第226話「もうだいぶ限界だっただけなの……」



 これはご主人様、眷属にご褒美をあげるべきなんじゃない?


「……ふ、ふふふ♪」


 そのご主人様こと、器が広くて重たくなくて眷属に愛されているカリスマましましお嬢様である私、リゼット=ブルームフィールドは就寝前の自室にて、だらしのない笑みを浮かべていた。


「──素敵」


 頬に手を当て、もう何度目かも分からないうっとりとしたため息をこぼす。

 柔らかいベッドに腰掛け、そんな感嘆を漏らす私の視線の先には……一着の、雅なお着物が壁にかけられていた。もちろん、それは昼間に彼が贈ってくれたものだ。

 何の変哲も無い自室の照明を受けてなお、着物を彩る金糸がどこか品良くキラキラと煌めいている。深く黒い生地に咲き誇る幾輪の薔薇は情熱的で、袖で翼を広げる鳳凰は神秘的かつ大胆不敵。しかしその中にあって、優しいクリーム色の帯が女性的な控え目さも忘れない。


「私の、お着物。彼が、私のためだけに用意してくれた、お着物……」


 胸に染み込ませるようにして呟く。その事実が、私の心を高揚させていた。

 彼が私のためだけに用意する衣服、とそう言われて最初にイメージするのは"血鬼一体"した時に彼が私に着せる礼装のゴスロリ服だ。

 しかしあれは彼が霊力で編み上げたものであり、彼に言わせれば「鎧の類い、もしくは城」らしい。着ているだけで全ての害意を無効化するとかなんとか言ってたけど……やはりあのゴスロリ服は、そういう"通常の衣服"のカテゴリーに入れるのは憚られる。

 だからこそ、このお着物が余計に輝いて見えるのだ。ポンと霊力で用意するのではなく、しっかりと時間をかけて用意してくれて、そしてずっと私の手元に残る……そんな、私のためだけの服。そんなものを贈られて、一人の女の子として嬉しくないわけがなかった。


「愛されてるわね、私……」


 まぁ? 眷属がご主人様を一番に愛するなんて当然のことなのだけれどね? むしろこんなに可愛い美少女吸血姫を愛さないなんて世間が許してくれないし?

 そう、だから私も器の大きいご主人様として、眷属からの献上品を余裕の態度をもって受け取るのが……あう、無理。やっぱり跳び跳ねちゃいたいくらい嬉しい♡


「ツイ○ターにあげちゃお」


 文面は……『彼氏からお着物貰っちゃった!』くらいでいいかしらね。あんまりアピールして言うと下品だし。

 それにしても、か、"彼氏"って……なんだか改めてジンのことをそう呼ぶと、すっごく気恥ずかしくなっちゃう。


「いつもは"眷属"とか"下僕"としか言わないものね……」


 そうなのよね。

 別に改めるようなことしなくても、彼は私にとって眷属であり、下僕であり……私の、彼氏なのだ。


「か、彼氏……」


 世間一般的にもよく使われるその"彼氏"という身近な言葉が妙に生々しく感じられ、私と彼がただの男女であることを強く意識させられる。

 吸血鬼が基本的に眷属と生活を共にするのは常識なのだけど、私の場合はそれだけじゃなくって、恋人と同棲生活してるって側面も出てくるのよね……。


「同棲……大好きな彼氏と同棲……けっ、結婚を前提にお付き合いしてる彼氏と、どどどど同棲中……」


 え、ちょっと待って? もしかしなくても、私って勝ち組? 思わずどもっちゃったけど。

 お金があって美貌も持ってて何でも言うこと聞いて甘やかしてくれる彼氏がいてやっぱり私って最高に可愛くて……え、待って無理、私って尊い……?


「怖いわー……普通にしてるだけなのに幸運を引き寄せちゃう私のカリスマ怖いわー……」


 別に普通に母の教えに従って生きていただけなのだけれど……あら私、また何かやっちゃったかしら?


「ありがとうございますお母様、私をたくましく育ててくれて……!」


 おかげでこのリゼット、リア充です!

 窓辺から冬の夜空を見上げ、指を組む。お母様のいる星が、キラッと光った気がした。


「とても気分がいいわ」


 日本に来てから多分、今が一番気分いいわね。


「よし、ジンに何かご褒美をあげちゃいましょう!」


 決めたわ。

 それにこんな贈り物を貰っておいて、「ありがとう」の一言だけというのも、ご主人様の格が疑われちゃうもの。まぁ、ジンはあれで十分幸せそうだったけれど……ほんとお手軽ねあの子……逆に不安になっちゃうわ。


「ご褒美……ご褒美……うーん……」


 悩む。

 クリスマスには、このご主人様が手ずから淹れる緑茶をプレゼントして喜ばれたけれど、今回はもう少しその……い、色っぽい感じが、いいわねっ。


「同棲しててそういう色っぽいハプニングって実は言うほどないのよね……」


 いや一緒にお風呂に入ったり恋人のキスしたりっていうのはあるわよ? 最初の頃はお屋敷を切断してシャワー浴びてる姿も見られたし。

 でもあくまで日常の中では……たとえば着替え中にドアを開けられるとかは無い。彼はドアの向こうからでも衣擦れの音で判断するから、そんなハプニングは皆無だ。「俺は地球の反対側にいても、マスターが今何を脱いでいるのか判別できる」って言ってたわね。それはきもい。


「まぁアヤメとお風呂入って上がった時みたいに、彼の仕事中にこっちの不注意で巻き込むとかはあるんだけど」


 裸のまま脱衣所を開けて、全部見られてしまったのを思い出す。

 あれは彼からというより、私から突っ込んでいった部分もいくらかはある……ん? いやある? 他の女の子の物を含めた下着を漁る彼氏とか予想できないでしょ。うん、やっぱりあれは全部ジンが悪いわ。

 でも、


「……そっ、そういう……えっちなの、たまには許しちゃおう、か、かしらっ?」


 独り言なのに声が上擦ってしまった。

 いや、あくまでジャブ的なね!? そんなガッツリとしたやつではなくて! チラッとした感じね! それにガッツリいっちゃったら暴走した彼に絶対にその、や、やられちゃうし?


「というわけで、衣装チェンジ!」


 私はトーカのように言って、パチンと指を鳴らす。

 そうすれば、着ていた厚手のネグリジェが光輝いて……、


「……うん、いいわね」


 光が収まった後。姿見の前に立ち、自分の姿を確かめて頷く。

 今、私の身を包むのは、振袖よりも袖が短く、薄い生地。しかしシルエットは同じで淡いピンクの無地のもの。想像通りの物ができ、日頃の訓練の成果を実感させた。

 そう、私が今着ている物の名は……“浴衣”。


「前々から和服には興味あったし」


 それに、彼は普段着で少し厚めだけど同じような着物を着ているし……お、お揃い♪


「ふふ、きっとこの姿を見たら大喜びするわね。あの子ったら」


 私はご機嫌に鼻歌を口ずさみながら、自室を出てすぐ隣のドアの前へ。

 ちなみに、下着はきちんとつけている。振袖のような厚手のものであれば下着をつけていても目立たないが、こういう薄い浴衣だと線が浮き出てしまうのは知っている。

 しかし、つけないままなのはもっと恥ずかしいのでさすがに。彼には、こう……合わせの隙間から見えるご主人様の素肌をチラッと見るくらいのご褒美を与えるつもりなのだ。

 それでそれで! チラチラっと見える大好きなご主人様の素肌に興奮した彼が、この前読んだ少女漫画みたいな感じで「無防備過ぎるぞ……」って言って頭をガリガリと掻きながら照れちゃったり! きゃあきゃあ!


『──マスターか?』

「はっ!?」


 ドアの前に私がいる気配を感じたのか、ノックもしない内に声がかかってきた。

 私は気を取り直して、一つ咳払い。


「こ、こほん。ジン、今いいかしら?」

『俺はいつでもマスターのために動ける状態を保っている。確認などいらんぞ』


 もぉ、ほんと私のこと大好きなんだから……。

 じゃ、じゃあ、行くわよ? そんな良い子な眷属にご褒美あげちゃうわよ!?


「すー……はー……」


 私は深呼吸をしてから、ゆっくりと彼の自室のドアを開け放った。


「お、お邪魔しまーす……」

「邪魔なものか。今夜はどうした、眠れぬのか? どれ、この無双の戦鬼が安眠のためのハーブティー、で、も──」


 言葉の途中で、彼は目を見開く。その視線は、私に釘付けだ。

 や、やだ……すっごいガン見されてる……。


「……」

「……」


 沈黙と共に見つめ合う。

 あ、あっ、彼の視線が私の身体を舐めるように見ているのが分かる! 大脳辺縁系に私の姿を刻み付けているのが分かるわ!

 で、でもまだよ、気分の良いご主人様のサービスはこんなものではないわ!


「ん、んっ! ジン? ちょっと眠れないからハーブ……いえ、ブランデーティーを淹れてくれないかしら?」

「むっ? あ、ああ……承知した、マスター」


 一瞬彼は呆けつつも、私の命令を優先する。そのあたり、彼はやはり仕える者として弁えている。

 だけど、彼の手元は備え付けのティーセットを弄りながらも、視線はチラリチラリとこちらを見る。


「……こ、こら。集中しなさい」

「あ、ああ」


 私の言葉に、一旦彼はこちらから目を離すも……やはり気になるのか、角砂糖の乗ったティースプーンにブランデーを垂らしながらもこちらを見る。

 そんな彼は既に、私の虜。ああ、美しさって、罪なのね……。


「ふ、ふーんふふーん……♪」


 そんな彼の様子にドギマギ……はしてないわよ? 私は余裕をアピールする鼻歌を口ずさみながら、窓際の椅子ではなく……、


「よい……しょ」

「っ!?」


 彼のベッドの縁に腰掛けた。

 そうして、更にここで一つ仕掛けるわ!


「……ち、ちらっ」

「っっ!!」


 さりげなく、何でもないようにスッと足を組む。

 それだけで足を覆っていた薄い生地の浴衣が擦れ、彼曰く「ガラスの工芸品より美しい」らしい私の足がチラリと覗き、光を反射する。

 や、やだもう……見すぎ……紅茶、床にダバダバ零れてるし……もう♪


「……こ、紅茶はっ?」

「ぬっ? ああ……」


 やば、私の声もまた上擦っちゃった。でも彼も相当私の魅力に参っているわね……心ここにあらずといった感じ。

 そんな雰囲気でこちらにカップを渡した彼は、なんとか意識を保とうとしているのか口を動かし続けた。


「……急にどうしたのだ、浴衣など」

「ほ、ほら、振袖に感化されて。私もたまにはって、ね?」

「そうか……うむ、とてもよく似合っているぞ」

「ふふ、ありがと」


 うふふ、でもあなたの目は「とてもよく似合っている」だけじゃなくて「今すぐ抱き締めてキスしたい」とも言っているのが丸分かりよ?

 でも、まだダ~メ♪


「コク……紅茶、淹れるの上手くなったわね」

「お褒めに預かり、光栄だ」


 私の言葉に自分の職務を思い出したのか、彼は仰々しくそんなことを言う。


「……」


 うん。でも、本当に上手くなった。

 夏に初めて紅茶を淹れた時なんか、時限爆弾の解除もかくやといった具合だったのに。


 ──だから、これはその分の、ごっ、ご褒美よ。


 私は心臓をドクンドクンと高鳴らせつつ……、


「ふ、ふぅ……少し暑くなっちゃったわね~?」

「っっっ」


 アルコール分を飛ばしたはずのブランデーのせいにしながら、私は浴衣の襟部分を……チラリとはだけた。

 それだけで彼はもうクラクラとしつつも、ケダモノのような目で私の少し火照った白い肩に視線を注ぎ続ける。すごく……や、やらしい……。


(や、やだもう……)


 な、なんだか私も、息が上がってきちゃったかも……も、もしかして、ブラ紐とか見えちゃってる?

 うぅ、恥ずかしい。恥ずかしい……けど、やめられない。彼の視線が熱く私の身体を貫く感覚が……麻薬のような快感となって私の脳髄を甘く痺れさせる。

 頭の先まで茹だったかのように熱い私と、食い入るように私を見つめる彼。

 だいぶ、お互いに限界が近かった。色んな意味で。


「そんなに振袖を喜んでもらえるとは、贈った甲斐があったというものだ」

「う、うん……」


 私が何の影響を受けてここに来たのかも見抜かれる。ああ、その私の心の奥底を丸裸にするような瞳も……好き。あう、私の彼氏、世界一かっこい……。


「ね、ねぇ……?」

「む?」


 もう彼の魅力にふにゃふにゃになっている私は、胸の奥の想いをそのまま言葉に乗せる。


「い、今なら……一回だけ、一回だけよ? す、好きなこと、私に何でもしていいわ……」


 そう言った瞬間、彼の目つきがそれはもうすごいことになったので慌てて付け加えた。


「あっ、か、過激なことはダメだからね! そんなことしたら“オーダー”を下すからっ」

「……そうか」


 あ、危ない。

 一瞬でも遅かったら、このまま押し倒されて……た、食べられちゃってたかも……この様子だと、彼もだいぶキテるわね……。


「うーむ……」


 そんなだいぶキテる彼は、珍しく迷うような素振りを見せる。


「……実は、もう一着ほど服を買ったのだが」

「え?」


 そうなの?

 も、もうなによぉ……そういうのはもっと早く言いなさいよね。

 別に着替えるくらい、いくらでも私は──、


「これなんだが」


 いやこれジ〇ラピケぇ!

 彼が箪笥を漁り、差し出してきたモコモコとしたパジャマに一瞬だけ茹だっていた熱が冷める。

 だってこれ、アヤメが泊まった時に着てたやつと同じブランドじゃないの。アヤメのは猫耳パーカーだったけれど、これうさ耳だわ……。


「う、うーん……」


 とても可愛らしいとはいえ、うさ耳パーカー付きのパジャマを渡され、さすがの私もほんのちょっぴり冷静に──、


「──お願いだ、リズ。着て見せてくれないか?」

「……あ、あっち、向いてて?」


 もう、仕方ないんだから!!

 彼が後ろを向いたことを念入りに確認し、私はシュルリと音を立てて浴衣を絨毯の上に落とした。

 そうして今にも破裂しそうな心臓の鼓動を押さえながら、そして男性がすぐ近くにいる場所で下着姿になっているという背徳感もブレンドしつつ、彼の用意してくれたピンク色のモコモコとしたパジャマを着込む。あ、肌触り結構気持ちいい……。

 最後に、うさ耳パーカーを被って……、


「い、いいわよ……こっち、向いても……」

「っ──」


 私の姿を目にした瞬間、彼は言葉を無くした。意識も無くしてたかも。

 彼の熱い視線に恥ずかしくなり、私は上着の裾をクイクイと下へ下げる。だ、だってこれ、上は長袖だけど、下はほとんど太股見えちゃうくらい短い……。


「ど、どぉ……?」

「っ、っ」


 上目遣いで聞いてみると、彼は無言で何度も頷く。何度も言うが、彼はもう限界が近い。むしろ既に限界を超えているかも。

 常ならそんな彼のおかしな態度にご主人様としてツッコミを入れるところだけれど……な、なんだか私も、彼の様子を見てすっごく嬉しくなっちゃってる……頭がフワフワとして、複雑な思考ができない……。


「か、かわい……?」

「ああ……」

「せ、せかいいち、かわい……?」

「ああ……!」

「えへ、えへへへ♪」

「語尾に『ぴょん』もつけてくれ」

「は?」

「世界一可愛いぞ、俺のご主人様」

「う、嬉しいぴょん♪」

「っっっっっっっ!!!!!!」


 なんか途中で氷点下まで熱が下がった気がしたけれど、なんかもうどうでもいいわ……。


「ほ、ほら、ウサギは寂しいと死んじゃうんだから……こ、今夜は、一緒に寝るぴょん♪」

「ああ……ああ……!!」


 私がベッドに倒れ込みながら誘えば、彼は夢遊病者のような足取りでこちらへと近付き、そのまま私と同じように倒れ込む。私の身体に、キスの雨を降らせながら。


「ああ、リズぴょん可愛いぴょん!」

「は、恥ずかしいぴょん……ん、ちゅっちゅっ♡」


 そうしてお互いにもはや意味不明なことを言い合い、思考をグズグズに溶かしながら。

 翌日になって恥ずかしさのあまり発狂することになるなんて今は露ほども知らず、私は彼のくれる温もりに肢体を明け渡すのだった。


 あの、一応……て、貞操は守りました、なんとか。はい……それ以上の何かを失った気がするけれど。

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