第164話「”守る”というのは、そういうことだ」



「り、リゼットさん、何を言って……!?」

「……」


 ――『アダシノカレンを、殺しなさい』


 そう言い放った我が主は、隣で目を見開く刀花の声にも動じぬまま化野華蓮を見据えている。その紅蓮の瞳には、一切の妥協も躊躇もない。


「ク、ハハハハ」


 さすがは我が主。趨勢を見極める王の器よ。


「に、兄さん! やめてください! “お願い”です『そんなオーダーは聞かないでください!』」

「ならん」

「なっ――!?」


 我が“所有者”である刀花の懸命な声に否定を返せば、彼女はその衝撃に身を震わせる。当然の反応だ。

 刀花の“お願い”は、戦鬼にとって“オーダー”に匹敵する。彼女の優しい気質に合わせた表現をしているだけで、戦鬼創造を担った彼女の“お願い”はこちらにとって絶対だ。この少女は、戦鬼への絶対命令権を無数に持っていると言っていい。“所有者”とはそういうことだ。

 そんな彼女の“お願い”を、俺は初めて拒否する言葉を放った。刀花にとって、その衝撃は計り知れないものだろう。


 ――しかし悪いな、我が妹よ。その“お願い”はどうしても聞けぬのだ。今はな。


『う、そ……ですよね、戦鬼さ――』

「いいや、斬る」


 淡い期待を寄せようとする、羽交い締めにされた幽霊少女。

 その首筋に当てた刃をゆっくりと引けば、一筋の線がその霊体に刻まれる。幽霊は基本、物理接触はできぬが、霊力を纏わせた物であれば干渉できる。


『いっ、た――!?』


 その身に刻まれた傷からは、血の代わりに霊力の残滓がハラハラと燐光として舞うだけだが、これで分かっただろう。俺に斬れぬものなどないのだ。

 その事実を、身をもって体感し震える化野に俺は最後の言葉を送る。


「さらばだ、哀れなる少女よ」

『ど、どうして……』

「この俺の怒りを買った罪は重い、我が主はそう仰せだ。蹲るだけの者に手を差し伸べるほど、我ら魔の者は甘くない。疾く、死ね」

『い、嫌……』

「頼る相手を間違えたな。鬼に命運を預け、弱者に信を寄せた者よ。お前はことごとく、選択を間違えたのだ。その罪業、死をもって贖え。貴様達のその浅い絆ごと断ち斬ってな」


 冷たく見据えて殺気を放てば、腕の中の少女は恐怖に身を凍えさせる。俺の目に温もりなど、ない。


『嫌、嫌ぁ! センセ、センセぇ!』

「ク、ハハハハ……いいぞ。せめてその絶望でもってこの結末を彩るがいい。すぐにお前の思い人も送ってやる……地獄にだがな」

『センセぇ! 助けてセンセぇ!』

「ではな。貴様らの死でもって、報酬を受領する」


 裁定が下される。

 絶望の涙を流し、しかし最後まで喚く少女の首を、俺は一刀の下に斬り落と――


 ――ガシッ!


『ア、 アアアア……!』

「……」

『え――』


 ……斬り落とそうとする俺の腕を、掴む者がいる。

 静かに見守る我が主では勿論なく、衝撃に頭が真っ白になっている我が妹でもない。


「……離せ、下郎が」

『ガアアアァァアアアァア!?』


 念じるだけで、その不愉快な腕を斬り飛ばす。

 肥大化した右腕を切断されたその者は、苦痛に塗れた絶叫を上げた。


『ア、アァ……!』


 しかし、その身体を巡る鬼の霊力はその程度では衰えない。斬り飛ばされた腕を再生させ、その者は抗うため再び俺の腕を掴んだ。化野の首を斬らんとする刀を持つ俺の腕に。


 ――先程まで蹲るだけだった、一ノ瀬托生が。こちらの瞳を鋭く睨み付けながら。


「離せと言っている。自分の女も守れぬ弱き者よ」

『アアアァァアァァァ!!??』

『あ、あ……センセ……!』


 再度、一ノ瀬托生の腕を切断する。

 しかし、それでも奴は絶叫を上げながらも、再生した腕でこちらの腕を掴む。これまでとは違う感情を込めた絶叫を上げて。

 幾度、その腕を切断されようと。


「離せ」

『アァ……――ナ、ィ!』

『せん、せ……?』


 ああ、そうだ。

 貴様に欠けているのはその気質だ。目を見れば分かる。


「離せ」

『ハ――……サナ、ィ……!』

『センセ……!』


 俺が貴様に与えた力は、丸くなって己を守るためのものではないのだ。


「離せ!」

『――ゼッ、タイニ、ハナサナイ!!!!』

『センセェ――!!』


 その手は、無様にも地に這いつくばるための物ではない。

 “守る”というのは、蹲ることでは決してない。


『ウ、アアアァアァアアアァア!!!』

「……ふ」


 ――大切な者のために……全ての痛みに立ち向かうことこそを、そう言うのだ!!


 ――ズバン!


 猛る咆哮と共に、血しぶきと腕が夜闇に舞う。


 ……その手に、一振りの刀を持った腕が。


『ハァー……ハァー……!』

「ふん、ようやく分かったか。鬼の力とは蹂躙する力。抑え込むのではなく、飼い慣らすものだと」


 落ちてきた“俺の”腕を掴み、切断面をくっつける。再生など造作もない。

 そして……刀を消した。もう、必要のない物だ。


『ハァ、ハァ……!』


 目の前の男を見やる。この俺の腕を飛ばし、愛する少女をその手に奪い返した者を。

 俺の与えた力を把握し、支配下に置いたことでその姿は人間のものに戻っている。俺の腕を切断した、肥大化していたその腕も。


『せ……センセ……?』


 恐る恐る、その腕の中にいる化野が呼ぶ。

 これまで幾度呼んでも、反応すら返ってこなかったその声に――


『――ああ、華蓮君。遅れて、すまなかった。本当に、本当に、すまなかった……』

『――』


 柔和な笑みと、少女を慮るその声色。

 今度こそ――今度こそ、確かに、その男は人間として少女の声に応えたのだ。


『ああ、センセ……せん、せぇ……う、あ――』


 少女の泣き声が屋上に響く。様々な感情を伴った声が。

 再会の喜び。過去の悲しみ。男への怒り……そしてなにより、互いが無事だったという安堵と愛が込められた声を。


「……」


 互いに『ありがとう』と『ごめんなさい』を何度も何度も口にし抱き締め合う、そんな二人を前にして、俺は……、


「――ふん、帰るぞ。マスター、刀花」


 終いだ。

 つまらなさそうに鼻息を鳴らし、二人を害することなく踵を返す。ホッと安心したような息を漏らすリゼットと、目を白黒させる刀花に向かって。


「まったく、無茶して。腕、大丈夫なの?」

「は、この俺を誰だと思っている」

「え、え? に、兄さん?」


 腰に手を当て少々お冠なお嬢様の声に不敵な笑みを返していれば、我が妹が頭に疑問符を浮かべている。


「いいん、ですか? こ、殺せって“オーダー”は……? 私のお願いも聞かずに……」

「ああ、悪かったな我が妹よ。誤解させたようだが、あれは“オーダー”ではない」

「え? でも……」


 ますます首を傾げる妹の頭をくしゃりと撫でる。謝罪の意も込めて。

 え、え、と刀花がリゼットの顔を見れば、彼女は悪戯っぽく笑って舌を出した。


「ふふ、“オーダー”はね、今朝の内に使っちゃってたのよ」

「え――あっ!?」


 そういうことだ。

 吸血鬼として未熟なリゼットの“オーダー”は一日一回が限度。二度目は、この戦鬼には発揮されない。


「じゃ、じゃあ私の“お願い”は……」

「『そんなオーダーは聞かないで』だろう? オーダーではないからな、聞きようがないのだ」

「えー!?」


 この俺が妹の言葉を聞き違えるものか。

 いや、いい演出だったぞ。おかげで化野にも緊張感が出た。本当に殺されるものだとな。それでようやく一ノ瀬托生を焚き付けることができた。


「あー、緊張した。最後までハラハラしたわよ。アドリブだったし、あなた本当に殺すんじゃないかって最後まで疑ってたからね?」

「俺が主の美しい手を穢させるものか。やるなら、俺一人で人知れずやる。だがまあ、さすがは俺のマスターだ。よくぞ俺の意を汲んでくれたな」

「……ま、まあね? 私、あなたのご主人様だもん」


 得意げに、そしてどこか照れくさそうに頬を染めながら金髪を掻き上げる少女を、俺は誇らしく思う。

 ああまったく、俺は素晴らしいご主人様に巡り会ったものだ。

 しかし、そんな通じ合うような笑みを交わす俺達が……というか、終始置いてけぼり気味だったことが不満だったのか、隣の妹がそれはもう頬をパンパンに膨らませている。


「むむむむむむむぅ~~~……!」

「許せ刀花、これが最後だ」


 その柔らかい頬をツンとつついて空気を抜き、彼女の前で跪く。

 妹の物となってこの方、彼女の願いは全て叶えてきた。それが当たり前だった彼女にとって、俺が言うことを聞かなかったというショックは、誤解といえども相当なものだったに違いない。

 俺としても、彼女を不安がらせるようなことは今後ないようにしなければ。


「俺はお前のものだ、刀花。いかなる時でも、いかなる事が起きようとな。騙すようなことをしてすまなかった」

「……兄さん、“お願い”があります」

「ああ、なんだ?」

「……ぎゅって、してください」

「……ああ」


 その柔らかい身体を、一も二も無く抱き締める。これで、彼女の許しが得られるのなら。


「……ちなみに、兄さん。今朝の“オーダー”の内容は何だったんですか?」

「んな――じ、ジン! 言っちゃダメ!」


 まさかそこを言及されるとは思っていなかったのだろう。リゼットが焦ってこちらに取りすがろうとするが……すまないマスター、妹は絶対なのだ。


「確か、『血を口移しで飲ませなさい……愛情たっぷりに抱き締めながら』だったな」

「リゼットさん、そんなことで……」

「きゃーきゃー!?」

「揺らすな揺らすな」


 羞恥で真っ赤になったリゼットにガクガクと揺すられる。いつもならそうでもないのだが、今朝に限って過激な“オーダー”であった。お労しい……。


「そ、そそそそそうだわ、ジン!? あの子達は!? どうするの!?」

「ものすごい話題逸らしです……」


 刀花の湿っぽい目もなんのその。

 リゼットは口早にそう言って、いまだ泣きながら抱き合う幽霊達を指差した。


「あ、あのまま消えるの?」

「いいや。一ノ瀬托生は上手く抑え込んだようだが、曲がりなりにも俺の霊力だ。そう簡単には消えん」

「え、じゃあ華蓮さんは消えちゃうんですか?」


 刀花が鋭い指摘をしてくる。

 化野の身は、一ノ瀬托生が指輪となることで守っていた。それが無くなった今、化野は巡る世界の波濤に晒されていることになる。


 ――が、無論、抜かりはない。


「化野には、この星の龍脈から吸い取った霊力を刻んでおいた。世界は“異物”を洗い流そうとするが、その霊力とほぼ同一のもので構成された奴が、世界から“異物”として見なされることはもうないだろう」

「え、ジン、いつの間にそんなこと――あ、まさかあの時!?」


 ああ、俺が化野を羽交い締めにした時だ。その時に、刻んでおいた。

 そんな布石を打っておいた俺を、刀花は優しく目を細め、リゼットは呆れたようにして見ている。


「……むふー、兄さんはやっぱり私の兄さんです!」

「あなたって、ホント素直じゃないというか……」

「……ふん、勘違いするでない。あの男が堕ちるようなら、そのまま殺していた。結果論に過ぎん」

「「はいはい」」


 む……。

 分かった分かった、と流すように笑って言われるのは心外だ。俺の殺意は本物だったというのに。


「ふぅん、それで? 優しい戦鬼さん?」

「俺は優しくなどない。俺が優しいのは俺が認めた者にだけだ」


 言いながら、いつものように屈んで二人を腕に乗せる。

 すっかり夜になってしまった。帰って晩ご飯の支度をせねばならんからな。急務である。


「報酬として二人の魂を食べる~って息巻いてたけど、食べないのかしら?」

「ふふ、兄さん?」

「……む」


 意地悪げに問う主と、面白そうにこちらを覗き込む妹から顔を背ける。彼女達は分かっていて問い掛けているのだ。


「――」


 屋上から飛び立つ前に、今一度、涙ながらに再会を喜ぶ幽霊達を見る。

 もう二度と、触れ合えないかもしれなかった二人。理不尽に引き裂かれ、しかしそれでもなお手を伸ばし、掴み取った大切な者の手。

 互いの名を呼び、抱き締め合いながらも、その手をしっかりと握る二人からはそこはかとない愛情が香る。この狭い屋上では収まり切らんほどのものが。

 そんな憚らぬ愛情を撒き散らす恋人達から、俺は視線を切り、闇へ飛び立つべく足に力を入れた。

 ……ほんの少しだけ、口の端を上げながら。


「ふん――ご馳走様、というやつだ」

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