第148話「これがカマキリの雄の気持ちか……」



「それじゃ材料を――わ、冷蔵庫に輸血パック入ってる!」

「マスターの吸血用のものだな」


 屋敷の厨房にて。

 たい焼きの材料を取り出す綾女が、少しギョッとしながらも「本当に吸血鬼なんだねえ」と感心したように呟いている。

 そんな我が友は、既に調理用の姿へ。

 従業員用のものではない、おそらく私用の白いエプロンに三角巾。そして――


「……? あ、どう? 似合うかなあ?」

『可愛いですねえ~』

「ふふ、ありがと化野さん」


 クスッと笑う綾女が、フワフワと浮かぶ化野に言う。霊感のない綾女が、確かに幽霊少女の姿を視線に捉えて……その、眼鏡越しに。


「すごい、本当に見えるしお話もできるよ!」

「そうか、ならばよかった」


 細いフレームを指で直しながら、綾女は瞳をキラキラさせる。

 幽霊の姿と声を届ける眼鏡……霊力を込めたレンズはその姿を映し出し、耳にかかるフレームから特殊な霊波をキャッチし鼓膜を震わせる。

 作製に苦労したが、視力も聴力も古来より人間の武器だと、己を納得させてなんとか出せた。

 綾女だけ化野と交流できぬのもこの場では不便であり、なにより彼女をからかった代償にいくつか願いを聞き届ける流れとなったのだった。


「どうどう刃君、大人っぽい?」

「ああ、とても可憐だ」


 こう、背伸びをしている子どものように愛らしい。


『とても華蓮? 私ですか?』

「違う」

「ふふ♪」


 先程まで絶交していたとは思えないほど、綾女の様子はご機嫌だ。

 というのも、おそらく俺が別の願い事を聞き届けたからだろう。“予定の合う休日に共にボランティアに参加すること“や、その後“駅前にできた喫茶店で一緒にお茶をすること“など。

 それらを問答無用で約束させられ……乙女の純情を弄んだ罪は重いのだと知った。戦鬼、反省。


「はいはい、いつまで見つめ合ってるの」

「綾女さん、たい焼きの材料ってこれで全部ですか?」


 そんな俺達を、リゼットは面白くなさそうな顔をして引き離し、刀花は待ちきれないのかソワソワとして綾女に聞く。

 刀花は食欲からだが、リゼットの不満は……眼鏡をかけたいのだろうか。


「欲しいのか、眼鏡」

「……誰もそんなこと言ってないでしょ」

「――眼鏡が、欲しいか?」

「なに決め台詞っぽく言ってるのよ……って勝手にかけないでよ、もう」

「おお、デキる女性っぽいぞ」

「……そ、そう?」


 満更でもなさそうだ。

 ご主人様のご機嫌を取ることに成功した俺は、眼鏡をクイクイする彼女を隣に、材料を漁っている綾女と刀花に歩み寄った。


「たい焼きの中身は餡子とカスタードにするはずだな?」

「うん。餡子は粒あんと、こしあんをお好みでって感じかな」


 綾女はそう言って、冷蔵庫からレジ袋に入った餡子を取り出してみせる。まだ試作段階のため、買ったのは安めのやつだ。

 そうして綾女に続いて刀花がカスタードの袋を取り出し……はて、と首を傾げながら別の袋も取り出した。


「あれ、別のが入ってますよ? ……チーズ?」

「ふふ、うん。今は練習だからね。お店に出すのとは別に、美味しそうなレシピがあったから試してみようかなって。楽しみにしててね、刀花ちゃん」

「綾女さん……! 好き!」

「わっ、ふふふ」


 綾女の提案に、刀花は感激した様子で彼女に抱きつく。

 綾女はそんな刀花にビックリしながらも、年上の包容力を見せつけて抱き返していた。


「うーむ……」


 顎に手をやり二人をしげしげと観察する。そんな俺の視線はある一点に固定されている。

 最近はよくリゼットにも抱きつくようになった刀花だが、綾女相手であるとこう……彼女達の身体の接地面積が大きいのだ。ある一部分で。

 たわわに実った果実が互いに押しつけられ、その形を大胆に変える様はまさに圧巻というやつだ。スケールというのは、でかければでかいほどいい。


「混ざりたい……」


 いやな?

 俺は鬼であると同時に抜き身の刀であるがゆえ、収まりの良さそうなところを見れば収まりたくなるのだ。

 ――刃は鞘に収まらなければならん。

 それは最早摂理であるからして、仲良く戯れる二人の胸がむぎゅむぎゅと潰れるその特異点に収まりたいというのは、決して男のゲスな劣情から来る欲求ではないのだなあ、これが。

 分かるであろうか? 分からないであろうなあ~。

 俺は独り納得し、睦まじく触れ合う二人に向けて厳かに頷いた。


「ふむ……“とうあや”という新しい可能性、か」

「あなた真面目な顔でしみじみ言ってるけど、絶対ロクなこと考えてないでしょ」

『おっぱい大きいですねえ!』

「カレン、あなたね……」


 リゼットに湿っぽい目を向けられても、化野は欲望に忠実だ。生前は隠し事ができなかったに違いない。魂が剥き出しになっている幽霊の特性なのかもしれんが。


「あっ――」


 そんな俺達三人に見られているのに気付いてか、綾女は頬を染めてやんわりと刀花を離した。


「こ、こほん。じゃあ早速焼き始めよっか。リゼットちゃん、調理器具は使っていいのかな?」

「ええ、自由にしてくれて構わないわ。洗うのはジンだし」


 戦鬼の本懐とは主人を守護し、敵を殲滅することにある。しかし最近は皿洗いばかりだ。俺は悲しい。


「えーっと、まずは小麦粉に砂糖に――」


 そうして俺は心の中で悲しみの涙を流しながらも、たい焼き組である綾女と共に生地を作成していく。

 生地作りは混ぜる物も少ないため、力加減を間違えなければそう難しいものでもない。


「リゼットちゃんと刀花ちゃんの組は演劇だっけ」

「ええ、台詞も多いから大変なの」


 たい焼き作りを興味深げに眺めるリゼットと刀花だが、その手には紙の束が握られている。台本というやつだな。俺達が帰宅するまで、練習していたのだろう。


「生地を混ぜている間は暇だ。何か台詞を言ってみてくれないか?」

『私も見たいでーす! 何か思い出せるかもしれないし!』


 俺と化野がリクエストすれば、リゼットは少し気まずげに目を逸らし、頬を染めた。


「ええ……? 恥ずかしいんだけど」

「でもリゼットさん、本番は何百人って生徒の前でするんですよ?」

「そ、そうだけど……」

「では私から。『おお姫、なんとおいたわしい姿! 俺のキスで、目覚めさせてやるぜ……』」

「ちょっ!? なんでキスシーンからはじめ――きゃー! ホントにしようとしないでー!?」

「『眼鏡も可愛いぜ……!』」

「アドリブも達者ー!?」

「なんだかちょっとキザな王子様だね。女の子が脚本書いたのかな? でも、刀花ちゃんが元気よく演じてくれて可愛いから憎めないなあ~」


 刀花がリゼットの唇を奪おうとする中、綾女が生地を混ぜながら呑気に感想を言う。

 刀花が王子様役な事に関しては、特に思うことはないらしい。そういうものか。


「生地は少しずつ流し込むのだな?」

「うん。焼きながら中身も詰めて、最後はハンドルを持って鉄板を貝みたいにガチンと合わせるからね」


 わーきゃー騒いで劇の練習をする彼女達を微笑ましく眺めながら、熱しておいたたい焼き器に生地を流し込んでいく。

 魚の形に縁取られた鉄板に少しずつ、少しずつ。


「うんうん、上手だよ刃君」

「喫茶店のバイト経験があってな。そこで少し、小さな先輩に揉まれたのだ」

「あ――ふふ、もう」


 俺が肩を竦めて冗談めかして言えば、綾女は嬉しそうに微笑み、肩をこちらにコツンと当ててきた。

 まったく、この俺が他者を……それも人間を屋敷に招いて菓子作りなどと。変われば、変わるものだ――


『おお! 皮の焼ける香ばしい匂いがー!』


 ……そういえばいたか、この者も。

 割り込む声に見上げれば、化野が逆さまに浮きながら香ばしい香りに鼻をヒクつかせている。

 ちょうどたい焼き器の真上にいるため煙がその身を包み、お焚き上げされているようだぞ。そのまま成仏せんだろうか。


『ほら早く早く、餡子入れてくださいよー!』

「うるさい故人だ……」


 従うわけではないが、薄く張った生地に餡子を乗せていく。うぅむ、塩梅が難しいな……。

 俺が唸りながら四苦八苦する中、隣の綾女はニコニコして化野と話している。


「化野さん、何か思い出した?」

『そうですねえ……どうでもいいことはちょろちょろっと。でもやっぱり肝心なことはどうにも。学園祭とかは一緒に先生とは活動してなかったっぽいですねー』

「そっかあ、残念。大切な人を忘れるのは悲しいよね……早く会えるといいね!」

『なんて優しい子なんでしょう……本当に戦鬼さんと友達なんですか? 騙されてるんじゃ……』

「貴様……」


 失礼な幽霊だ。

 ……まあ、綾女の優しさに大いに助けられている部分があるため強くは言えんが。


「でも刃君、実際どう? その思い人は見つかりそう?」

「せめて名前が分かれば、そこから辿れそうなものなのだがな」


 首を傾げる綾女にそう返す。


「化野が屋上で待っていたように、その思い人もどこかの場所で立ち往生しておるのやもしれん。幽霊は思い入れの強い場所に縛られるものだ。かつて住んでいた場所であるとかな」


 名が分かれば、住所もおのずと知れよう。

 最近では街の図書館に行ってうずたかく積まれた地方紙にも目を通している。

 とはいえそれが分かったところで、魂がそこに残っている保障もないわけだが。


「もし、そこに思い人がいなかったら?」

「その時は化野を介錯してやろう」

『勝手に殺さないでくださいよ……』

「……刃君って、死んだ人の蘇生とかもできそうだけど」

「いや、さすがに難しい。似たようなことならばできるが」


 俺がそう言うと、綾女は「似たことはできるんだ……」と少し引いていた。


「刀花が考えた“十三禁忌”の中に、確かあったはずだ」

『どんなのなんです!?』


 何か希望を見いだしたのか、化野がズイッと身を乗り出して聞いてくる。

 理屈っぽいのであまり好きではないのだが……なんだったか。


「世界線を斬って別の世界線に今を切り結ぶとかなんとか。一度も使ったことがないのでよく分からん。俺は基本過去を恥じぬし、元の世界線の刀花を見捨てるようで使う気にならんのだ」

「あー……納得。ループものでよくあるやつだ」

『私はよく理解できませんでした……』

「えっとね、たとえばその彼氏さんが存在する可能性のある世界が別にあるとしてね――」


 現代っ子の綾女には分かるらしい。実は俺もあまりよく分かっていない。所有者とうかが『やれ』と言えばやるが……。


「――っと、いかんいかん」


 説明に夢中でたい焼きの方が疎かになってしまっていた。

 俺は急いで餡子を乗せていく。よし、あとは火を弱めてもう片方に生地を流し込み――


「ふっ」


 ハンドルを持ち、二つ折りの構造のままに鉄板を畳む。これで餡子が生地に包まれるというワケか。

 焼き始めたばかりの方が下になるように開いてみれば、型通りに鯛の形となっている。

 それを見て、化野に説明をしていた綾女が歓声を上げた。


「おお、いいね! でもちょっと焼き目にばらつきがあるかも?」

「油が多かったか。それと鉄板は少し重い。この手順は男手にやらせるのがよかろうな」

「そうだね、ふむふむ……」


 さすがは喫茶店の娘。

 綾女は俺の言葉に頷きながら、真剣な表情でメモを取り、菓子を分析している。

 歴戦の猛者のようだぞ。頼もしい限りだ。


「あとは焼き上がるのを待つだけか。……む、餡子の量も調節せねばならんようだ」


 見れば鯛から内臓のように餡子がはみ出している。それに、慌てたせいか俺の指にも餡子がついてしまっていた。


「まだまだ習熟が足りんな……」


 少し苦労しそうだと、俺は唸りながら指を拭こうと――


「いただきまーす!」

「あー!? こらトーカ!」


 パクリ、と。

 横から勢いよく風が吹いたかと思えば、何やら指に生暖かい感触。

 背中にゾクリとするような快感を伴う、そんな感触を指に伝えてくるのは……、


「クク……鯛ではなく、妹が釣れたか」

「むふー、あまーいれふぅ♪」


 まるで釣り針にかかった魚かのように。

 刀花の小さなお口が俺の指を咥え、幸せそうに頬を蕩けさせている。

 “あまーい”というのは、餡子だけではないのかもしれない。俺も幸せだ。


「……そこで恨めしそうに見ている我が主よ。余った左手にも餡子がついているぞ、どうだ?」

「は、はあ!? 人前でそんなハレンチなことするわけないでしょおバカ!」


 真っ赤になってガー、と牙を見せる我が主。

 だが人前でなかったらやるのか……今夜寝る前に呼ばれた時は、指に餡子を付けていった方がいいのかもしれん。


「え、えと……じゃあ友達の私が綺麗にしてあげるよ、うん。友達の手が汚れてたら、綺麗にしてあげるのはダメなことじゃないよね……?」

「え、まさかのアヤメ!?」


 メモを仕舞った我が友が何やら熱に浮かされたように言い、お目々をグルグルさせている。刀花の雰囲気にあてられたか。


「うぅむ、正気に戻すべきか、友の気持ちを尊重するか、それが問題だ……」

「なに悩んでんのよ。あ、あなたは私のものなんだから、トーカにも早くやめさせなさい!」

「いーやーれーふー!」

「それじゃ刃君、失礼しまーす……」

「あー!? アヤメ、だめー!! トーカも離しなさ――力強っ!? ピラニアなのあなた!?」

「これが喰われる者の感覚か……弱者とは儚いものなのだな……」

『い、一瞬でカオスに……あの、たい焼きー……』


 俺は甘い感触を両手の指に味わいながらも、弱肉強食の儚さをこの身に刻んで思考を放棄した。

 俺にはもう、どうしようもできん……。


 ……ちなみに、たい焼きは見事に焦げた。

 人捜しも調理も、前途は多難である……。

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