第90話「リゼット劇場は会員制よ」



 ……か、買ってしまった。


 三人で固まって歩く夕暮れの商店街。

 彼の左腕を胸に抱きながら、先程購入し配送をお願いした水着に私は思いを馳せた。

 大胆にも肌を晒す青いフリフリの水着。

 正直、これから使うかも分からない品物を買うのもどうかと思ったのだが、その、つい……買ってしまった。


(……美しいって、言ってくれたし)


 水着なんて初めて着た。

 私は生まれから、吸血鬼としての特性があまり強く表に出ない体質だ。日光もある程度平気だし、血も毎日必要というわけでもない。

 しかし、だからといって海水浴に行くための服装というのはそもそも吸血鬼にはない文化であって、水着なんてこれまでの生の中で縁もゆかりもなかったのだ。

 だから初めて水着を着て、それを眷属に見せるだなんてとても緊張したし、ドキドキしたのだ。変じゃないかって、おかしくないかって何度もチェックした。


 そんな、私が初めて着た水着を……美しいって、彼は言ってくれた。


 だから……いいわよね?

 活用されるかは分からない水着に多少申し訳ない気持ちもあるけれど、私はそれでもそれを手元に残しておきたかった。


(ま、まあ? 海水浴は無理としても、屋敷でもなんとかやりようはあるかもだし?)


 屋敷の浴場はかなり広い。例えばあそこに水を張れば、即席のプールくらいにはなるだろう。

 もしくはそんな大掛かりなことはしなくても、縁側で水を張った桶に足を浸して涼むというのもありだ。

 一緒にスイカも食べちゃったりなんかして、なかなか素敵だわ。ジャパニーズ・ワビサビってやつね。


(あとは、その……)


 別に水で遊ぶことに関係なく、彼に見せるためだけに着る、とか……?


(そ、それってやっぱり……夜の――)


 ああ、いけないわリゼット=ブルームフィールド。そんなハレンチなことを考えては。

 いいこと? 私は淑女なの。あんな肌を露出させるハレンチな格好を自分から進んでするなんてあり得ないことなの。そんなホイホイと肌を晒すような安い女じゃないの。私を誰だと思っているの?

 ……だから彼がどうしても着てほしいって言ってきたシチュエーションでいくわね?

 はーい、いい子のみんなは座ってねー。リゼット劇場(R15)が始まるわよー? ちなみに苦情は一切受け付けないから。


 ――時間は夜。

 場所は私の部屋で、彼がどうしても私の水着姿を見たいと懇願する。そんな彼に、器の広いご主人様である私がそのお願いを叶えてあげるの。


『も、もぉ……仕方のないワンちゃんなんだから』


 そう言ってツンと横を向く水着姿の私。本当は水着をリクエストされて嬉しいとか、やっぱり私のことが大好きなのねとか、そういう態度はおくびにも出さない。なぜなら私はご主人様だから! 主導権は私!

 そして目の前の彼は、私の美しい姿にすっかりメロメロで、理性は焼ききれる寸前。まあ当然の反応ね。


『おおリゼット、俺の麗しく尊いご主人様。童話の人魚姫すら、お前の美貌の前には霞む。たとえ声を失ったとしても、その輝きが褪せることはないだろう』


 そうして美辞麗句を並べ立てながら、彼は私にお伺いを立てるの。水着姿の私に触れていいか、抱き締めていいかって。

 でも、まだダメ。

 私は素っ気ないフリをしながらベッドに腰掛け、スッと片足を軽く上げる。

 そうすれば彼はすぐさま私の下に跪いて、私の足にキスをする。これがお許しの合図。


『ああ、リゼット――』

『こーら』


 こちらに飛び込もうとするいけないワンちゃんを、だけど私はまた制す。おあずけは大事よね?


『まだ、ダメなのか?』


 そう言って切なそうにこちらを見つめるジンに、私はちょっぴり頬を膨らませて言うの。ここ! ここ上目遣いね!


『飾った言葉もいいけれど、あなたの素直な言葉も聞きたいわ』

『我が主……』


 私の魅力にクラクラして涙すら流すジンは、顔を手で覆いながら……


『美しいぞ、マスター。そして世界一可愛いぞ』


 初めて水着を着た日に言ってくれた言葉を繰り返す。

 私はそんな彼の言葉に、ご主人様らしく余裕たっぷりに笑ってみせるの。


『ま、及第点ってところね。いいわ、ジン。いらっしゃいな』

『わんわん!』


 そうしてすっかり私の犬になった彼をご主人様いっぱい可愛がっちゃって彼にも可愛がられたりしちゃったりなんかしちゃったりしてきゃあきゃあ!


 あー、また大勝利してしまったわ。敗北を知りたいわね。世界一可愛いご主人様にお仕えできてジンは幸せ者よ? こんなことしたら、ジンもう死んじゃうんじゃないかしら。

 というかさっきも跡形もなく消えてたし。「危ないところだったが、三途の川をバタフライで逆走してきた」なんて言って戻ってきてたけど。

 冗談、だと思う……多分。冗談よね?


「今日の夕飯は何にしましょうかね?」

「刀花の作ったものなら“なんでも”――ああいや、そうだな……」

「ふふ、兄さんったら」


 そんな彼は今、妹と晩御飯の相談をしている。

 また女の子になんでもと言いかけ、しかしきちんと言い直して考えている。彼は慙愧もなく己の道を突き進むけれど、私達に対しては例外なのだった。


「たまには俺が作ってもいいぞ」

「カレーですか? じゃあ一緒に作りましょう!」

「ん、では俺が野菜を斬って――」

「私がルーを作りますね。むふー、楽しみになってきちゃいました」

「ふ、そうだな」


 む……。

 なんだか、私抜きで会話が進んで行っている。

 それになんだか会話の内容が夫婦というか、新婚さんみたいで少し……モヤっとする。


「……」


 彼は現在左腕を私に、右腕をトーカに明け渡している。

 そんな風に商店街を歩いているため、少々周囲からの不思議そうな視線が気になるが……トーカがまったく気にしていないので、私も負けるわけにはいかない。ジンも、それが当然のように顔色を変えないし。

 そしてなにより……


「にーいさん♪」

「ご機嫌だな」


 ぎゅむっと。

 トーカが彼の腕に飛び付いたことにより、その腕が彼女の胸に埋まる。

 そう、埋まる。埋まるのだ。当たるとかそんな次元じゃなく、正真正銘その胸に包み込んでいる。まるで獲物を捕まえて離さない蟻地獄のように。

 恐ろしい……きっと妖怪の類いなのよ。妖怪・乳挟みとか、そういうの。乳で惑わして人を殺すのよ。いやだなー羨ましいなーって。いや別に羨ましくなんてないし。

 私は戦慄の表情で右側を眺めながらも、スッと視線を下に向けた。

 視界に映るのは彼の左腕。抱えるようにしてこの胸に抱いている。だから……その、当たっている、はずなのだ。埋まるまではいかないまでも、こう、ふにゅんふにゅん、と。


「……ムグ、悪くないな」


 この私が。

 ご主人様であるこの私が妹に負けじと恥を忍んで横乳を当ててんのに……彼は立ち並ぶ店頭の試食品を掠め取り、呑気にムグムグ食べている。両手が塞がってるはずなのにどうやって取ったんだろう……。


「むぅー……」


 気に入らない。

 もっとこう、ご主人様に言うこととかあるんじゃないの? 妹よりも張りがあるなとか、形がいいなとか。いや言われたらドン引きだけど。


「ふぅー、暑いですねえ」


 むむむと唸って手をこまねいていると、しかし彼の右隣を歩くトーカがおもむろにそんなことを言い始め……


「よいしょ、よいしょ」

「っ!?」


 あろうことか、ハンカチで谷間の汗を拭い始めたのだ!

 まさに視線の暴力。ブラウスの襟を少し下げ、そのざっくりと深い谷間を晒している!

 しかも兄だけにしか見えないよう角度も工夫された手練れの技。このやり慣れた動き……トーカ、この動作やりこんでいるわね!?


「……モグモグ」


 そして彼は唐揚げの刺さった爪楊枝をモゴモゴさせながらも……見てる! 妹の谷間をバッチリと見ている! 最早谷間を主食にしておかずを食べてるレベルで見てる! いやらしい!……と、思う。無表情で見てるから何考えてんのかわからないけれど!


「……ふふん」

「なっ!」


 は?

 そしてトーカはひとしきり汗を拭いハンカチを仕舞うと……私に対して勝ち誇ったような笑みを浮かべたのだ。

 なななななな……!

 へー、ふーん、そう。そういうことするのね。

 どうやら対抗心を燃やしていたのは私だけではなかったらしい。

 いいいいいいいわ。受けて立ってやろうじゃない。私はどん底から這い上がった高貴なる吸血姫。たとえ相手との戦力差が三段階(カップ数)くらい違っても、私にだってやれるんだからね! 吠え面かかせてあげるんだからね!


「あー、私も暑いわねー」


 わざとらしくそう言って、私もハンカチを取り出しワンピースの襟を下げる。恥ずかしいし二番煎じだけれど……負けられない戦いが、そこにはあった。


「ふー、暑い暑い」


 ほらほら、どう? あなたの大好きなご主人様の谷間よ? 正直なんでこんなアホらしいことしてるんだろうとか現実に立ち返りそうになっちゃってるけど、もう後戻りはできないわ!


「……モグモグ」


 あ、あ! 見てる!

 彼の視線が熱いほど私の谷間に注がれているのを感じる。ジンが私の谷間でモグモグと唐揚げ食べてる! 私達今最高に頭悪いわ!! 夏と政治が悪いことにしておいて!

 トーカと比べられてコノハの時みたいに鼻で笑われるかもってビビってたけれど、やあねやっぱりこのワンちゃんったらご主人様のこと大好きなんじゃない! もうもう!

 まあ見境がないとも言うけど。やっぱり日本人ってHENTAIだわ。


「ま、まあこんなものね」

「むむむむ……!」


 満足感と共に特に濡れていないハンカチをポケットに仕舞う。

 あー顔が熱い。

 でもやりきったわ。その証拠にトーカが悔しげに唸っているもの。ふふ、やっぱり大きさじゃなくてバランスなのよバランス! あとお気にのブラ着けててよかった……。

 お母様、リゼットはやりました。見ていてくださいましたか? あ、ごめんなさいやっぱり見ないでください……。

 そんな風にバチバチとやり合いながら、台所を担う主婦層の増えてきた商店街を歩いていると――


「いらっしゃいいらっしゃい! お、そこのお似合いのカップルさん、いい肉仕入れてるよー!」


 私達に向かって、左の商店からそんな声が聞こえてきたのだ。


「あら、お似合いだなんて。お上手な店主さんね」

「むふー、お似合いですか? ありがとうございます、ここで買っていきますね!」

「「え?」」


 同時に声を出して……固まる。

 いや、いやいやいや。


「……私よね?」

「……私ですよね?」


 いやいやいやいやいや。


「私よ」

「私です」


 スゥー……………………。


「いや左の店から声かけられたのよ? だったら左側歩いてる私でしょ」

「でもお似合いって仰られてたんですから、そこは日本人同士である私かと」

「国籍の違いなんて些細なことよ。それに私と彼はご主人様とその下僕なんだから、お似合いなのも当然よね」

「それを言ったら兄妹の方がお似合い感強いですよ」

「……ねえ? 店主さん。私に言ったのよね?」

「いーえ、私に言ってくださったんですよね?」

「え、いや、その……」


 先程やり合った余熱も冷めやらぬ攻防。

 そんな私達を見て店主のおじさんは目を泳がせて冷や汗を流しているけれど……逃がさないわよ。


「当然私よね? そう言ったらここのお肉全部買うわ」

「あっ、汚いです! 名誉をお金で買うんですか!」

「あら、知らなかったの? 名誉ってね、お買い得品なの」


 まあ私のことを言っているのだから、こんなこと言わなくてもいいのだけれど。念には念よね。


「……い、いやあ、こんな可愛らしいお嬢さん方を連れて、憎いねえあんちゃん!」


 あ、話逸らした。

 というかさっきから何にも言ってないけれど、ジンは何してるのよ。


「ねえ、ジン? 私達お似合いだって。嬉しいわよねー?」

「兄さん! 兄妹の方がお似合いですよね! 背徳最高ですよね!」


 トーカがさりげなく性癖を暴露している。

 そしてそんな私達に挟まれるジンは……


「……」

「ジン?」

「兄さん?」


 無言で、しかし真剣な瞳で一点を見つめている。そこには――


「にゃーん」


 ……猫?

 そう、猫。余った肉を待っているのか、軒先に猫が一匹いる。その猫を、ジンは食い入るように見つめていたのだ。

 ……こちらの話も聞かず。


「じーんー?」

「にーいーさーんー?」

「いはいいはい」


 両側から頬をつねられ痛そうに、だけどどこか幸せそうに声を上げる彼に私達は膨れる。


「私より猫が大事ってわけ?」

「いや、すまん。ついな」

「まあ兄さんって猫大好きですからね」


 そういえば前にも猫が好きって言ってたような。なんだか意外。彼ってあらゆる生き物嫌ってそうだったから。


「動物に罪はない。それにこの首輪をかけられぬ自由さ、俺にはない生き方ゆえどうにも惹かれるのだ」


 そう言って彼は一歩、猫に近付こうとし――


「ふしゃー!」

「うっ」


 威嚇された。あ、しょんぼりしてる。


「お労しや兄さん……」

「いいのだ。この戦鬼にも届かぬものがあると、猫ちゃん達は教えてくれているのだ。精進せよとな」


 猫ちゃんて。その強面でやめてよ、笑っちゃいそうになったわ。

 でも好きなのに触れられないっていうのもなんだか可哀想な話ね。


「うぅーん……あっ」


 ひそかに哀れんでいると、トーカがなにやら考え込んだ後にポンと手を叩いた。


「そうだ兄さん、明日はお暇ですか? この妹が、兄さんをいいところに連れていって差し上げますよ」

「ほう……?」


 話の流れからして、多分カフェ的なあそこでしょうね。

 でも心配だわ。近付こうとするだけであんなに威嚇されたのだし。一体何が起こるか……。


「私も行くわ、手綱は多い方がいいでしょう」

「……そうですね、その方がいいかもしれません」


 神妙な顔で頷き合う。どうやらここは共同戦線を築くところのようね。それに二人だけで行かせるなんてデートみたいだし。


「……あの、結局買っていかれるんで?」

『あ、すいません……』


 店先で話し込んでしまっていた。思わず謝って財布を取り出す。

 まあそこそこ高いお肉を買ったし、許してくれているでしょう。

 私、恥ずかしくてもう二度と商店街には近寄れないけれどね。

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