第260話「魔法使いが弟子」
週末を迎えたブルームフィールド邸の談話室。
暖炉の優しい熱と、穏やかな午後の日差しが降り注ぐ室内にて、俺達は改めて顔合わせをおこなっていた。
「というわけで、このピンク色魔法少女に力を貸すことになった」
「よろしゃあねぁしっしゃっしゃぁいす!!!」
「なんて?」
解読不能な挨拶と共に勢いよく頭を下げる吉良坂に、我が主が素で突っ込んでいる。アイドル的な業界用語なのかもしれん。
リゼットと刀花がソファに深く腰掛けているのに対し、俺の隣に立つ吉良坂はなぜかその低姿勢を崩さない。その表情は、どこか媚びを売っているようにも見える。揉み手もしておるし分かりやすい。
「いやぁ~へっへっへ、リゼットパイセンと刀花パイセンは、今日もアレっすねぇ、なんつーんですかぁ? なんつーか……アレっすよねぇ、へっへっへ」
「どれよ……」
語彙力皆無の媚びの売り方に、刀花ですら困った笑顔を浮かべているぞ。
「何がしたいのだ貴様」
「ばっか、おめー。芸能界で芸歴は絶対よー?」
なるほどな、つまりは力の使い方を熟知している二人は自分より先輩であると、この魔法使いはそう言いたいようだ。いい心懸けではある。
そんな殊勝な態度を見せる今日の吉良坂の服装は、あのヒラヒラゴテゴテした魔法少女の衣装ではなく、目立たない茶色のチュニックと赤黒チェックのロングスカートを纏い、全体的に暖色の大人っぽい雰囲気でまとまっている。服屋の展示でそのまま使われていても違和感のない仕上がりだ。
さすがに元アイドルと言うべきか、この辺りのセンスはリゼットと同等かそれ以上らしい。とはいえ……、
「あ、カツラ取るの忘れてたわ」
「それカツラだったの……」
ズルリ、と。長い黒髪が滑り落ち、長時間見続けていれば目に悪そうなピンク髪が姿を現わした。
改めて見るまでもなく、なんとも不可思議な色合いだ。刀花も物珍しげに「おぉー」と吐息を漏らしている。
「それ、本当に地毛なんですか?」
「そうよー? アイドルやるなら、とにかく印象に残らないといけないから結構便利よ? じゃなかったら誰が好き好んでこんな分量間違えたタラコパスタみてーな髪型すんのさって感じ」
「悪目立ちしている自覚はあるのねこの子……」
「きらっ☆ 煌栄ガーネットちゃんだゾ☆ 今日はちゃんとあたしの名前を覚えて帰ってねー?」
忘れたくても茶碗に付いた米粒のように頭にこびり付くなこれは。
ペロッと舌を出し、目元にブイサイン。おまけは常より高く甘い声色。常人ならば恥じらいを抱きそうな一連の動作を躊躇無くおこなうその様に、我が妹も興奮を隠せない。
「ほ、本物のアイドルさんですー!」
「イロモノ枠でしょ」
「んもー、リゼットちゃん、そんなこと言っちゃダメだぞ☆ あたしはただの、元生徒会長で元トップジュニアアイドルで自分の魔法が怖くて使えない二流魔法少女ってだけの可愛い女の子なんだからね♪」
「どう聞いてもイロモノ枠でしょ。家系ラーメンに入った時って多分こんな感じだと思うわ」
「こってりをお届け☆ おらっ、最後まで食え!」
めげない。押しが強い。アクも強い。やりたい放題である。
しかし、そんな傍若無人な正義の魔法少女は「あ、そうだ」と声を上げ、リゼットと刀花に向け少し居住まいを正した。
「いやこの前はありがとね、この童子切を使って……なんて言うの? 発破をかけてくれて。あたしも色々吹っ切るいい切っ掛けになったわ」
「あら……」
頭すら下げる控え目な態度に、リゼットが意外そうに吐息を漏らすが……照れくさそうに「ふん」と鼻を鳴らした。
「いいのよ、ジン目当てに周りを勝手にウロチョロされても困るし。それに、見える範囲で助けを求めている子に手を伸ばさないのは、私の誇りに反するわ。ノブレス・オブリージュってやつよ」
ツンと顔を背けつつも、そんなことをつらつらと言ってのける。さすがは俺のマスターだ。
「分かりやすく言えば、我が主は『可哀想だったから助けてあげる』と言っているのだ」
「もしかしてあたしの新しいママ……?」
「誰がママよ。というかジン! 変な意訳しないの!」
頬を染めて牙を見せる我が主は大変可愛い。
己が眷属の身を狙う不届き者に対してさえ「放っておけないわ」と言い切った、あの夜の誇り高きご主人様に、俺は惚れ直したものだ。
その横で、刀花も吉良坂に向けにっこりと微笑む。
「私も、何ができるかは分かりませんがお手伝いしますね。アイドルさんも魔法使いさんも、私の憧れなんです!」
「おいおいよく見れば妹ちゃんもおっぱい大きいし甘え甲斐のあるママが増えちまったよ……なんだここあたしのバブみ御殿かー……?」
勝手に何かが建設されている。
「そのパイパイをP〇yP〇yで売買してぇ~……そういや薄野ちゃんは? ここに薄野ママがいたら無限にオギャれる。ウロボロスオギャリストになっちまうぜー?」
「今日は喫茶店のシフトが入っているため不在だ」
「えー、しゃあねぇ。今日は童子切の手垢が付いたママ二人で我慢すっかなー」
「いきなり失礼ねこの魔法使い……なによ手垢って」
「え、だって付き合ってんでしょ? だったらもうやることやってんでしょママになっちゃうようなことをよぉなぁ!?」
「ぶ──!?」
リゼットが真っ赤になって紅茶を吹き出した。
そんな彼女は「けほ、けほ……」と軽く咳き込みながら、眉を逆立てて反論する。
「し、してないわよそんなハレンチなこと!」
「嘘つけぇ! 年頃の男女が同棲しててやらんわけねぇだろうがい! こんなリアルハーレム築いておいてそういう事してなかったら逆に頭お花畑ぞ!?」
「ジン、この不愉快な頭ピンクに言っておやりなさい」
「吉良坂、よく聞くがいい。俺は──童貞だ」
「ファーーーーーーwwwwww」
俺の発言に、吉良坂は妙ちきりんな笑い声を上げた。嘲り成分が多分に含まれているため、とてつもない苛立ちを覚えたぞ俺は。
「うっそでしょ!? じゃあ逆に何してんのこの美少女達相手にさぁ!? え、胸くらいなら揉んでるっしょさすがに!?」
「触らせたことないわね」
「そういう雰囲気では兄さんに触ってもらった事ないかもです」
「薄野ちゃんは!?」
「手を繋いだくらいだな」
「おっまえ小学生女児が思い描く屁すらこかねぇ王子様かよ!」
逆に聞くが貴様は本当にアイドルなのかその口で?
「契約により、俺は彼女達を無闇に傷付ける事はできないのでな」
綾女はまた別枠ではあるが概ね同じようなものだ。
我が機構について軽く説明すれば、吉良坂はしたり顔で頷いている。その肩はプルプルと震えているが。
「あーはいはい、そういう主従契約系ね。強大な使い魔召喚する時とかで、反逆防止にたまにあるやつだ。で、でも……ブホッ……こ、こんな俺様ハーレム系が……童貞って……ご、ごめん良い事だよ? 良い事なんだけどね? やっぱごめんマジ無理ファーーーwwwww」
「殺していいか?」
「ジン、気持ちは分かるけどダメよ。気持ちは痛いほど分かるけれど」
腹を抱えて絨毯を転げ回る、これからアイドルに返り咲こうとする魔法少女推定十八歳。
ひとしきり笑った後、「ごめんごめん」と謝りながら立ち上がり、涙を拭う。
「いやー、いやでも良い事聞いたわ。だったら力を貸してくれるあたしにも強く当たれないってことでしょ? よかったぁ、あたしスパルタとか苦手だからさー。これからの関係に当たって、あたしは遠慮無く童子切をイジり倒し──」
ガシッ!
「うおぉぉお!!?? いたたたたたおいテメー! 事務所の許可無しにアイドルをアイアンクローしていいとでも思ってんのかー!? それに事務所が許しても世間が許してはくれりえゃあすぇんよー!!」
妙に甘い滑舌で抗議を上げるその顔ごと片手で締め上げる。
「調子に乗るなよ魔法使い。別に貴様が俺の新たな担い手になったわけではない。あくまで、主と妹の慈悲を“いただいている”のだと自覚せよ」
「は、はいー! 分かりましたー! リゼットパイセン、刀花パイセンマジリスペクトっすーーー!!」
「よろしい」
「いってー……顎関節症になって食レポとか出られなくなるとこだったぜー……」
頬を擦る吉良坂だが、力関係を理解したようで何よりだ。
「いやまあ分かってますって。これから世話になろうって子達だし、お土産も持ってきたのよ?」
「あら、意外にキッチリしてるのね」
ガサゴソと鞄を漁る吉良坂を、興味深そうにリゼットは見る。そうして取り出したるは……、
「はい、お母さんが作って余らせた惚れ薬ね」
「わぁい、いただきまーす!! ゴクゴク」
「すげー、ノータイムで飲んだよこの妹ちゃん。そもそも自分が飲むんかーい」
あまり変な物を口に入れて欲しくないものだ。
「どうです、どうです? 兄さん、妹にメロメロになっちゃいましたか!?」
「そもそもそれってどこに影響を及ぼす薬なのよ……自分? 周囲?」
「最初に目に入った人を好きになる薬」
「むふー、どうしましょう! 兄さんを見るとドキドキしちゃいます!」
「最初からでしょ」
「あ、既に好きな人を見ても効果は発揮されないからよろしく。そしたら効果が先送りになって──」
「リゼットさんってよく見ると食べちゃいたいくらい可愛い女の子ですよね……♡」
「貞操の危機──!! 当て身っ」
「うっ」
呻き、ソファに沈む刀花。我が主とはいえ、妹に暴力はあまり振るわないで欲しいのだが。
「んで、吸血鬼ちゃんにはねー」
「変な物出したら斬るわよあなた」
切れ長の紅い瞳を更に鋭くするリゼット。本気の目だ。
だが、そんな威圧的な目に怯みもせず、吉良坂はリゼットに近付き、
「はい。アイドルの血、吸っていーよ」
「えぇ……?」
髪を掻き上げ、うなじを晒した。そしてポッと頬を染める。
「初めてだから、優しくしてね……」
「なんかイヤー……」
「なんでさー!?」
苦手な食べ物の皿を遠ざけようとするように吉良坂の肩を押すリゼットだが、その皿がなんともグイグイ来る。
「なんで自分から吸われに来るのよ……」
「え、だって吸血鬼なんて初めて見るし。だったらいっちょ吸われとくかー、みたいな」
「そんな初めて献血カー見つけた女子高生じゃないんだから」
「それになんかこう、美少女に首から吸われるとか……エッチだなって」
「……」
「ふーう、ドン引きしてる顔もかわうぃ~。ね、ね、一口だけでいいから! 経験は何にも勝る芸の肥やしなんだから! 私を助けると思って!!」
「……はぁ、そこまで言うなら」
お優しいご主人様は、諦めたような顔をしてその首筋に唇を寄せる。吸血鬼に吸血されるという経験が、芸能界でどう役立つのかは知らんが。
とはいえリゼットも久しぶりに吸血鬼ムーブができることが嬉しいのか、存外軽い調子でその身を寄せた。
「……カプリ」
「っ! 新感覚……!? あ、吐息が甘い! 唇も柔らかい! あたしの心の中のリトルガーネットも『エーロ!』って叫んでるぅ!」
「誰よ……あ、でも魔法使いってだけあって魔力が乗ってて味は美味しいかも」
「脂かな?」
ゲテモノは珍味も多いと聞くが、どうやらその類いのようだな。どれ……、
「では俺も迷惑料として。ガブリ」
「まだリゼットちゃんが食べてるでしょうが! って、ぎゃー!? おいおいおい! これは美少女だから許されてるのであって男がしたら普通に通報案けぁんっ♡ おぉっとちょっと自分でもビックリしちゃうくらい可愛い声が出ちゃったじゃねーの! あ、だめ……ほんとこれ、すごっ……♡」
「「ちうちう」」
悶える吉良坂の両側からリゼットと共に血を吸う。この女は、もう少し血を抜いた方がいいと判断した。
そうして一定量、喉が潤うまで血を吸ったリゼットは牙を抜き、どこか妖艶に唇を舐める。
「コクコク……ペロリ。クス、ご馳走様。そう悪いものでもなかったわ」
「はー……はー……あ、う、うす……ごっつぁんです……これ、癖になったら責任取ってあたしのママになってもらうぜ……」
「それは知らない」
「ぺっ。不味いな」
「おっテメー」
俺の口には合わなかった。
さて、挨拶もそろそろいい頃合いだろう。
「して、貴様の目標は魔法を使いこなせるようになるということでよかったのだな?」
「お、おうよ。魔法さえ使いこなせるようになれればアイドルに戻れるし、一級にも受かって留学せずに済むし、待ってくれてるファンも大歓喜で万々歳よ」
なるほど、まさにそれだけが障害だったというわけだ。そしてだからこそ今、この力の権化たる無双の戦鬼を頼りに──、
「でも童子切ってさー、実際本当に強いのぉ~? いやー頼みにはしてるけど、そこんとこどうなんだろうって思ってぇー」
少し疑わしげにこちらを見る吉良坂。
まあ分からないでもない話だ。これから師事しようとする者の格を測ろうとするのは当然の事と言える。
この世の中、“何を言ったか”も重要だが、同じくらいに“誰が言ったか”も重要であるがゆえ。
俺は頷き、ソファに横たわる我が妹の肩を揺する。
「刀花、刀花」
「むにゃ、はれ、私はいったい何を……」
「刀花、吉良坂が力を見せて欲しいらしいぞ。手本としたいらしい」
「え? あ、はい。いいですよ」
ぴょんとソファから下り、刀花はググッと身体を伸ばす。
そんなどこか脱力するような光景に吉良坂は「可愛い!」と悶え、リゼットは「無茶はしないでね?」と釘を刺す。
「うーんそうですねぇ、では……」
そうして刀剣化した俺を軽く抜き、人鬼一体はせず、魔法の杖のように構えてみせる。
「我流・酒上流──」
「あらぁ~、技名付けちゃうタイプぅ~? きゃーわーいーい──」
「十三禁忌が
「うわ、よりにもよって聞いたことないやつ。なにしたの!」
「そろそろ見えますよ、ほら」
刀身を収めた刀花が、軽い調子で窓の外を指差す。
その方向に目を凝らした吉良坂はしばらくして……青ざめた。
「なんか隕石……落ちてきてね?」
「あ、大丈夫ですよ。海の方に落とすようにしましたから」
「それ大丈夫なの? ダイナマイト漁みたいにならない?」
そうして──着弾。水平線が煌々と燃え盛る様が、まるで夜明けのように美しい。
「ここから海って結構遠いよ? 水飛沫が見えるしなんなら床ちょっと揺れてるんだけど……」
「えっへん! 兄妹の力、どんなもんです!」
「ちなみに、これでも人鬼一体……本気モードになってないから。これに懲りたら、あまりこの子達を刺激しないようにしてね?」
「……おみそれしました」
得意気に胸をぽよんと張る刀花に、吉良坂は土下座した。
その姿を俺は、刀花の手に握られながら満足げに見下ろす。いい機会だ。少し説くとしよう。
『よいか、これが格だ。力を支配するということだ。貴様にも分かるだろう、この妹の“王としての風格”が』
「う、うす……」
出鱈目な力を当然のように、息をするように行使する。その双肩に、恐怖の介在する余地など一所もありはしない。
吉良坂の王としての資質は、どこか刀花に似ている。思うがまま、あるがまま。リゼットのように整然とした王道ではなく、周囲を自然と従えさせる、生まれながらの王。
だからこそ、今のを見て学ぶべき点もあったはずだろう。吉良坂も今は真剣な色を瞳に宿し、刀花を見ていた。
『王とは、あくまで人の形を模しただけの魔性である。己を小さな人間の枠に当てはめるな。矮小な人間がそうするように、自分の可能性を自分で狭めるな。貴様は、その魔を操る者……魔法使いであることを誰よりも強く信じ、そして同時に疑わねばならんのだ』
「信じて、疑う……」
『そうだ』
こんなものではないと信じ、こんなものではないはずと疑い続ければ、見える境地もあろう。
『魔法の力がどういったものに依るものかは知らんが、己すら信じ切れぬ者に従おうとする輩はそうおらん。まずは己の力の在り方を、よく考えてみるがいい』
「わ、分かった……!」
神妙に頷き、まるで座禅でも組むかのような姿勢はどうかと思うが、彼女なりに真剣に自分と向き合っている。
「変な子だけど、必死なのは伝わってくるわね」
『ああ。王は、往々にして負けず嫌いなのも特徴だ』
「ファイトです! 吉良坂さん!」
そうして我等三人はこの魔法使いと、妙な師弟関係のようなものを結ぶこととなったのだった。
前途はまだまだ多難のようだが、なに。
「ぐぬぬぬ、あたしは~、負けないぃ~!」
『……ククク』
あの夜に見た彼女の涙を見ていれば、明るい展望も抱けるというものだ。
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