第145話「襲撃いぃぃぃぃぃいーーーーーー!!」




 ――和雑貨店 "式守しきもり"。


 賑々しい繁華街と、閑静な住宅街とが丁度分かれるような位置にその店はあった。

 店内は暖色のライトに照らされ、陳列された商品を優しい光で包み込んでいる。

 古都の息吹きを感じる模様や色が品よく彩る和紙や折り紙。馥郁たる香りを放つお香。

 奥には壁にかけられた仕立ての良い着物も売っており、周辺住民からも趣味の良い店として知られる、京都に本店を置く古式ゆかしい雑貨店である。


 ――しかし、それは世を忍ぶ仮の姿。


 受付裏に隠されたエレベーターに乗り、広大な地下へと下りたその先には……、


「――以上により、北部に発生した怪異を調伏。周辺住民に被害はありませんでした」

「ご苦労様です、消耗した符や式神の報告書は……ああいえ、今日はあなたの娘さんの誕生日だったはずですね。この報告だけで、もう上がってもらって結構です。お疲れ様でした」


 地下にありながらも、窓から日差しが入り込む不可思議な空間にその場所はあった。

 いくつもの施設に別たれた地下の内の一室。

 他の部屋より明らかに上等な調度品が配置されたその部屋にて、奇妙な報告会が行われていた。

 “怪異”、“式神”……ゲームや漫画の中で使われるような名称を、一つも笑みを浮かべず真面目に報告する様もそうであったが、それを話し合う人間二人もまた奇妙な取り合わせであった。


「これは……お気遣い感謝します支部長。それでは、私はこれで失礼いたします。支部長も山場を越えたばかり、あまりご無理なさらず」

「……ありがとうございます」


 相対し報告するのは、顔に深く年輪を刻んだ壮年の男性。しかし、その報告をしていた相手というのが……明らかに年端もいかない少女と来れば、その光景はあまりに奇妙に映る。

 直立しながらも、そんな小さな上司を心配する男。そしてそれを正面から迎えるように位置するデスクに深く腰かけ、複雑そうな笑みを浮かべる少女。

 一般的には立ち位置が逆ではないかと、そう思うだろう。


 ……しかし、この場ではこの関係性こそが正しく周知された事実。


 ――この地下に秘された“陰陽局支部”においては。


「ふう……」


 ガチャリ、と重厚な音を立てて閉まる支部長室のドアを確認した少女は、一つ息をついて肩の力を抜く。

 赤い組み紐で一つに纏めた黒髪に、その小柄な身を包む巫女服をベースにした仕事着。

 顔にはあどけなさを残しながらも、その瞳には理知的な光を湛える少女。


 ――その者こそ、この陰陽局支部を任された新進気鋭の少女支部長、六条このはであった。


「少しは上司としての態度が板に付いてきたでしょうか。えっと、次は……本部からの調査書に、次年度に向けた式神開発の予算申請に――」


 先ほどまでの淡々とした声に少しの温度を乗せて呟きながらも、そのまま手を動かして書類を探る。

 こうして一つの仕事が終わりを迎えても、息つく暇もなく支部長としての仕事が彼女を襲う。


「よし、これも終わり」


 だが彼女は苦にも思わずそれらを流れるようにこなす。彼女は、自分が優秀であることを知っているのだった。

 ……とはいえ、それもほどほどの話ではあるのだが。


「はあ、中学校の課題もしないと……」


 机上のパソコンに必要項目を入力しながら、やるべきことを頭の中で数える。

 彼女は現在、学生と支部長という二足のわらじを履く中学二年生の少女なのだ。

 自分は秀才である、と彼女は己を評価している。

 これは驕りではなく、周囲からもそう認められる厳然たる事実である。

 しかし、いくら苦には思わずとも、やはり数をこなすというのは時間がかかるものであり……。


「今日もまた一日が終わってしまう……」


 新機能を備えた式神を開発するでもなく、新たな怪異への対策を立案するでもなく、彼女は既存のデスクワークに忙殺され、目新しい事象に関われぬまま日々が過ぎていくのだった。


「いえ、負けてはいられません……!」


 だが彼女には、やらねばならぬ理由がある。

 稼ぎ頭である自分がここで頑張り、貧乏な両親や弟妹達を養わなければならないのだから!


「……ふふ」


 彼女は手を止め、思わずといった風に笑いながら一枚の紙をデスクから出す。


「これで冬のボーナスはいただきです!」


 それは、本部から送られてきた一枚の表彰状であった。


「胃を痛めた甲斐があったというものです」


 特に優秀な業績を修めた職員に贈られるそれは、まさしく彼女のためのもの。


「にいちゃ――コホン」


 いけない。

 最近、あの戦鬼を呼ぼうとすると変な呼称になってしまいそうな時がある彼女だった。

 まだあの手の温もりが、自分の頭に残っているような気がして――


「コホンコホン……ええ、安綱様の性能の一つを明かし、そそのかされたとはいえ殺害に成功したのですからね」


 わざとらしく咳払いをして雑念を追い出す。

 そう、先日の喫茶店での一幕……陰陽局唯一の汚点であり罪の象徴である"戦鬼"の殺害。そしてそれによる強化の生態。

 それらを報告した結果の表彰状であった。


「金一封も付いてきましたし!」


 ホクホク顔で少女は微笑む。

 陰陽局は現代化に伴う怪異の減少により、コストカットの話となれば真っ先にその標的となっている。

 だからこそ地上では和雑貨店などを営み、少しでも経費を稼ごうと涙ぐましい努力もしている。

 そんな中で、本部からの決して少なくない金一封。嬉しくないはずがなかった。


「報いないといけませんね」


 本部は決して彼女を冷遇などしない。

 なにせこの支部が管理するのは、あの暴虐非道の戦鬼が潜む街。

 一時期、何度も支部長のポストを入れ換えさせられた記憶も本部にとっては苦々しく、しかし現在それをものともせず健闘する六条このはは、まさに救世の乙女にも等しい人材であるのだった。


「仕送りはさせていただきましたが……残りはここの防備に充てさせてもらいましたからね」


 ふっふっふ、と彼女は支部長の冷静な顔から年相応の少女の顔でほくそ笑む。

 陰陽局とは、か弱き民を怪異から守り、行き場のない人外にすら手を差し伸べ役割を提供する組織。


「それはまさに、正義の味方!」


 陰陽局の暗部である戦鬼については例外だが、その在り方はまさしく秘密裏に平和を守る正義の味方。

 つまりこの支部は戦いの最前線。ここが落とされれば、住民への被害は計り知れないと言える。

 だからこそ、その感謝と職務への矜持とを、施設防備に割り振ったのだ。


「名うての結界師が施した防護結界五十層、おそらく核にすら怯みません。さらに霊力をたっぷりと備えた式神に、手懐けた怨霊数十体。エレベーターは職員しか使えず、店から地下の支部に辿り着くまでの廊下には異空間化させた場所もあります」


 かなりの額が吹っ飛んでしまったが、それに見合って余りある防御機構。

 ここへさらに支部に所属する練達の陰陽師たちが待ち構えることが加われば、まさに鉄壁の布陣!


「これならばあの安綱様ですら、迂闊に手を出すことはできないでしょう」


 うんうん、と頷きながら時計をチラリと見る。

 その針は十七時ジャスト。定時である。


「私、定時で帰りますので」


 人の上に立つ上司たるもの、時間厳守を徹底しなくてはならない。始業時間を守って、就業時間を守らないのはおかしな話だと思います!

 頭の中でそう思い、少女は意気揚々とスパートをかける。億劫な書類仕事も、今は易々とこなしてしまえられる気がした。


「ふふふ……よし、あとは簡単にメールチェックだけですね。勉強は帰ってからですが、それも一興でしょう。久し振りに実家に電話をするのもいいかもしれません」


 そう、最早誰も、彼女の快進撃を止めることは――


「……おや? 刀花様からメールが!」


 自分が慕う女性からのメールに浮き足立つ。

 しかし、その内容に思わず首を傾げた。


「え……?」


 いや、首を傾げたというより、内容を理解するのを脳が拒んだのだ。


「……『気を付けてください。兄さんが」


 ――ニイサンガ、ソチラニイッテシマイマシタ?


「襲撃いぃぃぃぃぃいーーーーーー!!」

「えぇぇぇぇぇぇぇえええぇえ!!??」


 彼女の快進撃を止める者、それは……、


 叫びながらドアを蹴破る、無双の戦鬼にしか出来ぬことであった。




「な、な、何事ですかー!?」

「邪魔するぞ」

『こんにちはー』


 敵地の奥深くに存在する支部長室のドアを力任せに蹴り破れば、悲鳴が俺と隣の幽霊少女を出迎えた。


「なっ、えっ、安綱様!?」

「少々聞きたいことがあって来た、邪魔するぞ」

「いや邪魔するぞって……け、結界は!? 式神は!?」

「ああ?」


 なにやら高そうなデスクに偉そうに腰かける六条がそんなことを聞いてくる。ああ、先程のアレか。

 俺はいつも通り、「ふん」と鼻息を鳴らして腕を組んだ。


「テーマパークに来たみたいだったぞ」


 特にテンションは上がらなかったがな。


「まったくあんなものを街中の店内に設置しおって。我が主や妹が間違って触ったらどうしてくれる……というわけで除去した。金を無駄なことに使うな、たわけめ」

「そ、そんな……陰陽師達は!?」


 椅子から立ち上がった六条が脱兎のごとく、蹴破られたドアに駆け寄って隣室を見る。

 その広間には、幾人もの陰陽師達が任務に従事するため待機している……普段ならば。



「か、壊滅……」

「最近の陰陽師は質が悪くなったな。なんだあの現代機器と融合させたとかいう陰陽術は。コストカットにばかり目が行って威力がガタ落ちだ。主婦の節約術を見ている気分だったぞ」


 白目を剥いて倒れる職員達を前に、膝から崩れ落ちる六条。なにやら「正義の味方……夢の終わり……」などと譫言のように呟いている。

 しかしプルプルと震えたかと思うと、六条は立ち上がって、睨み付けるようにして勢いよくこちらに指を突きつけた。この辺りの切り替えの早さはさすが支部長といえなくもない。


「セーフティルームに入ってくるラスボスがどこにおられますかー!?」

「さて、そんなことはどうでもいい。問題はこいつでな」

『どうもどうもー』

「聞いてくださいよ! そしてあなた誰なんですか!?」

『悲恋の美少女幽霊でーす』


 能天気な声を上げる幽霊に、捲し立てる六条。いいスピード感だ。


「故あってこの者の思い人を探すことになってな。この者に関する資料に心当たりはないか?」

「ありませんよ! 拝見したところ怨霊ではないようですし。うちは人に危害を加えない怪異は基本手を出さず自然に任せますので、管轄外です! 街の図書館にでも行けばいいじゃないですか!」

「なるほど、街の図書館であれば地方紙も保存されている可能性があるか……らしいぞ化野」

『さすが便利屋さん、すぐに答えてくれましたね!』

「ああ。ではな、俺はもう行く。晩飯の買い出しを任されているのだ」

『ありがとうございました、便利屋さーん』

「なっ、ちょっとま――」


 後ろから呼び止めるような声が聞こえたが、妹から頼まれた買い出しより優先順位が低いと見てさっさと駆け出す。

 罠が破壊し尽くされた廊下は、帰り道だけは快適であった。




「ほ、本当に帰られました……」


 まるで嵐が通り過ぎたかのような、そんな感覚。

 え、どうするんですかこれ……。


「じ、人員は……よかった、気絶してるだけ。設備もそんなに傷付いてませんね……」


 本当に仕掛けた罠や結界だけを破壊されたといった感じ。

 でも……でもぉー……!


「うわーん! せっかくお金かけたのにー!」


 なけなしのお金だったというのに、一瞬で持っていかれましたあー……!

 うう、この損失、どうやって賄えば――!


 プルルルル――


「うっ、ぐすっ……内線……?」


 独り虚しさに涙を流していれば、支部長室の内線が鳴っている。

 こんな時になんだろうと思いディスプレイを見れば、それは地上の和雑貨店の受付からだった。


「……もしもし、こちら支部長の六条です」

『あっ、し、支部長! 今、戦鬼が……!』

「……分かっています、今離脱していきました」


 離脱というか、ただ勝手に晩御飯買いに行っただけですけど……。

 地下を心配しての電話と思い電話口にそう返すも、しかし予想は外れてしまう。


『あ、いえ、そうではなく……ち、注文を受けました』

「……はい?」


 ち、注文……? それは……一体……。


『えー、『初詣に向けてオリジナルの振り袖を二着。一番高い物で構わん。我が主と妹に似合わぬ物を見繕えば承知はせん』とのことで……』

「へ……?」

『それと、『金は有効に使え』と』

「なっ……」

『い、いかがいたしましょう……あ、分割払いだそうです……』

「ぐぬぬぬぬぬ……!」


 迷うような受付の声に、私は臍を噛む。

 完全にバカにされてます! それで施しているつもりですか!


「……レンタルにした方がよかったと、そう思う着物に仕立ててください。手を抜くのは許しません! 陰陽局の美的センスの粋を尽くすように!」

『は、はい!』


 仕事中は冷徹さを忘れない私でも、思わず声を荒げてしまう。こうなったら破壊された分以上に請求させていただきますからね!


「くぅっ、にいちゃんのアホーーーー!!」


 もう聞こえないと分かりつつも言わずにはいられなかった言葉に対し、どこかで鬼の笑い声が不気味に響く。そんな気がする定時過ぎだった。


 やっぱりあの人はどうあがいても敵です! 敵ぃー!

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