第147話「五分間も絶交しちゃったよ」



 とはいえ、人探しばかりにかまけてもいられん。

 露店スペース確保以外にも、俺にはやるべきことがあるのだ。


「着いたぞ、綾女」

「わ、おっきいお屋敷……」


 木々をすり抜けるようにして先導し、友の手を引く。

 そうして開けた場所に出れば、俺はもう見慣れてしまったブルームフィールド邸に到着である。

 大きな瞳をパチクリとさせ、そんなお屋敷を感心したように眺めていた綾女だが、途中、ハッとして口を押さえた。


「リゼットちゃんってお金持ちなんだね。もしかしてうちのケーキとかお茶とか、お口に合ってなかったりして……」

「大丈夫だ、口に合わなければあの子はそう言う。言わないのならば、それは美味かったということだ」

「そ、そう? よかった。変な気遣いさせちゃってたかと思っちゃった」


 安心したように胸を撫で下ろし、ほうっと息を吐く彼女は笑みを浮かべて手に持っていたケーキの箱を掲げる。

 俺が彼女の店に行った時もそうだが、綾女も両親もこうしてたまにお菓子を持たせてくれる。「恩があるから」などと……まったく、変な気遣いをしているのはどっちだというのか。


「でも本当におっきいお屋敷だねえ……な、なんか緊張してきちゃったかも。何か特別なマナーとかあったりしない……?」


 ドアが近付くにつれ彼女はソワソワとしだし、カフェオレ色の髪を隠すキャスケット帽子をしきりに直している。

 そう、この休日は綾女を屋敷に招き、学祭に向け実際にたい焼きを焼いてみようという話になったのだ。

 我がクラスの出し物は"たい焼き屋"。まずは準備委員の俺達で試し、上手くいくようならその後にクラスメイトへの指導をおこなおうという魂胆だ。

 俺の背には既に、クラスメイトの家が所持していたたい焼き器が背負われ、材料も購入済み。あとは厨房の広いブルームフィールド邸で実際に試作してみようという段階だった。

 ダンデライオンの厨房はどうかという話もあったが、あそこはもう他のスタッフも入りだいぶ忙しい。お屋敷ならば誰の邪魔も入らぬし……なにより、綾女もなにやら「い、行ってみたい!」と力の入った面持ちで言っていたからな。是非もない。


「ど、どう? 私どこか変じゃない?」


 そんな彼女はブラウスの襟を直したり、スカートの裾を引っ張ったりと忙しない。

 身体を動かすたびにフワフワとしたスカートが揺れて、その仕草がより愛らしく映る。


「大丈夫だ、いつも通り……いや、いつも以上に可愛らしい」

「へっ!? や、そういうことじゃなくっ!?」


 俺の言葉に慌てたように頬を染める綾女だが、いや、確かにいつもより雰囲気が華やいで見えるのだ。


「……化粧か? それに香りもどこかいつものコーヒーの香りと違うな」

「う、うん。ママ――お母さんに昨夜相談して……って顔近付けないでー!?」


 確かめるように顔を近付ければ、綾女は涙目になって焦る。彼女が纏うその服装も、どこか品良く見えてきた。


「ほうほう。化粧とは施すことで大人っぽく見せる道具かと思っていたが、なかなかどうして。綾女の子ど――清らかな雰囲気を前面に押し出すこともできるのだな」

「刃君、今『子どもっぽい』って言おうとしたでしょ」


 涙が引っ込み、じっとりとした視線を送られる。やはり気にしていたらしい。高校生にしては低い背丈なものでついな。

 俺は身体を離し、肩を竦めて屋敷の方に目を向けた。


「別に"どれすこーど"があるわけでもない。ただのでかい邸宅というだけだ、自然体でいいのだぞ?」

「……もう、それだけってわけじゃないよ。鬼さんのにぶちん」


 む、鈍いだと?

 そう言った彼女は不満そうに頬を膨らませる。

 だが、チラリとこちらを見るその瞳はどこか熱に潤んで……ああ、なるほど。これはどうやら俺に非があるらしい。


「これは失礼した我が友よ。女性がいっとう着飾る理由などそう多くない。野暮なことを言ったな」

「もうほとんど言ってるじゃん……そ、そういうことっ」


 真っ赤になってプイッと横を向く綾女に苦笑する。

 確かにここはブルームフィールド預かりの邸宅であるが……それと同時に、俺の住む家なのだ。年頃の娘が気にするのも当然のことか。


「野暮なことを言った詫びに、願いを叶えよう。屋敷で何かしたいことはあるか? 高い茶も、茶菓子もあるが」

「……じ、刃君のお部屋、見てみたい」

「……クク、お安いご用だ」


 もじり、と恥じらいから太股を擦り合わせながらも、そんな可愛らしい願い事を言う。

 欲が無さすぎてこの戦鬼、思わず笑ってしまったわ。


「うぅ……」


 しかし、綾女は俺の部屋に招かれることとなったからか、一層ドキドキとした様子になってしまっている。破裂しそうな鼓動の音が戦鬼の耳にも聞こえてきた。


「……」


 そんな愛くるしい姿を見せられれば……。

 俺も――そういった気分になってくるではないか。


「まあ、そう気負うな綾女」

「う、うん」


 敷地内に入り、ドアに向かって歩きながら、さりげなく彼女に身を寄せる。


「ゆっくりでいい。なにせ――今日はリゼットと刀花も出払っており、俺達二人だけなのだからな」

「えっ、嘘!?」


 耳元で囁くように言えば、綾女はビクッと肩を跳ねさせ真っ赤になる。その瞳が驚愕に彩られ、上目遣いでこちらに真意を問うていた。


「ここは吸血鬼の住まう森深くの屋敷だぞ。年若い人間の小娘が、少々迂闊だったな」

「え、えっ!? 私、そんなつもりじゃ――」

「さしずめ狼に拐かされた赤ずきんというわけだ。そしてその狼は、童謡のものほど甘くはないぞ。それはお前が一番、よく知っていよう」

「ひゃう!?」


 握ったままの手に軽く指を這わせれば、森に迷い込んだ清らかな乙女は息を飲み、高鳴る胸を押さえようとする。

 だが、そうはさせん。俺は彼女の手を強く握ったまま、離さない。

 そうして顔をもう一度近付ければ、綾女はキュッと瞳を閉じて俯いた。拒絶する様子は、ない。


「じ、刃君、私……」

「美しく飾られた宝物に、手を伸ばすなというのが無理な話だ。俺は強欲な鬼ゆえ」

「そんな……だ、ダメだよぉ……」

「知らなかったのか? 鬼はダメなことが大好きなのだ」

「――ダメ、なのにぃ……」

「さあ、綾女? 俺の部屋に来てくれるか」

「――っ」


 そうして綾女はその小さな身体を羞恥で震わせ、真っ赤になって俯いた顔を――


 ……コクリ、と。


 無言で。

 しかし確かに小さく、本当に小さく縦に動かした。


「クククククク……」


 ああ、なんと愛らしい。心が奪われそうだ。

 俺はそんな清らかな乙女の姿にくつくつと笑いながら、屋敷のドアに手をかけ――


「あ、あのっ、私その初めてだから――!」


 ――ガチャリ


「帰ったぞー」

「あら、ジン。お帰りなさい」

「お帰りなさい兄さん! さあさあ早く焼かないと三時のおやつに間に合わ……どうして綾女さん、兄さんを涙目で叩いてるんです?」

「~~~~!!」

「からかいが過ぎた」

『……上から見てましたけど、戦鬼さんって性質悪いですね。ドン引きです』


 玄関横のソファに座りながらスマホをいじるマスターに、食堂の方からひょっこりと顔を覗かせ首をかしげる刀花。


「むうぅぅぅぅ~~~!!」


 シャンデリア付近をフワフワと浮かび、頬をひきつらせる化野は綾女には見えていないだろうが、彼女達を目にした瞬間、綾女はそれはもう頬をパンパンに膨らませてポカポカとこちらの胸を叩き続ける。


「……さあ綾女、早速取りかかろう」

「……刃君とは絶交です」

「むっ!?」


 ひとしきり叩いた後、俺が言葉をかければ綾女が顔を背けボソッとそう呟く。

 そうして綾女は足取り早くこちらから離れ、リゼットと刀花の手を握った。


「ふんだ。いこっ、リゼットちゃん、刀花ちゃん。ダメダメなことする人なんかほっといてっ」

「何があったか知らないけれど……自業自得みたいね」

「ごめんなさい兄さん、私たい焼き食べたいので……」

『あ、私! 私にもお供えしてくださいよー!』


 べっ、とこちらに舌を出し、綾女は我が主と妹を引き連れ厨房へと向かってしまう。ついでに幽霊も。

 その様子は大変かしましく、俺の入る余地など一寸もなかった。


「ま、待ってくれ我が友よ……!」

「知りませーん。刃君のばーか、ばーかばーか。にぶちんえっち乙女の敵ぃ~」


 つーん、と。

 こちらに見向きもしない綾女に追い縋り、俺は仲間に入れてもらえるまで彼女にひたすら謝り倒すのだった。

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