第126話「なんとかしてよ、じんえもん」



「いいですか? 陰と陽の気は、人だけでなく絵にも宿ります。ですのでこうした人物画を飾る際は、どちらかの性別に片寄らせずバランスよく飾らねばなりません」

「あら、この絵画懐かしいわねえ……これを買った国はとっても熱い気候でね。私もあの人と熱い夜を過ごしたものだわ。そしてできたのがあやちゃん、あなた――」

「いいいいいから! 聞いてないから早く外してよお母さん!」


 綾女が母君の惚気を遮り、壁の絵を外させる。

 それを見て、六条はうんうんと頷きながら他の箇所もチェックするように視線を巡らせていた。

 それにしても……


「……風水、か」

「風水とは言いましたが、安綱様。古くは奈良時代、中国から仏教と共に流れ来たものなのです。それが神仏習合の影響を受けた結果、現代では"家相"として日本独自の発展を遂げ――」

「ああ、そういう小難しいのはいい」

「なっ、なんでですか聞いてくださいよ! 鬼門の考え方だって、風水ではなく家相の考え方でですねっ。京都御所にも鬼門には築地塀、裏鬼門には清涼殿の鬼の間など、それ由来の部屋が作られる程でっ!」


 ええい、神秘オタクめ。早口になるな!

 六条のキャンキャンした声を聞きながら、俺は玄関右手に置かれた水槽を左手へ。

 これも運気的に良くないらしいが、この程度のことで変わるものなのか……?


「むぅ、塵も積もればというやつですよ。立地的なこともありますが、そもそも安綱様の入店が決め手だったんですからね……」


 六条が長ったらしい解説をやめ、唇を尖らせてそう言う。

 俺のせいなのか……。

 ダンデライオンの内装。それは陰陽道に通じる六条からすれば運気を削りに削る最悪なものだったらしい。

 現在、俺達は総掛かりでその運気を削る要素を片付けている。一つひとつは小さいにしても、それが相乗効果となり、更に俺という鬼が裏鬼門から入ったことで一気に崩れたらしい。俺のせいなのか……。 

 責任の所在にむむむと難しく唸っていれば、その立地的な問題である裏鬼門(西東)のドアが開いて二人の少女が入ってきた。


「このはちゃーん、サボテン外の方に移動させましたよ」

「ドアにかけられた鏡も回収したわ……あら、確かになんだかお店の雰囲気変わったかも?」


 刀花に続いて、店に入ってきたリゼットが不思議そうにコトリと首を傾ける。

 そんな我が主の様子を見て、六条がキラリとその瞳を煌めかせた。


「そう思われますか、ブルームフィールド様?」

「ええ。まあこう言っては悪いけれど、人間寄りの温さになったというか? 不思議ねえ」

「不思議ですか? ではお答えしましょう! 魔とはつまり陰の気質。運気か下がりそういった気質の満ちた店内において、それはブルームフィールド様のような吸血鬼や安綱様のような鬼にとって絶好のパワースポットとなり、だからこそここは居心地が良く感じられ――」

「え、いや、ちょっと……」


 早口になる六条に、リゼットは冷や汗を流してどうどうと手で制するが効果は薄く、そのままマシンガントークに呑まれていった。南無……。


「実際どうですか兄さん、居心地のほどは?」

「悪いな」


 テクテクとこちらに歩みを寄せて聞く刀花にそう返す。

 あれほど居心地の良いと感じていたダンデライオンだったが、現在ほとんどのアイテムを外された結果、俺には居心地の良いものとは言えなくなってきていた。


「方位の問題がまだあるため、凡百のカフェ程にはなっていないがな」

「とりあえず陰の気は薄まってきたってことですね」

「俺としては残念だが、仕方あるまい」

「むふー、じゃあ可愛い妹が陰の気を分けてあげますね……ぎゅー♪」

「おっと」


 むぎゅっと。

 刀花がニコニコしながら、正面からこちらに向かって抱きついてくる。

 気落ちした俺に気を分け与えるという言葉は本当なのか、刀花は何かを伝えようとするかのようにズリズリとその柔らかい肢体をこちらに押し付けていた。

 そんな労りに満ちた彼女の髪を、優しく撫でる。


「可愛い妹め。しかし刀花は陰というよりは陽の雰囲気ではないか?」

「えー、でもこのはちゃんは『女性には陰の気が宿っているのです』って言ってましたよ? えいえい♪」


 楽しそうに笑って、彼女は肉感たっぷりのふかふか妹ボディをこれでもかと兄の身体に押し付けてくる。

 そろそろGカップに届きそうだともっぱらの噂のたわわな胸はむぎゅむぎゅと形を変え、むっちりとした太ももをこちらの足に絡ませる。


「むふー、すりすり」


 甘えるようにスリスリと頬同士を擦り合わせれば、俺のみが抽出&吸引可能である奇跡の物質、トウカニウムがこれでもかと香ってくる。

 バニラのように甘く香るそれは、兄のみを狂わせる魔性の香りなのだ。


「どうですか、兄さん。何か感じますか?」

「くっ、何か来そうだ……! もう一声!」

「兄さん、だぁいすき♪」

「こ、これは……!」


 全身で妹を感じ、甘い言葉を囁かれれば、身体の奥底から沸き上がるものがある。

 マグマのようにグツグツと煮え滾るようなそのパワーは全身を巡り、身体の中心へと収束していく!

 そうか、これが――!


「くす、やぁん♪ 兄さんの、私の太ももに当たっちゃってますよ……溜まってるってやつなんですかね? 仕方ないですにゃあ……いいですよ♪」

「なるほど、これが“淫の気”というやつか――!!」

「この公然猥褻兄妹が」

『あいたー!?』


 新たな力に目覚めかけていれば、横から絶対零度の声と共に頭をはたかれた。

 ……我が麗しのマスターである。


「何をするマスター。俺は今、陰の気を溜めていてだな」

「そうですよリゼットさん、これは純粋なエネルギー補給でして」

「嘘おっしゃい、漢字違ってたでしょ」


 漢検二級の漢字も分かるとは、さすが俺のマスターだ。

 六条の解説を聞き終えたのか、リゼットは呆れたように腰に手を当て唇を尖らせている。

 ちなみに六条は「はわわわ……」と顔を真っ赤にして俺達兄妹の様子を眺めていた。初心なやつめ。


「あなた達はいちいち直接的でお下品なのよ……そ、そういうのは、これくらいでいいでしょう……?」


 そうして我が主は主張するように、キュッとこちらの手を握る。

 控え目に握られたその細い指からは、トクントクンと甘酸っぱい感情が流れ込んできていた。


「ど、どう……?」

「マスターは可愛いなあ」

「そ、そういうこと聞いてないでしょ! もう、バカなんだから……」


 プイッと頬を染めて顔を背けつつ、乙女な彼女は握り込むようにしてしっかりと指を絡ませる。

 ……これは追求せず、知らないフリをした方がいいのだろうな。


「……このはちゃんは私みたいにグイグイ行く派か、リゼットさんみたいに誘い受け派かどっちですか?」

「わ、私はまだそういったことは分からなくてっ、好きな殿方もいませんし……!」

「何コソコソ言ってんのよ。あと誰が誘い受けよ、私はロマンチックなのが好きなだけ!」


 かつての猫耳メイドはロマンチックだった……?


 俺が訝しんでいれば、リゼットは恥ずかしくなったのか俺の手を引き店の外へ。

 ぞろぞろと連れ立って出てみれば、深い西日が喫茶店を紅く照らしていた。


「……内装はどうにかできたけれど、その方位っていうのはどうにかならないの?」

「難しいかと。綾女様の親御様に聞いたところ、このお店は改築をしておらず、入り口もこの位置から変えたことがないそうです」


 リゼットの疑問に、六条がスラスラと答える。


「なるほど、時間を斬り飛ばしたところで意味はないということか」


 昔と今でドアの位置が違っていれば、滅相刃でなんとかなったものを。

 むむむと顎に手を当て唸れば、刀花も真似して唇を尖らせる。


「ドアの位置を変えるっていうのも難しそうですね。両隣は建物で塞がれてますし、裏は厨房に直通ですから」

「うーむ、店舗を移転するというのも無理な話だろうな。どれだけの費用と時間がかかるか……」


 これは……万事休すか。

 兄妹揃って首をかしげれば、六条が「まあまあ」と苦笑を浮かべる。


「内装だけでも結構違うものですから。それに方位だって仕方のない部分があります。逆に内装に気を遣い良い運気を流すようにすれば、今よりマシにはなりますから。ただ――」


 言葉を切り、気まずげに六条は上目遣いでこちらを見た。

 ああ、分かっている。


「俺が寄り付かないようにすれば、ということか」

「……そうですね、そうなります」

「ジン……」

「兄さん……」


 俺の表情がどう映ったのか、三人は少し声を落とした。

 俺はそんな三人の様子を、鼻で笑う。


「まあいいだろう、この辺りが潮時と心得る。鬼が人間に混じり呑気に茶をしばくというのも、おかしな話なのだからな」


 そうとも、別段思うこともない。

 いつもの日常に戻るだけだ。放課後に皆でここで作戦会議をしたり、善を体現する少女に美味いコーヒーを淹れてもらったりする機会がなくなるだけだ。

 俺には……思うことなど、ない。


 だが――


「――私は、寂しいな」

「……綾女」


 チリン、と。

 人の存在を知らせるドアのベルが、どこか空虚に響く。

 こちらの話を聞いていたのか、綾女が眉を困ったように歪めてこちらを見ていた。


「刃君、もう来てくれないの……?」


 ポツリと呟くような声。

 俺は平常通りに見えるよう腕を組み、その声に言葉を並べ立てた。


「ああ、その方が良さそうだからな。なに、今生の別れというわけでもない。学園で会えるだろう。お前が屋敷に遊びに来るのでも――」

「私はっ!!」

「――っ!」


 初めて聞く彼女の激情の籠もった声に、目を見開く。


「私は、来て欲しいよ……」


 まるで置いていかれた迷子のように。


「もっとここで、君に私のコーヒーを飲んでもらいたい……」


 絞り出すように、胸元を掴んで。


「まだ出してあげてないラテアートも、見て欲しい……」


 懸命に、追い縋るように。

 その瞳には夕日を受けて煌めく涙を溜めて。


「だからお願い。もう来ないなんて、そんな寂しいこと言わないで……」

「……ああ、すまなかった」


 手を伸ばす声に、素直に頭を下げる。

 友を、泣かせてしまった。

 なるほど、これは存外……堪えるものだ。


「……友を寂しがらせるのはダメなこと、そうだな?」

「そうだよ……」


 拗ねたような声に苦笑し、そのカフェオレ色の髪をかき回す。幾分か誤魔化しも入っていたかもしれない。


「じんえもん、なんとかしてよ……」


 冗談めかした……強がりを多分に含むその声に思考を巡らせる。


 だが実際、どうしたものか。


 内装を変えてもどうにもならない。ドアの位置も変えられない。移転するなどもってのほか。

 なにか、俺の性能を活かせるような方法は……。


「むむむ……」


 その場の全員で唸っていると――


「サッカーしようぜ、はやくはやく!」

「待てってー!」


 もうすぐ夜が来るというのに、僅かな時間でも遊び足りないのかサッカーボールを抱えた子ども達が脇を駆け抜けていく。


「……ふん」


 俺はそれを見て、面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 まったく、羨ましい限りだ。最近はこうして理屈を捏ねてばかり。俺もたまには何も頭を働かせず、それこそ球遊びでも――――ん?


「……」

「? どうしたのジン?」


 リゼットの疑問の声もどこへやら。

 俺は少年達の持つサッカーボールを眺め……


「……ふーむ」


 じいっと、足元を見つめる。

 足元というよりは、そう地面。俺達を支える大地そのものを。


 …………なるほど。


「クックック……仕方ないな、綾女は」


 そう言ってくしゃりともう一度髪を撫で、屈んでいた足に力を入れる。

 なんとかしてよじんえもん、という声に今まで応えられたことはないが、今回は。


「兄さん、何か案が?」

「ああ――本気を出す」

『!?』


 俺の本気発言に、この場にいる全員が息を飲んだ。

 改まってこんなことを言うのは今までしてこなかったからな。

 だが、あえて宣言しよう。

 我こそは、少女の願いを叶える無双の戦鬼であるが故に。


「リゼット、刀花」

『は、はい!』


 愛しい少女達の名を呼ぶ。


「"オーダー"と"お願い"を寄越せ。俺が本気を出すには、それが必要だ」


 我が主と所有者にそう告げる。

 お前達の最強の下僕が、十全の性能を発揮できる言霊を寄越せと。


「それはいいけど……ジン、何をする気?」

「……なに、最近運動不足だったからな」


 鼻白んだ様子で聞くリゼットに、唇を歪ませてそう答える。


「ク、ハハハ……」

「うわ、安綱様悪い顔……」


 ああ、運動不足なのは本当だ。


 だから……


 ――少しばかり、サッカーをな。

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