第124話「なるみたいだぞ」



 週が明け、月曜がやってきた。

 退屈な授業が再び始まることに溜め息を吐く者。友人と会えることに喜びを見いだす者。

 学舎に集う若者の気色は数あれど、概ねそれは子どもが抱く許容に可愛らしく収まっている。


 ……この俺が含まれる、2-1を除けばな。


「ほげー……」

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……」


 爽やかな朝日を浴びる教室の片隅に。

 平和な日本の学び舎にあって、魂が抜けたように呆けた顔を晒して座る一人の少女と、机上で指を組み人間への憎悪を滾らせる一匹の鬼がいた。

 ……無論、綾女と俺である。


『???』


 そんな常軌を逸した様子の俺達二人を、前の席に座る橘が冷や汗を垂らしながら首を傾げて見つめている。そんな彼女は、ひたすら疑問を表わしたスケッチブックを掲げていた。


「殺す殺す殺――ああ、橘。おい綾女、橘が不気味がっているぞ。応えてやれ」


 俺の口からはとてもではないが説明出来ん。最早殺意しか漏れんわ。しかし、


「ほげー……」

「むぅ……橘、気付けを」

「っ」


 呆けたままの綾女を前に促せば、橘は『おはようございます』と書かれたハリセンをどこからともなく取り出し、綾女を優しくはたき始める。

 こやつ、いつの間に武器を出した……?


「ほげ……あ、橘、さん……?」

「!」


 しばらくして。

 口から魂でも漏れていそうだった綾女は、ぼうっとした瞳を橘に合わせ……


「うわーーーん! 橘さーーーん!!」

「!!??」


 ガバッと、勢いよく抱きついた。


「橘さぁん! 癒やして! 何も言わずに私を優しく抱き締めてぇー!」

「っ! っ!?」


 唐突に涙をダバダバと流し縋り付く綾女に、しかし橘は困惑しながらもよしよしと背中をさする。事情も知らぬのに対応力が高い子だ。


「うぅ、ぐす……あ、橘さん柑橘系の良い香り。おっぱいも柔らかーい……」

「~~~っ」


 赤くなった。

 その手には振り下ろそうか、振り下ろすまいかと迷いに揺れる『セクハラ禁止』というハリセン。この子、もしや突っ込み力も高いのではなかろうか。


『どうされたのですか?』


 苦笑して綾女の背を撫でながらも、橘は机上に置かれたスケッチブックにそう綴る。


「それがさあ!」


 待ってました、と言わんばかりにガバッと顔を上げる綾女。


「土曜日に新しいセットメニューと、たくさんの刃く――店員さんを雇ったのね! すごく大盛況でね! グランドオープンもかくやって感じでね!」


 溜まっていたのか、勢いよく言葉を並べる綾女。その瞳には少々妖しげな光が湛えられていた。十分に眠れていないのかも知れない。


『よかったのでは、ないでしょうか……?』


 そうなのだ、よかったのだ。


「――そこまでは、な。しかし、この先は聞くも涙、語るも涙の事情があってな……」

「?」


 目をパチクリとし、続きを促すように首を傾げる橘。くっ、これ以上は俺の口からは明かせぬ!


「うっ、それがね、それがね……!」


 慚愧に堪えぬ俺の言葉を引き継ぎ、綾女が悔しげに拳を握りながら遂にその真相を明かす!


「お客さんが――来なくなっちゃったんだよ!」

「っ!!……………………???」


 ……橘がなんとも言えない顔をしている。どのような顔をしたら分からない、といった顔だ。まあそうだろうな。


『聞くも語るも涙とは?』

「いや実際笑えんのだ。なぜ客足が遠のいたのか、サッパリ分からんのだからな」


 泣き寝入りするしかないとはこのことよ。

 そう、土曜に盛況を博したダンデライオンだったが……期待に胸膨らませる日曜に、その予想は残酷にも裏切られてしまったのだ。


「ねーねーなんで! 刃君なんで!」

「分からぬ……」


 涙目で揺さぶられても、俺からは明確な答えも出せん。

 SNSを覗いてもこれといった不満をぶちまける書き込みも無く、むしろ好印象な書き込みが目立つ。

 そうであるというのに、客が来なくなってしまった。いや、新規の客は何組か来店したのだが、目立つのはリピーターがほぼ皆無という点だった。


『謎、ですね……』

「うむ……」


 橘も眉を寄せてそう綴る。

 “映え”で客を呼び寄せるのは成功した。ダンデライオンの料理は出来が良い……一度味さえ知ってしまえば、通い出す者も出ると見込んでいたのだが。


「じーんーえーもーん! なんとかしてよぉー!」


 仕方が無いなぁ、綾女君は。


「では、他店の重鎮の首を刎ねるこの刀を――」

「ダンデライオンはもう終わりだよぉ!!」


 言い切る前に、机に突っ伏して泣かれてしまった。

 競合店さえ無くなればと。良い案だと思ったのだが……殺戮ドラ〇もんにはこれが限界であった。


「うぅーむ……」

「……」


 おいおいと泣く綾女を前に、俺と橘は何も出来ず冷や汗を流すのみだ。


「うぅ、このままじゃ閉店して家族もバラバラに……! 私も学園辞めて働きに出ることに……!」

「……いざとなったらうちでメイドとして雇うぞ」

「ああ、それもいいかもねえ……よろしくね、ご主人様。いっぱいご奉仕しちゃうよ……初めてだから優しくしてね……」

「何を言っているんだお前は……」


 いかん、綾女の瞳に光が無くなってきている。

 まあ、さもありなんというやつだ。一度希望を知った者は、より深く絶望するものなのだ。


『酒上さん……』


 橘が慈悲を湛えた目でこちらを見る。

 分かっている、俺とて綾女には明るくなってほしい。どうにかならんものか……。


「そ、そうだな。ほうら綾女。何か欲しいものはないか?」

「ペリ〇ンのオーシャ〇スワールぅ……」


 なに?


「……」

「ん? ああ、そういうボールペンがあるのか」


 橘がスマホをポチポチして、画像を出してくれる。

 そこには深海を思わせるボディに、クリップにペリカンのクチバシを象ったボールペンの画像があった。

 何の呪文かと思えば……まったく。


「ふ、ボールペンごとき。リゼットの下僕となり実入りの良いこの俺が買って――三万、だと……?」

「!?」


 思わず橘と二度見した。

 しかも限定600本だと? ぼ、ボールペンとは限定で生産されるような物品だったのか……?


「……ちなみに綾女、その胸ポケットにあるペンはいくらする」

「五万円……」

『!?』


 俺の持っているボールペンなど、その辺で拾ったやつだぞ。

 やはりどのような界隈でも、高級品というものはあるのだなあ……ピンキリというやつか。


「だが、ボールペンか……どれ、少し見せてくれ」

「え、いいけど――ぁんっ」


 綾女の胸ポケットから、銀の王冠が覗くペンをひょいっと拝借する。その拍子に少し変なところに当たったのか、綾女は甘い声を漏らした。すまん。


「むー……」

「ふむふむ……」


 セーラー服をパツパツに押し上げる豊かな胸を押さえ、じっとりとこちらを睨む綾女を見て見ぬ振りをしボールペンを検分。

 芯はノック式でなく、ツイスト式というやつか。リフィルも専用のものを……ふむ。

 ――これならば、いけるか?


「よし、少し手品を見せてやろう」

「え、なになに?」

「?」


 橘がいる手前そう断っておき、ボールペンをクルクルと指の間で回す。


「わん、つー、すりー」


 声に乗せて、ボールペンを車輪のように回して宙に浮かせる。

 そのまま残影を引いて落ちてくるボールペンを、素早く両手をクロスさせるようにして受け取れば――


「なんと、ボールペンが増えてしまった」

『!!』


 投げた時には確かに一本だったボールペン。それが今や、片手に一本ずつ握り込まれている。

 右手には先程投げた銀冠のボールペン。そして左手には……


「え、それって!?」

「これで元気を出せ」


 深みのある青いボディのボールペンを綾女に渡せば、彼女は目を丸くした後、クリスマスが一足早く来たようなキラキラした瞳を浮かべた。

 よし、上手くいったか……。


『お上手なんですね、全然分かりませんでした』

「ふ、さぷらいずというやつだ」


 橘のパチパチという賞賛の拍手を受け取る。まさに種も仕掛けも無い。


「……ね、刃君って武器しか出せないんじゃないの?」


 コソッと。

 橘に聞こえぬよう綾女が耳打ちしてくる。当然の疑問だが、物は考えようというやつでな。


「暗殺者は現場にある物を使って人を殺すことが多い。置物しかり、割れ物しかり――」


 そして、先の尖った頑丈なボールペンしかりだ。


「ここを狙えば、ボールペンでも脳に届くぞ」

「え、あ――」


 耳元でそう言い残してから、実演するように彼女の顎を指で持ち上げる。

 この柔らかい下顎部分から上に向かってズンっとすれば、ヤワな人間などイチコロよ。


「じ、刃君……」

「! っ!」


 む?

 なにやら綾女が頬を染め、橘が驚いたようにして口に両手を当てている。

 疑問に思えば、綾女が潤んだ瞳で言いにくそうに口をモゴモゴさせた。


「こ、この体勢は、その……心臓にダメなので……」

「……ああ」


 端から見れば、俺が綾女の顎に手を添えている……刀花が言うところの“顎クイ”というやつであった。中学生の刀花によくねだられたものだ、懐かしい。


「刀花は喜ぶのだが、綾女はどうだ?」

「いやいやいや! それはさすがに友達の距離感では――わあ近い近い!」


 少し顔を近づけてみれば、真っ赤な綾女は「ひーん!」と涙を浮かべて距離を取った。


「そうか、友人の距離ではなかったか……分かった橘そのハリセンを下ろせ」

「……!」


 顔を近づけた俺に向けて、橘は『セクハラ禁止』と書かれたハリセンを振りかぶろうとしていた。許せ。

 仕切り直すように俺は咳払いをして、赤い顔でキュッと胸を押さえる綾女に声をかけた。


「まあ元気を出して欲しいのは本当だ、それは取っておけ。俺からの“頑張ったで賞”というやつだ」

「ほ、ほんと……? あ、ありがと。うえへへ……」 


 よほど好きなのだな。

 綾女は少々気持ちの悪い笑みを浮かべてボールペンに見入っている。放っておけば頬擦りさえしてしまいそうで少し怖いぞ。


「よ、喜んでもらえて何よりだ。差異があるかもしれんが、そこは許してくれ」

「そうかな? クチバシも再現されてるし……あ、ロゴが違うや。ふふ、刀になってる」


 ああ、ロゴはペリカンだったか。つい主張が前に出てしまった。


「直そうか」

「あ、ううん! むしろこれがいい、っていうか……うん。刃君が、私のためを想ってくれたのが伝わるっていうか……ね?」

「……そうか」


 優しく目を細め、綾女は俺作製のボールペンを大切そうに胸に抱く。

 ……それだけ大事にしてくれるようなら、そのボールペンも喜ぶであろう。人間が道具を愛してくれるなら、道具もそれに応えよう。俺が証明だ。


「ふふ、大切にするね」


 綾女はそう言って、ゆっくりと胸ポケットにボールペンを差す。天辺にある刀のロゴが、キラリと光ったような気がした。


「……なんとか持ち直せたか」

「b」


 おお、橘も親指を立てている。友人の面目躍如というやつだ。

 そうして、二人で安心した息をついていると……


「あれ、メッセージだ……このはちゃん?」

「あん?」


 なにやらスマホを取り出した綾女は珍しい名を呟く。陰陽局支部長が、一般人である綾女に何用だ?


「なんと言っている」

「うーん……? あ、この前のことみたい。捜査協力や謝罪諸々込みで謝礼をお渡ししますので放課後カフェに寄らせてもらいます、だって!」

「ほう、それは何よりだ。お前は被害者だ、たんまりせしめておけ」

「?」

「あ、橘さんには言ってなかったっけ? 実は結構な事件に巻き込まれてさ――」


 目を丸くする橘に、綾女が俺の事情は上手く隠しながら説明をする。

 その間に、俺は一つ息を吐いた。

 よし、綾女も元気をひとまず取り戻し、謝礼も渡りに船で良い風が吹いているな。とはいえ、焼け石に水程度だが。


「……金か」


 まったく世の中、金金金だ。

 漫然とバイトしていた時代には分からなかったことだが、経営というものに関わり世の道理をまた一つ知ってしまった。

 金を稼ぐために、更に金が必要などと……そしてそれが必ず返ってくるとは分からぬとは、まったく度し難い社会の在り方よ。


「はあ……」


 二人に聞こえぬよう溜め息を吐く。

 これだから人間というのは面倒くさい……これから先どうしたものか……。

 やれやれ、このように頭を悩ますなど戦鬼の仕事ではないというのに。


 ――まったく、どうにか暴力で解決出来る問題にはならないだろうか!!


 そうならぬことは分かりつつも、俺は人知れずそう思うのだった。

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