第135話「この現場にいたら憤死する自信あるわ私」



 俺、酒上刃の朝の仕事は、まずご主人様を起こすことから――


『む?』


 ……始まらないこともある。


 現在、平日の午前六時半。

 いつもであれば刀花が起き出し、朝食を作る心地よい音がキッチンから聞こえてくるはずなのだが、今朝はそれがないのであった。


「……今日は"おねむさんの日"か」


 通常とは違う朝の雰囲気にそう当たりをつけ、飾り台で寝ていた俺はポンと人型になり、自室から刀花の部屋へと向かう。


「刀花、起きているか?」

『…………ふにゃ』


 やはりか。

 二人暮らしの頃から、刀花は酒上家の家事一切を担っていた。

 しかし、彼女はまだ高校一年生。一般的にはまだまだ保護者に甘える盛り。ごく稀にであるが、こうしてお寝坊さんになってしまう日もあるのであった。


「入るぞ」


 ノックもせずにドアを開ければ、バニラのように甘い香りが俺を出迎える。

 リゼットの部屋と家具などの配置はそれほど変わらないが、所々に差異は見受けられる。最も顕著なものであるのが……


「ウェイター服の俺の人形が増えている……」


 刀花作のデフォルメ縫いぐるみ……通称"兄さん人形"が棚の上やテーブルの上に乗っているのだ。

 俺としてはこのような目付きの悪い人形を置けば逆に健康を害しそうだと思うのだが……まあ俺がバイト漬けの折、寂しさをまぎらわせるために彼女が作ったものだ。言わば俺の不徳の致すところ。とやかくは言うまい。


「刀花、刀花」


 人形を視界に入れぬようにしながら、刀花が寝ているベッドに歩み寄り声をかける。


「すー……ふにゃ……」


 しかし我が妹は抱き枕にその身を預け、布団から覗く穏やかな寝顔を晒すのみであった。

 やはり、今朝は寝坊らしい。


 ――ならばこの戦鬼、妹に心地よい目覚めを提供する道具とならん。


 リゼットを起こすまでにはまだ時間がある。彼女も朝の支度に時間をかけるタイプだが……十分近く取るキスの時間を省けば大丈夫だろう。

 はじめの頃は十秒で終わる儀式だったのだが、最近は随分と長くなってしまった。彼女が可愛いから全く問題ないのではあるが。


「刀花。俺の愛しい唯一人の妹よ」

「すー……んっ……」


 耳元で彼女好みの台詞を言えば、刀花は途端にピクリと身体を震わせる。その頬が徐々に赤く染まっていく。


「すー……んむ……がりゅーさかがみりゅー、じゅーさんきんきがじゅーにー……」

「すまぬ、それはまだ開発中だ」


 刀花の少々物騒な寝言にそう返す。

 禁忌の十二は"寿命の概念を斬り、対象を不老不死にする技"である――と、刀花の予定ではそうなっている。名前はまだ未定らしい。俺の技は全部刀花が作ってくれているのだ。

 年若い内に完成させねばなあと思いながら、俺との未来を夢想しているのであろう可愛い妹に顔を寄せる。


「――刀花、愛している。刀花、今日も可愛いな。刀花、いつもありがとう。刀花、結婚しよう」

「ん……むふ……むふふ……」


 立て続けに囁けば、とろんとした寝顔が段々と締まりのない笑顔になっていき……


「むふー……むにゃ……はれ?」

「お目覚めか、刀花」


 一つ満足げな息をついた後、我が妹はゆったりと目を覚ました。

 身を起こすもまだ眠たげな瞳をクシクシと擦り、ふにゃふにゃと頬を緩めながら何かを探すように視線をさ迷わせている。

 おねむさんの日の刀花は、なかなかきっちりと目が覚めないのであった。


「あ……本物の兄さんです」

「偽物がいたのか?」


 たとえ俺の姿を取る者であろうと、刀花に近付く者であれば殺さねば。


「夢の中でぇ~……」

「ああ、夢の中の俺と何をしていたのだ?」


 こっくりこっくりと頭を動かす刀花に聞けば。


「卒寿を、お祝いしてましたぁ……」

「七十四年後になるなあ」


 卒寿とは、九十歳のお祝いである。

 戦鬼の妹らしい、随分とスパンの長い夢の内容であった。

 微笑ましい夢を見ていた彼女は、まだふにゃふにゃと寝ぼけ眼を揺らしている。


「……にーさん」

「うむ」

「にーさん」

「うむ」

「おにーちゃーん♪」


 歌い出した。


「すきすきだいすきおにーちゃーん」

「刀花、刀花、刀花ちゃーん」


 ならば俺も歌わねば、無双の戦鬼の名折れよ。


「好き好き大好き刀花ちゃーん」

「きゃっきゃっ♪」


 おお、喜んでくれている。

 俺の低音に、刀花は今より幼い笑みを浮かべる。そうして喜びを押さえきれないのか、こちらの胸をてしてしと叩いてきた。


「むふー……がりゅーさかがみりゅーじゅーさんきんきがじゅーよん~」


 十三からなんか増えた。


「――『妹のことが大好きになっちゃう刃~♪』」

「ぐわー」


 優しく胸を叩く衝撃と共に繰り出される新技に、俺はなす術もなく断末魔を上げて崩れ落ち――たりはしない。


「……おや? 効いていないな」

「むー……なぁーんでー……!」


 俺の効いていない宣言に刀花はフグのように頬を膨らませ、また何度もこちらの胸を叩く。

 だが効かぬ。効かぬのだ。


「ぜったい、きくんですぅ~……!」

「ククク、効かんな」


 ポコポコとこちらを叩く刀花に不敵に笑ってそう返す。

 なぜならば――


「既にお前の兄は、妹のことが大好きだからだ。これ以上、効きようがないということだな」

「!」


 ピタリ、と。

 俺の言葉を聞いた刀花は、不満げな顔でこちらを叩いていた手を止めて……


「……ふにゃあ」


 にへら、と。

 だらしのないと形容できるほどの蕩けた笑みを浮かべるのだった。


「さて、そろそろ着替えるぞ。いいか?」

「ふぁーい」


 頃合いと思い、着替えを提言すれば刀花はゆるゆると手を挙げる。

 それを横目に、俺は衣装箪笥を漁りながら問う。


「下着の色は」

「にーさんの、好きな色で~」

「そうか」


 では白だな。

 白はいい。俺のような穢れた者には到底似合わぬこの鮮やかさ。まさしく美しく純粋な乙女にこそ相応しい色合いだ。


「さ、刀花。ばんざーい」

「おーるはいる、にーさーん!」


 刀花はそう元気よく声を上げ、両手を天に掲げる。

 その万歳ではないのだが、妹の可愛さには些細なことだった。


「寒くないのか?」

「だいじょーぶでーす」


 近頃の朝は肌寒くなってきたというのに、刀花はいまだ俺の着古したワイシャツを寝間着にしている。

 一応長袖であるが、下はやはりパンツ以外何も着けていない。風邪を引かなければいいが。


「よっと」

「はぷっ」


 俺はそんな刀花の寝間着に手をかけ一息にスポーンと脱がせば、巻き込まれた長く美しい黒髪がバサリとベッドに広がった。


「むふー、いやーんです~」

「ふ、わかったわかった」


 リゼットはナイトブラを着用する派だが、刀花はしない派だ。この大きさになるとやはり寝づらく、そして痛いらしい。

 シャツを脱がされ、たわわに実った胸が大きく揺れて直接外気に晒される。

 垂れることもなくツンと上を向く形のいいそれを隠すのか隠さないのか、微妙な位置に腕をやり逆に強調する刀花がそんな声を漏らすが……おねむさんの日の刀花は終始あどけないので劣情も催さない。幼い頃に戻ったようだ。

 苦笑しながら、俺は昔日に思いを馳せる。


「胸が大きくなり始めた頃は大変だったな」

「そうですねえ~……んっんっ……脱げません~……」

「任せろ」


 およそ家族以外には見せられないようなあられもない姿で、ベッド上でじたじたする妹に手を貸す。

 大きいお尻に引っ掛かっていた下も脱がし、生まれたままの姿となった刀花にテキパキと新たな下着を着けていく。


「知らぬこととはいえ、苦労を掛けたな」

「いいんですよお~、私も思春期でしたし~」


 パチン、と小気味のいいゴムの音と共にパンツを装着。

 続いてブラ紐に彼女の細い腕を通し、ふるふると揺れる巨大な乳房を包み込むようにしてカップへとせっせと収めていく。

 そうなのだ。我こそは無双の戦鬼。敵を殲滅するために創造されし者。

 故に――ブラの存在を昔は知らなかったのだ。


「まさに一騒動であった」


 当時、思春期であるため素直に「ブラジャーが欲しい」と言えなかった刀花。小学生の内ならばそう珍しくもない。

 しかし彼女の現在を見て分かる通り、妹の胸は早い内から大きくなり始めていた。

 周囲との成長の違いに不安を覚える刀花。成長痛に苦しむ刀花。先っちょが擦れて痛いと泣く刀花。そして大混乱する無双の戦鬼。


「当時の担任に怒られたものだ」


 応急処置として先端に絆創膏を貼っていたところを当時の女性教諭が発見し連絡を受けたことで、ようやくこの戦鬼はブラの存在を知ったのだった。


「一生の不覚だ。だがもう心配はない……我こそは無双の戦鬼。妹の乳房の安寧を守るのも、戦鬼の務めであると心得ている」

「さすが私の兄さんです~」


 称賛の言葉にうむうむと頷き、背中に回ってホックを止める。


「む……キツくないか?」

「今度新しいの買いに行きましょうね~」

「分かった」


 一番外側の留め具に留めながら会話を交わす。

 成長が留まることを知らんな。さすがは俺の妹だ。


「キャミソールを着せ……制服上着、スカート……むぅ、スカートに裾が入らん」


 まあ夏には着なかったキャミソールを着て、ヘソが隠れているからよしとしよう。


「運ぶぞ」

「きゃっきゃっ」


 両脇に腕を差し込み、ぶらーんとさせながらドレッサーの前へ。


「髪を結ぶものはどうする」

「白いリボンで~」


 美しい黒髪に櫛を通しながら聞けば、ポヤポヤとした返事が返ってきた。

 そんな彼女の指示にしたがい、机上にある丁寧に畳まれた白リボンを手に取る。先日俺が贈ったものだ。他にも過去の誕生日に贈ったシュシュやヘアゴムもあるが、最近の彼女はこれがお気に入りなのだった。


「……よし、完成だ」

「むふー、可愛いですか兄さん?」

「愚問だな」


 目が覚めてきたのか、頬に人差し指を当ててにっこりと笑う刀花に鼻を鳴らして答える。

 俺の妹が可愛くないわけがない。

 だが、そうだな――


「……最近は、綺麗にもなってきたな」

「おお、本当ですかっ」

「ああ」


 リゼットと友になり影響でも受けたのか、刀花の仕草にも最近は品というものが滲み出る時がある。

 それにより可愛さが突出していた刀花に、綺麗さという更なる魅力が加わり最強に見える。俺の妹は最強なのである。


「人間は成長するものなのだなあ」

「むふー、兄さんのためにもっともっと綺麗になりますからね」

「では俺も、刀花に相応しい兄になれるよう励まねばな」

「兄さんは十分かっこいいですよ?」

「まだまだだ。覇者とは歩みを止めぬからこそ覇者なのだ。この覇道の果てに、刀花の満足いく兄の姿があろう」


 そう答えれば、刀花はドレッサーに座りながら嬉しそうに足をバタバタさせる。

 スカートがふわりと舞うその一瞬に、少しだけスカートの内側に香水をつける。フランス式だとリゼットに教わった。


「これ以上好きになっちゃったら離れられなくなっちゃいますよう」

「ほう? 俺は既に一生離れたくないがな」

「えー? じゃあ私もですー♪」

「ククク、そうかそうか」

 

 きゃあー♪ と満面の笑みで頬を寄せる妹にこちらも顔を寄せ、互いの頬を擦り合わせる。もちもちのほっぺが大変心地いい。


「兄さん、大変です」

「どうした?」

「離れられなくなってしまいました」

「ほう、それはなぜだ?」

「ジンニウムとトウカニウムは仲良しさんなので、近付くと強く結合してしまうんです」

「それは大発見だ。学会に報告せねばな?」

「そうですねえ、しかし一回だけでは足りません。再現性を確認するためにも、もっと検証しておきましょう」

「科学の発展のためだ、やむを得んな」

「むふー、その通りですぅ♪」


 そうして時間をたっぷり掛けて、しばらく新たな科学の見地に貢献する。後で分かったことだが、ジンニウムとトウカニウムが結合すると莫大なエネルギーに変換されるらしい。ノーベル賞はいただきだな。


「――さて」

「あー……」


 より現代科学に寄与したいところであったが、そろそろ朝食を作らねば。


「おねむさんの刀花はこれからどうする」

「それじゃあ、兄さんが朝御飯を作る背中を眺める仕事に移ります」

「了解した……ん?」


 身だしなみも整え終え、彼女の手を引いてキッチンに向かおうとしたのだが……刀花は椅子から立ち上がろうとしない。


「どうした?」

「むふー、今日はお姫様な気分なのです」

「ふ、なるほど」


 では僭越ながらこの戦鬼、お姫様を運ぶ軍馬とならん。

 そうだな……元祖お姫様であるご主人様マスターに習い、ここは――


「それでは掴まるがいい。我が所有者オーナー

「はーい!」


 恭しく寄り添えば、我がお姫様は元気一杯にこちらの首に腕を絡める。


「よし、それでは今日も一日――悪しく、覇道を征く」

「ふふ、綾女さんのパクリですー」

「クハハハハ」


 彼女の柔らかい肢体がぴったりとくっついたことを認めて、絨毯を踏みしめる。

 そうして、俺達兄妹は改めて今日という日を歩み始めるのだった。

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