第169話「兄さんの目覚ましボイスは既に収録済みです」



「ほほう……」


 感心したような息を漏らせば、俺の口からは可憐な声が響く。それが敬愛する我が主のものとなれば、なんとも妙な心地だ。鞘花の姿を取る時とは全く違う。


「ほうほう……」


 下に視線を動かせば、冬服のセーラー服を盛り上げる柔らかそうな膨らみに、紺色のプリーツスカート。そしてスラッと伸びる足を包む厚手の黒タイツ。

 そうして頭を動かすたびに、視界の端でサラサラと流れる黄金の――むむっ!


「……」


 静かに、俺はその髪を一房掴んで……む、手がちっちゃい。可愛い。


「……クンクン」


 ――うむ! よい香りだ!!


「ななななにやってんのよあなたはっ!」

「おうっ」


 スパーン、と頭を叩かれる。

 いつものようなご主人様からの折檻だ。だが、


「人の身体に何しようとしてるのっ! ばかっ、変態!」

「――」


 その姿は、我が妹のもの。

 刀花の身体に入ったリゼットが俺に罵倒を飛ばしている。それは確かにリゼットなのだが、普段とはまるで違う表情を見せる妹の姿に俺は……、


「マスター、大変だ」

「な、なによ……」


 目の前の少女は、いつもならば柔和に細められている琥珀色の瞳を鋭くし、怪訝そうな声を出す。うむ……。


「――その表情、たまらぬ。そしてなんと言っても俺が可愛いすぎる」

「何言ってるのこの人……」


 ドン引きしたような顔に、またゾクリとする。

 刀花が普段絶対に見せないような表情もまた、この兄には魅力的に映るのだ。これは、新しい扉を開いてしまいそうだ……!

 そして見てみるがいい、俺のこの姿を。


「なんだこの絹のように手入れの行き届いた素肌は? 爪の先までも磨き上げられ美しい。足も短くて可愛らしく、お人形のようではないか。――くっ、声を出すたびに天上の音色が耳朶を打つ! そして呼吸をするたびに奇跡の物質“リゼットニウム”を吸引してしまい俺は……俺はっ……!」

「ちょっ、ちょっと恥ずかしいこと言わないでよぉ!」


 ぶわっ、とポニーテールを逆立つほどに真っ赤に染まった刀花……の身に入ったリゼット。

 だが、これは言わねばなるまい!

“美しさ”とは、それ即ち原石なのだ。磨き上げねば宝石にはならぬし、放置すればただの石ころに堕する。

 時折、“美しさ”をまるで最初から持ち得たものとして扱う者がいるが、それは道理を理解せぬただの愚か者よ。無知蒙昧なことこの上ない。

 当人の努力無くして、“美しさ”は決して手に入らない宝だ。険しき道の果てに達する、それは一つの頂なのだ。


「マスターの身になってから初めて分かる。この身にどれほどの労力がかけられているのか。髪や肌のケア、スタイルの維持、非力ながらもそれを見せぬ誇りある態度、姿勢の美しさ。一朝一夕で身に付くものではあるまいよ」

「や、やめてよそういうこと言うのぉ……」


 褒めちぎる言葉に、ぷしゅうと湯気が出るほどに悶える目の前の少女は蚊の鳴くような声で言う。

 刀花の姿ではあるものの、その後ろには真っ赤になって縮こまるリゼットの姿がよく見える。

 彼女は容姿を褒められることについてはある程度慣れてはいるが、その努力を褒められることにはあまり慣れていない。だからこそ、こうすればより可愛いらしい反応を見せてくれるのだ。


「やはり我がマスターは努力の子。普段見えぬところでそれを重ねる様は、まさに白鳥が如き美しさと気高さ。この身こそ、まさに玉体! 俺はマスターを誇りに思うぞ!」

「は、恥ずかしい……!」


 染まる頬を両手で押さえるのは、その紅を隠すためか。それとも緩みそうになる頬を引き締めようとしているのか。どちらにしても、その姿は刀花の身であることを踏まえても可憐に過ぎる。


「いい子だなあ、マスターは……む、少々この姿であると撫でにくいな」

「も、もう……」


 背伸びをして頭を撫でれば、彼女は非難がましい目を向けながらも何も言わない。なんだこの可愛らしすぎる生き物は。


「こ、こらっ。ご主人様の頭を軽々しく撫でないの」

「っ!」

「ひゃあ! なんで抱きつくのっ!」


 ツンとしたご主人様の表情を浮かべ、刀花の姿でそんな言葉を放つ目の前の少女に我慢できなかった。

 俺は昔から常々、刀花にも“主”としての振る舞いを求めていた。彼女は心優しい少女のため、俺という殺戮兵器ですら一人の“人”として扱ってくれていたが……これは、いいものだ!


「主と妹が合わさり最強に見える」

「こ、こらぁ……」


 ああ、そんな弱々しくも抵抗する姿も実にそそる。なんだこれは。愛しさが止めどなく溢れてくる。最早辛抱たまらんぞ!


「マスター……」

「ちょっ、なんで顎を持ち上げるのっ! ダメダメダメそれはさすがに!」


 目の前で瞳を潤ませる少女の顎を指で持ち上げれば、彼女はあわあわと唇を震わせる。


「あなたは私で、私は刀花の身体なのよ!? そんなことしたら……!」

「――尊すぎるな」

「何言ってるの!? っていうか何自撮りしてるの!?」


 見つめ合いながら顔を近づける自分達の姿を、腕を伸ばしてスマホで撮影。

 画面を見れば、余裕たっぷりに強気な表情を浮かべるリゼットと、しおらしく真っ赤になる刀花が今にも口付けしようとしている画像が表示された。

 なんだこの聖画は……? 有形文化財として永久に保存されるべきだろ……。


「さて、刀花の身にマスターの精神。その唇の味わいはいかなるものか……」

「やめてー!? 私達お友達でいましょうねってー!? トーカ! 何してるのトーカー!」


 そういえば俺の身に入った刀花が静かだな。

 何をしているのかと視線を上げれば、なにやら壁際でコソコソとスマホに向かって何かを話している。電話……ではなさそうだが?

 気になり、霊力を集中して耳を澄ませてみる。リゼットの身でも、契約している者ならば戦鬼の力は行使可能だ。

 なになに……?


「――さあ、刀花? 早く眠らないと、兄がその身にイタズラをしてしまうぞ。まずはその可愛い耳に……ん、ちゅ……」

「あなたはあなたで何やってるのよ」

「あー!? 『眠れない妹を寝かしつける兄さんのおやすみボイス~ちょっぴり意地悪な兄さん編~』(ASMR)がーーー!!??」


 リゼットが冷たい表情を浮かべ、つかつかと歩み寄りそのスマホを叩き落とす。しかしさすがは我が妹だ。有効活用しておるなあ。

 感心して見ていれば、刀花は落ちたスマホを拾いながら唇を尖らせている。


「んもう、分かりましたよぉ。あとでリゼットさん用のものも録りますから~」

「欲しがってるわけじゃないのよ。というか、ジンの声でその口調すごい気持ち悪いわね……」


 確かに。

 俺が入るリゼットの身は大変可愛らしく、刀花の身に入ったリゼットはツンツンした妹という新たな境地を開拓。

 面白みのない俺なんざの身に入った刀花だけ、ハズレ枠だったかもしれ――


「むふふふふ……兄さんの身体……私は今、兄さんを好き放題できるんですね……」


 そうでもなかったか。


「一番与えてはいけない子に与えてしまったわね……」

「あ、私ちょっとお手洗い行ってきますね」

「こらこらこらー!?」


 俺を全力で止めようとする刀花の図、というのも珍しい。なかなかに精神の入れ替えというのは面白いものだな。常ならば見えないものが見える。


「では俺も、普段は恥じらいからあまりよく見せてもらえないマスターのキス待ち顔の撮影を……」

「突っ込みが追いつかないからやめなさーい!」

「おおっと」


 刀花の身だからか、いつもより彼女の蹴りが鋭さを増している。リゼットの身を傷付けるわけにはいかんので避けた……小さくて動きやすい、いい体だ。


「……む?」


 なにやらリゼットが蹴りを放った姿のまま固まっている。追撃でも来るかと思ったが……?

 そのまま刀花の身に入ったリゼットは、ゆっくりと視線を下へ。どこか暗く見える表情で、彼女は小さくボソッと呟いた。


「……重い」

「おっ、重くないですぅー!」


 刀花の必死な否定も虚しく、まあ俺も納得はできる。


「……爪先、見えないわ」

「あっ」


 であろうな。

 刀花は確かFカップサイズの胸の持ち主だ。およそ八百グラムの重量となるそれは、小玉メロンに匹敵すると言われている。それが二つ分だ。激しく動こうとすれば、さもあろうよ。

 ……ちなみにマスターのCはリンゴの重さらしい。


「分かるぞ。俺も鞘花の時などは動きに気を遣う」

「そうみたいね……慣れてないと激しく動くと痛い――ってなんで私、男性と巨乳あるある談義してるの?」


 なぜであろうなあ……。

 微妙な空気のままに見つめ合っていると、気を取り直すようにしてリゼットがコホンと咳払いをした。


「さ、もう十分遊んだでしょう? 元に戻してちょうだい」

「……うぅむ。難しいかもしれんな」

「え?」


 リゼットの問いに、顎に手を当ててそう返せば目を点にした反応が返ってくる。

 いや、これはなかなか……。


「我が力の本質は“斬り殺す”ことにある。あまり少女達には向けたくないものだ」


 刀花が刀花の身で使う、百パーセント制御された力ならばまだしも、慣れぬ身体だ。それを振るうのは危険と判断する。


「暴発とはいえ、幸い込められた霊力もそう大したものでもない。一日も経てば元に戻ろう」

「えぇ~……」

「あ、ホントですか? じゃあじゃあ、私、兄さんの教室行ってみたいです!」

「ほう?」

「え、学園行く気なの……?」


 今日は平日だ。ハロウィンで騒いだとはいえ、彼女達の学業に支障をきたさせる訳にもいくまい。


「むふー、これは妹による兄さんの素行調査ですね!」

「……うむ、なるほど。確かにこれはいい機会と言える」


 俺も、彼女達が離れた教室でどのように過ごしているか常々気になっていた。危険物はないか、危険人物はいないか……確かめるにはいい機会かもしれん。


「せっかくだ、今日はそのように過ごすか」

「わーい、私、頑張って兄さんに成りきりますね!」

「めちゃくちゃ不安なんだけど……」


 乗り気な刀花に、嫌そうなリゼット。


「……あなた、私の真似なんてできるの?」

「伊達に時折鞘花の姿を取ってはいない。細かい部分はマスターが傍にいてくれれば解決するだろう」


 言いながら、スカートをちょこんと摘まみカーテシーを披露する。我は千変万化の鬼であるぞ? 変装とて我が領分よ。


「それに加え我が主の大切な身だ。その評判を落とすことはさすがにせん。大船に乗ったつもりでいろ。刀花は好きに過ごすといい。俺の評判などどうなっても構わん」

「はーい!」

「素直に休みましょうよ、もう……」


 俺の身で元気よく手を挙げる姿はまこと不似合いであるが、まあ妹の楽しみには変えられん。刀花が楽しければそれで俺は満足だ。


「では、飯を食って学園に行くぞ」

「ラジャーです!」

「今日の時間割どうだったっけ……体育とかあったかしら……?」


 リゼットはブツブツと不安を口にしているが、なに、この無双の戦鬼が学園生活など華麗にこなしてくれよう。

 むしろ、マスターの評判を上げる勢いでな……期待しているがいい。


 ククク、ハーハハハハハハハハハハハ!!!

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