第146話「幽霊とは傲慢な者達の総称なのかもしれん」



「ふんふふーん、ここでブロッコリーさんとソーセージさんが感動の再会~♪」


 ……ブロッコリーは斬り刻まれ変わり果てた姿での再会だが、それでは別の感情が動くのではなかろうか?


「ふーむ……」


 などと、益体もないことを考えながら、夕食を作る刀花の後ろ姿を眺める。台所に立つ妹を眺める時間が、俺にはお気に入りなのだ。バイト時代にはあまり見られていなかったがゆえに。

 沸騰する鍋の中に、切り刻んだ野菜を次々と投入するそんな我が妹は、セーラー服の上に青いエプロンを着用するという全国の戦鬼を虜にする(戦鬼調べ)スタイルで調理をおこなっている。

 なぜだ。なぜあの姿は、こうも我が趣向を刺激するのか。もしかすれば、セーラー服とエプロンというのは一種の武器であるのかもしれん。


「なるほど、兄だけを殺す兵器か……!」


 くっ、可愛らしすぎて目が潰れる!!


『可愛いですねえ、妹さん』

「……ほう?」


 そして、そんな俺の考えに賛同するような声を上げる者が一人。

 ブルームフィールド邸の無駄に広い厨房にて、刀花の後ろ姿を眺める者。いつもであれば俺のみだが、今日は来客がいるのだった。

 椅子に座る俺の横でフワフワと浮かぶ幽霊少女に、俺は一つ問いを投げかけた。


「どの辺りがだ?」

『え?』

「どの辺りが可愛らしいと聞いている。詳しく聞かせてみろ」

『えっ、いや別にそこまで深い意味とかでは……』

「……詳しく言えぬのか? もしや貴様、我が妹を本当は可愛いと思っていないのではあるまいな」

『い、いえいえそんなことはっ』

「可愛いだろう」

『へ……?』

「可愛いだろう……!?」

『これ最近で言うハラスメントなんじゃ――は、はいっ! 妹さんは世界一可愛いと思います! ほら、ポニーテールとか!』


 うむ。

 焦ったように言う化野の言葉に頷く。刀花が可愛らしいというのは世の真理だ。見る目はあるようだな。感心感心。


「どれ、そんなお前にはこれをやろう」

『え、なんですかなんですか?――ってただの白ご飯じゃないですかーやだー! あ、でも甘ーい!』


 俺が炊きたての白米を山盛りに乗せた茶碗を出せば、化野は一瞬喚いたが、すぐに表情を輝かせる。供えれば、味わう機能はあるのだな。


「おっと、これを忘れていた」


 ブスリ、と。

 綺麗に茶碗に乗った白米の真ん中に割り箸を揃えて、一気に突き刺す。ふ、まるで聖剣だな。


『ちょっとやめてくださいよー、これじゃ死んでるみたいじゃないですかー』

「……」


 突っ込まんぞ。

 その『あ、私今ちょっと面白いこと言いましたよ』と得意げな顔がなんとも絶妙にイラッとするのだ。


「あ、もうダメですよ兄さん。お客様に意地悪したらめっ、です」

「……むぅ」


 そんな俺達の様子に気付いたのか、鍋に集中していた刀花が『めっ』と指をこちらに突きつける。ここが潮時か。

 そう、今日は珍しく客人を招いての夕食となっている。

 化野に生者らしい生活をさせ、記憶を刺激する。それの一環でこうなったのだった。霊が食事を摂ることなど稀であろうからな。摂るとは言っても供えるだけだが。


「ちなみに刀花、今日のメニューは何だ?」


 我らが領域に他者が入り込むのは気に入らんが仕方ないと割り切り、気を紛らわせるようにしてそう聞く。

 陰陽局支部を壊滅させた後に材料を買ったのは俺だが、何を作るかは聞いていなかったのだ。


「むふー、最近冷えてきますし、今日は温かいものをですね」

「ほう」


 鍋をかき混ぜつつ、にっこりとした笑みをこちらに向ける刀花。

 さすがは台所の一切を担う我が妹。気遣いもバッチリだ。きっといい嫁になる。


「してメニューとは?」

「前菜は妹とのハグ、主菜はソーセージたっぷりのポトフ、デザートは妹とのキスとなっています」


 素晴らしい……フルコースであるな。


「この裏メニューにある“妹吸い”というものは? お吸い物か何かか」

「いえ、妹の香りを堪能していただきます」

「ほう、ではそれを一つ」

「すみません、それ来月からなんですよ」

「待ちきれぬ。俺は今吸うぞ!」

「ああん、お客様困りますお客様ぁー! いけません! あああー!♪」

『全然困ってる声じゃないですね……』


 お茶目な妹の姿に堪えきれず、後ろから抱き締めてその黒髪に鼻を押しつける。

 ふかふかで柔らかな温もりを身体全体で感じ、バニラのような甘い香りで肺を満たす。食通は香りから入るとはこのことか! 白檀ですら、彼女の香りには劣る。


「ああ、料理中に悪戯されるのって新妻感があって悪くないですぅ♪」


 刀花も堪らないといった雰囲気で鍋の火を止め、バッと振り向きこちらの胸に顔を埋める。

 はすはすとこちらの匂いを嗅ぎ、ポニーテールを尻尾のようにブンブンと振る妹。これでは兄妹吸いであるな。


「むふー、兄さん兄さん。もっと可愛い新妻に悪戯してください」


 新妻と呼ぶにはまだまだいとけなさが抜けきっていないが、そんな彼女も大変愛らしい。すっかり気分は新婚さんのようだ。

 瞳をワクワクと煌めかせる、そんな可愛らしい幼妻の白い首筋に俺は狙いを定めた。


「こうか?」

「きゃっ、いきなり首筋にキスなんてビックリしちゃいますよう」

「この程度で驚くのか?」

「お腹の中の子どもが」

『まさかの高校生でデキ婚ですか、業が深いですね……』


 リゼットが『あなた達はどこか生々しいのよ』と、たまに言うその意味が、俺も少しは実感できた気がする。

 リゼットの妄想はどこか絵本のように微笑ましく、階段を順序よく上っていくような雰囲気だ。

 しかし刀花はエレベーターに乗ったかと思ったら急加速し、それがカタパルトのように射出していくのだ。


「どれ、撫でてやろう」


 だが、そんな妹のことも俺は大好きなのだった。


「んっ、に、兄さん直接はその、ちょっぴり恥ずかしいと言いますか……きゃふっ」


 エプロンの内側に指を滑らせ、収まりきらないセーラー服の裾から侵入し彼女のお腹を撫でれば、可愛らしい声が漏れる。

 刀花はウエストを常に気にしているようだが、正直気にしすぎであると俺は思う。

 特に気にとめるでもなく、彼女のふかふかなお腹の感触を両手で味わうように動かせば、胸の中でクスクスとむずがるような笑い声が上がった。


「ふ、ふふふ……くすぐったーい、です」

「嫌か?」

「むふー、もっともっと、です」

「分かった」

「きゃあ♪」


 彼女の注文に応え、さらにおでこや頬にキスを落とせば歓声にも似た声が胸の中から聞こえる。

 思えば、俺がバイト漬けだった頃は、あの狭いキッチンで独り寂しく料理を作っていたのだろう。その光景を想像すれば、後悔を知らず覇道を征く戦鬼すら慚愧に堪えん。

 昔から刀花には我慢をさせっぱなしだ。こちらに甘えこそするが、俺を困らせる我が儘は言わない子であった。

 その優しさに、俺も甘えていたのかもしれん。今、より素直に甘えるようになった妹の姿を見てそう思う。


「――いい子だな、刀花は」

「ふふ、そうでしょうそうでしょう」


 だからこそ、彼女が甘えたい時には存分に甘やかしてあげねば。

 そうでなければ戦鬼の……いや、“酒上刀花の兄”の名折れよ。俺も、そのことにこの上ない幸せに感じるのだ。


「「幸せぇ……」」


 身体を密着させながら二人で熱い溜め息を吐き、そう漏らす。

 幸せというものを視覚化すれば刀花の形となり、香りがつけば彼女の香りがするのだと、俺はこの瞬間そう悟った。また真理を暴いてしまったか……。


『あの、私がいるって忘れてません? ご飯……』

「俺はもう腹がいっぱいなのだが」

「私もですぅ」

『近親婚って、最近では許可されたんですか?』

「されたぞ」

「されましたよ」

『時代って進むんですねえ……』


 横から気まずげに割り込んでくる声に、兄妹揃ってそう返す。俺達は今、幸せの絶頂にあった。


『……でも、羨ましいですね』


 なんだと?


「俺の妹はやらんぞ」

「ごめんなさい華蓮さん、私は兄さんだけの妹ですので……」

『そうじゃないですって……』


 思わず臨戦態勢を取った俺に、化野は疲れたようして違うと言う。


『……そういった幸せは、私には手の届かなかったものですから』

「あっ……」

「……」


 ……確かにな。

 “台所に立つ男女の姿”を見て羨ましいと思う。その情動はつまり、その幸せに実感がないということの証左だ。


「しかし、結婚指輪をしているではないか?」

『うーん、でもそういう記憶も感情も湧き上がってこないんですよね……』


 少し寂しげに幽霊少女は微笑む。

 俺と綾女の教室での行為を見て魂に刺激を感じていたというのに、今の俺と刀花を見ても実感がないという。結婚はしていなかったということか。


「まあ高校生でもお付き合いしたら、少し背伸びして指輪の交換とかしますから。そういった記念品の側面の強いお品なのかもしれません」

「相手は教師なのだろう? 高校生に指輪を贈るなど、相応の覚悟をしていただろうに」

『そうなん、ですかね……』


 複雑そうな表情で化野は手を伸ばし、その指輪を光に透かす。その指輪を映す瞳には、幾多の感情の渦が巻いている。

 化野は以前、自分は後追い自殺だと言った。

 ……ならばなぜ、この者の思い人は先に死んだ? これほど、噎せ返るほどの愛情を指輪に込める人物が。


『……どうして、会いに来てくれないんですか』


 疑念、寂寥、孤独。

 記憶が欠落し、それを半端に思い出そうとするがゆえの不安定さ。この少女は今、それに陥っている。

 彼女は魂がすり切れるほどに待っていた。独り寂しく、長い時間をあの屋上で。


 ――なのになぜ、来てくれないのか。


 雨垂れが石を穿つように。彼女の信頼が多少揺らぐほどには、時間が経ちすぎていたのかもしれん。


「ふん……」


 俺は腕を組み、面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「どうする、もうやめるか。神も仏も幽霊も。人の信ずるところにそれらは宿る部分が大きい。……お前が信じねば、もはや誰も信じる者もいない。その思い人は今度こそ、完全に死に至る」

『っ!』


 ハッとしたように、化野は目を見開く。そしてその首を横に懸命に振る。

 その思い人がなぜ死んだのかは分からん。だが、お前が諦めてしまえば、その死はお前が与えることになるのだ。完全なる忘却こそが、人間の死に絶える時だ。


 ……それは、あまりにつまらんことだろう。


「自信を持て、完全なる死を拒む者よ。生ある内に掴みきれなかったものへと、絶対である死を乗り越えし後にまで手を伸ばす傲慢なる者よ」


 俺は幽霊の、その在り方は嫌いではないとそう言った。

 死してなお生き汚く、己の魂に刻んだ欲望に忠実に、そして貪欲に動く者達。泥の中にあって、しかし懸命にその腕を動かし足掻く者達。

 ……俺はそんな者達のことは、決して嫌いではないのだ。


『……少し、取り乱しました』

「ふん。それといいことを教えてやろう。その指輪からはお前への愛情が強く香る」

『え……?』

「確かに到着は遅いかもしれんが……お前は確かに、誰よりもその者に愛されていたということだ。それだけは確実に言える。この戦鬼の鼻が保証しよう」

『……ふ、ふふ、鼻に保証される愛情って、なんですか』


 おかしそうに笑うが、声が少し震えている。

 ここは屋上ではない。ここで泣かれては新しい怪談となってしまうぞ? そうなれば我がマスターが怖がってしまうではないか。

 俺は切り替えるようにして肩を竦め、温かく微笑む妹に向き直った。


「さ、刀花。飯を作り上げるぞ」

「ラジャーです!」


 温かいものを食べれば、冷えた心も少しは溶けよう。

 敬礼をビシッと返す刀花に微笑みながら、袖でゴシゴシと目元を拭う化野を横目で見る。


「化野はマスターを呼んできてくれ、そろそろ飯だとな」

『ぐしゅ――はーい!』


 一瞬だけ鼻を鳴らしてから、化野はフワフワと上階へ浮いていく。調子を少しは取り戻したようだ。

 そんな彼女を見送った後、刀花は目を伏せてポツリと漏らした。


「……兄さん。死んじゃうことって、悲しいことなんですね」

「ああ。死とは別れだ。刀花は、俺と別れたいか?」

「絶対に嫌です」

「その嫌が否応なく訪れてしまうのが死であり、脆弱なる人間の辿る運命だ」


 だが……いや、


「だからこそ、人は今を生きようとするのだ。懸命にな」


 幽霊とはつまり、そうして“今”を懸命に生きることができなかった者。今を取りこぼし、過去に囚われ、未来を切望する罪深き者達。

 その魂に癒やせぬ後悔を刻んでいるからこそ、その者はあまりにも悲しく、哀れに映るのかもしれん。


『どろどろどろ~、ご飯ですよ~』

『きゃあぁぁぁぁぁあぁあぁあ!!??』


 上階のそんなやり取りが聞こえる中。

 さて、過去にその“今”を手放してしまった幽霊少女は、訪れるはずのなかった未来を掴むことができるのか。

 新たな人間の可能性を興味深く思いながら、俺は妹と共に今という時間を楽しむのだった。

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