第225話「ぎゃー! うわー!」



「カナタはどんな字を入れてもらいますの?」

「ふむ……『疾風迅雷』」

「中二病御用達の四字熟語来ましたわねこれ……」

「む、究極とは突き詰めると陳腐な表現になると相場は決まっている……そういうリンゼはどうなんだ」

「おーっほっほっほ! この天魔より産み落とされしワタクシが持つ扇子に書かれる四字熟語ですもの、既存のものに留まりませんわ! 『血惨地掌ちさんちしょう』! 惨たらしい血によって遍く地を掌握する! これこそがワタクシの覇道に相応しき字ですわ!」

「出たな、培った文化を切り捨ててオリジナルを作る一番痛いやつだ」

「い、痛くないし! カッコいいしっ!」

「それに『血惨地掌』なんて、『地産地消』と思い切り読み方が被っているしな」

「え、この読み方する言葉もうあるの!?」

「地元感がすごい。ふるさと納税でもするのか?」

「ちょっ、て、店員さん待ってー! やっぱり変更! 変更するー!」


 字入れサービス付きの扇子を、リンゼが物欲しそうに眺めていたので買ってやろうとしているのだが……仲が良いな、この姉妹は。

 困り顔の店員を前にして、ああでもないこうでもないと四字熟語を言い合う愛娘二人を見ていると、なんとも微笑ましい心地になってくる。

 いつか見慣れるのであろうその小さな背中。しかしこの時ではいずれ去って行く背中。冬休み限定のこの幸せを、俺はあと何度味わえるのだろうか。

 子が元気にしている姿。それを見るだけで、親とは幸福を感じる生き物なのだな。


「俺も早く子を為したいものだ……」

「いきなり何言ってるんですか安綱様、養育費も無いですのに」


 いつの間にか隣に来ていた六条がジト目で小言を言うが、俺は鼻息を鳴らす。


「貴様のような小童には分かるまい、愛とは金ではないのだと」

「衣食足りて礼節を知る、ですよ安綱様。お金だけが幸せとは存じませんが、この人間社会に生きるのでしたら先立つものは絶対に必要なものです。それはこの十年、苦労なされてきた安綱様が一番よくご存じなのでは?」

「……何が言いたい」

「はい、安綱様♪」


 六条が若草色の着物の袖を揺らしながら、ニッコリとしてこちらにその両手を差し出す。

 なるほど、“先立つもの”というわけだ。


「ちっ……持っていけ」

「ふふ、男前ですよ安綱様」


 俺は苛立ちと共に着物の袖を探り、取り出した札束をその小さな手に乱暴に乗せた。

 リゼットと刀花の振袖と小紋の代金だ。密かに追加注文した綾女の振袖代も入り、優に百万円を超えてしまっている。

 俺は苦々しい思いで、ホクホク顔の六条を見つめる。年若い娘が金を前にキラキラしおって。


「いやはや、まさか一括でお支払いしていただけるとは」

「利息を払ってやるほどお人好しではない」

「まぁお金の出所はうちの職員なんですが、お金はお金です。このことはご内密にお願いいたしますよ?」

「ふん」


 この支部の陰陽師の中に酒好きの輩がいたので、六条を仲介して過去に拾った価値ある洋酒を売り払ったのだ。

 無論、職員と戦鬼が無闇に通じるのはよろしくないため、このやり取りも記録には残らない。少々汚い金だが、俺が即座に用意できる金などもはやこれくらいしかないのでな。少女達には大目に見てもらうしかない。


「もしこれで似合わぬ着物を用意でもしてみろ。いずれかの大陸を消し飛ばしてくれるわ」

「おお怖い。さてさて、珍しく素直に代金もいただけましたので……お披露目といきましょう!」

「それを先に言わんか貴様」


 焦らすでないわ、貧乏揺すりで地割れが起きるぞ?

 どこか得意げに笑う六条は小さな身体と長い黒髪をヒョコヒョコと踊らせ、店内の奥にある扉の前に陣取る。先程、リゼットと刀花が着付けのために入った部屋だ。


「どうなさいます、安綱様。順番は?」

「はっ、我こそは無双の戦鬼であるぞ。一気呵成にかかって来んか」

「よいでしょう!」


 挑発するような六条の言葉に即座に返す。待ち切れんわ!

 俺達の騒ぎにつられ、リンゼと彼方もこちらに寄ってくる。


「なんですのこの妙なテンション……?」

「まぁ、おとーさんも支部長も“リゼットおかーさんと刀花おかーさんのことが大好き”という点では一致しているからな。ある意味、相性は良いのだ」


 なにやら不当な評価を娘達から受けている気がするが、俺の耳にはもう入ってこない。

 そうして絶妙な間をもたせつつ、六条は意気揚々と扉に手を掛け……、


「それではリゼット様、刀花様、お願いいたします!」


 そんな台詞と共に、勢いよく開け放った──!!


「け、結構歩きづらいわねこれ……」

「ふふ、だからこそ動きが小さくなって、楚々とした雰囲気が出るんじゃないですか」

「──」


 カラン、コロンと下駄の打つ音も高らかに。

 照れくさそうに頬を染めつつも憎まれ口を叩くリゼット。そしてそんな彼女にふんわりと笑みを向ける刀花。

 

 ──その装いは……“美しい”。陳腐だが、この一言に尽きた。


「……ど、どう? ジン」


 和服を着るのが初めてなご主人様が、上目遣いでそう聞いてくる。

 彼女が纏うは、鮮烈な赤と深い黒を基調とした振袖だ。

 女主人に相応しい色取り取りの薔薇を黒い生地に華やかに浮かべ、金糸に縁取られたクリーム色の帯が、その芸術品のように細い奇跡のウエストに巻かれており、全体の印象を優しく取り纏めている。


「──」


 振袖特有の長い袖には鳳凰が威風堂々と羽ばたき、ご主人様としての威厳を余すことなく主張する。まさに、最初から彼女のために誂えられたとしか考えられない、至高の逸品であった。

 だが、衝撃を受けるのはそれだけではない。その点を、後ろにいたリンゼが瞳を煌めかせながら指摘する。


「わぁ、リゼットお母様! 御髪おぐしが素敵ですわ!」

「あ、そ、そう?」


 そうなのだ。

 髪が……髪型が変わっている!

 通常であれば、リゼットはその見事な金髪を背中にストレートに流し、風などで乱れないよう大きめの白いリボンで先端をくくっている。

 だが今のそれは後頭部で大きく渦を巻き、そこから派生し更に小さな三つ編みでその渦を覆い、一つに纏めている。


「シニヨンヘア、というやつですわね!」


 そういう呼称らしい。

 ただでさえ和服姿が珍しいリゼットに、更に常とは異なる髪型。

 俺が目をまん丸にして視線を注げば、リゼットは恥じらいと共に顔を背ける。髪を上げたおかげで、普段は目にすることができない、雪すら恥じらうほどの白いうなじが朱に染まっているのがよく見えた。


「あ、あ……!」

「じ、ジン……?」


 知らずこの身がガタガタと震える。この胸に沸き起こる衝動……もはや抑えきれぬ!!

 あ、ぁあ……あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛!!!!!!!


「我流・酒上流十三禁忌がじゅう──人理絶刀刃じんりぜっとうじん

「いきなり何してるのこの眷属……」


 指を鳴らして霊力を発露させる。

 いかんいかん、危うく内側から破裂するところだったわ。


「何を斬ったのよ……」

「人や世の理を斬る刃だ。今回は人間の“闘争心”を斬った。今日一日のみ、世界は平和となる」

「へぇー……え……?」


 リゼットはスケールを上手く飲み込めていない様子だが、構うまい。我が至宝たるご主人様に似合う着物を見事に見繕った功績だ。褒美に束の間の世界平和をくれてやろう。

 俺がなんとかそうして内側の熱を発散し意識を保っていると、横から袖をチョイチョイと控え目に引かれる。そちらに目を向ければ……、


「むぅ~、兄さん兄さん。可愛い妹の艶姿がまだですよ?」

「──」


 ああ……。

 ああ──待ってくれないか妹よ。せめて息を整えさせてくれないとこの兄、死ぬ。


「どうですどうです? 大人っぽく見えますか?」


 あどけない表情はそのままに、刀花は輝く笑顔を浮かべながら自分の着る袖の端を指でチョコンと握り、こちらによく見えるように持ち上げてみせる。


「──」


 全体の白い生地を、淡いピンクに染めた清らかな印象の振袖だ。その着物の表面に浮かぶは、乙女を色付かせる桃色の桜。

 舞い散る桜をその身に宿し、それと調和するように巻かれた真白い帯は、見る者の心を浄化せんほどの清純さに満ちている。今の刀花の姿を見れば、大和撫子の文字も裸足で逃げだすに違いない。

 そして無論、髪型もまたそれに合わせて姿を変えている。


「刀花おかーさん、やっぱり髪を下ろすと素敵」

「むふー、ありがとうございます彼方ちゃん!」


 今度は彼方が刀花を褒め称える。俺もその言葉に同意したいが、上手く言葉が出てこない。

 常であれば元気ハツラツなポニーテールをピョコピョコとさせる刀花だが、今はその髪を一纏めにし、後ろではなく胸の前へしっとりと流している。

 チラリと覗くうなじに、前に垂れる髪をそっとさりげなく指で整える仕草。その女性らしい一挙手一投足が、濡れたような色気をこちらの目に焼き付ける。

 腰の後ろの生地部分にタオルを仕込んでいるのか、着物の上からでも分かるメリハリの利いた抜群のスタイル。

 着物という、華やかながらもどこか控え目さを忘れない着衣を纏ってなお分かる、その肉付きの良さに頭が沸騰しそうだ。その厚い生地の中にあってなお、隠しきれないたっぷりとした胸の膨らみもたまらない。

 あ、ぁあ……あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛!!!!!!!


「我流・酒上流十三禁忌が──不羈造物刃ふきぞうぶつじん

「え、安綱様なんでこっちに刀を向け──きゃあぁあ!? 斬られましたー!!??」


 ドヤ顔していた支部長に刀を振り下ろす。その刃は確かにその身体へ袈裟斬りの軌跡で吸い込まれ……、


「はっ? え? な、なんともな──うっ? 身体が熱く……!?」


 受け入れよ。

 その変化に、リゼットがいち早く気付いて指を差す。


「こ、コノハ大変よ! む、胸が!」

「え? なっ!? む、胸が……大きくなっております!」


 矮小なる人体を、神が如く弄り回す刃だ。

 鬼はもとより変化を得意とする妖怪。己の身体を自由自在にできるのだ、いわんや他人の身体をやである。


「褒美を取らす。効果が切れるまで一時の甘い夢に浸るがいい」

「なんと……こ、これが、持つ者の景色でございますか……!!」


 小柄な身に不釣り合いなほど、窮屈そうにその着物を圧迫する乳房はどこか綾女を想起させる。

 六条は唐突にもたらされた双丘を、両手で確かめるようにしてゆっさゆっさと揺らしていた。


「あ、足下が見えないなど、初めてです! これが、神秘……!?」

「やっすい神秘もあったものねぇ……ん、あれ? ジンにできるってことは、私もやろうと思えばいつでも巨乳に……?」


 なにやらリゼットが「チートで手に入れる栄光……?」と人生の岐路に立たされたような面持ちでいるが、俺は今のままの均整の取れた芸術品のようなご主人様ボディも好きなので何も言わないでおく。

 そうして俺は改めて、振袖を纏った二人を視界に収めた。


「素晴らしい……」

「う、ありがと……こちらこそ、プレゼントしてくれて……」

「むふー、兄さん、ありがとうございます! だぁい好きですぅ♡」


 口々にこちらへ礼を返してくるご主人様と妹。リゼットはその染めた頬を隠すように指でポリポリとかき、刀花は満面の笑みを浮かべて。

 そんな二人の可憐な様子に、俺もだいぶ限界が近い。


「ああ、知っているぞ。こういう時はこう言うのだろう? ”しんどい”……」

「ツイ〇ターによくいる人みたいになってるじゃないの」

「百年に一度の逸品……。豊満で朗らかでいて、絹のようにしなやか。しかもフレッシュで輝かしい……。繊細でしっかりとしており、しかし同時に複雑な味わい……。これまでで一番強く、そしてとても攻撃的だ……」

「ワインの選評してるんじゃないのよ」

「ぎゃー! うわー!」

「これまでで一度も聞いたことないような馬鹿っぽい叫び声を上げて転がり出したわよ……」

「無双の戦鬼の姿ですか? これが……」

「照れますねぇ~♪」


 リゼットと六条が哀れみを浮かべた目で見てくるが、俺はもうダメだ。刀花はご機嫌な様子であるが。


「安綱様安綱様、ご乱心めされているのはいいのですが、これで終わりではございませんよ?」

「……なに?」


 転がる俺に、六条がそんなことを言ってくる。どういうことだ。


「お二方の姿をよくご覧になってください。何か足りないと思いませんか?」

「む……?」


 足りないだと?

 この、もはや完成された美として美術館に展示しても差し支えない二人にか……?


「……」


 じっと二人の艶姿を見る。

 美麗にその身を飾り、モコモコとしたショールで可愛らしさも忘れない振袖。履き替えた雅な下駄もその彩りに花を添え、袖に匂い袋でも入れているのか、風雅で落ち着く和の香りが鼻をくすぐる。

 その美しい相貌には薄く化粧が施され、常とは異なる髪と合致し……髪?


「お気づきになりましたか?」

「……髪飾りが、ない」

「その通りでございます!」


 六条がまたも得意げな顔をし、豊かになった胸を叩いた。「おお、揺れました……」と自分でその感触に驚いている。


「コホン。そう、私、これでも分際を弁えておりますので。ここは和雑貨店でありますれば、髪飾りもまた数々の品を取り揃えております。では、最後にこのお二方を飾り、完成させるのはいったい誰なのか……もうお分かりですね?」


 さ、サービスが行き届いている……!


「天才か貴様……」

「どうも、天才です」

「不覚にも惚れてしまいそうになったぞ」

「お、おやめください……に、兄ちゃんのあほ……」


 赤くなって小さく呟く罵倒を聞き流し、俺は先程店内を巡っていた時の記憶を頼りに商品を手に取る。二人に贈るならば、と考えながら見物していた甲斐があった。


「マスター、刀花、こちらに」

「う、うん……」

「はーい♪」


 楚々とした足取りでこちらへと寄り添う二人が、小さくその頭を差し出す。戴冠式のようだ。


「どれ……」


 可愛らしいサイズの頭、その側頭部に。

 俺は手に持った髪飾り……リゼットには、先端に紅玉の煌めく赤いかんざしを。刀花には琥珀色の勾玉が垂れる簪を、その美しい髪に添えた。


「──」

「に、似合う?」

「むふー、可愛いですか?」


 手近に確認できる鏡が無いためか落ち着きなさそうなリゼットと、無邪気に感想を求める刀花。


「な、なんとか言いなさいよ……」


 そんな二人を前にして、俺は……、


「きゃっ、ちょ、ちょっと無言で抱き締めないでよ……」

「きゃあん、兄さんったら大胆♪」


 言葉にならないならば、せめて行動に起こさねば。言葉で伝わらない分、俺は万感の想いを込めて二人を抱き締めた。


「は、恥ずかしい……」


 かあっと赤くなりながらも、控え目にこちらの身体に腕を回すご主人様が愛おしい。


「にーいさん、ちゅ♪」


 俺と同様に言葉ではなく、頬への口付けで想いを伝えてくれる妹が愛らしい。


「ねぇ、これまだ試着段階ですわよ?」

「仕方ない。むしろ今の段階で発散しておかないと、無事に初詣に行けない」

「ふふふ、さーて髪飾りの代金と、綾女様宅への振袖の発送料も上乗せいたしまして~♪」


 呆れるリンゼに、頷きながら年明けを思う彼方。そして上機嫌に金勘定をする六条を放ったらかしにして。

 俺はしばらくの間、愛しい少女達と熱を交換し合うのだった。

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