第168話「鬼の名は。」
「あら、カボチャのいい匂い」
朝の食卓に並べられた料理のほんのりと甘い香りに、我が主がふわりと笑みを浮かべて席に着こうとする。
「そうだな」
傍らに控える俺は相槌を打ちつつ、彼女が制服のプリーツスカートをお上品に抑えて腰を下ろすタイミングを見計らい、引いていた椅子を前へ。この動作も板に付いてきた。
リゼットをきちんと席に座らせた俺はそのまま厨房の方へ行き、この料理を作った刀花の配膳を手伝う。
刀花から手渡される皿の上に乗る料理は……匂い通り、カボチャ料理ばかりであった。
「ほう、カボチャのスープにグラタン、サラダ……パイまであるな」
しかし……、
「……」
それはいいのだが、さっきから若干暗い表情の我が妹が気になる。唐突に作られた大量のカボチャ料理と何か関係でもあるのだろうか。
体重でも増えたか? しかしカボチャは熱量も糖質も高いと聞くが……。
「……やらかしましたね」
「おう?」
なんだ、藪から棒に。
配膳を終え、全員席に着いた頃に刀花からそんな重い言葉が放たれる。やらかした、とは……。
「なによ、トーカ。あ、スープ甘くておいし」
この家の主人として一番に料理に手を着けた主が怪訝な様子で刀花をみやる。まあ、その顔は甘い味付けのカボチャ料理にすぐ屈服させられてしまったが。
「……今、何月ですか?」
「む? 十一月の中旬だ」
この前、学園の屋上でポ○キーゲームをしたように、既に秋も深まり冬を迎えようとしている。彼女達用のコートを、そろそろ見繕わねばならんなあ。
「っ」
しかし、そんな呑気なことを考えていれば。
くわっ、と目を見開いた我が妹が切実そうな声でもって叫んだのだ!
「――ハロウィンを、忘れてました!!」
「……」
「……」
……。
…………。
「……そう?」
リゼットはそれだけ言って、パンをちぎっている。あまり興味は無さそうだ。
そんなリゼットの様子にショックを受ける刀花をフォローすべく、俺も思考を巡らせた。
ハロウィンか。確か……、
「知っているぞ。渋谷で仮装して相撲を取るのだろう?」
「日本限定のお祭りみたいに言うんじゃないの。あとなんでスモウ?」
なにっ? ハロウィンとは街頭に出た若者共が派手な格好で軽トラックと相撲を取るイベントではないのか!?
「バカな……」
「なに深刻そうにワナワナ震えてるのよ。まあでも確かに子どものためのイベントだし、こんな森深くに子どもも来ないだろうなーってスルーしてたけど……」
イギリスではそういう位置付けらしい。
俺もバイト時代は「なにやらこの時期はオレンジ色の装飾が多いな」程度の認識だったため、さっき言ったこと以上の詳細は知らん。あの頃はバイト漬けで忙しかったからな……。
そうおっとりと呑気に話していれば、一方で刀花は必死な様子で言葉を放つ。
「ふ、二人は意識が低すぎます! ハロウィンですよ? トリック・オア・トリートですよ!?」
「何の呪文だ?」
「イタズラかお菓子か、ってことよ。飾りつけがしてある家のドアを叩いて、子ども達がそう言うの」
「ほーう……」
なるほど。
生か死か、を子ども用に表現したものというわけか。菓子は贄で、イタズラは死か。なかなかに殺伐とした儀式なのだな。
まあその辺のガキにくれてやる慈悲もない。俺には関係のないイベントのようだ。
「左様か……刀花、飯が冷めるぞ?」
「くす、なぁにトーカ。もしかしてやりたかったの? お子様なんだから」
そんなことより妹の作ってくれた愛情たっぷりの料理をかっ喰らうことに忙しい俺と、ちょっぴり意地悪そうに笑うリゼットの言葉に……、
「……すよ」
「え、なぁに?」
ボソッと呟く刀花。
そうして聞き返すリゼットに、刀花は握り拳を振り上げ闘志を燃やした!
「したかったんですよう! 可愛いコスプレして兄さんにお菓子貰って兄さんにイタズラしたかったんですよーーー!!」
「お゛お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛っ、なぜ俺にハロウィンの詳細を知らせてくれなかったのだ!」
「待って待って色んなこと同時に引き起こすのやめなさい追い付けないから」
欲望を解き放つ刀花。そして妹の言う“可愛いコスプレ”をした彼女を夢想し「なぜスルーしてしまったのか!」と無念の涙を流して机に頭を叩きつける俺。
食堂が一瞬にして混沌の坩堝と化した。
「――というわけで、今日はハロウィンです」
「平日だし学園行くわよ……」
「いいや、俺の妹が『今日はハロウィンだ』と言ったら今日はハロウィンなのだマスター。この世の道理を曲げてもなぁ……!」
「何の罪も無い世を巻き込まないの。勝手にコスプレでも何でもすればいいでしょう……?」
「あ、言いましたね? “変身”!」
「変身!?」
ガタッと椅子を立つ刀花は、まるで日曜の朝にやっているアニメのようなポーズを取る。
すると妹の姿が七色の光に包まれた! どこかからかポップな音楽も聞こえてくる!
そうしてなにやらポーズを次々ときめ、輝きが収束すれば……、
「――じゃん! 魔女っ子刀花、爆誕です! むふー、お菓子をくれないと、イタズラしちゃいますよ?」
「――」
キラッ☆、っと。
黒い三角帽を押さえつつ、星すら飛ばしそうなウインク投げる刀花。その姿は、彼女の言うように魔法少女とでも言うべき意匠に変化していた。
黒い帽子に黒いマント。短いスカートから伸びる足は縞々のニーソに包まれ、その手には魔法のステッキ。ざっくりと二の腕や肩を出す構造となっている上着も目に眩しい。
「おおもう……」
「あなたはなに感涙しながら拍手してるの……」
「もう世界遺産だろうこれは……」
「ユ〇スコも狂ったわね」
俺はそんな目の前で誕生したスーパー美少女魔法使いに、ただただ静かに拍手を贈ることしかできない……だが、我が主は不満な様子だ。
「いやスカート短すぎだし胸元開けまくりだし。これ朝の魔法少女じゃなくて、深夜帯の魔法少女でしょ。夜の香りがするわ」
「あ、ちなみにこの服、触手のような細いものに絡まると溶ける仕組みです」
「出たわね、謎の素材でできた服もしくは都合よく服だけ溶かす何か」
「どれ……」
「うわ背中から触手生やさないでよ気持ち悪い……」
主の言葉に少し心を抉られつつも、試しに刀花の足に絡みついてみる。
「う、く、離してください怪獣さぁん♡」
「嬉しそうにするんじゃないわよ、やっぱり深夜じゃないの」
「おお、本当に溶けたな」
「妹の服を溶かさないの!」
健康的に伸びる足がとても美味そうだ、と思っていたらマスターに叱られてしまった。
「もう、早くお菓子でもなんでもあげて終わらせなさいな」
「……むぅ」
「ちょっと、ジン?」
怪訝そうなリゼットの問いに押し黙る。
いや、これはなかなか……。
「お菓子は無論あげたい。しかし刀花にイタズラもされたい……くっ、俺は一体どうすれば……!」
「バカじゃないの?」
懊悩する無双の戦鬼を、我が主は冷たくあしらう。いや由々しき問題だぞこれは!!
「よし、お菓子はあげよう。だがイタズラもしてくれ」
「ハロウィンの定義崩れる……」
「むふー、じゃあイタズラしちゃいますね? えい、“可愛い妹しか目に映らなくなる”魔法~♪」
「イタズラとかいう可愛い次元のものじゃなく、ただの呪いじゃないそれ?」
おお、周囲が真っ暗になり、刀花の姿しか見えなくなってしまった。ここが完璧な世界か……。
「そら、刀花。あーん」
「あーん♪」
しかし例え暗闇に放り込まれようと、我が動きを阻害することはできぬ。
俺は皿の上に乗っていたパンプキンパイを切り分け、可愛らしくお口を開ける妹へ差し出す。彼女こそが俺にとっての夜明けの光……刀花さえいれば、太陽など不要なのだ!
……それにしては視界の端がなにやら眩しいな。
「……なんかステッキ光ってるけど大丈夫それ?」
「もぐもぐ――はっ、いけません! パワーが臨界を越えようとしています!」
「ええ……なんのパワー?」
「魔法少女ですよ? 愛のパワーです。兄さんの“あーん”で妹のお胸はキュンキュンなのです」
「はいはい。で、臨界超えるとどうなるの」
「イタズラの魔法が暴発します」
「は?」
うお、眩し――!
リゼットの聞き返す声を最後に、食堂が七色の光に包まれて――
「――ちょっとぉ、眩しいじゃないの。ん? コホン。ん、なんだか声が……あと身体が重い気が……」
「危険は無いと判断したが、どうな――む?」
身体が軽い……? それに俺も何やら声に違和感が。
「え、ちょっと待ってこれ――!?」
そうして光が収束し、目を開けば――先程と同じ魔法少女の格好をした妹と……“俺”、だと?
というか先程と見ている風景が変わっている。ここはリゼットがいつも座っている上座のはずだ。
そして俺の目の前に、らしくなく困惑しきりの妹の姿と、「おー、兄さんの手です」とマイペースに感心したような声を出し、自分の手を見る俺がいる。
「ほう……」
なるほど。
俺も自分の身を検分してみる。スベスベの白い肌に、河のように流れる黄金の髪。む、タイツと下着の圧迫感が慣れんな。腕を組めば程よいサイズの胸が潰れる。
イタズラの魔法が暴発したとのことだが、これは……、
「どうやら……」
「あはー、私達……」
「い、入れ替わってるーーー!!??」
ああ、知っているぞ。テレビで見た。
天気〇子、であろう?
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