第170話「どういう無双の仕方してるのよあなたは」
「うぅ……これが、毎朝兄さんが味わっている寂しさなんですねっ」
徒歩で登校し、上履きに履き替えれば別れの時だ。
昇降口の隅にいつものように三人で集まれば、俺の身に入った刀花が「るー」と涙をちょちょぎらせている。二年生である俺の中に入った刀花は、一年生の身に入った俺とリゼットとはここでお別れだからだ。
いや分かるぞ。この俺もまた、この時には毎朝別れを惜しみ涙を流すものだ。心得ているな。
俺は見事我が身を模倣する刀花に、したり顔で頷いた。
「うむうむ、さすがは我が妹だ。俺を演じるのが上手いな」
「いや普通に素でしょ」
じっとりと目を細めた刀花……の身に入ったリゼット。うぅむ、そんな顔をする妹の姿もそそるものがあるな……。
「うう、兄さん! 抱き締めてください!」
「よし来い!」
「いや来いじゃないでしょ! それじゃ私とジンが抱き合ってることになるからぁ!」
俺の身に入った刀花と、リゼットの身に入った俺がひしっと寂しさを埋めるように抱き締め合う。
確かに、端から見ればリゼットと俺がそうしているように映るな。
「あ、ほら見て。今朝も熱々だね~」
「珍しい。今朝はブルームフィールドさんが甘えてる。かーわい♪」
昇降口の隅にいる俺達を目敏く見つける者達がいる。
そんな生徒達の声に、刀花の身に入ったリゼットは羞恥にプルプルと震えていた。
そんな様子も可憐だと思いつつ、俺もこっそりと獲物を狩る目で周囲を観察する。
今朝に刀花が言ったように……これは、素行調査も兼ねているのだからな。
すると、複数の男子グループが歩きながらこちらをチラリと見て、溜め息を吐く様が見える。そこに耳を済ませれば……、
「はあ……俺も金髪美少女と黒髪ポニテ美少女とお近づきになりてえ……」
「お、おい、滅多なこと言うな。酒上先輩に殺されっぞ」
「ひっ。き、聞こえてないよな……?」
聞 こ え て い る ぞ 、 小 童 ど も 。
しかしまあ、分際は弁えているようだな。リゼットの可憐な姿を見てこちらに声をかけてこないのは感心だ。もし近付いてこようものならその素っ首叩き落とすところだったわ。
刀花と抱き合っていた身を離し、俺は一つ頷く。
「うむ。危険人物(男)は今のところ無し、と」
「趣味悪い観察の仕方するんじゃないの」
ペシリ、と頭を叩かれてしまった。刀花の身に叩かれるというのも、"いい"な。
「しかし仕方あるまい。男としては最も危惧するところだ」
「幸いあなたのせいでそういうの全く無いから安心なさいな」
「私も兄さんが編入してきてから、告白とかラブレターの類いはパタッと無くなりましたね。むふー、私と兄さんのラブラブっぷりに、皆さんたじたじなんですね!」
「違うわよ……この殺人鬼が常に殺気を撒き散らしてるから誰も私達に寄って来ないんでしょうが……」
ふん。この程度の殺気に耐えられぬ者に、我が至宝の少女達に近寄る資格などないわ。
まあ俺よりも上手く彼女達を守護れるというのならば、考えてやらんことも……いやダメだやはり許さん。
「絶対にお前達を嫁には出さんぞ……欲しければ俺を倒して行くがいい……!」
「あなた誰目線なのよ」
「困りました、お婿さん候補がいなくなっちゃいました。ふふ、仕方ありませんので、兄さんが妹をもらってくださいね?」
「ククク、何を今更。我が身が創造されし時より、俺は妹の物であり、同時に妹は俺のものだ。この無双の戦鬼の幸福は、妹の幸せの先にあるのだからな。俺が刀花の幸せを作る。刀花は俺の味噌汁を毎朝作ってくれ」
「価値観古くない?」
「ふふ、うぇへへへ……兄さんだいすき~♪」
「刀花……!」
「兄さん……!」
「はいはい分かったからもう行くわよ」
「「ああ~……」」
蕩けた笑顔でもう一度抱き締め合おうとしたところ、セーラー服の襟首を掴んだリゼットに引き摺られていく。
くっ、さらばだ我が妹よ! 昼食時までしばしの別れだ!
「まったくもう。トーカったら、あんな様子で今日大丈夫かしら」
大きく手を振る俺らしくない挙動に見送られながら、ズルズルと俺を引き摺るリゼットが溜め息と共にそんな言葉を漏らした。心配性なマスターだ。
「案ずるな。俺は刀花の魂をも含めて生まれ落ちた存在。検査したことはないが、ある程度ならば血も繋がっていよう」
そうだとしても五百分の一ほどだろうが、俺達はそれより濃い、魂すら分け合った兄妹なのだ。十年の絆もある。兄の模倣などお手の物だろう。
「血の繋がった妹を嫁にしようとするってどうなの……」
「知らんのか? 従姉妹ですら結婚できるのだぞ」
「それより薄いからセーフってことなのかしら……」
「まあ同じ種と同じ腹から生まれた妹だったとしても、俺は全霊を賭して愛するがな」
「はいアウト~」
ふん、人間の下らん風習など知ったことではないわ。相変わらずヒトというのは足を引っ張り合い、自らの種を縛るのが好きな変態どもだ。最早分かり合えぬ。
「もう。ほら、自分の足で歩くっ」
「分かった分かった」
軽口を叩き合い、隣り合いながら朝の廊下を歩く。
さて、俺も少々気合いを入れ直さねばな。主の評判を落とすのは、下僕としても本意ではない。
姿勢を正し、爪先まで神経を通し凛とした態度で……うぅむ、それにしても歩きにくい。
「このタイツというもの……慣れんな」
「まあ、あなたって普段和装だしね」
「脱いでいいか?」
「だ、ダメに決まってるでしょ。恥ずかしい……」
ああ、そこは日光に当たらぬようにとかの吸血鬼的な事情ではなかったのか。この子は本当に吸血鬼なのだろうか……。
「淑女がみだりに肌を見せるものじゃないわ」
「ん……しかしネグリジェ姿の時などは肩や足を出しているではないか」
「そっ、それは……あ、あなたの前だからよ。もう、ばか……」
「む? よく聞こえなかった。『あなたの前だからよ。もう、ばか』と言ったか?」
「いったい何が聞こえなかったのよ、一言一句聞き逃してないじゃないの」
むにぃ、と赤くなった彼女に頬をつねられつつ至福を感じていれば……、
「あ、酒上さんとブルームフィールドさん。おはよー」
む。
ちょうど職員室を通りかかったところ。
なにやらプリントの束を抱えた少女が、職員室から出ると同時にこちらに声をかけてきた。
頬に少々そばかすの浮いた、素朴な印象の少女だ。何者だ?
「クラスメイトの子よ――えっと、お、おはようございまーす!」
おお。
こちらに耳打ちをした後、リゼットが刀花っぽい挨拶を少女に返している……少々ぎこちなさは拭えないが。演劇ではなかなか堂に入った芝居をしていたというのに。アドリブには弱いのかもしれんな。
「うん、おはよー! 酒上さんは毎朝元気だね!」
リゼットの方を見た少女が微笑ましそうな目で見て言う。
ふむふむ、俺の知らぬところでも我が妹は毎朝元気一杯と。彼女が健康でいられることもまた、この戦鬼の誉れだ。この知らせを兄は嬉しく思うぞ。
「……」
む? なにやら少女がリゼットからこちらに視線を移し……ああ、挨拶か。
思い至り朝の挨拶を返そうとする……が、リゼットはクラスメイトにどのような挨拶をしているのだ?
「……」
うーむ……ただの「おはようございます」だけというのも味気がないやもしれぬ。なにせ我がマスターは学園にその名を轟かせるお嬢様中のお嬢様だ。俺の下手な挨拶一つでナメられるわけにはいかん。
よし――!
「ご挨拶が遅れました……」
「へ?」
間抜けな声を出す少女を前に俺は後ろ手を組み、たっぷりと間を置いてから笑みを浮かべた。
「――ご機嫌よう」
「うっ、ブルームフィールドさん眩し!?」
「ちょっ……!?」
両手でプリントの束を持つ少女はぎゅっと目を瞑る。
ふ、目も眩む美しさであろう。
なにせ窓の外に鏡でできた剣をレフ板代わりに配置し、後ろ手に持った風を纏わせる刀で黄金の髪を揺らし、美少女にのみ吹く風を演出しているのだ。
これぞ我流・酒上流社交術――お嬢様の特製スマイル~秋の風を添えて~……である!
「ちょっと、こら!」
そばかすの少女が「お嬢様ってやっばりご機嫌ようって言うんだー!」と目を潰している間に、リゼットが耳を引っ張る。痛いぞ。
「普通でいいのよ、普通で……!」
「バカを言うな! 我が主の美しさが普通に収まるなどあり得んわ!」
「そういうこと言ってるんじゃないのよ」
手に持つ刀を奪われ、柄でコツンと叩かれてしまった。
むぅ、刀を砕いて空気中に散りばめて輝かせなかっただけ控え目にしたつもりだったのだが……お気に召さなかったようだ。
「いやー、ブルームフィールドさんってやっぱりすっごく綺麗だね~……私なんて庶民だし、そばかすとか消えないし、比較にならな――わ、とと……!」
「ん?」
こそこそとそんなやり取りをしていれば。
目が眩んだ影響か、なにやらそばかすの少女がふわふわとした口調で言いながら足をふらつかせ……、
「きゃあ!?」
そのまま足をもつれさせ、プリントの束と共にその身を背中から硬い床に投げ出そうとしていた。
「――」
そのまま倒れ込めば、おそらく教師に依頼されたのであろうプリントは散乱。打ち所が悪ければ打撲もありうる。舞うプリントが目に入れば網膜を傷付けさえするだろう。
「――」
その様をどこかスローモーションに眺めながら思考する。
正直、名も知らぬ少女が目の前で怪我をしようが俺の知ったことではない。知ったことではない……が。
「……ふん」
俺は今、"俺"ではない。
精神は違えど、我が身はリゼット=ブルームフィールド。誇り高く、そしてどのような時も強く生きると誓う、気高き少女だ。
もしリゼットが今俺のような力を持っていたら、この状況で目の前の少女を見捨てるか?
――否だ。彼女は常に、高貴なる務めを放棄などしない。俺はそんな不器用な彼女のことも大好きなのだ。
ならば……致し方あるまい。
「はっ――!」
毎日の手入れをかかさないという自慢の金髪を踊らせ、片手で宙に舞うプリントを回収。
そして床に後ろから倒れ込もうとする少女を、ギリギリのところで抱き止めた。
「怪我はない?」
姿勢のせいで至近距離から見つめ合う形となりつつも、構わず問いかける。
「――」
返事がないので首を傾げてみれば、まるでお姫様のように抱かれる少女は口をパクパクさせた後、なにやら頬を染めていく。
「……大丈夫なの?」
「――はっ!? あ、は、はひ。大丈夫、れす。あっ、ご、ごめんなさい私みたいな一般人が……!」
しばらく目をパチクリとさせた後に、少女はずざっと音が出るほどに後ずさりながら距離を取った。
口では大丈夫と言っているが、若干の熱に発汗も見られる。それに……、
「ふぅん? 大丈夫、ではないわね」
「へっ? い、いやいやいや大丈夫大丈夫!」
「いいえ、重傷よ」
焦ったように口早に言う少女だが……その一言で黙らせる。
ふん、まったく分かっておらんな。
俺は内心鼻で笑いながら床にプリントを置く。そうして離れた少女に歩み寄り、手を伸ばした。
「――スカーフが曲がっていてよ。あわてんぼさん」
「ひゃっ――」
先程の一幕で乱れてしまった少女の、セーラー服の中心にある赤いスカーフを直す。
そうしながら、言い含めるようにして口を動かした。
「それに、あまり自分を卑下するものではないわ」
「えっ、いやっ、あの」
「確かに地位の高低や容姿の美醜は、生まれ持った部分が大きい。でもね、容姿に関しては個人の主観によるものもまた、大きい」
「そ、それって……?」
ふん。分からぬか、たわけめ。
「あなたの、この頬のそばかす」
「っ」
言えば、少女は恥じ入るようにして顔を俯かせる。おそらく、コンプレックスに感じているのだろう。先程の言動で分かる。
だがな、“コンプレックス”というのは人間の個性を悪し様に表現した言葉に過ぎない。
それは言い換えれば、“人より違うものを持っている”ということなのだからな。
「ほら。そうやって背を丸めれば、それは短所に見える。だけど胸を張れば、私の目にはとってもチャーミングに映るわ」
「はぅっ」
その容姿のみで国を滅ぼす者も歴史にはいた。
容姿もまた、立派な武器なのだ。本人の使い方次第で、それはなまくらにも宝刀にも成り得る。どのように魅せるか、ということだ。
「うぅ、で、でも私、昔から好きじゃなくって……」
「あら、それが嫌なら魔法を使えばいいわ」
「え、ま、魔法?」
「ええ、そうよ」
俺はリゼットの鞄から、彼女が常時携帯している化粧ポーチを取り出す。
そこから雰囲気的に良さげな優しい色のスポンジを手にし、少女の頬をそっと撫でた。
そうして微笑み、その少女に小さな手鏡を渡した。
「え!? そ、そばかすが――!?」
その手鏡を覗いた瞬間、少女が驚愕の声を上げる。
コンプレックスに感じていたそばかすがいきなり消えれば、そのような声も出るか。
とはいえ、本当に化粧をしたわけではない。常人には見えぬ霊力で覆って、光の屈折率を操作して一時的に見えなくしているだけだ。アレルギーで騒がれてもつまらんからな。
内心でそう思いつつ、目の前で瞳を丸くする少女に語る。
「その美しさは自分で手に入れなさい。だけどこれだけは忘れないこと。胸を張って、堂々と自分を磨きなさい」
そこまで言ってパチリとウインクし、イタズラっぽく見えるよう人差し指を唇に当てた。
「私達は美しさを武器にする魔法使い――"女の子"なんだから、ね?」
「――!」
そうすると、少女は。
きゅっと苦しそうに胸を押さえ、ますますその頬を朱に染めた。その動作はまるで、自分の心臓の鼓動を外に漏らすまいとする乙女のような――
「あ な た 誰 な の よ」
「う゛っ」
グイッと、後ろから猫のように襟首を捕まれる感触。
ご主人様の冷たい声とその引力に従い、俺は最後に小さく手を振りながら「ご機嫌よう~」と口にすることしかできなかった。
小さく「リゼットお姉しゃま……」と瞳を潤ませ呟く少女をその場に置いて、俺は始業時間までトイレの個室でご主人様からのありがたい説教を受けるのだった。
――ちなみにこの後、リゼットのファンクラブに新たな『リゼットお姉様をお慕いし隊分派』が設立されることを、俺達は知る由もなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます