第261話「このプレイボーイがー!」
さて。
部屋の中央では吉良坂が座禅を組み、己の内側と向き合っている。
魔法使いにとって、魔法という力は身体の一部である。だが、赤ん坊が己の手をじっと眺めてその機能を知るように、見えぬ部分にある己の輪郭を改めてなぞることもこの娘にとっては必要な工程だろう。
難しそうな顔をして瞳を閉じる吉良坂。それを横目に、俺達三人は──、
「そういえば冬休み明けたけれど、トーカってダイエットしたの? リ○グフィットあるけどやる?」
「ちょっと何言ってるか分からないです。我流・酒上流──フ○ルコンパンチ!」
「っと、あっぶな。ちょっと、溜め技ばっかりやめなさいよね」
「力みなくして解放のカタルシスはありえないのです……あー! 投げないでくださーい!」
「柔よく剛を制す……激流を制するは静水なのよ。あとそこでさっさと残機無くなってるジン、妹の体調管理がなってないんじゃないの? お腹の具合を確かめて差し上げなさい」
む、どれどれ……。
「おぉ、見事に摘まめてしまうなこれは。ふかふかに加えてもちもちである」
「はぅんっ、盤外戦術とは卑劣です!……しかし見誤りましたね。今私は、兄さんのお膝に乗りました。これがどういうことか分かりますか?」
「さぁ? はい私の勝ち。ふふ、じゃあ今日の晩御飯はハンバーグにでもしてもらおうかしら」
「あー!? 一体化した兄妹パゥワーをお披露目する間もなくー!?」
やんややんやと。
俺達は談話室のテレビにゲーム機を繋げて、休日を満喫していた。
テレビ画面には今、リゼットが操っていたキャラクターが勝利のブイサインをキメている。刀花もゲームは苦手ではないはずだが、さすがにやり込んでいるリゼットと比べれば一つ落ちる。ちなみに俺は早々にコンピュータにやられてしまっていた。ぬぅ、猪口才な……。
「うわーん、兄さぁん!」
負けた刀花がポニーテールを揺らし、ガバッとこちらの腰に抱き付いてくる。余裕をもって勝利を収められたのが悔しいらしい。
「よよよ……野蛮な吸血姫さんにボコボコにされてしまいました……もう刀花はお嫁に行けない身体に……!」
「それは大変だ。ならば責任をもって俺が貰わねば」
「わーい! ふっふっふ、これが試合に負けて勝負に勝つということなのです。ところで兄さん、今日の妹の服装についてどう思いますか?」
「む?」
諸手を上げて喜んだ後、刀花はちょこんと首を傾げてそう問うてくる。
今の刀花は、モコっとした白いセーターを着用しておりとても暖かそうな印象である。可憐な少女の、穏やかな休日の装いといった具合だ。
しかし、こちらの漠然とした感想が意に沿わぬものだったのか、刀花は少しだけ頬を膨らませ、一度身を離してこちらにその服装を見せつけた。
「ほらほら、縦セタですよ、縦セタ。大きいやつを着てますので、スカートもいらない優れものなんですよ?」
「ほほう」
どうも"縦"ということと、"下履きを着用していない"部分がポイントらしい。
だが確かに、改めて見るまでもなくそれは素晴らしい眺めだ。
「なるほどな。セーター表面に浮く縦線が大きく曲線を描き、その豊満な乳房をより強調する形となっている」
「むふー、いい目の付け所ですねぇ! その通りです!」
「ただの変態の目線でしょ」
リゼットの冷たい声は、努めて聞かないようにする。
「ペタンと絨毯に座り、ニーソとセーターの間から見える健康的な太股も目に眩しい」
「むふふ、どうです? 可愛いですか?」
「俺の妹だぞ? 可愛くないわけがない」
「チューって、したくなっちゃいました?」
「もちろんだとも」
「きゃあん、もう兄さんったらぁ♪」
「いや今の思いっきり言わせたでしょ」
一も二もなく頷けば、刀花は頬を押さえ「やんやん♡」と嬉しそうに首を振り、リゼットは白い目を向けてくる。だが、その程度で止まる俺の妹ではない。
「じゃあじゃあ、兄さんは最初に負けちゃったので、罰ゲームとして妹とチューしなくちゃいけないことにしますね!」
「それはマスターが最下位になった時にも適応されるのか?」
「うーん……まぁリゼットさんならいいですよ?」
「よくないのよ私が」
これは是非とも次の勝負でリゼットを最初に負かさねば。
俺がそう決意に燃えていると、こちらの膝の上にすり寄る妹が甘い吐息を漏らす。
「じゃあ兄さん? 目を閉じてくださいね……」
「承知した」
「ふふ、素直な兄さんは大好きですよ。それではそれでは……んー♪」
「ねぇ、普通一位の私がそれをすべきなんじゃないの常識的に考えて。いやしないんだけど」
こちらの頬に、妹の柔らかい手のひらの感触。
そうして蕩けるようなバニラの香りが鼻腔をくすぐる中、リゼットの言い分もどこへやら、刀花はそのまま兄の唇を奪うべく身体を傾け──、
ブチッ!
「あ゛ー! うるせぇーーー!! 人が集中してる横でス○ブラした挙げ句イチャイチャするなーーー!!!」
血管の切れる音と共に、吉良坂がピンク髪をガリガリと掻き毟りつつ喚く。随分と呑気な反応だな。
「今更何を」
「我慢しとったんじゃー! つーか、さっきはノリで『分かった!』って言ったけど、いや"力の在り方"ってなんぞや!? そんなもん言われてもよく分からねぇぜだからあたしもス○ブラ混ぜて挑戦者が現れました! ウー↓ウー↑ウー↓ウー↑(サイレン)」
ズザァと絨毯の上をまるで旗取りのごとく滑り、余っていたコントローラーを強奪していく。
「おい、それは綾女用のものだぞ」
「マジ? ラァッキィ~~、ペロペロしちゃお~。はぁはぁ、これがママの味……!」
「きっもち悪いわねぇこの魔法使い……」
あとで中古品として売り払っておかねば。
元トップジュニアアイドル使用済みコントローラーか……む、癪だが売れそうだな。
リゼットの冷たい視線など意にも介さず、吉良坂はひとしきりコントローラーを愛でた後、テンション高くゲームに参戦する。
「ぐへへ、ちなみにこれあたしが最下位になったらリゼットちゃんや刀花ちゃんからチュッチュしてもらえんの?」
「誰がさせるか。その時は俺が、貴様の血を一滴残らず啜ってくれるわ」
「死ぬ罰ゲームはやめろォ! それにさっき吸われたのだって、内心では結構ドキドキしてたんだかんなー! アイドルの首筋に軽率にキスマーク付けやがってよぉ……文○砲食らったらシャレになんねーんだかんなー!?」
「ふん、その時には記者ごと闇に葬ってやろう」
暴力は全てを解決するのだ。
しかし吉良坂はガチャガチャとボタンを押しつつも嘆いている。何かを惜しむように。
「ああ……これから握手会に来てくれるファンも『ああ、でもこいつ他の男から吸血されたんだよな……』ってちょっとした寝取られ気分を味わっちゃうじゃん……アイドルは恋愛禁止なんだかんなぁ?」
「他のファン全員に吸血されればよいではないか」
「握手会ならぬ吸血会!? 斬新だなぁおいレバーいっぱい食べなきゃ!」
「一気にうるさくなったわね……」
「最初からうるさかったとあたしは思いますぅー! おらっ、リゼットちゃん落ちろ!」
「きゃー!?」
おお、リゼットが押されているぞ。なかなかの力量を持つようだ。
「へいへーい、五年間活動休止してるニートなめんなー?」
「誇らしげに言うことじゃないでしょ……う、このっ」
「あ、そうだ。じゃあ、あたしが勝ったら童子切ちょうだい♪」
「妹キーック!!」
「うおー!? 予期せぬ伏兵ー!?」
我が身を欲する言葉を聞き、様子を見守っていた刀花が吉良坂に狙いを定める。迂闊な発言だったな。
「兄さんはあげません!」
「まぁ、この子貸すってことは核のスイッチ渡すようなものだから……」
「君らよくこのおっかないのと生活できてんね」
余計なお世話だ。
俺がそう睨んでも吉良坂は余裕を崩さず、むしろ辟易とした様子でため息をつく。
「いやほんと、すっげぇお尻しばかれたしねあの夜。あれは効いたわマジで」
「じ~ん~?」
「比喩だ、比喩」
今にもこちらの胸ぐらを掴んできそうな気迫を発するリゼットだが、吉良坂はあの夜に発破をかけられた時のことを言っているのだ。
俺が好き勝手に言ったことをだいぶ根に持っているのか、吉良坂は唇を尖らせブチブチと文句を垂れる。
「『逃げるな!』とか『負け犬』とかさぁ、君らのダーリンちょっと厳しすぎんよー?」
「ああ……確かに、そういうところあるわよね。私も刀抜こうとした時に『弱き吸血鬼』とか言われたもの」
「だべ?」
だべ? ではない。なにを得意気な顔をしているのだ。
「俺が貴様に優しくする道理など最初から無い」
「えー? いやいや未来のトップアイドルよ? 今の内に優しくしといたら、もしかしたらガーネットちゃんが恋に落ちちゃうかも☆」
「隙ありだ」
「おっテメー、無視してあたしのキャラ殺そうとするとかいい度胸してんねぇ! アイドルと秘密の恋愛とか男子の憧れじゃん?」
「知るか。俺は身分程度で人間を判別などしない」
「おぉ、なんか意外に良いこと言って──」
「人間など等しく塵以下だからな。判断する価値もない」
「君らよくこのおっかないのと生活できてんね。ブーブー、スパルター、冷血漢~。そもそも漠然としたアドバイスじゃよく分からんぞー、責任者を出せ~」
達者なゲームの腕を見せつつ、吉良坂は抗議の姿勢を見せる。
……ちっ、口の減らないやつだ。
「……魔法が身体の一部と言うのなら、その発現についても、貴様の成長がある程度伴っているはずだ」
「おっ?」
犬のような耳が付いていればピーンと立つような挙動を見せ、吉良坂が期待に目を輝かせる。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず。まずもって、貴様がなぜそのような"エガオの魔法"を持つに至ったかを知るのがよかろう」
一気に物事を考えようとするから糸が絡まるのだ。一つひとつ、順を追って己の内側を解明していけばいい。
人間とは、己で把握できぬモノを過剰に恐れる存在であるがゆえに。知ることこそ、恐れを克服する唯一の鍵なのだ。
「なるほどなぁ……あたしの原点ってやつね」
すると吉良坂は、どこか遠い目をして語る。
その透明度の高い柘榴色の瞳に浮かぶのは郷愁か、それとも愁傷か。
「ああ、そうだ。あれは確か、昔お隣で飼ってたワンちゃんがね……」
「あ、ちょっと待って動物系の話は絶対泣くから……」
感受性の高いご主人様が既にハンカチを用意しようとしている。だがコントローラーから手を離していいのか? 吉良坂が問答無用で攻め立てておるぞ。
「すっごく可愛くてさぁ……あたしにもよく懐いてお散歩とかにもよく行ってたのね」
「うんうん」
「……」
…………。
「…………あれ、それで?」
「え? そんだけだけど……」
「はぁーーー!?」
「順に思い出してくって言ったじゃーん!? ただつい、昔のあの子は小さくて可愛かったなって思っただけでー!? ちなみにそのワンコは今も元気にお隣さんの庭を走り回ってます! あ、はいリゼットちゃん負け~」
「あー!?」
紛らわしい言い方をしおって、まどろっこしい。
「何を恥ずかしがっておるのか……」
「は? 別に恥ずかしがってなんかないが?」
「では言ってみろ。心当たりがあるのだろう」
「う……」
恥じらいがあるから、そのように誤魔化しに走るのだろうが。この小娘はどうも定期的に尻を叩かねばならん性根をしているらしい。五年も立ち止まっているわけだ。
じっと睨みをきかせていると、吉良坂は「あー……うー……」と唸る。
「ぐ、うぅ~……お、お母さんが……さ……」
「ああ」
こちらを見もせず、吉良坂は手慰みにコントローラーをカチャカチャと弄る。その頬は、少し赤い。
そうして言いにくそうにしばらく口をゴニョゴニョとさせた後……ボソッと、吉良坂はそれを口にした。
「……あたしが小さい頃……劇に出た時とかに……『すごく頑張ったね』って、笑ってくれたのが……嬉しくて……」
………………。
「な、なんだょ……わ、悪かったな特にドラマの無い話でぇー! そうだよお母さん大好きなんだよどうもすいませんでしたぁー! ママ大好きー! オギャー!」
吉良坂がそれはもう顔を真っ赤にして暴れ出す。
だが、なるほどな。魔法も、そしてなぜ人前に立つアイドルを志そうとするのかも、よく分かる話であった。リゼットと刀花の瞳も優しく細められている。
「ぐっぬっ、その生温かい視線をやめろぉ……」
「いや……それは、諦めきれぬ理由としては上等だ」
「うぅ~……ま、マジでそう思ってる?」
「ああ」
ブスッとした顔で聞く吉良坂に頷く。その理由を、馬鹿になどできない。
特に、この俺にはな。
「──家族の笑顔の為。それが、なによりの行動原理にも成り得るというのは、この俺もよく知っている」
「うぉ、ちょ、ちょい……アイドルの頭を事務所の許可無く撫でていいとでも、お、思ってんのかぁ~……」
「なに、なかなかに親近感が湧いた」
力無い罵倒を寄越す吉良坂の、小さい頭をこねくり回す。
「わ、笑うなら笑えよ……昔バラエティで言った時はドッカンドッカン受けたネタだぞ……」
「笑うものか。人の動く理由など、突き詰めれば簡素なものとなるのが道理」
この無双の戦鬼とて、奉仕する理由は少女達の笑顔のため。それこそが我が覇道の勲なのだと、俺は誰に対してであろうと憚り無くそう言える。
ならば、どうしてその理由を笑えようか。
「誇れよ、魔法使い。貴様が胸に抱くその理由は、貴様が一所懸命となるに相応しい。誰がそれを笑おうと、この童子切安綱は決して笑わぬし、これからは誰にも笑わせんと誓ってやる」
「っ──」
我が宣誓を聞く吉良坂の、その頬がカアァァっと桃色に染まっていく。その瞳もどこか潤んでいるようにも見える。
「……う」
そうして真っ赤な顔で俯き、小さくそう呟いたかと思うと……、
「うっ、うるせーーー!!」
バッと俺の腕を振り払い、バタバタと玄関に繋がる扉の方へと駆けていく。
そのまま出て行くのかと思いきや、吉良坂はほぼ涙目でこちらに振り向きビッと指を差す。
「ちょ、調子に乗んなよな安綱ァ! 今日はこのくらいで勘弁しといてやるぜぇ! バーカバーカ! このプレイボーイがー!」
「どこへ行く」
「サ店に行くぜ!!」
羞恥に耐えきれないのか、吉良坂は綾女に癒やしを求めに行くようだ。
まぁ、一朝一夕でどうにかできる問題でもなし。少しは一人で考える時間も必要だろう。
そう結論付け、逃げるようにして遠ざかるその背中を見送った。鼻を鳴らして。
「ふん。とはいえ、この程度で恥じらっているようではまだまだ先行きは不安だな。己の根幹を成す芯鉄程度、顔色一つ変えずに言えるようにならねば、己を信じ切ることなど夢のまた夢よ」
「そういう事じゃないと思うけど……このおバカ」
「兄さんの良いところと悪いところが出ちゃってますよ~、事実陳列罪です。私は別の意味で先行きが不安になっちゃいました」
じっとりと目を細めて言う主と妹に肩を竦める。
そうしてまた戯れに、俺はゲームのコントローラーを握るのだった。
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