第91話「にゃんにゃーん」
「おお……」
雑踏がひしめき、幾多のビルが立ち並ぶ都市の心臓部。
その鉄の城の中にあり、まるで異世界への門のように異彩を放つ木製の扉を抜けた先は、
「おお……!」
――猫の国だった。
「おお……!! マスター、マスター!」
「わ、分かった。興奮してるのは分かったから揺らさないで髪が乱れるっ」
「兄さんの目が生気を取り戻してます……でも猫ちゃん達がビックリしちゃいますから大きな声はNGですよ?」
刀花の言葉に慌てて口をつぐむ。だが俺は興奮冷めやらぬ中、その屋内に視線を巡らせた。
ウッド調の家具で統一された優しい雰囲気の店内。カフェと銘打っているためテーブル席が軒を連ねているが、少し離れたところには猫と遊べるスペースが確保されている。
そして、そんな穏やかな空気の店内にあってなによりも、その存在を主張するのが……
「うなぁ~」
猫だ。
ねこが、いっぱいいるのだ。すごい。
どれくらいすごいのかというと……すごくすごい。
「なんと……なんと愛くるしい……!」
「オーラ仕舞いなさい」
おっと。
俺の中の溢れんばかりの猫愛が黒いオーラとして迸っていたか、いかんいかん。このような体たらくでは猫達に失礼だ。
――そう、今日は妹の提案から『猫カフェ』にお邪魔をしているのだった。近場になかったため、わざわざ電車を乗り継いで都市部への遠征であった。
だがその甲斐あって……素晴らしい。
「いらっしゃいませ。三名様でしょうか? はじめにシステムと注意事項を簡単に説明させていただきますね」
受付の者から説明を受け、席に通される。その間にも、猫達は思い思いの行動を取りこちらの目を楽しませた。
窓際で丸くなり眠る者、キャットタワーに登っている者、他の客と猫じゃらしで戯れている者など。
視界から猫が外れることがない。まさにここは猫の国であった。
「へえ、料理とかも結構しっかりしてるのね」
「オムライスにはケチャップで猫の絵を描いてくれるそうですよ。可愛いですね……ふふ、私も描いてみたいです」
「それはやめて」
席に着き、興味深げに二人でメニューを覗き込みながら、えー、と刀花は不満げな声を上げる。
猫カフェというだけあって、料理もそれにちなんだサービスが付いてくるようだ。
だが俺はさっきから文字が頭に入ってこず気が気でない。
「チラチラ」
「ちょっと恋する乙女みたいな動作やめてよキモイわね……」
俺がソワソワと店内の猫達を盗み見ていたら、マスターが引き気味に眉を寄せている。
「隣の席の男の子が気になるけど、緊張で話し掛けられずにいる内気な女の子みたい」
ディテール凝ってるな。
「想像力豊かすぎないか」
「えっ、いや……普通でしょ……ねえ?」
「リゼットさんはきっとあれです。たまに綴ったポエムを机の引き出しに隠している系の人だと思います」
「なんっ!? でっ……し、してないわよ……?」
してるのだな……今度、掃除にかこつけて漁ってみるか。きっと面白いことになる。
「わ、私のことはいいから。早く注文しましょうよ。済ませてからじゃないと遊べないみたいだし」
マスターは誤魔化すようにしてメニューを揺する。
それもそうかと、俺達は昼食を兼ねた注文を取ることにした。
しばらくして――
「お待たせしました。一応猫ちゃん達が食べちゃっても問題ない材料で作っていますが、欲しがっても上げないよう注意してくださいね」
『はーい』
店員に声を揃えて返事をし、机に並べられた料理を見やる。
刀花はケチャップで猫が描かれたオムライス。マスターはサンドウィッチと紅茶のセットで、コースターが猫の形になっているものだ。
そして俺はコーヒーを頼んだのだが……
「おお、ラテアートですね」
覗き込む刀花が感心したように手を叩く。
黒の湖面に軌跡を描くように。
俺が注文したコーヒーには、可愛らしい猫のラテアートが顕現していたのだ。
なんと可愛らしい……聖画か? アートとはよく言ったものだ。目が洗われる。胸も高鳴る。
そんな素晴らしい芸術作品を見て俺は思わず、
「……むふー」
「に、兄さんが“むふー”って言いました! 激レアですよこれは……!」
「兄妹なのね、あなた達って。でも可愛くなーい……」
感嘆の息が漏れてしまった。
だが、同時に問題もあったのだ。
「ふふ、どれも凝ってますね。食べちゃうのが勿体ないくらいですモグモグ」
「そう言いながらバリバリに食べてるじゃない……あら、結構いい香りの茶葉」
「飲めん……」
刀花が猫のケチャップをスプーンで掬うのを切なそうな目で見てしまった。
そして俺はカップを片手に、懊悩に苛まれている。
このカップに浮かぶ白く可憐な猫ちゃんを、飲み下せと?
それはつまりこの世からの滅相。
殺せと言うのか……? 俺の、この手で?
確かに俺はこれまで幾多の血を吸ってきた無双の戦鬼。人間の命だろうが躊躇なく握り潰してきたのがこの俺だ。
だが……だがしかし!
「くっ、俺には……出来ない……!」
「早く飲みなさいよ……」
「マスターはジョセフィーヌを殺せと言うのか!?」
「ご大層な名前付けてんじゃないわよ……はいはい写真撮っといてあげるから。じゃあねジョセフィーヌちゃん」
「ジョセーーー!!」
こちらの隙を付き、呆れた様子でマスターがティースプーンを動かした。
その度に歪んでいく白猫の表情。俺にはそれが、今生を憂い泣いているように見え……やがて、彼女は跡形もなく溶けていった。
な、なんということを……。
「マスターは鬼だ……」
「あなたでしょ鬼は……」
「はーい兄さん落ち着いてください。あーん」
「え、ちょっ、それって間接キ――」
「モグ……すごくおちついた」
マスターがなにやら言っているが、刀花の差し出すオムライスを咀嚼して気持ちを落ち着かせる。
いかんな、どうにも今日の俺は浮き足立っている。戦場で初めて握られる武器でもあるまいし、少しは冷静にならねば。
なにせこれから――
「ほら、食べ終わるまで辛抱して。そうしたら、いくらでも猫と遊べるんだから」
マスターがたしなめるように言う。
そうだ、まだまだメインディッシュが残っているのだからな……!
猫。
猫と人との繋がりは古代エジプトにまで遡る。
穀物を主食として生活する人間にとって、ネズミを狩る猫はまさに家の守護者と言えるだろう。
犬は外で獲物を狩猟し、猫は内から人々を助け、共生してきた。まさに犬や猫は人類のパートナーと言っても過言ではないのではなかろうか。
ならば同時に、そんな犬猫達に認められない者は最早人間ではない。人から堕した何かと言える。
そう、つまり何が言いたいのかというと……
「俺は鬼だ……鬼なのだ……」
「ジン……」
「兄さん……」
椅子に座り、遠い目で外の景色を眺める俺に、二人は何も言えずにいる。
所詮、儚い希望だったのだ。
……食事を片付け、いよいよ猫達と戯れようと俺は一歩猫達に近付いたのだ。
するとどうだ、それはまさしく神話の再現。モーセの十戒のように猫達は割れ、誰も俺に近付かない。それどころか毛を逆立て威嚇をされる始末。
俺は、猫の国から国外追放処分を受けたのだ。
「兄さん、ビザは持ってましたのに……」
「まあ猫にとっては国外どころか宇宙から飛来した何かに感じたんでしょ」
哀れみの視線でこちらを評する二人。しかし二人はちゃっかりと離れたところで猫を抱っこしていた。
指で撫でればてしてしと、肉球で彼女達の手をくすぐったそうに叩いている。そんな光景を視界に入れるだけで、胸が、痛い……。
「ジン、声真似でもしてみれば?」
「に゛ゃ゛ー゛ん゛」
「私が悪かったわ……そんなに戯れたいんなら、犬になってたんだし、いっそ猫になったら?」
「そんなことしたらお猫様に失礼だろうがっ!!」
「ガチ勢こっわ」
ドン引きする主を横目に、俺は窓の外に視線をきる。もう、見てはおれん。これ以上見ていると、胸が張り裂けそうだ。
「兄さん可哀想。なにか……あ、リゼットさんアレ見てください」
「え? ……え゛まさかアレやるの?」
そう言って愛する少女達すら、コソコソと俺から離れていく。
「はっ……」
自嘲気味に笑う。
いや、これでいい。犬猫はつまり人間の友であり、決して鬼の友にはなり得ないのだ。
その認識は、この俺が彼女達を守護する戦鬼であるという証明に他ならない。たとえ人間の真似事をしようと、お前の根元は違うだろうと猫達は身をもって教えてくれているのだ。
お前の本分を履き違えるなと。危うく忘れるところだ。
我こそは、五百の魂を生け贄に、鬼を斬った妖刀を媒介に創造された無双の戦鬼である。悪意と憎悪を鎧に、無慈悲に刀を振るう絶対悪。
そうとも。俺の仕事は少女を守り、少女の行く手を阻む愚か者共を鏖殺すること。決して、猫カフェで猫ちゃん達と遊ぶことではな――
くいくい
ん?
心機一転、己の使命を再確認していれば、袖を引っ張られる感触。
なんだ、引っ張るということは猫ではないな。疑問に思いながら特に何も考えず振り向く。
――その瞬間、俺の灰色だった世界に、虹色の光が迸った。
「ふふ、にゃーん!」
「にゃ、にゃあん……ちょっと待ってこれ恥ずかしい!」
猫がいる。
いや、正しくない。猫を超越した猫がいる。ただの猫というには神々し過ぎ、それは可憐に過ぎた。
「いやあ、こんなのも置いてるんですね。猫とお友達になりましょう、ですって」
「だからといって猫耳と尻尾って……!」
そう。
俺の目の前には、猫耳と尻尾を付けた二人の少女が降臨していた。降臨だ。まさに天が遣わしたとしか俺には言いようがない……!
「ふふ、兄さんどうですか? 今だけは兄さんだけの刀花にゃんですよ?」
黒い猫耳と尻尾をフリフリと揺らし、ウインクをしながら「にゃん♪」と手を丸めてみせる。
あ゛っ゛、刀゛花゛に゛ゃ゛ん゛!
「ご、ご主人様がここまでしてあげてるんだから、何か言いなさいよ……」
白い猫耳と尻尾をツンと振り、赤い頬で腕を組む高貴な白猫。そのヒトにおもねらない態度はまさに理想的な猫の姿。
あ゛っ゛、リ゛セ゛ッ゛ト゛に゛ゃ゛ん゛!
ああ……嗚呼……ああああぁぁぁあぁあぁあ。
俺は最早言語すら失い、幽鬼のように両手を伸ばす。心臓はとっくに止まっていた。
しかし一瞬、触れる手前で思わず躊躇する。
俺のように穢れた者が、この至宝達に触れてよいのだろうか? それは存在への冒涜ではないか?
お、俺は……俺はどうすれば……
「むふー、ゴロゴロ」
「うっ、にゃ、にゃあ……」
ああ……。
停止している掌に、雪解けのような温もりが。
目の前には掌に頬を寄せ喉を鳴らす黒猫と、恥じらいながらも身を任せる白猫。
二匹の子猫達は、こちらの心の傷を癒すようにその温もりを分け与えてくれている。とても、温かい。
なんという……なんという……!
「わっ、ふふ……にゃあ!」
「にゃあ……」
そんな神々しい存在を、壊れないように優しく胸に抱き留める。その存在は柔らかく、少し力を入れただけで壊れてしまいそうに儚い。
俺はそっと、壊れないように、慈しむように、焦がれるように……ちょこんと猫耳の乗ったその髪に指を通した。
「むふー、ちろちろ」
「と、トーカ!」
身動ぎした黒猫が、こちらの頬を小さい舌で舐めてくれている。
その楽しそうな笑顔とくすぐったい感触に、愛しさが止めどなく胸から溢れた。
「う、わ、私も……」
咎めるような声を上げていた白猫だったが、もじりもじりと恥じらいながら顔を寄せてきた。
「ん、にゃむ……」
さすがに頬は恥じらいが勝ったのか。
白猫はこっそりとこちらの指に顔を寄せ、パクリと人差し指の先を咥えた。
「ちうちう……」
先日のように血を吸われると思ったがそんなことはなく。彼女は甘えるように優しい弾力で甘がみを繰り返し、上目遣いでこちらの様子を伺っている。
その甘い感触と熱を上げた表情に、こちらがどうにかなってしまいそうだった。
ああ、俺はなんという幸せ者なのだろう。
今の俺は恐らく、世界一幸せを甘受していると断言できる。胸の内で渦巻く人間への憎悪が溶かされていくのを感じた。
そうして俺は己の使命を忘れ、目の前の快楽に身を委ねようと……
「な、何をされておられるのですか、お三方……」
『!?』
聞き覚えのある声にビクリと肩を震わせるマスターは、ゼンマイ仕掛けの機械が如くぎこちない動作で振り向く。そこには……
「さ、さすがに外でそういうものはいかがかと……」
私服でポイントカード片手に、真っ赤な顔で震えている陰陽局支部長様、六条このはが入店してきていた。
「なぜ貴様がここにいる」
「このお店を刀花様に教えたのは私なので……と、刀花様っ、いけませんそれ以上は!」
パッとすぐに離れたマスターとは対照的に、いまだ気にせずこちらに引っ付いている刀花に慌てた声を出す支部長。さらにそこへ、
「あ、あのぉ……お客様。そういったプレイはプライベートでお願いします……」
『……すみません』
頬の赤い店員に申し訳なさそう言われてしまえばどうしようもない。なぜか支部長も謝っていた。
「で、出ましょうか……」
ちょうど制限時間も来ており、支部長に手を振るマスターに促され受付で金を払う。
店の猫とは触れ合えなかったが、異常なまでの満足感に俺はもっと金を払ってもいい気分だ。
「……あ、すいませんこちら買い取りいいですか?」
「ちょっ、トーカ……!?」
その俺の横でなにやらコソコソとしたやり取りがあったようだが、その真相を知るのは夏休みの最終日たる翌日のことであった。
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