第281話「ろんぐろんぐあごー」



 確かに『吉報を待つ』と、俺は言った。


「……遅い」


 だが、数日も待つとは言っていないのだ。


「ぬぅ……」


 学園の昼休み。教室の椅子に座る我が膝も、苛立ちにガタガタと揺れておるわ。

 まったく、油断していた。ガーネットが魔法を使えなくなった理由、それを母に聞くだけならば、彼女からすぐに連絡なりなんなりが来るものだと。

 そうすればすぐさま原因を除去し、彼女を王道へと進ませられる。だというのに……いまだ音沙汰無しとは。いったい何を手こずっているというのか。


「刃君、どうしたの?」

「ん……綾女か」


 我が身の放つ重圧に耐えきれず教室を辞す者もいる中、普段と変わりなく声を掛け、隣の席に座る少女。

 もちろん、我が友・綾女である。今日も人への思いやりに溢れた朗らかな笑みが眩しい。きっと俺が苛立っているのを見て、気を遣ってくれたに違いない。好きだ。


「先輩のこと?」

「ああ」


 彼女がキョトンと首を傾ければ、カフェオレ色の髪が肩口をくすぐる。

 綾女も、ガーネットが魔法使いであることや俺が彼女に助力していることは既に承知済みだ。しかし、魔法を使えなくなった出来事については話していなかったように思う。ガーネットが綾女に連絡をしていなければの話だが……俺から伝えておくか。


「それが少々面倒なことになっていてな。いや、より面倒になるかも知れぬことへの報告待ちといったところなのだ」

「そうなの? 事情は聞いてないけど、私にできることがあるならなんでも言ってね!」


 言って「えっへん!」と豊かな胸を張る綾女ならば、どのようなことでも二つ返事で協力をしてくれるだろう。友情は見返りを求めぬからな。俺も彼女からの頼み事であれば、二つ返事で世界すら滅ぼそう。


「それで先輩がどうしたの?」

「それがな、如何な理由からか魔法が使え──」


 と、言いかけた言葉を切る。

 ……綾女に続いて、己の席に戻ってきた少女がいたからだ。


「?」

「あ、橘さん……」


 ……いかんな、聞かれたか?

 不思議そうにこちらを見つつ窓際の席にゆったりと座れば、光の加減によって青みがかっても見えるセミロングの黒髪がサラサラと流れる。

 橘愛。彼女には、こちらの事情は話していない。失声症を患った彼女に、これ以上の負担を課したくはないという判断からだ。

 スケッチブックに何やらスラスラと文字を綴る橘の様子を、裏の事情に繋がる俺と綾女が窺っていれば、橘が首をコトリと傾げながらスケッチブックをこちらへ向けた。


『魔法?(←画数多くて書くの大変)』

「む」

「うっ」


 光の届かぬ水底のような瞳が、唸る俺と綾女を静かに見つめる。それにしてもよく『魔』を書けたものだ。


「えっと、ね……」


 綾女が言葉に詰まる中、さてどう誤魔化したものか。まさか今の時点で橘も、『この世には魔法がある』とは思っていまい。

 以前のように、ゲームの話だと誤魔化せばいいだろうか。とはいえ俺も綾女もそんなにゲームを嗜む方ではない。この理由も、多用は可能な限りは避けたいところだが……、


「あっ、そうだ!」


 思わず顎に手をやっていれば、綾女が何か思いついたのかポンと手を叩き、机横に掛けてあった鞄を漁る。そこから取り出したるは……、


「こ、今度ね? ボランティアの一環で、保育園に絵本の読み聞かせに行くの! ちょうどその内容を話してたんだ!」


 少々早口だったが、なるほど。

 冷や汗が見えるものの、それを行うこと自体は本当なのか、綾女は大判の本を掲げてみせる。長方形の、よくある装丁の絵本だ。

 全体的に青い表紙。中心には木の枝のような魔法の杖を持った少女。タイトルは……『幸せの魔法使い』か。俺も昔は刀花に、寝物語に読み聞かせなどをせがまれたものだが、聞いたことのないものだ。


「ほう」

「──」


 俺の感心した声と、橘の『おぉ~』とでも言うような拍手を浴びて、綾女も安堵した様子で息をつく。なんとか乗り切れたな。


『聞きたいです、読み聞かせ』

「えっ」


 ……橘がにっこりとスケッチブックにそう綴って無茶振りをしているが、頑張れ友よ。


「え、えー……?」

「(キラキラ)」


 おお、橘の瞳に光が戻っている。図書委員ゆえ、そういった物が好きなのかもしれん。


「俺も聞きたい」

「じ、刃君までっ!」


 すまぬ。助けてもらった矢先にこの裏切り、本当にすまないと思っている。

 だが優しく絵本を語り聞かせる綾女の姿は、きっと聖母のように映るに違いない。俺はそれを見てみたい……おぉこれがガーネットの言っていた概念、“ばぶみ”というやつなのか!


『((キラキラ))』

「あー、うー……しょ、しょうがないなぁもぉ……」

「いえーい」


 橘と期待を込めた視線を送っていれば、綾女はちょっぴり呆れたように苦笑して了承してくれる。これには俺と橘も思わずハイタッチだ。


「まだ練習中だから、あんまり期待はしないでね?」

「橘、スマホに“ぼいすれこーだー”なる機能があったはずだが、どれだ?」

「じ~ん~く~ん~?」


 大人しく聞こう。頬を膨らませる可愛い綾女も見られたことだからな。

 鑑賞のため俺と橘が椅子を向ける中、綾女が「こ、こほん」と一つ咳払い。そうして胸の前に絵本を掲げ、その物語のページを捲った。


「『昔々あるところに』」

「外国製と見えるが、どの国でもその文言で始まるものなのだな」

「……」


 なにやら橘が両手で握りこぶしを造り、己の顎に並べて当てている。

 ああ、なるほど。編入試験の時に英文でチラリと見たぞ。“ろんぐろんぐあごー”というやつだ。この少女はとても静かに茶目っ気を出すものだから、時々反応に困る。もっと前に出てもいいのだぞ?


「このスケッチブックは雄弁に主張しているというのになぁ」


 沈黙の少女の肩から提がる、革製のカバーに覆われたスケッチブックを手に取る。

 そのとあるページ……ページの端に特に使い込まれた形跡のある奥まった部分、そこを開けば──『好きです』や『デートに行きましょう』に始まり、『愛しています』から『今夜は帰りたくありません』などといった情熱的な文言がこんにちはである。


「? ……ッ!? ~~~!!!」


 それを見られていることに気付いた橘が、ビクゥっと肩を跳ね上げ、真っ赤になってどこからともなく出したハリセンで俺を叩き始める。そのハリセンの表面に躍る文字は『不法侵入罪』だ。

 はっはっは、また乙女の聖域を暴いてしまったか。色取り取りのビーズで作られたような、微笑ましい宝を前にするとついな。まったくいじらしい乙女よなぁ?


「はーい、良い子にしないとお姉ちゃん困っちゃうなぁ。みんな静かにできるかなー?」

「できるー」


 おっと、思わず幼児退行したような声を出してしまった。俺に幼児の時期などないが。

 橘と共に元気よく手を挙げ、再び席に着くのを見届けた綾女が「もう」と息をつき、今度こそ絵本を語り聞かせてくれる。


「『昔々あるところに、一人の女の子がいました。その子はなんと魔法使いで、人々を魔法で助けて暮らしていました』」


 ゆっくりと、丁寧に。そして抑揚を付けた綾女の声は心地良く鼓膜を揺らす。ページを繰る手つきもどこか優しく、しっとりと絵本の世界へと我々を誘った。


「一生聞いていたい」

「(コクコク)」

「っ……『そ、その女の子は、魔法で人々を幸せにすることが大好きでした。周りの人々も、不思議な力で助けてくれる女の子にとても感謝をしていました。その女の子の周りには、いつも笑顔が溢れていたのです』」


 照れて頬を染めながらも続ける綾女も可愛らしい。本番では子ども達からどのような言葉を投げかけられるか分からんからな。

 そうこうしながら、物語は続く。魔法使いの少女が、魔法を使って傷を癒やし、時には緑を豊かにし、困っていた人々を助けていく。そんな話がいくつか続いた。


「『そうして人々から感謝され、幸せそうな人々を見て女の子もとても幸せでした。満ち足りていました。しかし──』」


 だがふと、朗らかだった綾女の声が少し落ちる。捲ったページの色も、どこか暗い。


「『……気付けば、女の子に困りごとを相談する人々は、いなくなっていました。人が周囲からいなくなったわけではありません。周りを見れば笑顔、笑顔、また笑顔。みんな、満ち足りて……女の子に頼むことがなくなってしまったのです』」

「……」


 ほう……と橘からため息が漏れる。綾女の上手い語り口に没入しているらしい。


「『幸せなはずなのに、これは良いことのはずなのに……皆が幸せに過ごす姿を見て、女の子は少し寂しくなってしまいました』」


 それにしても……なんとも因果なものだな。満ち足りた人間に、救いはもはや不要というわけだ。


「……」


 もし、これが絵本ではなく現実であれば、魔法使いなどという異物は、恥知らずの人間共から排除されて然るべき展開となるはずだが……さて。


「『そうして今日も独りポツンと、幸せな皆を眺める日が来る……女の子はそう思っていました』」


 だが、そうはならない。

 これは現実ではなく、子どもに夢を見せるための御伽噺なのだからな。


「『ノックの音に扉を開ければ、そこには多くの部下を連れた王子様が立っていました。少しだけ驚いた女の子でしたが『何かお困りですか』と、昔に戻ったかのように笑顔で言いました』」


 頼られて嬉しいというわけだ、職業病だな。気持ちは分かる。

 しかしこの急に出てきた王子とやらは誰なのだ。童話はいつも唐突に王族を出す。

 俺が半眼で、橘がワクワクした様子で見つめる中、ここが山場なのか綾女の声にも力が込められる。


「『王子様は言いました。『はい、とても困っているのです。私には幸せにしたい相手がいるのに、その方法が分からないのです』と』」


 おお、綾女が懸命に低い声を出そうとしている。

 普段から可愛らしい音色のため、青年ではなく少年のような声色となっているが。うむ、可愛い。


「『女の子は『そのお相手とは?』と尋ねました。すると王子様は、女の子の前で跪いてこう言いました──』」


 そうしてページを捲れば、そこには大輪のバラを差し出す王子様の姿がある。


「『あなたです。昔助けていただいた頃から、ずっとお慕いしていました。僕とどうか結婚してください。そしてあなたを幸せにする方法を、どうか僕に教えてください』と』」

「~♪」


 橘が指笛を吹く。興奮しているらしい。

 なるほどな。他人を幸せにするばかりだった魔法使いが、今度は自分が幸せになる番というわけだ。

 頷いていれば、この結末が好きなのか綾女も楽しげに笑ってページを捲る。そこには、純白の衣装に身を包んだ王子様と魔法使いがいた。


「『自分を幸せにしてくれる王子様を見つけた魔法使いの女の子は、もう幸せのために魔法を使う必要はありませんでした。そうして、かつて魔法使いだった女の子は普通の女の子に戻り、王子様といつまでもいつまでも、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし……』」


 お決まりの締めの台詞を言い、綾女が静かに本を閉じる。

 そうしてしばらくの余韻の後、照れくさそうに上目遣いでこちらを見上げてきた。


「えっと……こんな感じ。ど、どうかな?」

「うむ、堂に入っていたぞ。これならば今後、子を為しても心配は要らなさそうだ」

「~~~♪」


 橘と共に拍手を送れば、はにかんだ笑みが返ってくる。いや上手いものだった。俺も思わず聞き入ってしまったほどだ。


「ふふっ、ありがと♪ この絵本、お気に入りだったから嬉しいなぁ」

「そうだったのか」


 妙に力が入っているなと思っていれば、やはりそうだったらしい。思い入れがあるのだな。

 大切なものであるかのように、綾女が絵本を抱いて唇を綻ばせる。


「やっぱり、物語はハッピーエンドでないとねっ」

「……まぁ、理解のできる話ではあった。情けは人の為ならず、というやつだ」

「うんうん、やっぱり神様は見てくれてるんだよ! 刃君も日頃から積もう、善行!」

「考えておく」


 拳を握って力説する綾女だが、俺は自分の命運を天に任せるなどしたくはないので適当に誤魔化しておく。

 俺は俺の力で幸せを掴み取ると決めている。それに、己の運命を誰かに預けるなど……そんな器用な真似、他人を基本的に信用せぬ俺にはできんよ。人間を怨む俺にはな。

 少しだけ鼻を鳴らしていれば、橘が文字を綴っている。


『特別だった女の子が、最後に皆と同じような人並みの幸せを手に入れる。いいお話ですね。青い鳥のようで』

「でしょ!? 私達も小さな幸せを見逃さないよう、笑顔で生きていきたいよね!」

「 b 」


 少々スケールが大きくなっている気がしないでもないが、つまりはそういうことなのだろう。

 所詮は人間にとって、己の身の丈に合った幸福がもっとも得難く、それがもっとも幸せなことなのかもしれん。


「……」


 二人が楽しんでいる手前、何も言わんが……俺は少々、その結末が気に入らない。理解はできるが納得がいかん。

 特別な力を身に宿しながら、最後には言われるがままに只人へ堕ちるだと?


「ふん……」


 ──情けないにも、ほどがあろう。









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