第149話「いるところにはいるものだ」



『私の名前は化野華蓮。享年十八歳、家族構成はなし。好きな食べ物は和菓子で、趣味は散歩。好きな男性のタイプは年上で、ちょっとほっとけない雰囲気の男性……うんうん、だいぶ思い出してきましたね!』

「……」


 全く役に立たん情報ばかり……。

 リゼットと刀花と昇降口で涙の別れを告げ、教室に向かう途中で背後をフワフワと浮く化野から情報を引き出す。

 しかし、幽霊少女の口から発せられるのは、どれも件の思い人に関するものではなく……好みのタイプから類推するというのも無理があった。


「さっさと思い出さんか。人間らしい生活を追体験させ、あまつさえ俺達主従の恋愛模様も見せているというのに」


 俺が眉間にシワを寄せながら言えば、化野は野暮ったい前髪から覗く眉を困ったように八の字に曲げている。


『うーん、私もいい作戦だとは思ったんですけどねー。でもやっぱり私の恋愛って"年の差恋愛"とか、"禁断の恋"じゃないですか。戦鬼さんの"主従恋愛"とはちょっと畑が違うと言いますかー』

「今更それを言うか貴様」


 化野の思い人の記憶は、つまり彼女の恋の記憶。

 ならば他人の恋愛模様を観察すれば、自分に関する記憶も戻ろうと踏んだのだが……畑違いだと?


「今朝などマスターは失神寸前だったというのに」


 朝食が早く済み時間があったので、化野の記憶を刺激するべく今朝はリゼットと絡んだ。

 内容は、彼女の足に口付けするというものだ。まあ興が乗ってしまい一度で済まず、何度も何度も彼女の白く細い足に唇を落としてしまったのだが。

 そうしてその興奮と、化野に見られているという緊張で、リゼットは失神寸前まで追い込まれいっぱいいっぱいな様子であった。その健気な彼女の頑張りを、畑違いと申すか!


『いやー、私も別の意味でドキドキしちゃいましたけど、私の恋愛ってそんなアブノーマルでちょっと変態チックなものでは――』


 ああ?


『あ゛ーっ!? 前髪がー! 私の唯一の個性であるメカクレ属性の前髪がー! みなさーん! この人、女の子に刀向けましたよ刀ー!! 暴力はんたーい!!』


 うちのご主人様を変態呼ばわりとは、いい度胸だ。

 ちょっぴりご主人様ムーブに快感を得ているだけの可愛らしい女の子なのだぞ。逆にこちらが攻めれば、途端にしおらしくなってしまう可愛い可愛いご主人様だというのに……まったく、分かっておらんな!


「うーむ……」


 背後でぎゃあぎゃあ騒ぐ幽霊を放置し、人目を盗んで振るった白刃を消しつつ難しげに唸る。

 しかし、由々しき問題だぞこれは。

 誰にも伝わらない叫びに飽きたのか、化野も少し短くなった前髪を押さえながら渋々といった様子で追従してくる。


『まったくもう……はあ、どこかにそんな恋愛してる子とかいませんかねー』

「ふん、そう都合良くいくまい」

『あ、喫茶店の娘さんの両親とかは?』

「あそこは幼馴染みらしい。手伝っている時に、そう聞かされた覚えがある」


 幼少の折、意味も分からず交わした婚約を、数年経ってから母君が強引に取り立てたとかなんとか。強い。


「そもそも学生の内に"年の差恋愛"など、そう褒められたものではないのが世間一般の評価だ。そう簡単に外には漏らさぬだろうよ」

『まあそうですよねー……それに、そのことを戦鬼さんに教える奇特な人もいないでしょうし』

「どういう意味だ」

『そういう意味ですー!!』


 袖口からギラつく刃を見せた俺に、そう指摘する化野。

 失敬な、俺ほど平等な者もいない。俺が認めた者か、それ以外のゴミかだ。


「そろそろ別の働きかけを模索するべきか……」


 街の図書館で自殺に関する記事をしらみ潰しする方法も、いつかは行き着くだろうが時間がかかりすぎる。もう少しあたりをつけたいところだ。


『どの子も同い年か、先輩後輩がお相手のようですねー……』


 化野が周囲の生徒を観察しているが、やはり異性同士であれど同年代ばかり。時折、教師と話す者もいるがそこに色っぽさもない。

 やはりそう都合良くはいかぬか。

 俺は自分の教室のドアに手をかけながら、心中で舌打ちをする。

 年の差のある恋愛、秘め事のある恋をし、なおかつこの俺と接点があり詳細を話してくれるだろう都合の良い者など――


「――っ」

「む……ああ、橘か。悪いな」


 考え事をしながらドアを開ければ、目の前に一人の少女がドアに手を伸ばした姿勢のまま、驚いた顔で目をパチクリとさせていた。


「!」


 しかし、お見合いをしたのが俺だと分かれば、目の前の沈黙の少女は肩に提げたスケッチブックを捲った。


『おはようございます』

「ああ、おはよう」


 ペコリ、と。

 セミロングの黒髪を揺らしながら、橘はゆったりお辞儀をする。

 言葉を持たぬからか、この子はこういった所作は丁寧におこなう。見ていて爽やかな気分になるのは、彼女の気風だろう。お淑やかという言葉は彼女のためか。


「~♪」


 こちらの返事に満足したのか、橘はそっと微笑み、後ろに結んだ青い紐リボンをひょこひょことご機嫌に揺らして廊下へと――


「――いや待てい」

「!?」


 ――出ようとする彼女の袖を掴む。


 なるほど。

 年の差恋愛をし、それを秘め、その事実を詳細に話してくれるだろう都合の良い者、か。


「ククク、いるところにはいるものだな。橘、少し顔を貸せ」

「!? !?」

『せ、戦鬼さん……女の子相手にカツアゲですか……?』


 違うわ。

 俺は事情を知らぬ化野を睨みながら、まさしくそんな恋愛事情を秘め「何事ですか!?」と言わんばかりに混乱した様子の少女の腕を、人目につかない場所まで引いていくのだった。





「――というわけで、橘の惚気を聞かせてほしい」

「!?」

『いや戦鬼さん、それだとどういうワケか分かりませんよ……』


 空き教室に連れ込んでそう問い質すが、橘は混乱の極みにあり、化野からはそう突っ込まれる。単刀直入過ぎたか。


『この人がそういう恋愛事情を持ってる方なんですね? いやー、お淑やかなところとか儚そうなところとか私に似てますね! 是非伺いたいところです!』


 自己評価が高すぎる……。

 しかし、類似の恋愛をしている点は間違いなく共通しているところだ。

 橘の相手は、マンションの隣の部屋に住む三十歳社会人の男性と聞き及んでいる。

 聞き出せば、化野の記憶も刺激されることだろう。ここは慎重に言葉を選ばねば。


「うぅむ、そうだな……最近リゼットとの関係に進展が見られなくてな。別の側面の刺激が欲しく、参考としてここは道ならぬ恋をしている橘に話を聞こうと思い立ったわけだ」

『吸血鬼さんかわいそー』


 うるさいぞ化野。

 そしてだしに使ってすまない我が主……言っておくが俺達主従にそのようなマンネリなどありはしない。

 いつでもあの可愛いご主人様は、新鮮な愛らしさをこの下僕に供給してくれるとも。常に俺達は燃え上がっている。


「……」


 そしてそんな俺の訴えに、橘は恥じらうような笑みを浮かべながらも、ポケットからスマホを取り出す。

 彼女は定型文以外で手早く何かを伝えたい時に、打ち込む方が早いスマホを使うのだ。


『何をお聞きになりたいのですか?』


 橘がコトリと首をかしげ、そう打ち込んだスマホを見せてくる。ありがたい。

 もちろん聞きたいことは彼女の年の差恋愛事情。惚気でもいいし、気苦労の話でもいい。


「そうだな……先の休日では共に何をしていた?」

「っ……」


 おお、橘の頬が赤く染まる。おそらく、何か恋人らしいことでもしたのかもしれん。


『これは期待できますね!』

『そうだな』


 化野のみに伝わる霊力の波を用いて言葉を交わし合う。


『橘も大人しいとはいえ、思春期の少女だ。性に関しては人一倍敏感な時期。俺のように"契約相手を傷付けることができない"という制約もない。口付けはおろか、身体を重ねてしまっていてもおかしくはあるまいよ』

『か、身体って――きゃあ! そんなことぉ~♪』


 歓声を上げ、頬を押さえながら身体をくねらせる幽霊少女。お前が思春期丸出しでどうするのだ……。

 そうして俺達が期待の眼差しで見つめれば(化野のことは見えないだろうが)、橘はおずおずといった雰囲気でスマホに文字を打ち込んでいく。どうやら話してくれるらしい。


「……!」


 完成したのか、橘はチラチラとこちらを窺いつつスマホを見せてくる。

 さて、彼女達の週末にはどのような蜜月が交わされているのか、俺達はその秘め事を暴くべくスマホを覗き込み――ん?


「……"一緒に、」

『お昼寝しました"……?』


 ……む?

 むぅ……むぅーん……?


「~~~///」


 いや、そんな「言っちゃいました……!」といったような雰囲気で恥じらわれてもな……ああいや……。


「な、なるほど、ベッドで同衾したというわけか。それは確かに、年頃の少女には刺激がつよ――」

「~っ」


 なに、違う?

 首を勢いよく横に振る橘は、スマホを引き戻して新たに文字を綴る。


『敷いた畳の上で、です』

「そ、そうか……」

『せ、戦鬼さん……もしかしてこの子、いい子なのでは?』


 待てい。そんな馬鹿なことはあるまい。

 年の差があるとはいえ、いっぱしの恋人同士が同じ部屋にいて睦言の一つも交わさないわけあるまいて。


『ちなみに戦鬼さん、昨夜は?』

『主におやすみのキスを施した後、ベッドに潜り込んできた妹と共に抱き合いながら寝た』

『穢らわしい……』


 差が際立つ……いやそんな馬鹿な。


『そもそも穢らわしくなどない。俺は二人を幸せにしたいだけだ!!』

『うへぇ……』


 俺の言葉に化野がドン引く。

 くっ、橘め清純ぶりおって。

 知っているのだぞ。お前が仄暗い魂を持っていることなど、この妖刀にはお見通しだ。

 妖刀を握るに足るその憎悪を、世界に向けず己に向けるからこその失声症。そのようなストレスを抱える者が清純なものか。

 たまにツッコミの文字をハリセンに綴り叩く姿から見て、元来彼女は活動的な少女のはずなのだ。


『人間など、獣性を理性で押さえ込むことに成功した一匹の獣に過ぎぬ』

『何言ってんですか……』


 見ておれ、その化けの皮剥いでくれるわ。

 俺はもじもじとする橘に向け、改めて言葉を投げかけた。


「しかし恋人同士なのであろう? 一所にいれば、情事の一つも交わすのではないか」

「!!??」

『あー、これはしてませんねー』


 髪を逆立てるほどに真っ赤になった橘に、化野が察する。

 真か……最近では中学生ですら経験していると聞き及ぶぞ? そういうものでもないのか……。


「だが、キスの一つも交わさないということもないだろう?」

「!?」


 な、なに?

 また橘はブンブンと首を横に振る。どういうことだ……。


「……最近した、一番恋人らしいことは」

「……」


 橘は腕を広げて、何かを包み込むようにする。ハグか。


「……」


 しかし、それは俺達がするような身体を押しつけ合ったり足を絡ませたりするような互いを求め合うものではなく、背中を優しくポンポンとするような、まるで親子がやるような穏やかなハグの様子であった。


『くっ……私、眩しすぎて直視できません!』


 あまりに健康的すぎる恋人の触れ合いに、化野の目が潰れた。俺もかなり衝撃を受けている。


「……付き合っているのだろう?」

「っ」


 コクリ、と橘は頷く。


「……なんというか、艶のない話であるな」

「……」


 おう、橘の目が死んでいる。どこか遠くを見るようなその視線に宿るのは諦観か、それとも空しさか。

 な、なるほど、この反応からして橘は正常だ。ある意味で、おかしいのは相手側か。


「……」


 声が出せれば、空虚な笑い声が漏れているだろうその姿。

 改めるでもなく、橘は俗に言う美少女だ。男性ならば、彼女に迫られれば欲望を呼び起こされるのはむしろ当然の反応と言える。しかし……、


「……恋人らしさ、という点では首を傾げてしまうな」

『……優しいんです、あの人は』


 一度ガックリと肩を落とした橘は、スマホにそう綴った。

 優しい、か。言い換えればそれは“大人である”、ということだ。橘の恋人は、言ってしまえば自分という存在を弁えているのだ。


『“愛してる”の言葉も、私が言って欲しいとお願いした時しか言ってくれません。彼が私と同じくらい、私を好いてくれているのは分かっています。だけど彼は、私によく考える時間を与えてくれているんです。年の差が年の差、ですから……』

『あっ――』


 しかしその優しさは、目の前で消沈する少女を癒やすというものでもないのが難しいところだ。

 そんな橘の、いわば恋人への不満の言葉を見た化野が、何か感じ入るような声を上げていた。思い当たることがあったのかもしれん。

 だが、なるほどな……。


「背負っている物の違い、というやつか」

『はい。彼は大人で、私が子どもなんです』


 その絶対的に覆すことのできぬ差が、少しだけ傷になる。自分ではどうしようもできぬからこそ抑え込み、そうしてその傷は広がり続けるだろう。

 時間が原因のその傷。それを癒やす方法は、しかし同じく時間しかなく、目の前で儚く笑う少女は“その時”まで耐え、待ち続けるのだ。

 一人の少女が、一人の女性として花開くその日まで。


『……どこの大人も賢いようで、ちょっぴり分からず屋なんですね』


 化野が。

 ついぞ“その時”を迎えることができずに終わってしまった少女が、寂しげにそう呟く。


『ごめんなさい戦鬼さん。少し、屋上に行っています……今なら、思い出せそうですから』


 壁をすり抜け、行ってしまう。

 ……どうやら、身につまされたらしい。彼女も、その不器用な優しさによる痛みを経験したのかもしれん。

 優しい傷、か。


「……そういった、恋の形もあるのだな」

「……」


 俺には分からない。鬼である俺には。

 好きであれば好きだと言い、抱きたければ抱けばいい。

 だが……そんな単純なことが、許されぬ者達もいる。

 世間が許さぬ、体裁が許さぬ、立場が許さぬ。

 それは人間であるから。それは弱いから。撥ね除ける力がないから。……そう断じることは容易い。しかし、俺は以前に言った。

 ――美しいものばかりが、傷付くと。

 彼女達は弱いが、それは決して愚かなことではなく……その優しさで傷付け合う在り方は、この俺には眩しく映ったのだ。


『なんだか思った感じではなかったかもしれませんね。すみませんでした』

「いや、とても有意義な時間だった」


 頭を下げようとする橘に、満足だと返す。


「まあなんだ。生きてさえいれば、いずれその時は必ず来る。焦らんことだ」


 そう、生きてさえいればな。

 しかし、慰めで放ったつもりの言葉に、橘は頬を膨らませた。


『私の彼と同じことを言っています』

「む……」


 な、なるほど、そういうところか。確かに少し無責任すぎたかもしれん。

 そんな俺の言葉に過去を刺激されたのか、橘はどこか黒いオーラを纏わせつつ、スマホに文字を綴り続ける。


『交際し始めてそろそろ一年経ちますのにキスの一つもしてきません。私が迫っても『あ、仕事の時間だわ!』とか言って逃げますしあれは優しさではありませんただの臆病者です旅館に泊まった時だってお風呂に一緒に入ったのに何もしてきませんでしたし私がどれだけ勇気を出して告白したと思っているのか意気地無し意気地無し意気地無し意気地無し意気地無し意気地無し意気地無し意気地無し――……』


 うーむ芳しい闇の香り……これは将来、男性の方が尻に敷かれるだろうな。

 ガガガッ、と爪がスマホの画面を傷付けんとするほど力強く言葉を刻む橘。

 うむうむ。これほどまで想われて、相手は果報者であるな。そんな彼女の気勢に、俺は内心で天晴れと頷いた。


「ククク、その意気だ橘。お前が大人になり、その時が来たら今度はお前が弄んでやれ。“お前が手を出す番だぞ”とな。それくらいは許されよう」

『……いいですね、それ』


 おお怖い怖い。悪い知恵を付けてしまったか。

 少々暗い笑みを浮かべる目の前の少女は、グッと拳を握る。その歩みの果てに、きっと彼女の待望する未来が待っていることだろう。


「さて……」


 だが、その道は生者のみが歩むことを許された道。

 歩む足すら地に着かぬあの少女は、今頃屋上で何を思っているのだろうか。

 そんな同じ痛みを知る少女のことを思案しながら、俺はいまだ黒いオーラを撒き散らす橘の背を押し、教室へと戻るのだった。

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