第125話「このはは偉いなあ!」



 チリン、と。

 入店を知らせるベルが鳴れば、西日の紅い光と共に小柄な影がダンデライオン内に伸びる。


 ――来たか。


 俺はその影に歩みを寄せながらあくまで冷静さを心がけ、努めて紳士的に映るような笑みを浮かべた。


「いらっしゃいませ、ダンデライオンへようこそ。一名様でしょうか?」

「うわ……報告には受けておりましたが、本当に働いておられるのですね安綱様。あと敬語気持ち悪いです」

「喫茶店に友人の一人も連れずお一人様でしょうか?」

「う、うるさいです! 友達くらいおるもん! 今日は仕事で来たんやもん!」


 仕事で来たと言う割には冷静な仮面をすぐ脱ぎ捨てたな。結構気にしているのかもしれない。俺ですら友がいるというのにな!


「むむむむむっ」


 目の前で中等部カラーのセーラー服に身を包み、肩を怒らせる少女……陰陽局支部長、六条このはを眼下に収めながら、しかし俺は気を取り直すように首を振る。

 おっと、いかんいかん。ついからかいの言葉が。獲物を狙う牙は隠さねばならん。

 綾女と母君が裏に引っ込んでいる間に、我が思惑を達成せねば!

 俺はさりげなくドアに掛けられた鏡で身だしなみをチェックしつつ、口を開いた。


「こほん、失礼しました。それではお席にご案内します。鞄をお持ちしましょう」

「……何を企んでいるのです?」


 じっとりとした目を向ける六条に「滅相もない」と返す。

 そんな俺がよほど奇妙に映るのか、六条は一瞬寒気に身体をブルッと震わせた。


「私は綾女様に謝礼をお渡しするために来たのですが……」

「今は休憩中です。その間お客様を立たせているわけにはいきません。どうぞ、お席の方へ――我が主と妹と相席になりますが」

「……ま、まあ、手ぶらで帰るのもなんですからね」


 ふ、容易い。主と妹をちらつかせればこんなものよ。

 俺は六条の学生鞄を持ち、なにやら不思議そうに内装をキョロキョロと見ながら歩く彼女を奥の席へと案内する。何か気になることでもあるのだろうか?


「……ああ、コノハ」

「こんにちは、このはちゃん」

「あっ、お二方……ご無沙汰しております!」


 どこか気の毒そうな表情を浮かべる二人に、六条は首をかしげる。

 気にせず対面に座らせれば、六条は少々恐縮した様子でちんまりと椅子に収まった。

 まあ他に客もおらんから気まずいのかもしれん。さっさと甘味でも出すか。


「え、えっとメニューは……」

「お待たせしました」

「待っていないのですが」


 パチン、と指を鳴らして時を止め、父君に用意してもらっておいたケーキセットをテーブルに置いておく。

 それを見た六条は、よりその身体に警戒心を纏った。


「……やっぱり、何か企んでおいでですね?」

「店員としての職務を全うしているだけです」

「その敬語やめてください。逆にバカにされてるみたいです」


 むすっとした顔で六条は言う。

 ……まあ、客がそう望むのであれば。俺も慣れぬしな。それに今は口が回った方が俺には都合がいい。


「言っておきますが、面倒事はこの前の事件でお腹一杯ですからね。そろそろ冬のボーナスの査定を見越して、点数を稼いでおかないといけないのですから」

「そうか――頑張っているのだな、六条は」

「そうなのです! 稼ぎ頭の私が両親や弟と妹を食べさせてあげ――へ?」


 一瞬、六条が耳を疑う。

 聞こえなかったのか? ならばもう一度言ってやろう。


「偉いな、六条は。貧しい家族を養うため厳しい職務に従事するその姿、まさにデキる女というやつだ」

「な、なんっ――?」


 称賛の言葉に六条は目を見開き、頬を紅潮させる。

 ……我が主と妹は対照的にじっとりと目を細めたが。


「や、やっぱり怪しいです! 安綱様が私にそんな言葉をおかけするなど!」

「俺も最近、労働の苛烈さを知ってな。その矮躯で懸命に働くお前を見直す機会があったのだ」

「わ、私は別に、当然のことをしているだけで――」

「ではきちんと誉めてもらっているか? お前は才女だ。それこそ周囲から、『出来て当然』といった期待をかけられたことは?」

「――」


 ピタリと、六条の動きが止まった。図星か。


「職務をこなし労いの言葉はかけられるだろう。家族を養い感謝の言葉もあるだろう。しかし、最近誉められたことは? その頑張りに見合う言葉は?」

「……」


 ……クク、ここだな?


「実際お前はよくやっている」

「そ、そんなことは……」

「戦鬼の潜む地域の支部を任されるなど、並大抵のことではない。それはつまりこの国……いやさ世界を守っていることと同義なのだからな」

「そんな……」

「なかなか出来ることではないぞ。限られた者にしか出来ぬ職務であろう」

「……」

「それをその小柄な身体で、まさに戦う大和撫子だ。おお、お前ほど謙虚な者を、俺はこれまで見たことがない!」

「…………そ、そう思われますか?」


 ク、クハハハハハ。


「どれ、撫でてやろう」

「や、やめてください。子どもじゃ、ないんですから……」

「よしよし。よく頑張っているな、偉いなあ、六条は」

「――」

「兄や姉はいるのか?」

「……おらへん……やから、こんな風に撫でられるんは……」

「それはいけない。親元を離れ、懸命に働く者は讃えられねばならん」

「…………じゃあ、もっと優しく撫でて……?」


 取り繕った口調ではなく、方言丸出しとなった六条の髪を梳く。

 ……目の前で交わされる「詐欺師さんです」「死んだ方がいいわ」という言葉は無視して。


「美しい黒髪だな、その髪型は刀花を意識しているのか?」

「う、うん……ポニテやなくて束ねただけやけど……」

「赤い組み紐もよく似合っているな、まるで俺の妹のようだ」

「い、妹……」

「長子は上の存在に憧れると聞くが。そう思ったことは?」

「……せ、せやね」

「今だけは、俺を兄と呼んでもいいぞ?」

「それは、その……」

「このは」

「――」

「よしよし、このはは偉いなあ。このははよく頑張っているなあ。このははすごいなあ」

「……に、」

「ん?」

「…………にいちゃん」


 落ちたな。


「このはは可愛いなあ。お前を甘やかさない世など、それ自体が間違っているだろう」

「ほ、ほんま?」

「ああ。ほら、この兄がケーキを食わせてやろう……美味いか?」

「まぐまぐ……うまうまー……♪」

「もっとして欲しいことはないか?」

「にいちゃんもっと誉めて……?」

「このはは偉いなあ!」


 口では誉めちぎりながら、片手で髪を撫で、片手でケーキを切り分け食べさせる。

 先程までツンケンしていた少女は、今では年相応……いや、それよりもあどけない顔でケーキをモグモグしている。まるで幸せな夢を見ているかのようだ。


「コノハ……」

「溜まってたんですね、兄がすみません……」


 こら、現実に引き戻すようなことを言うんじゃない。

 ……ようやく、場が温まってきたところなのだからな。


「このはは今日も仕事だったのか?」

「うん……お昼に下校して、謝礼の用意してな?」

「いい子だなあ、このはは。その金は戦鬼対策費用からか?」

「うん」

「いくらくらいだ?」

「結構悪質なグループやったから――」


 このはの口から語られる金額はなかなかのものだった。だが、やはりダンデライオンに必要な額としては焼け石に水程度。

 ならば……


「残務処理もしてくれたのだろう? すごいなあこのはは」

「え、えへへ」

「俺など皿を割ってばかりだ。この店には金が必要だというのに!」

「……にいちゃん、お金ないん?」

「そうなのだ。このはと違い、俺は失敗ばかりだ。有能なこのはと違ってな! 有能なこのはと違ってなあ!」

「そ、そぉ?」


 このはは満更でもなさそうにこちらを見上げる。

 ここだ、ここが攻め時と心得る!


「なあ、このは? その本部から支給される戦鬼対策費はいくらあるんだ?」

「え、いえそれは――」

「おーよしよしよし!」


 一瞬、正気に戻りかけたこのはの頭を撫でまくる。逃すものか。主と妹の目線は冷えきっているが。


「兄ちゃん思うんだ。それは戦鬼が揉め事を起こすからこそ支給されるものだと」

「せやね……?」

「ということはつまり、それは戦鬼が何も起こさなかったら俺の物になるのではないかと」

「せやろか……?」

「よしよしこのはは偉いなあ!」

「そうかもしれへん……?」

「ジン……」

「兄さん……」


 そんな冷えきった目で俺を見ないでくれ。


「……にいちゃん、困っとるん?」

「ああ、俺を助けられるのは、もうこのはしかいないほどだ」

「……ほんま?」

「ああ、ほんまだ。俺にはこのはしかいない」

「……ほんまにほんま?」

「ほんまにほんまだ」

「にいちゃん助けたら、もっと誉めてくれる……?」

「ああもちろんだ」

「…………」


 逡巡するこのははモジモジと足を動かし……チラッとこちらを見た。


「……じゃあ、ちょっとだけやえ?」

「ありがとう、このは。よーしよし兄ちゃん信じてたぞ」

「えへへ、えへへへへへへへ」

「私、この子の将来心配」

「ダメ男製造機です……」


 まなじりをひくつかせる二人を横目に、このはの髪を撫でまくる。ふ、初心な娘よ。


「さて、このは? ではこの口座に振り込みを――」


 そうして懐から通帳を取り出し、ぽやーっとする六条に――


「なーにしてるの刃君っ!」

「むっ」


 ……見つかったか。


「女の子を騙すのは、ダメなことだよ!」

「騙してなどいない。交渉というものだ」

「完全にダメ男が彼女に金せびってるアレだったじゃないの……」

「うぅ、そんな兄さん見たくなかったです!」


 プンプンと腰に手を当て現れた綾女に、これまでの空気を壊されてしまった。

 ……タイムアップというやつか。

 それに合わせ、これまで黙っていたリゼットと刀花も口を開き、いまだポワポワしている六条の肩を抱く。


「このはちゃん、辛かったらいつでも言ってくださいね!」

「コノハ、ジンにはきつく躾をしておくから……よしよし、いい子ね」

「はっ、私はいったい何を……!?」


 ちっ、正気に戻されたか。あと少しだったものを。


「や、安綱様ぁー!!」

「なんだ、撫で足りなかったか?」


 真っ赤になって激昂する六条にそう返せば、彼女はプルプルと怒りに身を震わせる。


「なんっ――アホ! ボケ!」

「可愛らしい罵倒だ」

「小太刀!」

「ライン越えたなあ!? 俺は太刀だ! 四捨五入したら大太刀なのだぞ!」

「刃君のキレどころがわからない……」


 顔を見合わせてギャンギャン罵り合う俺達を、綾女は冷や汗を流して見つめている。


「でもなんか珍しいテンションだね、刃君」

「あ、それ私も思った。なんかコノハに対しては冷たいというよりは意地悪なのよね」

「あー、多分六条だからだと思います」

「どういうことトーカ?」


 その話か、俺はあまり好きではない。


「六条家は源氏の系譜なんです。そして兄さんの銘は童子切安綱」

「うんうん、確か酒呑童子を斬ったからだよね」

「はい。その時それを持っていたのが……当時の源氏の棟梁でして」

「え、じゃあコノハは……」

「どれくらいの繋がりがあるかは昔過ぎてよくわからないのですが、まあ、このはちゃんはそういう血を引いているわけです。正統な持ち主としての、血を」

「ふん、俺は認めんぞ」


 かつて俺を握っていた者の系譜だろうと、俺が主を選ぶのだ。甘やかさんぞ。

 ムスッとする俺に、しかしリゼットはしたり顔で頷いている。


「ああ、だから前になんだかんだ暴れる神獣倒したげたり、作った刀をコノハにあげたりしてたのね?」

「……違う、あれは取引だ。甘さではない」

「もう兄さんそんなこと言っちゃって。さっき言ってたこともあながち冗談じゃないくせにぃ。そうじゃなきゃ冗談でも兄とか妹とか言いませんよねー?」

「え、安綱様……」


 二人の言葉に、六条が目をパチクリとさせこちらを見つめる。違うと言っているだろうが。


「……取引とは正当であるべきだ。俺は契約に生きる妖刀。与えられれば、与えねば気が済まんだけだ」


 実際、綾女の件といい昔の刀花の生活費といい、少々こちらが貰いすぎているかと思っただけだ。


「それにかこつけて少し予算を奪おうとしただけだ。勘違いするでないわ!」

「安綱様面倒くさい……」


 ちっ、変な空気になってしまったではないか。こんなはずではなかったのだが……その生温い視線はやめろ。

 俺が鼻息を鳴らし、横を向いて「この話は終わりだ」と態度で示せば、六条は一つ溜め息をついて、思い出したかのように手を叩いた。


「あっ、そうでした。はい、綾女様。こちら少ないですが謝礼です。保存されていた写真や動画も、女性スタッフのみで構成したチームで処理しておきましたので、もうこちらのお店にご迷惑はおかけしないかと」

「わ、ありがとうこのはちゃーん!」


 テキパキと仕事をこなす六条に、綾女は嬉しそうに声を上げる。

 六条はそんな彼女に微笑みながらも、ふと首を傾げた。


「……そんなに困窮しておられるのですか?」

「あー、うん。そうなんだよぉ。頑張ってはいるんだけど……」


 困ったように笑う綾女に頷きながら、六条は今一度店内を見渡す。


「お客さんも、いませんね」

「セットメニューを新しくした時はいっぱいお客さんが来てくれたんだけどねー……」

「それは……妙な話ですね……?」


 その通りだ。

 先程ケーキは食べたので味の真価は分かるはず。そして六条は綾女の人柄を知っている。接客も問題ないはずだと思っているのだろう。

 では一体何が問題なのか。俺も現状に不満を持ち、苛立たしげにもう一度鼻を鳴らした。


「――まったく、事故物件でもあるまいし。呪われているのではなかろうな?」

「……呪い?」


 しかし。

 俺のそう思わねばやっていられないというような言葉に、反応を示す者がいた。


 ――六条だ。


「……そういえば、このお店に入った瞬間、寒気がしたような」


 ……妙なことを言う。


「もし悪霊などがいれば、俺が感知し排除するぞ」

「そう、そうですね……そうだと思います」


 この店に悪霊の類いはいない。いたならば俺が斬っている。

 だが、俺の言葉にまだどこか納得がいかないように、六条は首を捻った。実際、寒気は感じているわけだからな。


「……この中で寒気を感じる方は?」

「あ、私少し寒いです」

「実は私も……昔から」


 六条の言葉に、刀花と綾女が手を挙げる。

 そう言えば以前、この店は少し寒いのではないかと言っていた覚えがあるな。


「俺はそんなことないが」

「私もだけど……」


 俺とリゼットはむしろ居心地がいいくらいだ。三人の言うその寒さも、石造りだからと納得していたが……。


「……うーん?」


 六条が首を捻り、もう一度店内を見やる。


「……うん?」


 だが、一つ声を上げ……その瞳を鋭くした。


「……窓際にサボテン」


 そう呟いたかと思うと、六条はパッと視線を素早く動かす。


「壁には大量の人物画……」


 ……なんだ?

 確かに六条の言うように、店内の内装はそのようになっている。いつもと変わらぬ、客を楽しませるための心憎い内装だ。

 しかし……


「……ま、まさか」


 ゾッと、六条は顔を青くしながら玄関の方へと向かう。六条の急激な変化に疑問を抱きながらも、俺達もそれに続いた。


「玄関の右手に水槽……しかも中には先端が外に向いた船!」


 なんだ、何が起きている。


「玄関の内側にかけられた、鏡!」


 そう、その通りだ。内装はいつでもそのように彩られている。


「でも、それだけじゃ――西日が、玄関右斜めから差し込んでいる?」


 ハッと、六条は玄関から差し込む夕日を……逢魔が時の光を睨む。

 そうして、一人ブツブツと何やら呟いたかと思うと、六条は綾女に向き直った。


「綾女様、きっかけとなった借金の話というのは、最近のことでしょうか?」

「え、うん。そう、だね?」


 確かめるように聞く六条に、綾女は頷きを返す。

 そうして六条は「やはりこれは……」と呟き、さらにもう一つ質問をするのだった。


「――それは、安綱様がこのお店に来てから、ではないでしょうか?」

「……え」

「なに……?」


 ……なんだと?


「えっと、うん。そうだったかも。あの電話は確か、刃君がお店に来て、帰った後すぐに……」

「……分かりました。とても、よく」


 肯定する綾女に、六条は重苦しく告げる。


「……原因が分かりました。なぜ、このお店や綾女様に不幸が訪れたのか」

「なに!?」


 どういうことだ、原因があったのか!?

 急く心を静め、六条の言葉を待つ。


「よく聞いてください……」

『……』


 一同、ゴクリと唾を飲んだ。


「このお店は――」


 このお店は……?


「――風水が最悪で、しかも裏鬼門に位置するんです! そこを安綱様……あなたが通ったから、不幸が加速してしまったのです!」


 陰陽局支部長、六条このは。

 日ノ本の陰陽に通ずるそんな少女が、まるで名探偵のようにこちらを指差してそう告げるのだった。


 ――なん、だと……!?

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