第134話「看板娘が可愛い人気の喫茶店があるらしい」



 日曜を穏やかな午後の日差しが彩る。

 午睡を誘うようなゆったりとしたBGMが流れる喫茶店にて、俺は先日の出来事を彼女に話して聞かせていた。


「ふふ、そんなことがあったんだ」

「ああ。とはいえ筋肉がつくのは良いことだろうに。乙女心というのは複雑怪奇だ」

「ちなみに今日二人は?」

「クラスメイトと遊びに行くらしい。恥ずかしいからついて来てはダメだ、と仰せつかってしまった」


 難しげに唸る俺をからかうように、目の前のコーヒーカップから湯気が尾を引く。

 その湖面には、こちらに可愛らしく前足を振る猫と……少し恥ずかしげに、しかししっかりと主張する小さなハートマークが浮かんでいた。


「それで刃君うちに来てくれたんだ。嬉しいなあ」


 それを出してくれたのはもちろん、この人気喫茶店“ダンデライオン”の看板娘兼、我が“親友”薄野綾女であった。

 そんな彼女は微笑みを浮かべた後、少し自慢げにコーヒーカップに視線を注いだ。


「どう? 可愛いでしょ。新作のラテアートだよ!」

「ああ、とてもいい」


 くすり、とおかしそうに笑う口元を銀のトレーで隠す綾女にそう返すが……。

 その“可愛い”が果たして猫に対してなのか。それとも彼女のほんのり秘めた気持ちを伝えるハートマークのことを言っているのか。


「大変愛らしい」

「でしょー? 練習したんだあ」


 ……俺は綾女に対して言ったのだが、豊満な胸を反らし「えっへん」とする彼女には伝わらなかったようだ。


「……まあいい、別の手段で伝えよう。パシャリ」

「わ、珍しい……刃君がスマホいじってる。何してるの?」

「ちょっとな」


 俺は見事なラテアートが描かれたコーヒーをスマホで撮り、そのままネットに接続する。


「えー……『簡単なラテアートなら無料で提供してくれるダンデライオンは素晴らしいお店です。お菓子に合ったお茶も揃っているため、ちょっとしたお嬢様気分も味わえて文句なし! 星五つです!』――と」

「食べ〇グだ……」

「宣伝は大事。俺はそれを先の出来事で学んだ」

「ていうか、刃君がしたらそれ自作自演……」

「俺は既にここのスタッフではない。何も問題はなかろう?」

「またごり押す……」


 苦笑する綾女に肩を竦め、俺は送信ボタンを――


「おっと、大事な文言を書き忘れていた。『あと看板娘が最高に可愛らしい』――うむ」

「ちょっ!?」

「よし、送信」

「あっ! 分かった、これ全部刃君でしょ! うちのページにたまに投稿されてる、最後に『看板娘が可愛い』って書いてあるコメント!」

「知らんなあ。だが事実だ。世の中、知るべき事でないことも多いが、知るべき真実は遍く伝えられねばならん」

「事実って……も、もぉ~~~! そんなダメなこと言う人は知りません!」


 真っ赤になった綾女はプイッと顔を背け、早足でキッチンの方へと去ってしまった。


「怒らせてしまったか」


 肩口をくすぐるカフェオレ色の髪に隠されたうなじが、淑やかに赤く染まる様を見送りながら悪びれずに言う。


「クク、ままならぬ。気難しい宝玉よ」


 彼女との関係はいまだ友人同士で留まっている。彼女がそれを望んでいるからだ。

 俺がたまに距離を詰めようとすれば、こうして真っ赤になって逃げられてしまうのであった。


「いつか手中に収めたいものだ」


 宝を蒐集するという鬼の本能を刺激されながらも、俺は気を取り直すように首を振り、ゆっくりとカップを手に取った。

 さらばだ、フランソワ……。


「ずず……」


 湖面の猫が儚く散るのを惜しみながら、俺は店内の様子を見渡してみる。

 以前はあれだけ閑古鳥が鳴いていたというのに、今では複数の席が埋まり、客も穏やかな時と茶を謳歌している。

 店側のスタッフも増え、知らぬ顔が客をもてなしている様も見受けられた。


「いいことだな」


 そう、いいことだ。

 だがこの無双の戦鬼にとっては少々複雑であった。


「俺には明るすぎる」


 そうなのだ。

 以前は調度品やら方位やらの影響を受け、店内には魔の者が好む“陰の気”が渦巻いていたというのに。


「……仕方ないか」


 すっかり改善され、鬼にとって居づらくなってしまった店内に対し、一つ息を吐いて「まあいい」と納得する。

 我が友の涙を見るよりは何倍もマシであり、これは彼女が懸命に戦い抜き勝ち取った戦果である。ケチはつけまい。

 

 ――それに、


「……はい、刃君。これ食べてみて?」

「む?」


 唐突に横から挿入される皿の上には、この店では今まで見たことのなかった栗色のケーキが鎮座していた。


「秋の新作ケーキなの。まだ試食段階なんだけど、お客さんの意見も聞いてみたいなって」


 先程はプリプリしながら去って行ったというのに、彼女は既にそれを忘れたようにこちらに笑みを投げかける。


 ――彼女が、再びここに来て欲しいと言うのだ。ならば、友として来ないわけにはいくまい。


「モンブラン、というやつか」

「うん。知ってる?」

「さすがにな」


 刀花はケーキも好きだからな、さすがに弁えている。持ち帰り用のケーキも既に注文済みだ。


「いいのか? 随分と俺を厚遇してくれるではないか」

「いいのいいの。なにせ刃君は恩人だし、君がいてくれなかったらどうなってたか!」

「はっ、俺は功労者などではない。この無双の戦鬼、凡愚に手を差し伸べるほど落ちぶれてはおらん」


 俺は綾女の言葉に鼻で笑って返す。

 彼女が恩を感じることなど何もないのだ。


「お前だ、綾女。俺は俺が認めた者に使役される道具でしかない。道具はひとりでに動きはせん。お前の気質が、覚悟が、俺を呼んだのだ」


 俺が何かを為した? ――そうではない。

 お前の覚悟が、俺を動かし事を為させたのだ。俺は只人を助けなどせん。人に仇なす悪鬼だと心得よ。

 それにたとえ俺がいなくとも、その気質があれば何者かが手を貸していただろう。……多分だが。


「……刃君はひとりでに動くじゃん」

「本質の話をしているのだ」


 照れているのか、少しぶすっとした顔で綾女は言う。

 まったく、リゼットといい刀花といい。自分の価値をきちんと理解していない者が多いものだ。


「綾女、綾女。憎悪を滾らす鬼すら友とした清き乙女よ。悪を抱かず、人を憎まず。鬼に人の価値を証明し続ける者よ。それがどれほど難しいことか、そうして生きてきたお前には分かるまい。だが――」

「わぷ」


 その小さな頭をくしゃりと撫でる。


「お前は確かに、凝り固まった鬼の心を動かしたのだということだけは覚えておけ。その生き様は気高く、同時に痛々しく――そして愛おしく、美しいものなのだと」

「も、もぉ……またそういうこと言う。いいから食べてよっ」

「痛い痛い」


 髪に指を通していれば、彼女は上目遣いでこちらを睨みトレーで俺の頭をベコベコと叩く。

 こらこら、お客様アンケートに書くぞ。


「もう……」


 ジト目で頬を膨らます綾女に両手を挙げてから、俺は出されたケーキに着手する。

 鮮やかな栗色のクリームと、色の濃いタルト部分をフォークで崩し、口に運んだ。


「ど、どうかな?」


 なにやら緊張した様子で、綾女はこちらを伺っている。

 俺は黙って咀嚼し、栗の濃厚な香りが鼻を抜けるのを楽しみつつ嚥下する。

 なるほど、これは……


「……酒か?」

「あ、うん! タルト生地にね、濃いめの洋酒を混ぜてみたの。どうかな?」

「悪くない」


 クリームの甘さと、絶妙に絡み合う苦みと熱さが舌で溶けていく。


「これなら、少し甘めの茶が合いそうだな。美味いぞ」

「そ、そう? やったっ!」


 率直な感想を伝えれば、彼女はウエイトレス服を翻しながらガッツポーズをする。


「なるほど」


 ケーキ作りは父君の領分だったはずだが、この喜びよう。


「これは綾女が作ったのだな?」

「わ、よく分かったね」

「その反応を見ればな」

「えへへ……私もそろそろ、色々覚えていかなきゃなー、と思って」

「……そうか」


 先の出来事で色々考えさせられたのだろう。

 勝ち取った未来ある少女の輝かしい姿に、俺ですら微笑ましくなる。


「まあ、それにだいぶ甘かったからな」

「あれ、そう? 渋めの味付けで設定して、お酒も多めに入れたんだけどな……」

「ああ、そうではない」


 キョトンとする綾女に首を振る。

 確かに味は苦みが良く引き立つものだった。

 しかし、この戦鬼はそれだけを味わう者ではないのだ。


「込められた感情の話だ」

「感情?」

「ああ。このケーキは食す者のことがよく考えられて作られてある。『鬼さんだからお酒好きだよね?』とか『男の子には甘さ控えめの方がいいのかな?』などの思念がよく伝わってきた」

「んな――!?」


 ボン、と爆発したように綾女の顔が赤くなる。

 ククク、この俺を誰だと思っている。人間の怨嗟を喰らい糧とする妖刀ぞ。物に込められた感情など、俺には筒抜けなのだ。


「咀嚼するごとに甘く、芳しい。俺のためを思い努力し作ってくれたのがとてもよく分かる。骨身にしみるとはこのことか。俺は幸せ者だ」

「な、なっ!?」

「そしてこの甘さ……控えめながらもしっかりと主張してくるこの感情こそ、まさに“恋心”。苦味など彼方へ吹き飛んでしまうほどだ。どれ、もう一口……」

「だだだダメダメぇ!!」

「――遅い!」


 隠していた裏事情を暴露され、涙目で慌てて皿を下げようとする綾女だが、この俺を相手取るには遅すぎるぞ!


「ふ、馳走になった。実に甘露であった」

「い、一瞬で……うぅ……」


 彼女が皿に手を伸ばすより早く、彼女の淡い恋心が込められた……俺のためだけに作ったモンブランを完食した。


「文句なしの星五つだ」

「~~~~!!!」


 からかうような俺の言葉にプルプルと震え。

 彼女は涙目で真っ赤になった頬を膨らませ、無言でトレーを俺の背中に何度も叩きつけていた。我が友は可愛いなあ。


「ククク……さて、そろそろ会計としよう。持ち帰り用のケーキは用意できているか?」

「むぅ~……できてるけど。刃君いつかホントに刺されるからね?」

「喜んで受け入れよう」

「……もう」


 伝票を持って席を立てば、綾女は頬から空気を抜いて力なく溜め息をついていた。鬼に見初められた者は苦労するのだ。


「えーっと……はい、これケーキね。保冷剤は入れてないから、時間が空くんだったら冷蔵庫に入れておいてね」

「感謝する」


 リゼットと刀花用のケーキを受け取りながら金銭を支払う。

 最近給料が貯まってきたからな、こういうところで彼女達のために消費せねば。今の俺にはそれくらいしか使い道がない。


「ああ、それとこれを」

「ん? お客様アンケート?」

「うむ。では、また明日学園でな」

「う、うん。ありがとうございました……?」


 レジに立つ彼女は不思議そうに首を傾げながら、折りたたまれたお客様アンケートを手に取る。

 俺は彼女がそれを開く前に、さっさと別れを告げた。


 なぜならそのアンケートには――


「なっ!? も、もぉっ! 刃君ー!!」


 ・当店のサービス、商品について感想・ご意見をお聞かせください。


 A. 看板娘が今日も可愛らしかった。また来ます。


「クハハハハハハハハ!!」


 頬が真っ赤になっているであろうと容易に想像できる彼女の声を背中に浴びて。

 俺は哄笑を上げながら、行きつけの店を去るのだった。


 ――また来るぞ、我が“親友”よ!

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