敵だったからつい買っちゃったのよ」
機嫌よさげにそんなことを言うリゼットの言葉が示す通り、段ボールから取り出されたそれは照明の光を浴びて味のある艶色を放つ。
金の取っ手が光る、革製の赤茶けたトランクケースだ。所々が擦りきれており新品というわけではなさそうだが、それが逆にこの鞄に深みを与えている。この屋敷に数あるアンティークと比べたとしても、そう見劣りはすまい。
机に置いたそれを、鼻歌交じりに指でなぞるリゼット。覗き込む刀花も「おぉ!」と感心した様子であったが、少ししてコテンと首を傾げる。
「でもお高そうですね……?」
「そうでもないわよ? これ、中には魔法薬の入った瓶が詰まってるんだけど、内容は年末セールで売れ残ったものの抱き合わせだから」
「魔法使い界隈さんもご苦労なされてるんですねぇ……」
外装の割に、所帯染みた品であるようだ。
魔法使いや魔術師といった不可思議な存在といえども、一個の人間であり日々生活費を捻出しているのだな……。
「さてさて中身は……あら素敵」
妹と共に世の無情をひしひしと感じている間にも、リゼットが鞄の金具を外す。そうして開けた中には、ズラリと敷き詰められた色とりどりの小瓶が並んでいるのが見受けられた。
それの一つを、リゼットが摘まんで照明にかざす。彼女がよく使用する香水の小洒落た瓶とよく似ており、中に入った液体が妖しく輝きチャプンと揺れた。
見た限り容量も少なく、一瓶一回分といったところ。気になるのはその内容だが……。
刀花も小瓶をいくつか手に取り、しげしげとラベルを見てそれを読み上げた。
「えーっと? 『声が高くなる薬』に『肌が変色する薬』、『二日酔いにならない薬』……う、うーん?」
コメントに困るような内容ばかりで、刀花も若干言いにくそうにしている。なんとも……パッとしない効能であるな。
「ああ、このセット『忘年会の余興用』で売れ残ったやつなんですって」
「ロマンがありませんー!」
納品書を眺めてのリゼットの言葉に、魔法使いに夢見る我が妹が異議を申し立てる。刀花はロマンという名の刹那的快楽を大事にするからな。
だが一方でリゼットはどこ吹く風だ……何か一人でゴソゴソとしているが。
「そりゃ売れ残りなんだからそんなものでしょう」
「……なにしてるんですか、リゼットさん?」
「これ?」
なにやら小瓶から垂らした液体を脱脂綿に含ませ、手の甲にポンポンと当てている。その部分から、どことなく華やかで甘めな香りが鼻をくすぐる。
「特別な調合でできた化粧水らしいわ。こっちは別で頼んでいたのだけど、魔法使い謹製の化粧水なんて素敵じゃない? 嘘か真か、妖精の住む泉の水をベースにしてるんですって」
「ず、ずるいですー! 自分だけちゃっかり!」
「刀花もカタログ貰ってたんだから自分で注文すればいいじゃない? ふふ、肌に合うかだけは不安だったけれど、これは当たりみたい♪」
嬉しそうにするリゼットは、自分の容姿が美しいことを熟知している。だがその事実に胡座をかかず、常にその美貌を保ち、そしてそれ以上に高めようとすることについて妥協はしない。
刀花とて化粧品の類いを用い、肌のケアを怠ることはないが、いかんせん俺との貧乏暮らしが長かったために、いまだこういった物品の品定めにはリゼットから一歩劣る。リゼットを友にしたためいつかは慣れるであろうが、今はまだ勉強中だ。
「どうジン? この香り、嫌いじゃない?」
女を磨くというのもまた、宝石を磨くことと同義である。その向上心には頭が下がる思いだ。嗅覚が強めの眷属をも慮るその姿勢も相まって、この下僕、愛情を抑えきれん。
「ひゃっ」
こちらに差し出されたそのスベスベした小さな手をすぐさま取り、傍らに跪く。目を丸くするその隙に、彼女の御手にそっと口付けを落とした。
「配慮、感謝するマスター。俺としても好ましい香りだ。これからも時折、これを付けて欲しいと思えるほどにはな」
彼女から立ち上るラベンダーのような優しい香りと、この化粧品の香りはとてもよく合う。思わず口付けをするくらいには。
「あ──そ、そう? じゃあ……て、定期購入とかにしちゃおうかしら……」
パッとこちらから手を引いて、その手を胸に抱きモジモジとする我が麗しのご主人様。平静を装っているがその実、耳の先は赤く染まり、逸らした紅い瞳も潤んでいる。ああ、花のように可愛らしい……。
そんなご主人様の姿に感銘を受けつつ立ち上がり、俺もケースの中を検めてみる。
宝石はそこにあるだけで美しいが、それをより魅力的にする化粧品とはまるで金属細工のようなもの。鎖を通せばネックレスとなり、輪に填めれば王冠となる。多種多様な輝きを魅せるための道具、まさにこれらも宝と言えよう? こちらとしてもそれらを漁るのは心踊る心地だ。む、しかし──、
「妙だな。マスター、豊胸のための薬がないようだが」
「ねぇなんで私がそれを注文してる前提で話したの? ねぇなんで? ねぇ?」
「いはいいはい」
むにぃっと、両手で頬を伸ばされてしまった。違ったらしい。恋する乙女の表情から一転、とても圧のある笑顔で一言一言噛み分けて訂正された。
「私は、今のスタイルを、気に入ってるの、オーケー?」
「しかし、以前サイズアップしたと知れた時には喜んでいたではないか?」
「乙女心は複雑なのよ。ふんだ、罰ゲームとしてこれでも飲みなさい。えいっ」
「モゴ?」
鼻を摘ままれ、薬を流し込まれる。
ふ……とはいえ、無駄なことよ。
「悪いがなマスター、この無双の戦鬼に薬の類いは無意味だ。よほど弱っている時でもなければな」
「"オーダー"、『効くようになりなさい』」
「何を飲ませた……」
我が機巧が変質する音を聞きながら、肩を落としてラベルを見ようとする。む、どれだったか……?
「なんです、なんです?『愛し合う兄妹が離れられなくなっちゃう薬』とかですか?」
「ああそうかもしれん。おっと、早速効能が出てきてしまった」
「やぁん♪ 兄さんったら、妹のほっぺに手を添えちゃってぇ……どうしちゃうんですか?」
「さて、ピタリとくっついてしまうようだからな。兄として、妹が一番喜ぶ部分で固定するつもりだとも」
「舌ですかぁ、兄さんも好き者ですね♡」
唇のつもりだったのだが些細なことだ。
では、うっとりと瞳を閉じて顎を上げる妹の、そのちろっと出した舌へ失礼して……、
「──ああこれ、『リア充が爆発する薬』なんだって。その充実具合で爆発レベルが変わるとか。ふふ、まさかね」
「むふー、でしたら兄さんは大爆発ぅ♪」
カッ──!!
「ちょっ、ジンの目とか口から光が漏れて……!?」
「うおあ~」
「兄さーん!!??」
ボーンッッッ!!!
そんなどこか間抜けな爆発音と共に弾ける我が肉体。閃光の後には、足跡の影くらいしか残っていない。手榴弾をくらった兵士などはこうなるのではなかろうか。
「ば、爆発した……本当にこの眷属、ギャグみたいに爆発した……」
「兄さん、私を庇って……」
打ちひしがれる二人。いやリゼットはドン引きしているだけのようだが。
ふ、諸人であれば身体が光る程度で終わるのだろうが、なめてもらっては困る。見事な爆発だったであろう? 我が愛は"びっぐばん"なのだ──!
──ガンッガンッ!
その時、屋敷の扉を鉄輪で強くノックする音が響き、続いてドタバタとこちらへ走ってくる無遠慮な足音が聞こえてきた。
そのまま慌ただしさを隠しもせずに談話室へ乱入してくる者は……、
「ど、童子切! 童子切ぃー!」
黒のカツラも振り乱し、縋るような声を出すのは笑顔の魔法の繰り手・吉良坂ガーネットである。土曜の午後五時によく聞くような声色だ。
「ど、童子切ぃ~!……あれ、いないの?」
「いたというか……」
「跡形もなく爆発しちゃったといいますか……」
「お、おう……ヤロー、ついにハーレムを羨む何者かの呪詛にでもやられて爆発しやがったか……成仏してくれよな。ハーレムはあたしが責任持って引き継ぐからよ……」
「たわけ、ここにいるぞ」
「うおぅい!?」
天井あたりに漂っていた爆煙から、我が身を再生させ降り立つ。造作もない。
そんな俺に対し、ガーネットがひきつりながらも指を指してくる。
「で、出やがったな初心な乙女を食いものにするエロエロ魔人がよ。爆発しちまうほど何してたんだ正直に言ってみろやー!」
「妹と舌を絡ませようとしたら、"りあじゅう"なる者が爆発する薬を飲んで爆発四散した」
「そういう風にはできてねーのに爆発させてんじゃねぇよ仕様外でのトラブルは基本お断りよー? でもお買い上げありがとうございます! あとナチュラルに舌絡ませるとか言ってんじゃねぇ! ち、ちょっと羨ま──」
「して、何用か。先日、組合への生放送に関する報告で『下手したらこれで魔法使い検定一級とれちゃうかもな!』とウキウキしていたではないか。それの進捗でもあったのか?」
「ぎゃー! そうだったそうだった!」
界隈に金を落とすことに頭を下げるガーネットが、思い出したかのように再び慌て出す。髪色からしてこの少女は、出会った頃から見ていて飽きない彩りを見せる。
「そ、それがさぁ──!」
だが、泣きそうな顔で言うこの魔法使いの次の言葉に、俺達も顔色を変えたものだ。
「魔法が──使えなくなっちゃったんだよぉ!」
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