第165話「屋上に咲く徒花」



「これより、ポ〇キーゲームを開始する」

「は?」


 そのような冷たい目で見られるのは心外だぞ、我が主よ。


 学園の昼休み、秋風が染みるようになってきた東棟の屋上にて。

 俺、リゼット、刀花、綾女、橘という稀な顔ぶれがシートを広げ、昼食を食い終わった頃。

 俺は棒状のチョコ菓子が入った小箱を手にし、そう宣言した。


「はーい! じゃあ妹とやりましょうね兄さん!」

「待って待って脈絡なさ過ぎるから展開についてけないから。あと落差」

「なんだ知らんのか、箱入りお嬢様よ。本日は十一月十一日。それ即ちポ〇キーの日であると」

「いや知ってるけど……どうしてそうなったのよ」

「土用の丑の日にウナギを食べるように、年越しに蕎麦を食べるように、だ。これは神事である」

「神事ぃ~?……ちょっと、『やれやれ何も知らぬのだな』みたいな感じで肩竦めるのやめなさい。イラッとするから」


 こめかみをピクピクさせるお嬢様に、俺はかみ砕くようにして説明する。まあ、英国と日本では文化も違おう。


「たとえば年越しにおいて蕎麦を食べるのは、その麺が細く長いことにあやかり“延命・長寿”を祈願するがゆえだ」


 ちなみに引っ越し蕎麦では“末永く”という意味になる。

 そして俺は座る一同に今一度、菓子の小箱を掲げてみせた。


「そしてこのポ〇キーは細長く、そしてチョコは蕩けやすい。これを二人で咥え合うことは、その者達の“末永い関係”と“熱で蕩けるほどの愛”を願うものとなるのだ」

「……き、聞いたことある、橘さん?」

「???」


 純日本人である綾女と橘がコソコソ話している。おや、古来より伝わる年に一度の恒例行事だというのにその由縁を知らぬのか。

 俺が訳知り顔で頷いていれば、右隣に座るリゼットが嘆息と共に手で頭を押さえた。


「……ちなみにジン? その知識、誰に吹き込まれたの?」

「刀花だ」

「と~う~か~?」

「あーあー、聞こえませーん聞こえませーん」


 俺の左隣に座る妹が、リゼットの言葉に耳を塞ぐ。故事に諸説ありというのはよくあることだ。

 そんな刀花は流れを断ち切るようにして菓子箱を手に取り、パッケージを開封する。


「さあさあ兄さん、可愛い妹と神聖なる儀式を敢行しましょう。今年も仲の良い兄妹で在れることを祈願して!」

「仲の良い兄妹でもポ〇キーゲームはしないでしょ」

「よし、橘。合図を出せ」

「聞きなさいよ」

「っ!」


 橘に目線を送れば、彼女は一瞬驚いた表情を浮かべた後、懐をガサゴソと探り……取り出した物に綾女とリゼットが目を丸くした。


「わ、スタートピストルだ」

「なんで?」


 この子はハリセンといい、たまによく分からない物を出す。橘曰く『彼氏の影響です』らしいが、俺もよく分からん。


「むふー、それじゃあ兄さん?……んっ♪」

「――」


 目を瞑り、ちょっぴり頬を染めた妹が棒状の菓子を咥える。

 そうして「んっ♪」とこちらにその先端を差し出す様は、この戦鬼には毎年のことであるがあまりに可憐に映る。年を経るごとに、だ。

 こちらも菓子の先端を咥えて目の前の妹に視線を注げば、いとけない少女の顔の中に、隠しきれない“女性”としての色香が香る。

 バニラのように甘く漂うそれは、殺戮兵器すら狂わせる魔性の物質。識者がそれを“トウカニウム”と名付けたという話はあまりに有名。

 その香り、この無双の戦鬼が一ミリグラムほども逃すものか!


「すうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

「なんか酸素薄くない?」

「わ、わ、橘さん待って待ってー!」

「――っ!」


 パァン!


 トウカニウムに気を取られていれば。

 綺麗な姿勢で銃を天に向け、片手で耳を塞ぐ橘がスタートを合図する! そしてそんな俺の隙を見逃す妹ではない!


「カリカリカリカリカリカリカリカリ――ちゅ♪」

「はっや。鉛筆削りでももう少し可愛げがあるわ」

「出遅れたな、今年は俺の負けか」

「これ勝ち負けとかあったの……?」

「むふー、ごちそうさまですぅ♡」


 最後に小さくペロッと、こちらの唇に付着していたチョコを舐めて、ウインクをする刀花は顔を離す。リゼットのツッコミなど、どこ吹く風だ。


「うむ。これで今年も我らが兄妹の絆は安泰だな」

「もう今年終わるわよ……」

「季節感ありますよね」


 さて。


「ではマスターも、やるか」

「はぁっ!? や、やらないわよ!」

「なぜだ? 刀花としている時、不満そうにこちらを見ていたではないか……はっ、まさか俺とではなく、刀花としたいのか!?」

「斬新な解釈やめなさい」

「え、そうだったんですかリゼットさん……もぉ、しょうがないですねぇ。リゼットさんならいいですよ。ん~♪」

「何で乗り気なの――ちょっ、迫らないで迫らないでー!?」


 我が主と妹が、身を寄せ合ってじゃれ合っている。それはまるで可憐なる妖精の戯れ。

 なんと素晴らしい光景か。日本三景に認定すべきでは? しろ。


「もしくは歌人が歌に詠み、百人一首に追加すべきであるな」


 そうは思わんか? と綾女と橘の方に視線をやったが……なにやら綾女の様子がおかしい。そういえば先の一幕で「学園の風紀を乱すのはダメなことだよっ」というお小言を聞いていないな。


「ぽー……」

「???」


 綾女が熱に浮かされたような表情で虚空を見つめている。橘が目の前で手を振っても気付かない。


「ふーむ」


 あの表情、見覚えがある。よくリゼットが内の世界へ旅立っている時の顔だ。綾女もまさかリゼットと同じく“妄想族”(刀花命名)というやつだったのか。


「――」

「む……?」


 綾女の唇が僅かに動く。

 彼女が無意識下でそっと自分の唇を指でなぞる、その形を読唇してみれば……『い』 『い』 『な』だと?


「……ほう」


 見えたぞ。

 おそらく、以前の体育倉庫でのことだ。あわや唇を奪いかけたあれ以降、思えば綾女はたまにぼうっとすることが多くなった。先程の刀花とのゲームを見て、綾女は今それを想起しているのだろう。

 垂れ気味な瞳は熱に潤み、頬は熟れた甘い果実のように赤い。そしてその艶やかな唇は……なによりも美味そうに映る。


「……」


 俺は無言で、心ここにあらずな綾女の唇の前にポ〇キーを差し出す。


 ――パクリ。


 おお、咥えたぞ。赤子が目の前にある物を何でも咥えるかのように。

 ふむ、なるほどな……。


「では、俺も失礼して」

「――んむ? ふあーーー!!??」


 俺が先端を咥えた瞬間。

 目をパチクリとさせた綾女が、途端に真っ赤になって奇声を上げた。

 さすがに気付くか、残念だ。


「なななななにをしてるのかなっ!?」

「神事である。ポリポリポリ」

「珍事だよ……ってそれ、私が咥えてた――!?」

「む? 美味である――見切った!」


 橘の振り下ろす『セクハラ禁止』と書かれたハリセンを白刃取りしつつ、わたわたと慌てる綾女に答える。


「あまりにいじらしく映ったものでついな。目の前に宝をぶら下げられて、黙っていられるほど人格者ではないのだ」

「宝って……そ、そういうこと言っちゃダメっ」


 俺の賛辞に「ほわっ」と頬を染めるそんな我が友も可愛らしい。最近は特にそう思う。


「うむ、大変愛らしい。近頃の綾女はとみに噂にもなるほどだ。であろう、橘?」

「え、噂……?」

「(こくこく)」


 ハリセンを仕舞った橘に話を振れば、彼女はしきりに頷く。そうしてスケッチブックを取り出し、文字を綴った。


『時折、ぼうっと物思いに耽っている薄野さんに見惚れる人が急増中です』

「へっ!?」

『その物憂げな表情から、蕩けるような熱い溜め息が出る時など、その姿はまさに“乙女”そのもの』

「そんな我らがクラス委員長は――“恋”を、しているのではないか、とな」

「えええーー!!??」


 体育倉庫の一件以来、そのような噂が流れている。彼女の雰囲気が、そうさせるのだ。


「なんっ、そん、な……ええ~!?」


 自分の噂はなかなか耳に入らぬものだ。

 初耳だった綾女はその小さな手をしっちゃかめっちゃか動かしている。頬など心配になるほどに真っ赤だ。


「いやはや、俺も知りたいものだ。我が友の心を射止めた者とは」

「へぇ!? あっ、だ、誰のことかなーーー!?」

「……」


 橘が俺を「白々しいですね」と言わんばかりのジト目で見つめてくる。それに綾女よ、否定を返さねば“いる”と明言しているようなものだぞ。


「ちっ、違うから! ただの親友君だからー!?」


 綾女の親友は俺しかおらぬだろう。

 これは、我が主と妹に許しを得るため土下座をする日も近いと見える。今晩から練習を始めるべきか。


「あっ、そ、そうだ! 噂と言えばね!?」

「む?」


 綾女にしては珍しい強引な話題の転換だ。

 その必死そうな声に、刀花の咥えるポ〇キーを「せい!」と手刀で両断していたリゼットも、関心を惹かれたように耳を傾けはじめる。


「こ、コホン。えっとね……」


 存外に注目を集めた綾女は一つ咳払いをし、


「これは私の友達から、最近聞いた話なんだけど――」


 なにやらどこかで聞いたような導入から、彼女はそう話し始めた。


「奇しくもこの東棟の屋上にね――“出る”んだって」

「……ほう?」


 それはそれは。

 綾女は口許に手を当て、まるで禁忌に触れることを恐れるかのように重く語る。

 皆が耳を澄ませる中で、取り巻く雰囲気すら緊張感を帯びていくような錯覚さえ覚えた。


「草木も眠る丑三つ時に、給水塔の辺りから……聞こえてくるの」


 だが彼女はそこまで言って、


「女の子の幽霊の……」


 ふっと、口許を綻ばせた。


「――楽しそうに、笑う声が」


 ……ふ、そうか。


「あれ。刃君、何か知ってる?」

「さてな……」


 悪戯っぽい表情で尋ねる綾女にとぼけ、チラリと件の給水塔の方へと目を向ける。

 美しい秋晴れの下、手入れもされず錆び付いている給水塔のその上には――


『ふ、ふふふっ、セ・ン・セ♪』

『か、華蓮君? そんなにくっつかれると。ほら、酒上君も見ているから……』

『えぇ~? いいじゃないですか~。あんな怖ーいツンデレ戦鬼さんじゃなくて、私を見てくださいよ~』

『あ、あはは……お世話になった人にそんなことを言ってはいけないよ華蓮君』

『いいんですよ~だ。そりゃ感謝してますけど、それと同じくらい酷いこと――き゛ゃ゛ー!? ナイフ! ナイフが飛んできましたーーー!!??』

『華蓮君は変わらないなあ……』


 ……ふん、見せつけてくれるではないか?


「まあ、肴としてはそう悪くない。グビグビ」

「うん? 刃君それ何飲んでるの?」

だっ〇」

「〇さい!?」

「“磨き二割三分その先へ”ぞ。葡萄も悪くはないが、やはり米だな」

「なに学園で純米大吟醸飲んでるのさー!? ダメダメぇー!!」

「おっと」

「こら、ジン逃げないの!」


 綾女とリゼットの手を逃れつつ杯を傾ける。

 なに、季節外れの花見酒というやつだ。


「……貴様らの覚悟、しかと見届けたぞ」


 薫風学園、東棟の寂れた屋上。

 その場所には、諸人には決して触れられぬが、多くの涙を吸い上げ育った……




『センセ――大好き。ずうっと、一緒です♪』




 ――見るも鮮やかな笑顔の花が、咲き誇っているのだという。








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 第四章「無双の戦鬼と、屋上に咲く徒花」終了。

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 是非ともご感想をお聞かせください~。



<次章予告>

 ――聖夜。

 それは恋人達にとって特別な意味を持つ夜。

 クリスマスに向け、それぞれ動き出す戦鬼と少女達。

 秋から移りゆく寒い冬となっても、いつも通りの賑やかで温かい日常。それがずっと続くと思っていた……


 ――その二人が、屋敷に襲撃をかけて来るまでは!


 次章「無双の戦鬼と、襲来の双姫!」


「おーっほっほっほ! 余こそは! 天魔より産み落とされし絶世の美姫、リンゼ=ブ――いった!? ちょっと、叩くことないじゃんカナター!」

「……お嬢様、名前バレ、ダメ。任務、遂行第一」

「え、あ……ほとんど言っちゃったごめん……」

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